453.スカルファロット侯のレリーフと魔導書
ダリヤがヴォルフに案内された部屋は、女性向けのものであるらしい。
カーテンやソファーは薄水色に淡い白の花模様、そこに金の装飾が控えめに輝いている。
ヴォルフからは作業の後などに、この部屋を自由に使って欲しいと言われた。
ちょっと驚いたが、確かに魔導具に重ねがけで付与した後などは汗びっしょりになることもある。
着替えられる場はありがたい。素直に借りることにした。
そうして、ダリヤは部屋で身なりを整え、化粧を直した。
これで安心してスカルファロット本邸へ、と言いたいところなのだが、やはり緊張する。
ヴォルフと共に馬車に乗ると、つい浅く息を吐いてしまった。
そんな自分を気づかったらしい彼が、白木の箱をそっと開ける。
「これ、兄上のレリーフ。かっこいいよね」
ディナープレートほどの大きさの丸い銀板に、グイードの顔から肩までの肖像が立体的に成形されている。
冷たい感じがするほどに整った横顔は、いかにも貴族当主らしい。
陞爵の祝いに、とてもふさわしい品に思えた。
「ええ。細かいところまできれいですし、きっと喜ばれると思います」
本日、ヴォルフが王城に呼ばれた理由がこれである。
連絡してきたのはザナルディ大公。
王城魔導具制作三課のピエリナ・ウォーロックが制作したレリーフが完成したという知らせだった。
ピエリナは三課で金属加工を行っている研究員だ。
以前、ヴォルフに対し、整った顔の比率を測らせてほしいと願ったことがある。
グイードのレリーフはその対価である。
「ザナルディ様が兄上に渡す話もしてみたんだけど、俺がもらうべきものだし、俺が渡した方が兄上が驚いて面白そうだからって」
「ザナルディ様らしいと思います……」
彼はとても有能だが、興味が湧くと他を気にしない一面もある。
そう思った瞬間、脳裏を白いクラーケンテープが飛んだが、記憶はそこで止めた。
名乗られていない方にはイヴァーノに頼み、九頭大蛇祝勝マグカップの一番と二番をお贈りする予定である。
ぜひこれで、きれいさっぱり終わってほしい。
「このレリーフ、父上にも一緒に見せたかったな……」
「まだお戻りになられないんですよね?」
「ああ、領地で叔父達と水と氷の魔石の増産中だって」
ヴォルフの父は九頭大蛇戦からずっと領地につめていて、まだ会えないのだという。
九頭大蛇の運搬と保管には、氷の魔石を多く必要とするためだ。
また、国境付近で荒れた畑への対策もある。
そしてもう一つ。
大竜巻で被害を受けたイシュラナへ、王の命令で定量ずつ水の魔石を送っているそうだ。
砂漠の多いかの国では、水の確保は生死に関わる。
大竜巻による人的被害は少なかったそうだが、道やオアシス、畑、村や町の復興には時間がかかるだろう。
だから必要なことだとはわかるのだが――
ヴォルフの無事を父の口から喜んでもらえたら、そう思ってしまう。
自分が父っ子だからかもしれない。
「でも、父から手紙をもらったんだ。領地に来るのを楽しみにしてる、それまでに増産は絶対終わらせておくって。あと、風邪をひくな、飲み過ぎるな、身体に気をつけろって。俺は子供じゃないんだけど……今までで一番長い手紙だった」
父の小言をうれしげに語る彼に、つい笑んでしまう。
すると、ヴォルフは少しだけ眉を寄せて自分を見た。
「ダリヤ、俺が子供っぽいって思った?」
「いえ――いつまでも子供ですよ、親にとってはきっと」
「確かに……そうかもしれない」
銀のレリーフを箱にしまいながら、ヴォルフはやわらかに微笑んだ。
・・・・・・・
スカルファロット家本邸にやってくると、従僕に一階の奥へ案内された。
ヴォルフと共に歩みを進めると、両開きの白いドアが見えてくる。
ドアの表面には銀の装飾がふんだんにあり、左右には黒に近い濃紺の騎士服をまとった護衛が控えていた。
