442.ロセッティ商会への帰還
夕暮れ時の馬場、ダリヤはヴォルフ達と共にようやく馬車へ乗り込んだ。
ここまで遅くなってしまったのには理由がある。
周囲に気づかれぬよう、執務室にグラート隊長が戻るのを待ち、羽根ペンとお釣りを届けたからだ。
グラートはあちらこちらで、祝いの言葉を告げられていたそうだ。
執務室に戻るまで時間がかかってしまったことを詫びられた。
ダリヤは羽根ペンの箱を渡し、『深い赤の羽根で、同じデザインです』とそっと告げた。
店員と相談し、ヴォルフ達と一緒に選んだので、大丈夫だと思いたい。
お礼を言われてすぐ、執務室には副隊長のグリゼルダがやってきた。
凱旋したとはいえ、魔物討伐部隊でやらなければいけないことは多い。
執務室の机には、書類が山だ。
だが、グリゼルダが分担を申し出ると、グラートは首を横に振った。
「お前は一刻も早く帰って、家族に顔を見せるのが仕事だ。三日は王城に来てはならんぞ」
ダリヤはとても不服そうなグリゼルダと共に、執務室を出た。
馬車に乗り、あとは緑の塔へ、というところで、商業ギルドに行く先を変える。
イヴァーノからは『帰還当日は商会に来なくても大丈夫ですから、無理はしないでください』と手紙をもらっていた。
けれど、どうしても気になるし、迷惑をかけたお詫びは早く言いたいと思ったからだ。
ヴォルフには商業ギルドに回らず、スカルファロット本邸に帰るように勧めた。
屋敷の皆が心配しているだろうと思えたからだ。
けれど、ダリヤが心配なので緑の塔までは送らせてほしいと言われた。
旅慣れていない疲れと、気疲れを見抜かれたのかもしれない。
マルチェラを先に家に帰らせようとしたら、『騎士たるもの、それではいかん!』と師匠に叱られるからやめてくれと言われた。
いつの間にベルニージの口調を真似るのがうまくなっていたのか、ヴォルフと共に笑ってしまった。
馬車が商業ギルドへ着くと、三人そろって二階へ上がる。
ロセッティ商会の看板のかかったドアをノックすると、どうぞ、と聞き慣れた声がした。
「ただいま戻り、ました……」
途中で声が止まりかけたのは仕方がない。
イヴァーノがいることが多い椅子に、商業ギルドの副長であるガブリエラが座っていた。
その向かいにイヴァーノがおり、そろって数枚の書類を手にしている。
なお、同じテーブルにメーナもいたが、積み重なる書類箱の山で、すぐには顔が見えなかった。
「ダリヤ――皆様、ご無事のお戻り、何よりです」
ガブリエラは自分に視線を向けた後、続くヴォルフ達に挨拶をする。
「おかえりなさい、会長、ヴォルフ様、マルチェラ」
イヴァーノにそう言われ、それぞれに挨拶を交わした。
書類の山も気がかりだが、まずは謝罪が先である。
ダリヤは椅子に座らぬうちに、イヴァーノとメーナに向き合った。
薄くはあるが、二人とも目の下に隈がある。本当に負担をかけてしまった。
「この度は、私の一存でご迷惑を――」
「魔物討伐部隊相談役としてのお務め、お疲れ様でした、会長!」
詫びを言う前に、イヴァーノに明るい声で折られた。
「会長は魔導具師の仕事が先、商売を回すのは俺ですよ。何一つ問題はありません、と言いたいところですが、ガブリエラさんにいろいろと相談してましたし、書類はメーナが頑張ってくれました」
「ありがとうございます、ガブリエラ、メーナ。お返しは必ずしますので」
そう答えると、ガブリエラが紺色の目を細めて笑む。
「それなら、しばらく先にパンケーキを奢って頂戴。紅茶付きで」
「はい、もちろんです。メーナは何かありますか?」
「いえ、僕の方は年末に救護院の雨漏りを直してもらった分から、ちょっとだけ引いてください。まだまだ届かないと思いますので」
二人とも、こちらに気を使わせないようにするのが本当にうまい。
イヴァーノに勧められ、ダリヤ達も席に着いた。
まだ彼には聞いていないので、こちらも問いかけてみる。
「イヴァーノは何かありませんか?」
「ここでコーヒーを飲むマグカップがほしいと思いまして。なので、この際、九頭大蛇を横に刻んだマグカップなんかを、商会で作るのはどうでしょう?」
商人というのは似たことを考えるのかもしれない。
マルチェラに視線を向けると、運んできた鞄を少し持ち上げられた。
ダリヤがうなずくと、彼は横に来て、鞄を開ける。
