449.銀襟神官の希望
コミカライズ『服飾師ルチアはあきらめない~今日から始める幸服計画~』(臼土きね先生)FWコミックスオルタ様より、15話が配信開始となりました。どうぞよろしくお願いします。
「エラルド副神殿長、定例会議が間もなくとのことです。ご移動は可能でしょうか?」
灰色の鎧の神殿騎士が自室に入って来た。
ベッドに転がっていたエラルドは、大きく伸びをしてから起き上がる。
「私の謹慎はもうよろしいのですか?」
「エラルド副神殿長に謹慎の命は出ておりません。国境からのご移動でお疲れがあるための休養です。お体に差し障りがある場合、まだお休み頂いて結構です」
騎士は表情を変えずに言うと、その場から動かない。
凱旋した日から今日まで、エラルドは神殿からは一歩も出ていない。
この自室でずっと休ませられていた。
まあ、自業自得なので仕方がないが。
「参りましょう。むしろ寝過ぎで腰が痛いぐらいです」
「本当に、問題ありませんか?」
「ええ、皆様、心配のしすぎです」
エラルドは立ち上がり、壁にかけていた神官服を着る。
背中からの声は続いた。
「国境で魔力を上げられたのではありませんか? 九頭大蛇戦後、口から血を流しても治療をなさっていたと、あちらの神官から報告がありました」
「――赤ワインを飲みながら治療をしていただけですよ。祝勝ですから、それぐらいは見逃して頂けると思ったのですが」
銀襟を整えて向き直ると、灰色の目が疑いをこめて自分を見ていた。
「本当になんともありませんよ。初日に神殿長が確認なさったではないですか」
「神殿長も、しばらく動かぬようにと念を押されていたではありませんか。治癒魔法を連続行使して亡くなった神官も魔導師もおります。魔力が高くとも安全とは限りません。あなたとてそれは同じはずです! ――失礼しました」
作りに作った神殿騎士の表情が割れ、長く共にいる仲間のそれになる。
神殿は生死の入り乱れる場所だ。
喜びと嘆きを表に出していては、祈り、すがる者達に動揺を与える。
このため、神殿騎士は口数を少なくし、人によってはできるかぎり表情を動かさない。
立派なことではあるのだが、久しぶりに見た素の表情は、目の奥に少し痛かった。
「ご心配をありがとうございます。ですが、本当になんともありません。あちらでは白ワインにしておくべきでしたね」
目の前の神殿騎士は、今度こそ隠しようがなく破顔した。
自室を出ると、神殿騎士と共に移動する。
定例会議が行われる部屋は、神殿の奥まった場所だ。
手前の部屋で神殿騎士達は残り、先の部屋には神殿長・副神殿長だけが入る。
純白の円卓には、すでに自分以外の全員がそろっていた。
「エラルド、体調はどうですか?」
自分に最初に声をかけてきたのは神殿長だ。
神殿では神官はほとんど同じ服、副神殿長が銀の襟を首から提げる形である。
ただ一人の例外は、神殿長の服装――白の長衣に金の刺繍を重ね、金の衿を長く垂らした装いは、長い白髪と濃紺の目にとても似合っていた。
「問題ありません。ご心配をおかけ致しました」
一礼した後、席につく。
左隣、眼鏡をかけた神官が片手を上げ、こちらへ鋭い視線を向けた。
「定例会議の前に、エラルド殿について今回の説明と今後の対応についての話し合いを提言します」
その提案に対し、さらに二人の神官が同意の挙手をする。
過半数となった議題はそのまま進行されることとなった。
「では、エラルド殿、今回の説明を」
「神殿の許可無く、国境まで移動、九頭大蛇戦後の怪我人に治癒魔法を行使、神殿を半月ほど空けました。大変ご迷惑をおかけしました」
事実をざっと述べると、左右から厳しい声が飛んでくる。
「国境で治癒魔法を何十回とかけていたというではありませんか? 何かあってからでは遅いのですよ」