ヴォルフに続いて部屋に踏み込み、足が止まりそうになった。
広い応接室の天井には、きらめく魔導シャンデリア。調度は白に白銀、そこに青を基調としている。
座ってもいないのに魔物革とわかる艶やかな白のソファー、ローテーブルも白い大理石。
窓からは庭の花々が絵画のように見えていた。
応接室には、すでにグイードと妻のローザリア、ヨナス、メイドがいた。
自分達を見ると、グイードが銀のレリーフ以上に整った笑みを浮かべる。
彼は黒の三つ揃え、ローザリアは深い青のロングドレス、ヨナスは暗褐色の騎士服――
どう見ても高位貴族向け応接室に、賓客対応の装いである。
ダリヤは場違いさをひしひしと感じる。
だが、グイード達はここまでに大切な来客があり、そのまま部屋にいたのかもしれない――そう切り換えて足を進めた。
「ようこそ、 ダリヤ・ロセッティ男爵。叙爵にて翼を広げゆくこの時期、あなたを我が屋敷へ招けたこと、スカルファロット家当主として喜ばしく思う」
「グイード・スカルファロット侯よりのお招き、大変光栄に存じます。陞爵に際し、一族の皆様へ泉のごとき繁栄が満ちあふれますよう祈念申し上げます」
オズヴァルド・ゾーラ先生に感謝!
もしもに備えて覚えておきなさいと言われた、山の如きメモの一枚が役に立った。
まさかグイードに、当主挨拶を受けるとは思わなかった。
緊張しつつ返すと、向かいの青の目が悪戯っぽく光り、グイードが笑みと声を崩す。
「うん、せっかく陞爵したんだから、一度ぐらいは格好をつけようと思ったんだが、ダリヤ先生とこういった硬い挨拶は避けたいものだね。衿を締めすぎた気分になるよ」
「もうちょっともたせろ、グイード。紅茶がまだだ」
紅茶をポットで蒸らしているらしいヨナスが、不機嫌な声を出す。
彼は珍しく黒い弦の眼鏡をかけていた。
その表面が湯気で少し曇り、微妙に見えづらそうだ。
すぐ隣、カップを揃えるメイドも、銀枠の眼鏡をかけていた。
「では、先に私からお願いを――お二人とも、そちらの眼鏡をかけてもらえないかしら?」
ローザリアの言葉に従い、ヴォルフとダリヤはローテーブル上に出されたトレイ、その上の眼鏡を手にする。
ヴォルフのものは先日ダリヤが作った妖精結晶の眼鏡、ダリヤにはコルンの作った黒い細めの弦の眼鏡だ。
向かいのグイードも銀の眼鏡をかける。
全員が眼鏡となったのは、ローザリアのためだろう。
彼女の目は、人の魔力を見ることができる。
ただし、本人の顔、特に目の周りに光となって視えるそうで、顔自体がはっきり見えない。
妖精結晶は擬態の効果がある。
それにより本人に似せたイメージを眼鏡に付与することで、目の動きと連動し、顔・表情がわかるそうだ。
これに関しては、ローザリアでないと確認できない。
だが、本人からは熱く厚い御礼状を頂いたので、成功しているようだ。
初めて家族や友の顔を知ったと綴られた文字は、少しだけブレていた。
その彼女が、ダリヤの目に焦点を合わせ、にっこりと笑んだ。
「ダリヤさんは、とても優しいお顔をなさっているのね……」
妖精結晶の眼鏡によって、この顔がはっきり見えたのだろう。
コルンがどのような付与をしているか、ちょっとだけ気になるところである。
それでも互いに目を合わせて笑い合えるのは、やはりうれしいものだ。
そう思っていると、ローテーブルに紅茶が並べられた。
「兄上、本日、ザナルディ様からお呼び頂きました。先日、ピエリナ・ウォーロック殿にこちらをお作り頂きましたので――陞爵の祝いとさせてください」
ヴォルフに、先にレリーフを渡してもらう。
お祝いなので早い方がいいだろう、そう馬車で話し合ってきた。
「ああ、ヴォルフの測定の対価だね。ありがたく頂こう」
グイードは白木の箱に目を細めた後、蓋をゆっくりと開く。
