454.オルディネ大公の息子
「大丈夫ですか、マルチェラ……?」
王城の魔物討伐部隊棟の会議室、ダリヤはつい小声で名を呼んでしまった。
彼は、はい、と返事をしてくれたが、硬い表情のままだ。
原因は彼の腰に下げられた黒革のベルトバッグ。
ザナルディ大公からマルチェラへの御礼品である。
ザナルディからは、『名入れはしていませんから、ヌヴォラーリ君の趣味に合わなかったら買い取りにでも出してください』、そう言われている。
本日午前、商業ギルドの商会部屋で、ダリヤはベルトバッグを渡しつつ、その通りに伝えた。
直後、『出せるかぁーーっ!』とマルチェラに叫ばれた。
同感なのだが、相手が相手なのであきらめてもらいたい。
なお、イヴァーノに見てもらったところ、素材はブラックワイバーン。
丈夫さは特級保証付き。お値段は商会員の数ヶ月分の給与ぐらいではないかとのことだった。
しかも、それで終わりではなかった。
バッグの中には、ザナルディが言っていた、『飴でも入れておくといい』のサンプルか、紙箱に白っぽい半透明の丸い石が入っていた。
それを見たマルチェラの顔は白くなり――
『うわっ! それ、白の結界石じゃないですか!』 メーナの叫びに理解した。
物理攻撃、魔法攻撃にも対応できる結界石は、神殿でごく少数作られるはずの貴重品。
通常は薄い灰色だが、白は最も効果が高いとされる上級品だそうだ。
『これでダリヤちゃんを守れということだから商会で保管を』
『いや、これはマルチェラがもらったものだから』
そう押しつけ合うようになった結果、護衛時の非常用となった。
その後に王城に来たわけだが、いまだ彼の表情が硬いままである。
会議室にはダリヤとマルチェラ、そしてメイドだけだ。
隊長のグラートは政務棟に呼ばれて遅れており、副隊長のグリゼルダとイヴァーノが倉庫の数量確認をしているためである。
ヴォルフはそろそろ来るだろうか――そう思ったとき、窓の外から歓声が次々に上がった。
喜びの声らしいのはわかるのだが、理由がわからない。
マルチェラも同じく窓の外へ不思議そうな視線を向ける。
窓に寄るのは礼儀作法的にまずいだろうか、そう考えていると、ノックの音が響いた。
「遅れてすまない、ダリヤ」
「いえ、こちらが早く来てしまっただけなので。あの、何かあったんですか?」
まだ歓声らしいものが遠く聞こえる。
それについて尋ねるとヴォルフは笑顔になった。
「今朝、アルドリウス殿下にご息女がお生まれになったって。今、王城内に知らせが回って――皆、喜んでる」
アルドリウスとは王太子の名である。
ダリヤは窓の外の歓声に納得した。
「とてもおめでたいことですね」
「ああ。これから王城の外にも知らせが行くそうだから、きっと今日は、王都でもお祝いだね」
「本当にめでたいことだな……」
マルチェラが小さく言った。
けれど、その声は深く――父親になって数ヶ月、これまでを振り返ったのかもしれない。
「マルチェラのところのベルノルト君とディーノ君、大きくなったよね?」
「ああ。生まれたときの倍を超えてる。どっちかが笑うと連鎖で笑うから、とてもにぎやかだよ」
「倍! すごいなぁ……」
ヴォルフが感心しているが、ダリヤもとても驚いた。
二人ともすくすく育っているようだ。次に会いに行くのが楽しみである。
なお、九頭大蛇戦から戻ったマルチェラは、泣かれなかったそうだ。
笑顔の報告に、ちょっとだけほっとした。
「待たせたな、ダリヤ先生」
雑談をしていると、グラートが会議室に入ってきた。
「ご多忙のところ、お時間をありがとうございます、グラート隊長」
「魔物討伐部隊だけなら楽にしていいぞ」
その気遣いはありがたいが、現在、叙爵向けに貴族言葉の練習中である。
気を抜くとぼろぼろといきそうで、まだ危うい。
それをオブラートに包み包み言うと、頑張れ、とグラートに笑まれてしまった。
「来季の注文だが、予算は五割増しになったので、発注を大幅に増やす。防水布、馬車の幌、テント、魔導ランタン、遠征用コンロ――ほぼ全部だ。予備も欲しいのでな」
予算五割増しとは太っ腹である。