「今後の討伐に神官を望まれたらどうするのだ? それぐらいわかっておるだろう? ああ、毎回自分が行くというのはなしだぞ」
「そもそもエラルドは普段から自己判断での魔法行使が多すぎる! 単独行動もだ! もっと身の安全を考えて――」
最早、説明ではなく説教となった。
治癒魔法は他の魔法より、術者の加減が利かないことが多い。
目の前に怪我人や病人がいるのだ、魔力を使いすぎても治療を続けてしまうのはありえることだ。
神殿内でさえ、倒れる神官もいれば、そのまま亡くなる者もいる。
今回、自分も少々無理をしたが、自己回復できるので問題はない。
それでも削った体力は神殿長に一目で気づかれたが。
そして、もう一つ。
次の九頭大蛇戦があれば、再び神官の戦地入りが望まれるだろう。
当然、その身は危険にさらされる。
エラルドだけが特別だと除外してもらえればいいのだが、そうはいくまい。
結果として、今後、治癒魔法持ちの神官全員を危険にさらすこととなった。
どれもこれも耳が痛いばかりである。
しかし、言われて当然のことなので口を閉じ――神殿長に目ですがった。
「これについて、エラルドを責めてはなりません。オルディネ大公のご命令であれば避けられなかったでしょう」
優しく静かな声が響くと、皆が口をつぐむ。
一部、自分に恨めしげな視線がきているが 知らぬふりをする。
「オルディネ王とストルキオス殿下の連名にて、神殿へ今回のお礼と報奨に関する書簡を受け取りました」
副神殿長達が息を呑んだのがわかった。
グラートか、それともザナルディかわからないが、ずいぶんと無理をしてくれたらしい。
神殿に頭を下げないはずの王族からの書簡、しかも連名、功績があったと外部にも認める報奨付きである。
「エラルド、何か望むものはありませんか? 神殿ではなく、あなた個人の希望でもかまいませんよ」
「神殿への報奨は皆様にお任せ致しますが、私個人で希望することがございます」
言いながら、エラルドは首の銀襟をするりと引き抜く。
銀の衿をテーブルの上へ、まなざしは神殿長へ向けた。
「神官職をお返し申し上げます。神殿から私を除名してください」
「エラルドっ! 何を考えている?!」
「副神殿長にまでなっておきながら、何ということを!」
「あなたは神を信じられなくなったとでも言うのですか?!」
銀襟達の叱責が重なって聞こえる。
けれど、神殿長は一切表情を波立たせることはなく、口も開かなかった。
「神は確かにおられるでしょう。けれど、神殿にいては、私が助けたい者が失われるのに間に合わない。それに、私を理由に戦地入りを望まれては、他の神官達の迷惑になるでしょう。恩を仇で返す私をお許しにならずともかまいません。どうぞ除名してください」
「エラルドは魔物討伐部隊と共にいて絆されただけだろう。冷静に考えよ!」
「そうです! あなたはいずれ神殿長になるべき方です」
「私は治癒の魔力が多少多いだけ。神官としての品位も人格も伴いません。神殿長などとんでもない。なったところで神官達がついてきませんよ」
陰でよく言われていたことを笑顔で言うと、年嵩の副神殿長が口元を引き結んだ。
実際、エラルドは治癒魔法に向いているだけ、寄付金勘定も振り分けも不得手で、華々しい式典は苦手だ。
それらは副神殿長達が補ってくれると言うが、自分はそもそも、人の上に立つ器ではない。
「お前はこの神殿で、多くの命を救っているではないか」
「魔物討伐部隊員を助ける方が結果的には救える命は多くなる、私はそう思っております」
「冷静に考えろ、エラルド。神殿を除名となれば、高い治癒魔法を持つお前は確実に狙われる。魔物討伐部隊に入ったところで、多くの者が取り込もうと、いや、誘拐してでも手元におこうとするだろう。国内外で、生涯狙われることになるのだぞ」
