447.残り者の内緒話
「ヨナス、彼らは戻っては来ませんね?」
「――はい、距離もそれなりに空いたかと思います」
ストルキオスの問いかけに、ヨナスは一度目を閉じてから答える。
この中で一番耳がいいのは自分だ。
確認したのはヴォルフとダリヤの遠ざかる足音――すでに楽しげな声も混じり、こちらへ戻って来る気配はない。
「お気遣いをありがとうございます、ストルキオス殿下」
「続きは、ここの者達だけでいいでしょう」
グイードの礼を、ストルキオスは美しい笑みで流した。
部屋に残った者は侯爵家以上、いや、ヨナスをのぞけば王族と侯爵当主、元当主だ。
面倒な話にならぬわけがない、そう思いつつ背筋を正す。
全員が椅子に座り直した。
「では、ここからは残り者の内緒話です」
ストルキオスは守秘を告げる代わり、グイードを真似たように人差し指を唇前で止める。
まったく、顔のいい男どもは何をやっても様になる――
そんな馬鹿なことを考えていると、次の言葉で、場が止まる。
「九頭大蛇の体内から、魔核が十個見つかりました。あれは元々、一体の魔物ではありません」
息を呑む気配はあっても、すぐに返される言葉はない。
討伐で魔物を知り尽くしたグラートが眉を寄せる。
隣のベルニージも渋い顔だ。
「ストルキオス殿下、失礼ながら――鷲獅子のように魔核が複数ある魔物もおります。九頭大蛇もそちらではないでしょうか?」
「過去に、双頭で魔核二つの岩山蛇もおりました」
二人の言葉に青い目を細めていく殿下に、ヨナスは鈍い頭痛を覚える。
表情を取り繕うのはそれなりにうまくなられたが、元々少し、血が熱い。
何より、子供扱い、無能扱いされるのは嫌いな方だ。
その気持ちはわからないでもないが。
「魔物討伐部隊の記録は確認しています。けれど、あの九頭大蛇は違う」
笑みを消したストルキオスは、淡々と説明を続けていく。
「九頭大蛇の魔核は十個で二種。森大蛇に似たものが九つ。蛇大亀に似たものが一つ。肉質も二種。九本の首から胴までは魔物の蛇種に近く、体内構造は蛇大亀に近い。首と胴をつなぐ筋肉繊維は脆く、持つ毒はブラックスライムの毒に酷似、心臓は二つ、生殖器は一切無し」
「なっ……!」
驚きの声は上がるが、言葉にはならない。
ヨナスもその一人だ。
「先程、ロセッティ男爵が言ったでしょう? 『九頭大蛇の牙はとても白い』と。九頭大蛇の胃の中はほとんどが泥、あとは草と小魚の骨がわずかにあっただけでした。すでに消化した可能性もありますが、牙には歯垢――どの頭の歯も、物を食べた跡がほとんどありませんでした」
「あの巨体は、栄養のある餌を多く取らなければ維持できないじゃろうに……」
ベルニージが素で声を漏らす。
グラートは唸りを、なんとか喉で止めていた。
「国境大森林の沼の泥を啜り、川の水を飲んだ痕跡はあります。けれど、硬度の高い牙を持ちながら、食べられたはずの動物は食べていない。まるで、己が何を食べられるか知らないように」
「――これまで、魔素を餌としていたということですか?」
グイードの問いかけは、低いがよく通った。
水の魔石制作には魔素が深く関わる。
領地に魔素が多い場のあるスカルファロット家には、他家よりも気になる話だろう。
ただ、ここは周囲に合わせ、少しは悩んだ感を出してもらいたいのだが、テーブル上に両の手のひらを組み、じつに興味深げだ。
「可能性はあります。それなら濃い魔素を求めて国境大森林に来てもおかしくはない。ただ、あの大きさであれば、それまで潜んでいた場所にも濃い魔素があったはずです。餌も番を探す必要もなさそうな九頭大蛇がわざわざ移動する、行く先は隣国ではなく、オルディネに二度。偶然といえばそれまででしょう」
ストルキオスの声が平坦になっていく。
身体にまとわりつくように流れ始めたのは、抑えきれぬ魔力だ。
「馬とワイバーンでやってきた盗人達は、身元を示すものを一つも持っていませんでした。生きて捕らえられたのは一人だけ、回復魔法をかけたのに、自ら命を断たれました。残ったのは一級品の鞍だけです」
馬はともかく、ワイバーンを持ち、乗れる盗人という時点でおかしい。
そんな有能な高級盗賊団があるとして、ワイバーンの飼育、維持はどうするのだ?
荷運びでもした方が安全な上、よほど稼げる。
何より、ずいぶんと忠誠心高い盗賊らしい。
すべてを重ねて考えていけば、どうしても頭に浮かぶ可能性はある。
しかし、人に可能なことだとは思えない。
「童話の『キマイラ』のようですな」
殿下へ琥珀の目を向けたジルドが、平時のままの声で言う。
それでも、その指先がきつく組まれているのが見えた。
キマイラは、この世界で実際に確認された魔物ではない。
童話で悪い魔法使いが作り出したといわれる、頭は獅子、胴はヤギ、尾は蛇の魔物だ。
魔物にも人にも無敗を誇っていたが、最期の戦いで騎士の持つ炎の魔剣で灼かれ滅び――
話はそれで終わりである。
もっとも、こちらはまだ終わりではなさそうだ。
ヨナスは無表情を装ったまま、口内を薄く噛む。
「現状では判断できません。我々は九頭大蛇の理解も、悪い魔法使いへの警戒も、魔物に関する研究もまだまだ足りない。ただ言えるのは――絶対にこのオルディネ王国を守らねばならない、それだけです」
青い目に冷えた光をたたえ、ストルキオスが言い切る。
その場の者達は、無言で目礼した。




