441.騎士ドリノの帰還
臼土きね先生によるコミカライズ『服飾師ルチアはあきらめない』(FWコミックスオルタ様)最新話更新・新章開始です。
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隊員達、そして相談役であるダリヤとヨナス、そして隊長に呼ばれたグイードが、魔物討伐部隊棟に集った。
赤ワインで乾杯し、隊員達全員の帰還を喜び合い、九頭大蛇戦の勝利を祝う。
けれど、そう長い時間ではない。
あっさり解散し、あとはそれぞれ家に帰ったり街に出たりとなった。
九頭大蛇戦に参加した者は、半月以上国境にいた。
早く家族や恋人に会いたいと思うのは当然だろう。
ドリノもその一人である。
幸い、参戦した者は本日、王城の馬を自由に借りられる。
着替えをする時間ももどかしく、騎士服にフード付きマントを手に、馬場へ向かった。
「ああ、ドリノ殿……」
見知った飼育係に困り顔を向けられた。
いや、周囲を見れば、他の者達も馬の顔を見ながら苦笑したり、ため息をつきつつ、その背をぺちぺちと叩いたりしている。
それらは皆、遠征帰りの馬達だ。
馬達の毛並みは艶々で、機嫌もよさそうなのだが。
「何かあったんですか?」
「はい、馬達がここまで、大変おいしいものを頂き続けたようで……」
言いづらそうに答える彼から、馬に視線を移す。
よく見れば、その身体はいつもより筋肉がついており――いや、これは筋肉だけではないのかもしれない。
「飼い葉に追加して、野菜に果物、砂糖などを頂いたのでしょう。体重が大幅に増え、膝に負担がかかりそうな騎馬もおりまして……」
魔物討伐部隊員達は宿場街ごとで大歓迎を受けた。
それは馬達も同じだったらしい。深く納得した。
そして、人間達にはわからぬが、九頭大蛇を運ぶ、あるいは近くにいた騎馬達は、人間でいうストレスがとても溜まっていた。
それをおいしい餌とおやつをたっぷり食べることで解消していたのだ。
その結果、隊員達以上にしっかりと重量が嵩んでいた。
「そうなると、今日から?」
「はい、膝が危うい騎馬は、しばらく餌を減らさねばなりません……」
低く声を交わしたが、一部の馬がこちらを見る。
ヒヒーン!と悲痛ないななきが響いていた。
騎馬達にちょっと同情しつつも、ドリノは馬を借りて王城を出る。
最初にファビオラのいる宿へ行き、新居について話し合う予定だ。
彼女の手紙では、すでに花街の宵闇の館から宿に移っているとあった。
話し合いの後か明日、どちらかには下町の実家に顔を出そうと思っている。
無事の知らせはすでに隊で出してくれたそうなので、そう心配はされていないだろう。
王城の門を出ると、いつになく人が多かった。
魔物討伐部隊員の家族が迎えや会いに来ているせいもある。
あちこちで抱き合う者や泣いている者、笑い合う者と様々だ。
赤鎧の先輩であるギーシュが、彼と同じ青髪の男性と拳を打ち合わせて笑っていた。
面差しがよく似ているので兄弟だろう。
新婚のニコラはおそらくは妻か、小柄な女性をその胸で泣かせていた。
その左腕をつかんだ青年は顔を伏せ、涙声で話している。遠征を止めようとしたという義兄かもしれない。
ニコラはとても困った表情をしているが、助けるつもりはない。
レオンツィオは幼子を腕に抱き、同年代の女性と若い男女と笑い合っていた。
本当に無事でよかった。九頭大蛇の元で華々しく散る以上の幸せがごろごろあるではないか。
弓騎士のミロは、涙を流す女性に抱きつかれていた。
いつの間にと言いたいところだが、ミロ本人がとても驚いた顔をしている。
もしかすると相手から突然の愛の告白――遠征中に妻に出て行かれたという彼である。
遠征から帰ったら始まる恋があってもいいだろう。
隊員達と目が合っても、誰にも声はかけない。
そのまま道の端を馬で進みながら、ふと人々の列へ目を向けた。
王城の係の者に、騎士の呼び出しを願う者達が並んでいるのだ。
本日いつ終わるかは、ファビオラに連絡できていない。
もしや彼女も並んでいないか、そう思って目で追い、見慣れた顔を二つ見つけた。
慌てて馬を下り、手綱を持ったまま声をかける。
「父さん、母さん」
「ドリノっ!」
母がばたばたと駆け寄ってきて、自分をぎゅうっと抱きしめた。
「ドリノ、どこか痛いところは? 怪我はない? ちゃんと食べてる?」
母はいきなりの質問攻めである。息子の顔色の良さを見て頂きたい。
まとめて平気だと答えているところへ、父がずんずん歩んできた。
きつく引き結んだ口はご立腹のようだ。
もっと早く手紙を寄こせとでも怒鳴られるか――そう思ったとき、母ごと抱きしめられた。
「生きてた! ……ドリノ、生きてた……無事だった……」
これは何かの冗談か? 強面の親父が啜り泣くように繰り返す。
すぐには言葉がつなげず、ドリノはなんとか息を吸う。