白い包み布を開けば、自分の顔を模した銀のレリーフが輝き――
「これはまた……」
「私にくださいませ!」
自分の顔に苦笑したグイードと、妻の声が完全に重なった。
両手をグイードへまっすぐ伸ばし、ローザリアが強く懇願している。
「ローザ……?」
思わぬ勢いにグイードが固まった。
しかし、やはり侯爵である。すぐに表情をきっちり整えた。
「かまわないが――それほど望まれるとは、本人よりかっこよい出来のようだね」
「遠く及びませんが、グイード様がご不在のとき、手元にあれば慰めになります」
ためらいも照れも一切なく、ローザリアが腕を伸ばしたままで言い切った。
「わかった……これはローザに預けることにしよう。ヴォルフ、いいかな?」
「もちろんです」
深々とうなずくヴォルフは、完全に弟の表情だ。
「ありがとうございます!」
受け取ったレリーフを抱きしめたローザリアは、白薔薇が咲くように笑う。
そんな妻を見つめ、グイードも蜜の如く甘い笑みを浮かべた。
「ロセッティ会長、ミルクと砂糖はいかが致しましょうか?」
「ミ、ミルクをお願いします」
「ヴォルフ、砂糖はいるか?」
「いえ、結構です……」
自分にはメイドが、ヴォルフにはヨナスが確認をする。
八本脚馬に踏みつぶされぬよう、紅茶を静かに味わった。
「――さて、スカルファロット家からダリヤ先生への御礼として、魔導書を一冊、贈らせてもらうこととした」
しばらく後、空咳を響かせたグイードが、自分に向き直った。
隣にいたローザリアが黒い革箱を持つと、こちらへ歩み寄って来る。
ダリヤは少し緊張しながらも、その場で立ち上がった。
「本来であれば、 当主である夫からですが、今回は私からのお渡しとさせてくださいませ。ダリヤ・ロセッティ男爵、あなたへ心からの感謝を――夫と娘の顔、友の顔、家の者達の顔がわかるのが、こんなに幸せなことだなんて思いもしませんでした……本当にありがとうございます」
ローザリアの青みを帯びた銀の目に、心からの喜色が宿る。
眼鏡越しに見るそれは、魔導具師として何よりうれしいものだ。
「こちらこそありがとうございます。お力になれたことを光栄に――とてもうれしく思います」
下手な謙遜はしない。
自分は妖精結晶の眼鏡を確かに作った。
それによって、ヴォルフに続き、ローザリア、そしてグイード達も笑顔となったことを、魔導具師として誇ろう。
ローザリアから渡される革箱を、ダリヤは背筋を正して受け取った。
「一応、確認してくれるかな? コルンが癖字を気にしていたのでね」
コルンが書いたということは、市販ではなく写しらしい。
持ってきた白手袋をつけ、黒い革箱をそっと開ける。
中にあったのは、深い紺色の魔導書だ。
表紙の中央には丸く大きな飾り石。青水晶に金色の線が幾本か入っている。
飾り石の上下に彫り込まれているのは、スカルファロットの紋章と家名。
それほど厚みはないが、ページが無駄開きしないよう、金の止め金具が付いていた。
美しさと豪華さに感心しつつページをめくると、水の魔石に関する記述が丁寧な文字で綴られていた。
水の魔力制御についての細かな注意点は、魔導具師として大体を知っていてもありがたい。
続いて、水の魔石を装着した水瓶に航海用の水樽、馬場用の水桶など、ダリヤも名を知る魔導具が続く。
計算上で気をつけることや付与のコツなどもあり、参考になる上、とても面白い。
後でヴォルフと一緒に読むのもいいかもしれない。
ダリヤは読みふけらないように気をつけつつ、ページをめくっていく。
その速度は次第に落ち――指先は途中で止まる。
「あ、あの、これは……?」
浄水関連魔導具、大型の濾過装置など、見たこともない魔導具。
そして、より多くの水を保持できる特殊な水の魔石と、その仕様と魔導回路の参考。
高度な技術の結晶であろうそれらは、スカルファロット家の独自魔導具。
