452.スカルファロット家の魔導具師達と庭番
ダリヤとヴォルフが部屋を出て行くと、目の前の魔導具師達がそろって長く息を吐いた。
彼らの視線は作業机の上、黒風の魔剣・改に固定されている。
「なんなんですか、あの付与……?」
「自分の実力のなさを実感させられたというか、根本的に何かが違うというか……」
「私より五年は下なのに、あんなにできるんですね……」
「そう言うな。俺より十年は下だ……」
ひとり言とぼそぼそした会話が交差するのを、コルンは黙って聞いていた。
テーブルに寄ってきたドナが、黒風の魔剣・改をじっと見つめた後、そっと目をそらす。
「おっかねえヤツだ……」
ささやきにも満たぬそれは、コルンにしか聞こえないだろう。
だが、それに関しては同意したい。
魔力値十一近くの付与をされているはずが、ぱっと見は判断ができない。
ミルフィーユ付与とはよく言った、あの薄紙のような魔力で一点の抜けもなく包まれた剣。
魔力のゆらぎは感じづらく――いいや、すでに魔力は完全に長剣の一部となっている。
魔力が低めでも付与に優れた魔導具師は、ダリヤ・ロセッティだけではない。
スカルファロット家の領地で水と氷の魔石関連に携わる魔導具師達の中には、少なめの魔力でも、繊細な付与や均一な付与を得意とする者がいる。
ゾーラ商会長であり、魔導具師のオズヴァルドは、機械のように緻密で正確な付与で有名だ。
だが、コルンにとって、ダリヤは違って見えた。
前回、妖精結晶の眼鏡を制作してもらったときも、その魔力制御の正確さには驚愕した。
スカルファロット家専属魔導具師として負けられぬ、そう思いきり気負ってしまったほどだ。
けれど、彼女の使う者の幸せを願う姿勢に納得し、自分もそうあろうと思った。
それからは妖精結晶の眼鏡をそれなりの数、仕上げた。
繰り返すことで簡単とは言わぬまでも、安定して作れるようになった。
グイードをはじめとしたスカルファロット家の者達の笑顔を見たことで、ようやくダリヤの近くに立てたような気がしたが――まったく甘すぎた。
厚い布のような魔力でも、鋼だけを包むなら、自分はまだ重ねられた。
うまくいかなかったのは紅金の方。
魔力の付与の際、強弱が変わる紅金と鋼、それら二つを均一に包み、一点の抜けもない。
艶やかな黒が赤い光を跳ねさせる様は、芸術的ですらあった。
「俺はいっそ、『ロセッティ師匠』とお呼びして、塔に弟子入りしたいっ!」
一人の魔導具師から、あまり冗談にならない台詞が聞こえてきた。
「それ、本邸で絶対言わないでくださいよ。これから夏なのに雪が降るじゃないですか」
隣のドナが笑って返したが、目に光がない。
確かに、あまり危ういことは言ってほしくないものである。
「あの付与って、魔力が低めだからできるわけじゃないですよね……」
「そんなわけないだろ。高等学院魔導具科で魔力の少ない者の方が、付与が上手いわけじゃあるまいし」
「俺、ロセッティ会長とほぼ同じ魔力なんですよね……」
話し合っているはずなのに、全員ひとり言に聞こえる。
コルンもまた、己の顎に指を当てていた。
高い魔力を引き絞って付与するのは確かに大変だ。
だからといって、低い魔力が楽かといえばそうではない。
紙に色を付けるとき、金属ペンの先で塗るより、筆の方が楽なのと一緒だ。
何より、身体に負担がかかりやすい。
高等学院の魔導具科の頃を思い出せば、魔力が少なく、弱い魔力で付与をしていたクラスメイトはそれなりにいた。
だが、高い魔力と低い魔力の者達は、研究する魔導具などで自然に授業が分かれていく。
付与で高い魔力を必要としない魔導具もあるのだし、魔導具師は魔石の管理もできる、将来の仕事先には困らない、そんな愚かな納得をしていた。
視界の隅に、コルンが作り損ねた黒風の魔剣がある。
己の魔力は厚い毛布のよう、魔力は十六なので、それなりに丈夫だろう。
六掛けしかできなかったのは、魔力が薄紙のようにできないことともう一つ。
紅金の部分で魔力が波打ってしまったためだ。
魔力の付与を見る目はあっても、付与最中で魔力を見極める目が足りない、それをはっきり自覚した。
まったく、魔導具作りは奥が深い。
「しかし、コルン様、いきなり絞れてましたね。一気にあんなにできるのかと驚きました」
「突然、半分幅とか簡単に言われても普通、無理でしょう。いや、コルン様はできてましたけど……」
「――いい学びになりましたので、ここからですね」
話題が自分に飛んだので、素直に答えた。
実際はできていない。あの程度では到底足りないのだ。
「でも、ロセッティ会長って、なんであんなに楽しそうなんですかね? あの付与はすごく大変なはずなのに」
「楽しいからですよ」
「うわぁ……」
「コルン様に言ったのが間違いでした……」
心からの笑顔で返すと、部下達がふるりと身をふるわせる。何故だ?