だが、九頭大蛇戦勝利の今、シーズン外だが寄付もあり、国からの追加予算も得られた。
これを機会に予備を準備しておきたいのは当然だろう。
数量はイヴァーノが戻り次第確認、分納で納める方向で決まった。
「ところで、ザナルディ大公からの依頼は、もう聞いているか?」
グラートが赤い目をダリヤに向け、話を切り換える。
「はい。『魔物討伐部隊の遠征にも使える足回りのいい馬車を、急ぎで』、そう承っております」
「製作と納品はザナルディ大公のものを優先にしてくれ」
ロセッティ商会へ、ザナルディ大公個人で、馬車の依頼があった。
それはダリヤも今日、イヴァーノから聞いたばかりだ。
遠征にも使える小型で足回りのしっかりしたもので、神殿向けと同じく衝撃吸収材を内装に使用。
そんな高級指定の馬車だが、ザナルディが乗るとは思えないので、神官が遠征に同行するとき用ではないだろうか。
大公から魔物討伐部隊へ、九頭大蛇戦勝利のお祝いかもしれない。
「はい。これからザナルディ大公に契約書のサインを頂きに参りますので、できるだけ早く進めさせて頂きます」
今回は個人契約なので、契約書はザナルディ本人の署名がいる。
三課へは少し行きづらい思いはあるのだが、なんだかんだで、また行くことになっていた。
「ヴォルフ、同行しろ。三課の魔羊にダリヤ先生が蹴られんように」
「はい!」
白い魔羊のフランドフランは、話せばわかってくれそうなのだが、やはり魔物だから警戒されるのだろうか?
そう思ったとき、ヴォルフがそっと教えてくれた。
「最近、ノワルスール――黒い魔羊が、たまにランドルフと走ってる。あと、組み手もしてる」
「組み手? ああ、じゃれているんですね」
「……うん、そうかもしれないし……あれは鍛錬かもしれない……」
遠い目のヴォルフは、あまり魔羊になつかれていないのかもしれない。
ランドルフは三課の魔羊達の深い信頼を得ているようだ。
そのうち、三課の担当職員が秘訣を聞きにきそうである。
「ダリヤ先生、本日、午後の茶の時間あたりに予定はあるか?」
「いえ、ございません」
まだ午後になったばかり、急ぎの用事もない。
署名に時間はそうかからないだろうし、何かあれば、三課の事務に革箱ごとお渡しすればいいだけなので、特に問題はない。
「急だが、新人隊員が入る。相談役として顔合わせに出てくれ」
「はい、ぜひご挨拶させてください」
「え? そうなのですか?」
ヴォルフもまだ知らなかったらしい。
聞き返した彼に、グラートが笑む。
「ああ、私も先程、政務棟で配属の書面を受け取ったばかりだ。中途採用ということになるが、頼むぞ、『ヴォルフ先輩』」
「じ、尽力します……」
先輩呼びされたヴォルフは、ちょっと落ち着かなそうだ。
けれど、中途採用と言うことは、ベルニージ達のように頼れるベテラン騎士かもしれない。
隊の戦力増強に期待しつつ、ダリヤはヴォルフと共に三課へ向かった。
・・・・・・・
「ようこそ、ロセッティ君、ヴォルフレード君」
三課の塔に入ると、すぐ客間に案内される。
そこには、すでにザナルディがいた。
コーヒーにミルクジャムをたっぷりと落とす彼が、同じものを自分達に出すようメイドに告げる。
「ザナルディ様、この度は馬車のご注文を頂き、感謝申し上げます」
「個人的都合で急がせてしまいますが、お願いしますね」
挨拶をすると、ザナルディはすぐ契約書に署名をしてくれた。
指定予算は神殿馬車の三割増し。希望を追加した際は別途料金を支払う――
契約書を準備していたイヴァーノが、笑顔になるわけである。
そして、神殿馬車と似たものという指定はされてはいるが、くわしい聞き取りが必要だ。
「馬車の外装や内装に、ご指定はおありでしょうか?」
「ああ、そうですね。それについては息子に聞くこととしましょう」
「息子さん? し、失礼しました、ご子息、ですか?」
思わず言葉が崩れてしまった。
けれど、ザナルディはこともなげに続ける。
「ええ、急ですが、息子ができまして。馬車は息子への贈り物なのです」
「そうでしたか、おめでとうございます」
ザナルディ様は独身だと聞いていたが、お子様のいる方とのご結婚が急に決まったのかもしれない。
