440.魔物討伐部隊王都凱旋
「カークさん、大丈夫でしょうか?」
「本人は、たいしたことないって言ってたけど……」
ようやく馬車に慣れたダリヤの向かい、ヴォルフとマルチェラが座っている。
本日、カークはこちらの馬車にいない。
自分の護衛役をヴォルフに交代し、エラルドの医療用馬車に行っているからだ。
昨夜、宿で出された料理に、疲労回復によく効くという双刃魚のナッツ揚げがあった。
双刃魚はトビウオによく似た魔物だ。
ただし、両側の胸ビレは刃のように硬い。
網を切られたり、獲った魚を傷めたりすることもあるので、『漁師泣かせ』とも呼ばれている。
双刃魚のナッツ揚げは、魚のさっぱりした味わいにナッツの香ばしさがとても合っていた。
共に勧められたのは、年代の若い酸味強めの白ワインだ。
両者の組み合わせはとてもおいしかった。
カークもとても好みだったようで、追加での皿をもらっていた。
が、食べ終えてから鼻血を出し、そのままソファーに寝かされることとなった。
『すみません、おいしすぎて食べ過ぎました』、カークは心配する皆へそう謝っていたが、鼻血が止まるまで、ちょっと時間がかかった。
そのため、エラルドが今日の移動に医療用馬車を勧めたのだ。
ヴォルフは風邪ではなく疲れだったとのことで、本日はダリヤの護衛役を代わってもらっている。
こちらもエラルドの提案である。
「心配ないと思うぜ。エラルド様の隣より安心なところはないから」
「俺もそう思う」
二人の言葉に納得した。確かにそれ以上に安全な場所はないだろう。
ダリヤは気持ちと話題を切り換えることにした。
「あの、ヴォルフは今日が誕生日ですよね?」
「ああ、そうだね。忘れてた」
「だと、ヴォルフは明日で年越えか。帰ったら祝わなきゃな」
誕生日当日ではなく過ぎてから祝うオルディネ王国らしく、今日にこだわりはないのだろう。
ダリヤとしては本日の方が重く感じられるのだが、口にはしない。
「年越え、おめでとうございます、ということで。ヴォルフは今、欲しいものってありませんか?」
「……俺の、欲しいもの……」
ヴォルフは自分を見ると、二度まばたきをした。
どうやら思い付かないらしい。
だが、友の一番欲しいものは聞かずとも予想がつく。
「やっぱり魔剣しか思い浮かばないですよね?」
こくり、無言でうなずかれた。予想通りだった。
「次の魔剣ですが、隊向けの試作も兼ねようかと。丈夫な剣を探して、それに一日ではなく、何日かに分けて魔法を付与したいと思っています」
「絶対に安全でお願いしたい……!」
金の目を潤ませて懇願しないで頂きたい。
魔力ポーションを飲まずに済む間隔をとって付与するか、飲むにしても作業は分け、負担はないようにする、そのために何日かかけるのだ――そう説明すると、ヴォルフにほっとされた。
だが、マルチェラは鳶色の目でじっと自分を見た後、顔を隣へ向ける。
「ヴォルフ、その間はずっとついてた方がいいぞ。ダリヤちゃんは魔導具のことになると集中しすぎて周りが目に入らなくなることがあるから」
「マルチェラさん、そんなことは……」
言いかけた声は消え入るように小さくなる。
護衛役とはいえ、マルチェラを王城の魔物討伐部隊棟やら魔導具制作部へと同行させ、作業中は待たせまくっていた。
横で見ていれば集中度というか夢中さはわかるわけで――いや、しかし、これは自分だけではないだろう。
「物を作っているときはこう、集中することが多いから」
「ああ、職人っていうのは夢中になると時間も何もかも飛ぶらしいな。フェルモさんのところも新しい工房で夫婦そろって徹夜で作業して、次の朝、息子さん達に叱られたそうだ」
新しい工房に望んだ素材、してみたい作業、心が躍るそれらがそろったら、ブレーキをかけるのは難しい。
ダリヤはつい深くうなずいてしまう。
「ああ、わかります」
「うん、俺を呼んで、ダリヤ。食事の準備と掃除と雑用ぐらいなら手伝えるから」
ヴォルフに真顔で言い切られたので、うなずくしかない。
有能過ぎる助手が決まってしまった。
「ダリヤこそ、欲しいものはない? してみたいこととか、行きたいところとかでもいいけど」
「そうですね……」
欲しいものと聞いて、つい『魔力』と言いそうになってしまった。
気持ちを切り替え、今、必要な物を考える。
「エリルキアの辞書のもう少し厚い、単語数が多いものを買おうかと。あと、今回買ってきた調味料を試してみたいので、王都の市場に行きたいです」
「わかった。俺に荷物持ちをさせて。どこでもついていくので」
ヴォルフはいろいろと手伝ってくれるつもりらしい。
きっと魔剣制作のお返しの一つなのだろう、義理堅いことだ。
「お! ちょうどいい黄色だ――ダリヤちゃん、ちょっと席を替わろう。俺は前に見たことがあるから」
「え? 黄色って?」
マルチェラが窓の外を見て声をあげた後、席交換を申し出てきた。
動く馬車の中、向かい合う席を交換し、勧められるがままに外を見る。
「わぁ! すごい菜の花畑ですね!」