「九頭大蛇のマークが付いたものは、国境街ですでにいろいろと商品化されてました」
かわいい九頭大蛇のマーク入りコースター、鍋敷き、木のコップ。
テーブルにお土産を並べながら説明すると、ヴォルフが補足してくれる。
「あと、九頭大蛇の模様を焼き印で入れた焼き菓子と、姿を真似した飴、九頭大蛇と隊員達の姿絵なんかもあった」
「くっ、出遅れすぎた……!」
振り絞るように言ったイヴァーノだが、何をするつもりだったのか。
「九頭大蛇の絵は、魔物討伐部隊へお伺いを立ててからと思って、ガブリエラさんと話している途中だったんですよ。それがマグカップで……」
「それなら隊長に言えば、大丈夫だと思うよ」
話を聞きながら、前世、会社設立数十年の記念で、湯飲みをもらったのを思い出した。
会社名が大きく入っていたので、シンクの下、掃除用歯ブラシ立てにしていたが。
あちらは記念という感覚は薄かったが、九頭大蛇討伐は別である。
魔物討伐部隊員達は、心から誇り続けていいはずだ。
「イヴァーノ、うちの商会から、魔物討伐部隊の希望する方へ贈るのは駄目でしょうか? 九頭大蛇討伐のお祝いに。その後、希望する方に予約販売という形にすれば――」
無駄にならないと思います、と言う前に、イヴァーノとガブリエラに声をかぶせられる。
「ええ! それでいきましょう!」
「いいわね、それ!」
とりあえずロセッティ商会で作るのは決定らしい。
隊の希望者がどれぐらいいるかわからないが、数がそろうほど安くできるのだ。
この際、商会員全員分をそろえてもいいだろう。
隣のヴォルフを見れば、笑顔でうなずかれた。
「俺も欲しい。それと兄達とヨナス先生の分を買いたい。義姉上もいるかな……うん、家で聞いてから注文するよ。それと、九頭大蛇の画なら、隊長や隊員が描いてる。かっこいいのもあったから、参考に貸してもらえばいいと思う。九頭大蛇の頭と一緒に公開になるって聞いてるし」
「絵代に色付けまくって支払いますので、ぜひご紹介のほど!」
それならデザインが決まるのも早そうだ。
祝勝なので、早く手元にできた方が思い出深くなるかもしれない。
「イヴァーノ、うちにも百、いいえ、二百ぐらい回してくれるかしら?」
「ガブリエラさんは、会長からパンケーキがお返しじゃなかったんですか?」
「それはダリヤ。弟子からは授業料よ」
「あー、わかりました、師匠。できるだけ優先で確保するようにします」
早い口調でやりとりする二人は、とても似た表情をしている。
ガブリエラの希望する数だと、商業ギルド職員へ配るつもりかもしれない。
これならば手が届きやすいお値段になりそうだ、ダリヤはそう安堵した。
なお、九頭大蛇戦勝利記念のマグカップは、割れぬように金属製となる。
側面には、魔物討伐部隊長グラート・バルトローネによる迫力の九頭大蛇。
その反対側には、龍に交差する剣の隊の紋章、底部分には各自の名前が刻み込まれた。
その他の販売向けは、底の部分に名前はない代わり、通し番号がふられることとなった。
元々、庶民に人気高い魔物討伐部隊、そこへ九頭大蛇戦の勝利で輪をかけたところ、元画は現隊長によるもの――公認マグカップの話は、宣伝などせずとも大きく広まる。
予約開始日、商業ギルド前には馬車の往来に支障を来すほどの列ができることになるが――
今ここにいる誰も読めることではなかった。
その後は、ダリヤは皆へ国境のお土産を渡す。
グラートの影響を受け、羽根ペン――とはいっても、羽根部分が小さく、携帯もできるケース付きのものと、話題となった九頭大蛇コースターだ。
渡し終えると、すぐマルチェラに向き直る。
「マルチェラ、あとは帰って大丈夫ですよ。イルマとベルノルト君、ディーノ君が首を長くしていると思います」
「いえ、会長を塔にお送りするまでは――」
「マルチェラ、ヴォルフ様とメーナがいますから帰宅してください。それと、ここまで連勤でしたから、明日から一週間は休みで。スカルファロット家の方も同じだと言付かっています」
それでもまだ難しい表情をするマルチェラに、メーナが思いきり笑いかける。
「パパをすっかり忘れてて、ベルノルト君とディーノ君に泣かれないといいですね!」
「そんなことは……きっとない!」
反論していたが、その言葉が効いたらしい。
マルチェラは挨拶をすると、素直に帰って行った。
それを見送った後、イヴァーノが自分に封筒を差し出してきた。