他人であるダリヤに見せていいものとは思えない。
「我がスカルファロット家の水関連魔導具と、水の魔力制御についてまとめさせた。ダリヤ先生への礼に釣り合うものが、これしか思い浮かばなかったのでね」
グイードがこともなげに言った。
その斜め後ろ、ヨナスが珍しいほどにっこりと笑む。
主を止めるべきところ、後ろから押したとしか思えないのだが、気のせいだろうか。
「魔導書自体の公開は避けてもらいたいが、今後の開発の参考にも、客先に個別で納めるものにも使ってもらってかまわない。不明な点や判断に迷うことがあれば、コルンに遠慮なく聞いてくれ」
「我が子のようなお弟子さんができたら、その子に教えるのも問題ありませんわ」
夫婦そろって、破格の条件をつけてきた。
ダリヤは魔導具師だ。
庶民向け魔導具制作が自身の生業と思ってはいるが、魔導具師としての探究心はある。
いや、このわかりやすい解説による知識と技術は、喉から手がでるほどに知りたい。
水関係の魔導具はもちろん、ヴォルフの魔剣制作にも役立てられるかもしれない。
それでも、このような重く価値ある技術を自分が受け取ってよいものか――
深く迷いつつ、ローザリア、そしてグイードを見やる。
見た目は別なのに、まったく同じ優雅な笑みを向けられた。
つい助けを求めるように隣を見れば、ヴォルフは金の目を丸くしてダリヤを見ていた。
これはきっと、自分と似た表情だ。
そうわかったら、なんだか肩の力が抜けてしまった。
「あ、ありがたくお受け取り致します……」
「ダリヤ先生の役に立てばうれしく思うよ」
軽い口調で言われたが、中身が中身である。
ダリヤしか開けぬよう、この場で紅血設定をさせてもらう。
魔導書の青水晶に血を数滴たらし、自分の魔力を登録する形である。
そうして、自身のものとなった魔導書を箱にしまうと、思わず吐息をついてしまった。
「ダリヤ先生」
「はいっ!」
そこでグイードに名を呼ばれ、声を上ずらせてしまう。
彼はダリヤの狼狽に気づかぬふりをしてくれた。
「先日、氷蜘蛛短杖を作ってもらったのに、氷の魔導書がなくてすまないね。そちらはダリヤ先生が、『スカルファロット』を名乗ってくれる日がきたら贈呈しよう」
「兄上!」
グイードの養子に関する冗談を、ヴォルフが止めてくれる。
おかげで、緊張はほぐれた。
新しい紅茶が淹れられ、今度はグイード達もカップを持つ。
「水の魔石作りが落ち着いたら、ヴォルフ達は領地へ行くのだろう?」
「はい、その予定でおります」
ヴォルフが答えてくれたので、ダリヤも、はい、と続けた。
「それならちょうどいい。その魔導書には家の大型魔導具の解説もある。こちらへは運べないから、領地に行ったときに見て回るといい。日程は長めに組むことを勧めるよ」
グイードの言葉に、思わず耳が立つ。
大型魔導具の見学などめったにない機会だ。
頂いた魔導書で予習をした後、実際の稼働をしっかりと見学させて頂きたい。
「ぜひお願いします……!」
気がつけば食いつき気味に返事をしていた。
グイードはうなずくと、ヴォルフに視線を切り換える。
「ヴォルフ、スカルファロット家の大型魔導具のある場所は、足元のよくないところもある。ダリヤ先生のエスコートはしっかりしなさい」
「お任せください」
ダリヤの安全管理はヴォルフに託されたようである。
しかし、足場の悪いところでは慌てる自分しか想像できないので、自分からもお願いしたい。
「では、父上に手紙を書いて――いや、ヴォルフが自分で書きなさい。案内とおいしい湖魚をねだるといい」
「そうします」
約束と楽しみがまた一つ増えた。
兄弟の笑顔を見ながら、ダリヤもまた笑んでいた。
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