とはいえ、ここで長く雑談をしている時間はない。
「さて、皆さん、今日の仕事に戻ってください。夜はこちらで実習をしますが、希望者だけとします。夜食を願っておきますので、希望者は――」
言葉が終わる前に、部下全員が手を上げていた。
仕事熱心で結構なことである。
「コルン様、本邸にいる魔導具師の方もいらっしゃるかもしれません」
「ああ、そうですね。少し多めにお願いしておく方がいいですか」
「コルンバーノ様、お話し中失礼します」
ドナが片手を少しだけ上げる。
どうやら気になることがあるらしい。
「どうぞ、ドナ殿」
「何か理由をつけて、グイード様とヨナス様、あと部下の方々も来る方に銀貨一枚!」
「賭けないでください」
いきなり頭痛がしてきた。
しかも否定できる気がまったくしない。
これまでも妖精結晶の眼鏡作りの際、グイードが突然やってきたことがあったが――
心臓によくないので、今は馬場に馬が入った時点で知らせてもらっている。
「夜食は多めに準備してもらい、人数がわかった時点で追加を願うようにします」
とりあえず、先に黒風の魔剣・改の見学会とするしかなさそうだ。
付与が落ち着いてできるかどうかは不明である。
「準備もありますから、今日の業務を早めに終わらせてきます!」
「すぐ片付けて戻ります!」
「確実な仕事をお願いしますね」
やる気あふれまくる部下達が部屋を出て行くのを、コルンは苦笑しつつ見送った。
工房に残ったのは、自分とドナだけだ。
コルンがローブを脱いで椅子の背にかけると、向かいの椅子にはドナが座る。
念のため、盗聴防止の魔導具を出そうとして、彼に先に出された。
「コールーン-」
一音一音を伸ばして言われた。
ドナは長い付き合いの仲間、しかも彼の方が先輩である。
立場上、態度を整えてはいるが、二人だけになればこんなものだ。
「どさくさに紛れて、 ロセッティ会長に何言ってるの? なんで名呼びなの? 馬鹿なの? あのヴォルフ様の目、見た?」
言いたい放題である。
しかし、一切反論できない。
「もー! 万が一にもロセッティ会長がわずかでもゆらりとかいったら、お前、不慮の事故になるやつだろうがー!」
「その可能性は完全にないので大丈夫です」
ヴォルフは黒風の魔剣・改に、コルンの仕上げの付与を拒否した。
ダリヤだけの魔力の剣を手にしたいからだと、あの場の全員がわかっているだろう。
もっとも、付与したご本人はおわかりでないようだが。
妖精結晶の眼鏡に付与するとき、彼女の想いは透けていた。
黒風の魔剣・改で、ヴォルフの想いもよくわかった。
この際、お披露目のついでに婚約発表などはどうだろう? そう真面目に思えてしまうお二人である。
あと、自分に恋路はなく、妖精結晶で見る者も決まっているのでゆらぎもない。
しかし、ドナの草色のじと目は変わらなかった。
「本当に? 絶対に?」
「十割ないです。そこまで聞くなら、ドナこそどうなんですか?」
「俺は理想が高すぎて、この世では無理」
「どんな女神を理想にしているのかは聞きませんが、どっちもどっちじゃないです?」
「いや、でもお前、素で笑ってたじゃん」
「あれは――魔導具師としてですよ」
確かに、自分が失敗したときのダリヤの反応には、ちょっと驚いた。
温厚な彼女のことだ。
魔力が高いのだから仕方がない、他の魔導具師と協力すればいい、人に任せればいい、そんなふうに言われるだろうと思った。
けれど、ダリヤは自分に魔力制御を勧めてきた。
魔力の高さを理由にせず、懸命にできる方法を提案してくれた。