「ええ、その覚悟はできております」
それは何度も考えた。
迷い、考えた結果がこれなのだ。
けれど、わかってもらうのが難しいのも理解している。
場が止まったとき、一人の神官がずっと引き結んでいた口を開いた。
「エラルド、遠征に護衛をつけ、安全な範囲で手伝いに行くならばよい。副神殿長の面倒事が嫌ならばその襟を外してもかまわん。外に出たいのならば、そのときだけ神殿の護衛騎士を複数つければよい。気が向いたときだけの治療でいい。ただ神官として神殿内で暮らせ」
てっきり嫌われていると思っていた彼にそう言われ、ついその顔をまじまじと見てしまう。
治癒魔法はほぼ同等、自分がいなければ問題なく次の神殿長だ。
本人も神殿長を目指しているはずで――引き止める理由がわからない。
「それでは神殿のお荷物になってしまいますよ」
「今回の九頭大蛇戦で、神官エラルドの名は国境にも王都にも通った。お前を狙う愚か者は絶対にいる。神殿が一番安全だ」
返す言葉が喉から消えた。
副神殿長の品格が足りぬなど、なんだかんだと厳しかったのは、本当に教育的なもので――
どうやら自分は嫌われているのではなく、心配され、庇護される後輩神官であったらしい。
けれど、エラルドの無言を否定と取ったか、その言葉は続く。
「まったく! それでも、どうしても神官をやめるというなら、ストルキオス殿下、もしくは魔物討伐部隊長のバルトローネ侯爵に庇護を願え。それであれば表立って狙われることはなく、護衛もつけてもらえるだろう」
「私は……どこまでもご心配を頂きますね」
「お前はいつもいつも危ういのだ、当然であろうが!」
いつものように怒った口調で、何を馬鹿なことをと言わんばかりだ。
他二人の銀襟も、怒った表情、心配な表情となっていた。
魔物討伐部隊員達のように、常に仲間がいることがうらやましかった。
けれど自分にも、とうに仲間はいたようだ。
もっとも、手のかかる後輩の意味合いが九分九厘を占めていそうだが。
「エラルド」
神殿長が濃紺の目で、自分を透かすように見る。
長き白髪、蝋のように白き肌、刻まれた皺は増えてもなお整った顔、その声は常に優しく――
彼以外、誰も考えられぬほどに完璧な神殿長。
少年時代に逃げ込んだ神殿、それから今日まで、眠っていた時間も長かったが、ここで一番世話になったのが神殿長だ。
命を救われ、身を救われ、心を救われた。
もし、神殿長に止められれば、エラルドに振り切るすべはない。
「神殿を出ることは、あなたが自分で選び、望むことなのですね?」
「はい、そうです」
問いかけにまっすぐに答えると、深くうなずかれた。
「わかりました。神官エラルド、本日までで副神殿長、および神官の任を解きます」
「神殿長っ!」
「お止めください! エラルドを危険にさらすおつもりですか?!」
周囲から不服の声が上がるが、まるで春風の中にあるかのような表情で。
ただ静かな声は続く。
「神殿手伝いの名は残します。ときどきは遊びに来なさい。それと、エラルドの身元保証人は、私がなりましょう」
抗議の声は消え、副神殿長達が目を見開いた。
任務はほどいても神殿に名は残す、その上で神殿長その人が身元保証人になる――
完璧な逃げ場を準備してくれた上、背を守り、この身の後押しをしてくれる。
その跡を継げぬことが申し訳ないと、エラルドは初めて思った。
「……ありがとうございます」
立ち上がり、なんとか礼を述べる。
頭を上げたとき、濃紺の目が濡れたように光った。
神殿で生き、神殿で死ぬと言ったその人は、薄い唇をゆるりと吊り上げる。
「エラルド、あなたのここからの道に、希望と幸いのあらんことを――」
その祈りの声は、耳に長く残った。