「――いや、大丈夫だって。無事だって知らせは王城から家に行っただろ?」
「お前の顔見るまで、安心できるかっ!」
その怒鳴り声に、後ろで馬がヒヒン、と鳴く。
父はようやく妻子を抱きしめていた腕を離した。
ドリノが馬をなだめている間、背中でよかった、よかった、とただ小声で繰り返すのが聞こえる。
再び向き直ると、父は頬を濡らし、シャツの袖で目を乱暴にこすっていた。
こんな父を見るのは初めてだ。ドリノはひどく居心地が悪くなる。
何も言えずにいると、父が鼻を啜って言葉をつなぐ。
「ドリノ、魔物討伐部隊をやめて、家に帰ってきても――」
「やだよ、食堂で鍋磨きからもう一回だろ?」
馬鹿を言わないでもらいたい。
長男が妻をもらい、孫も生まれ、家はみっちりと幸せだろう。
そこに自分の場所はない。いなくてもいいではないか。
確かに危ない討伐だったのは認めるが、自分はもう、父母に心配される子供ではないのだ。
「そんなに心配なら、いっそ神殿契約で生きて帰るってでも入れておくよ」
「いいわね、それ」
軽口をたたくと、母は涙を拭きながら笑った。
けれど父は、首を大きく横に振る。
「神殿契約なんかいらねえ。お前が約束しろ、必ず生きて帰るって」
「もちろん帰ってくるけど――神殿の紙がある方が安心だろ、親父は」
思わず皮肉めいたことを言ってしまった。
まったく、自分の意地の悪さはどうしようもない。
神殿の紙――それは神殿での『真偽判定』の羊皮紙のことだ。
兄弟のうち、それなりの魔力と身体強化、氷魔法を持つのはドリノだけ。
母の不貞、自分が父の子ではないと噂されるのが嫌で、金貨を積んで神殿で書いてもらった。
結果、父は安心したらしい。
それまで疑っていたのかと、自分はひどくやさぐれた気持ちになったが。
苦く思い出すドリノの前、父は当然のようにうなずいた。
「ああ、前はあれのおかげでうるさいのがいなくなったからな。お前が俺の子じゃねえとか馬鹿を言う奴ら、陰で片端からしめて回ってたが、きりがなくて……」
「は……?」
父らしからぬ、ぼそぼそとした声は続いた。
「お前は優しい子だから、誰にも言わずに我慢して、でもホントは傷ついてるだろうと、俺はずっと、それが不安で、心配で……言う奴をしめても噂はなかなか消えねえし、余計にふれ回る馬鹿はいるし。神殿の真偽判定なら、もう言われねえ。これでもう、ドリノもリータも傷つかなくて済むと……あの紙は確かに安心した……」
「あ……」
頭を九頭大蛇の尻尾で殴られた気がした。
母リータの不貞を完全否定する真偽判定の後、『俺はずっと不安で』――そう言った父。
あれは、長い間、妻と子を疑っていたのではなかった。
己が懸命に否定しても消えぬ噂、それに息子と妻が傷つき続けることを心配していたのだ。
神殿契約の紙で、もう他人から言われなくなる、傷つけられなくなると安堵して――
わかっていないのは俺だった。
馬鹿なのも俺だった。
ドリノは、ただただ笑ってしまう。
しかし、うちの親父様は、なぜ肝心なところが一言、いや二言足りないのか。
言葉の選び方もどうかと思う。
その息子は聞き返すことも怒ることもせず、勝手に思い込んで落ち込んで――
いいや、それでファビオラと出会えたのだからすべてよし! それでいい。
ただし、父が陰で片端からしめて回っていた件については、いずれ酒を飲み交わしながら詳しく尋ねよう、絶対に。
「俺は全然傷ついてなんかなかったよ。神殿契約は、親父がこれ以上しめて回るのも手間だと思っただけだから。親父は雀をしめて回るより、羊肉を漬け込む時間の方が大事だろ」
必死の笑顔で嘘を吐く。
けれど、父の笑顔がなんでか、にじみかける。
もうちょっと耐えてくれ、俺の涙腺――
この馬鹿な勘違いだけは、一生、父母にばれたくないのだ。
「ドリノ!」
最高のタイミングで、我が女神の声がした。
「ファビオラ!」
声の方に身体を向け、その姿をすぐに見つけた。
化粧っ気のないそばかすの目立つ顔、肩の上で切りそろえられた金髪。
ドリノの髪と同色の、紺のワンピースに白いリボン。踵の低い青い靴。
最高にかわいく似合いである。
腕に飛び込んでくる彼女を受け止め、きつく抱き合った。
「ただいま、ファビオラ! 約束通り帰ってきた!」
「お帰りなさい、ドリノ! 帰ってきてくれて、ありがとう!」
泣きながら笑っている彼女に、心配をかけたことを詫びながら、自分も涙がこぼれた。
ああ、帰ってきた――本当に、心からそう実感した。
抱き合ったままでいると、すぐ目の前、父母が目をまん丸にしていた。
そういえば――父母には彼女のことを、一言も話したことがなかった。
「ドリノ、そちらのお嬢さんは?」
「俺の妻!」
「ちょっと待て、ドリノっ?!」
その後の紹介と説明は、混乱を極めた。
(馬は後ろで大人しく待っていてくれました)