遠征にも耐えられるほど丈夫な馬車というだけで、魔物討伐部隊とは別だったらしい。
そんなことを考えていると、ザナルディがメイドに息子を呼ぶように告げた。
コーヒーにミルクジャムを入れてかき混ぜていると、ノックの音がした。
「失礼します」
ザナルディの息子が来る前に、エラルドが入ってきた。
三課で怪我人か、それとも急用か――けれど、彼はそのままザナルディの隣へ進む。
いつもの白い神官服ではない。
フード付きの黒いローブで、袖や裾の縁飾りは銀色。
首回りと袖口には銀糸で茨のような刺繍がある、かっこいい一着だ。
とても似合うのだが、神官の装いらしくはない。
何より、足元は魔物討伐部隊の戦闘靴だ。
不思議に思う自分の前、ザナルディがとてもいい笑顔で言った。
「紹介しましょう。私の息子、エラルドです」
続けてエラルドにも、とてもいい笑顔を向けられた。
「エラルド・ザナルディと申します。以後、お見知りおきを」
「「エ、エラルド、様っ……?!」」
ヴォルフと完全に声が重なってしまった。
とてもいい笑顔なのは親子で一緒だが、いや、そうではなく、何をどうしてそうなったのかがわからない。
そもそも息子とは? エラルドの方が年上だし、副神殿長の職はどうしたのか。
とはいえ、オルディネ大公とそのご子息である。
根掘り葉掘り聞くわけにもいかず、目を丸くするしかない。
「エラルドは神官を辞め、魔物討伐部隊員になりたいとのことでしたので。私の息子であれば、すぐに隊へ入れられますから」
「私は学院も出ておりませんし、治癒魔法があったところで騎士の試験で落ちますので。ここは縁故採用しかないと思いまして」
良い縁故採用の見本を見た気がする。
もっとも、王城勤務では本人の能力が最優先、その後に保証人に重きがおかれるので、ほとんどないと聞くが。
「エラルド様が、魔物討伐部隊に! ありがとうございます!」
「ありがとうございます、エラルド様……」
勢い込んで言うヴォルフの後、ダリヤも礼を述べる。
エラルドが魔物討伐部隊員として遠征に同行してくれるなら、とても心強い。
「もっとも、魔物討伐部隊に入れたのは私の力ではないのですがね。後見人にストルキオス、推薦書は王が――マグカップ一番の話をして、引き換えに書いてもらいました」
「……っ!」
ここで声を上げなかった自分は、ちょっとは貴族になったのではないだろうか。
そんなわけのわからないフォローを我が身に入れていると、再びのノックの音がした。
「セラフィノ様、ザナルディ公爵代行がおみえになりました。いかがいたしましょう?」
「先触れもなしで来ましたか。まあ、叔父上も私の息子に会いたいのかもしれませんが」
「ご挨拶致しますか、父上?」
「今日は不要です。王同席で顔合わせを準備していますから。それとも、ザナルディの屋敷に泊まりに行きたいです? 三課の部屋よりベッドは大きいと思いますよ」
「いいえ、私はこちらが、父上のお側がいいです」
馴染んでる馴染んでる、ダリヤは思いつつ、頬肉が動かないように懸命に耐えた。
隣のヴォルフは表情は固めているが、膝の上の手がちょっとぷるぷるしている。
「王宮の客間に案内を。三課には入れたくありませんから」
珍しくザナルディの声が冷えた、そう感じたとき、水色の目が自分を見た。
「一応、守秘があるのですよ。どなたかの顔の数値とか、オウムの独特な鳴き声とか」
ヴォルフとグイードもピエリナに顔を測定されたのだ。
他の貴族のそれがあってもおかしくはない。
あと、以前、王の間での会話――
一例としては、『全部、署名スレバ、ヨイノダロウー』『ヘーカ、ヘーカ! キチント、ゴ確認ヲー!』
声と口調を使い分け、ぺらぺらと話すオウムを思い出し、深く納得する。
ヴォルフと共に浅くうなずき、口は固く閉じた。
「では、ちょっと行ってきます。あなた方はゆっくりコーヒーを飲んでいってください。エラルド、この場は任せましたよ」
「はい、父上」
そうして、ザナルディは客室を出て行く。
その後ろ姿を、父親へむけるような表情で、エラルドが見送っていた。