それは簡単なことではなく、目の前で三度失敗し、力足らずに苦笑して――
そんなコルンに、彼女は言った。
『楽しいですよね。できることが増えるようになるのは』
ああ、楽しい。
辛かろうが面倒だろうが難しかろうが、それでも楽しい。
何よりダリヤは、コルンがいずれできるであろうと、疑いなく信じてくれていた。
それが魔導具師として心底うれしくて――心のままに名呼びを願ってしまった。
これでも貴族の端くれだ。
一歩違えばどんな意味になるのかはわかる。
自分は呼び捨てにしてもらい、彼女のことは皆と同じく、『ダリヤ先生』と呼ぼう。
いずれスカルファロット家子息、ヴォルフレードの隣に立つ人なのだ。
少々早く、『コルン』と呼び捨てされても問題ない。その意味合いも込めたつもりだ。
けれど、彼女は『コルンさん』と呼んでくれた。
しかも望まれたのは、仲間としての名呼び。
ヴォルフには本当に申し訳ないのだが、魔導具師仲間として見逃してほしい。
それでも気になると言うのなら、早めにまとまって、呼び捨ての立場にしてもらいたい、ぜひ。
「最近、ヴォルフ様、一生懸命なんだよ……」
「一生懸命なのはドナもでしょう? ヴォルフ様に、恋愛指南の本を贈ってましたよね」
「あれは商業と法令の本の、あくまでついで。ヴォルフ様がモテすぎるので、今後の自衛にどうぞって渡しただけ」
さらっと言っているが、無理である。
どこの世界に、自衛のために告白、デートの誘い方、プロポーズの言葉、贈り物の選び方の本を渡す者がいるのだ?
まあ、ここにいるわけだが。
「あ、話変えるけど、コルンの付与したこの剣、どうすんの? ヴォルフ様に渡す?」
「いえ、取り回しが難しいので、付与を引き剥がして鋳つぶしですかね。もう少し付与を学んで、新しいものができあがったら、スカルファロット家の武具として、ヴォルフ様の二本目にして頂こうかと」
このままではヴォルフに渡せない。
お気に入りの黒風の魔剣・改はできたが、スカルファロット家の武具として、一本はこちらで作ったものを手にしてもらうことになっている。
ダリヤの名を薄めるため、そして、スカルファロット武具工房の宣伝的なものだ。
絶対に強く折れぬ剣にしたい。
その意気込みに拳を握りしめていると、名を呼ばれた。
「コルン、これ、俺に頂戴」
「えっ?」
剣を指差したドナを、思わずじっと見てしまう。
「何かありましたか?」
「ないない。馬車に置いとく長めのが欲しいだけ。丈夫で折れないなら、車輪がはまったとき抜けるのに便利かなと思って」
軽口を叩きつつも、手にしたいこと自体は本当らしい。
コルンは少しだけ声を低くして確認する。
「六掛けで魔力十六ですよ。乱戦になったら折れる可能性があります」
「六掛けで魔力十六なら、普通の騎士の剣は全部折れる」
草色の目が、一瞬だけ黒を帯びた気がする。
硬質な声はいつものそれではなく、昔と同じ響きだ。
それがひどく耳に痛かった。
いまだ庭番よりも騎士らしい体躯。その手のひらには剣ダコ。革のブーツには重い鉄板。
日焼けしたその顔を見つめ、コルンは思いを口にする。
「今度は、ヴォルフ様の護衛騎士になればいい、そう言ったら怒りますか? 『ドナヴィーロ先輩』」
怒鳴られるのも覚悟していたが、彼は眉一つ動かさない。
ただ、テーブルの上、中指の爪が一度だけカツンと音を立てた。
「お間違いですよ、コルンバーノ様。俺は、ただの『ドナ』です」
騎士の声も、仲間の顔もすべて消し――
スカルファロット家の愛想のよい庭番がそこにいた。