「会長、こちら、ルチアさんから、塔の鍵だそうです」
受け取った封筒の中、金属の固い指触りがする。
国境へ行く前に、門を開けられるルチアにまとめてお願いしてしまった。
薄く開けた窓を閉めてほしいことと、冷蔵庫と冷凍庫をカラにしてほしいことと、もう一つ。
「イデアさんから伝言で、二匹のブルースライムはとても元気だと、数日中に塔へ届けてくれるそうです」
「よかったです」
ミズマリとアオマリ――正直、どっちがどっちかは見分けがつかないが、あの二匹になったブルースライム達は、ルチア経由でイデアに世話をお願いした。
とても元気というのはどのあたりなのか、いきなり四つにならないことを願いたい。
「さて、今日の業務は終了ね。この全員で食事はどうかしら?」
「あの、ガブリエラはいいんですか?」
夕食は基本、夫であるレオーネと摂るはずだ。
声がけなく食事へ行くのは大丈夫だろうか、そう思ったとき、言葉が続けられる。
「夫なら快速船団で国境に行ってるわよ。グッドウィン伯爵家に商談で」
「レオーネ様は、グッドウィン伯爵家に国境大森林で獲れる素材をお願いし、前払い五年契約の商談をしてくるそうです」
「前払い五年契約……?」
ずいぶん太っ腹な契約に聞こえるが、貴族ではよくあることなのだろうか?
ヴォルフを見れば、彼も金の目を丸くしていた。
「貴族の家は『援助』という言葉を嫌うの。でも、『商談』なら問題ないわ」
「あの、それはグッドウィン伯爵家が、困っているということでしょうか?」
つい、問いかける声が小さくなってしまった。
「いいえ、何も言われてないわよ。ただ、九頭大蛇が出て、避難した人がそれなりにいたでしょう? 期間も短かったけれど、農作物が収穫できなかったり、牧場も手が回らなかったりで、被害はそれなりに出ているの。それと、国境大森林から出てきた魔物や獣の対応もあるじゃない。国から予算が来るのは被害報告の後だもの。今、手元に金貨があった方が便利だわ」
「国境周辺では、防水布やガラス瓶、日用品なんかで品薄になっている物があるんだそうです。レオーネ様はそれも運んでいかれました。品薄で便乗値上げをする奴がいないとも限らないからと」
ガブリエラとイヴァーノは、ごく当たり前のように言う。
だが、ダリヤはそこまで広く考えることはできなかった。
九頭大蛇に全員が生きていて勝った、あとは元通りになる、そう喜んで――
影響は思っていたよりもずっと広く、人の暮らしとつながっていた。
「物の値段の上がり下がりを調整するというのもあるわね。まあ、そのあたりはあの人の得意分野だし、うまくやると思うわ」
九頭大蛇戦後、伯爵家への助力と共に、地域の人々の暮らしまで考慮する。
商業ギルド長としてか、それとも子爵当主としてか、どちらにしても志が高い。
ダリヤは深く感動しつつ、ガブリエラを見る。
だが、彼女はそっと顔をそむけた。
「――私の実家が、あそこにあるのよ」
訂正、どこまでも妻への深い愛らしい。
これ以上は聞かないことにする。
「正しい財力の使い方ですね!」
曇りない笑顔で言い切ったのはメーナだ。
その順応性を分けてほしい、切実にそう思う。
「じゃ、近くに食事に行きましょう! 皆さんお疲れでしょうから、乾杯は一杯だけ、一次会だけということで。ヴォルフ様もいいですよね?」
「ああ、もちろん!」
「ヴォルフ様もこれと同じ九頭大蛇のコースター、買いました?」
「ああ、買ってきた。あとかっこいい九頭大蛇ジョッキも買ってきたんだ」
「それ見たいです!」
「馬車に置いてきたから、後で見せるよ」
ここまで馴染んでいるヴォルフは、もう商会員でいいのではないだろうか?
そんな斜めなことを思いながら立ち上がると、ガブリエラが歩み寄ってきた。
「ダリヤ、改めて、おかえりなさい」
「ただいま、です、ガブリエラ」
「本当によかったわ。国境に行ったって聞いたときは驚いたけれど、やっぱり親子ね。魔導具が絡むと行動力がとても増すところも、カルロそっくりだわ」
ちょっぴり痛いところをつかれたので、笑顔で返す。
「父で師匠なので、似るのは仕方がないかと思います。魔導具師としては、もっと頑張れって言われそうですが」
言いきると、紺色の目がとても優しく細められる。
彼女が伸ばした右手は、自分の腕に温かく触れた。
「いいえ。カルロはきっと、あなたを誇っているわ」