窓の外、広大な菜の花畑が見えた。
春風に黄色い布のように一斉に方向を変えている。
緑と花の香りがこちらにも運ばれ、馬車内に満ちた気がした。
なかなか王都の外に出ないダリヤにとっては、とても新鮮だ。
春らしいその景色を楽しんだ後、元の席に戻ろうとする。
ガタン、轍にでも捕まったか、馬車が揺れ、隣のヴォルフと肩がぶつかってしまった。
謝っているところ、マルチェラがいつもの口調で続ける。
「ダリヤちゃん、そのままでいい。そっちの席の方が花畑なんかを多く見られるから。俺はこの辺りは運送ギルドのときにきたことがあるんだ」
「ありがとう、マルチェラさん」
ダリヤはありがたく景色を堪能させてもらうことにした。
隣のヴォルフはまだ疲れが少し残っているのかもしれない。ちょっとだけ口数が少なかった。
・・・・・・・
続いた馬車の旅もあと少し――
今、魔物討伐部隊と関係者は、王都の少し手前で身なりを整えていた。
王都の東門から王城までの凱旋のパレード――騎馬にまたがる隊員と立ち台付きの馬車に乗る隊員、その後に王城騎士団のグイード達が続く予定だ。
安全のため、ダリヤはマルチェラ、エラルドと共に医療馬車に乗ることになった。
この世界、身体強化の魔法を持つ者はそれなりに多い。
大昔のパレードでは、壁を走り、姫君に向かった者がいたらしい。記録では『愚か者は灰になった』とあるそうだ。
魔物討伐部隊のパレードでそういったことはないと思うが、熱狂した者が行進に飛びこまないともかぎらない。
ダリヤとしては、安全はもちろん、顔を出すことを避けたいので、ありがたいかぎりである。
「シャツのボタンが閉まらぬ……」
「騎士服で見えないから大丈夫ですよ、ランドルフ先輩!」
「ズボンのベルトがきつい……」
「ベルト穴が合わぬなら、替えベルトを使え。途中では替えられんぞ」
馬車のすぐ近く、騎士服を整える隊員達から微妙な会話がこぼれている。
内容はなかなか切実だ。
「よし、俺は一個ずらして入ったから大丈夫っと! 替えベルトいる人ー?」
「ドリノ、使わぬならくれ」
「鍛錬が足らん、鍛錬が!」
「くっ、お前にそれを言われるとは! 宿の部屋で、腕立てや腹筋をあれほど懸命にしたというのに……」
「だから騎士服の袖がぎりぎりなんだろう。あまり手を振るなよ、破けるぞ」
腕を上げて固定したまま、左右に身体の向きを変える隊員を、ダリヤは視界からそっと外した。
「これが『食い倒れ旅行』というものですね。私も満喫致しました」
「エ、エラルド様……」
笑顔で言い切った彼は、一応、神官服なのだが、衿をくつろげた上、銀衿を手元にぐるぐると丸めていた。
その頬は国境にいた頃よりふっくらしているように見える。
なお、マルチェラと自分も少々丸みを帯びた気がしないでもない。
王都へ戻る途中の宿場街、一行はどこでも熱烈に歓迎された。
魔物討伐部隊の到着を待っての毎夜の宴会。
各宿場街、牧場が近くにある街では乳製品、港町では新鮮な魚介類、そして各種の肉、地元野菜、それらで作られた料理と、その地域で好まれる酒と菓子がテーブルを埋め尽くす。
それを地元の方々にいい笑顔で勧められるのだ。
歓迎をありがたく受けた結果――服の調整をしているのが今である。
自分の近く、服を直すこともなく立っているヴォルフに、ダリヤはそっと声をかける。
「ヴォルフはその……調整が要らないんですか?」
「ああ、俺は全然変わってないから」
「……そうですか」
「ダ、ダリヤ?」
あれだけ飲み食いしていて不公平である、絶対に。
ついそう思ってしまった自分を許してもらいたい。
「ヴォルフ、そろそろ行こうぜ」
「ああ。じゃあ、ダリヤ、また後で、王城で」
「はい。王城で、ですね」
ほんの数時間のことなのだが、確認するように挨拶を交わす。
ダリヤ達もそろって馬車に乗り込み、王都への凱旋が始まった。
青空の下、東門の手前から、すでにわあぁ!と声が高く上がり始める。
その声と、ありがとうございます、栄えあれ、といった声が交差し、拍手と共に波のように聞こえてきた。
ぎっしり並ぶ人々を左右に、馬と馬車は道の真ん中をゆっくりと進む。
窓の隙間から見えるのは老若男女の笑顔――一定間隔で並ぶ衛兵と騎士達が、人々が前に出すぎぬよう目を光らせている。
「九頭大蛇だ!」
門から九頭大蛇の首を載せた馬車が進み出ると、どよめきが大きく上がった。
驚き、悲鳴、感嘆、それらが混ざり合い、馬車が揺れたのではないかと錯覚するほどだ。
それでも止まることはなく、馬車は進む。
「お帰りなさい、お父様!」
「お見事でした、叔父上!」
家族や親戚らしい声に、応、と応える隊員の声が響いた。
全員が無事だったとはいえ、王都で待っている彼らはどれだけ心配だったろう。しんみりと考えていると、高い声が続いた。
「ああ! 気づいてくださったわ!」
「ハンカチを持って! 手を振りましょう!」
若い女性達の声に、不意にヴォルフのことを思い出す。
彼は今、妖精結晶の眼鏡をかけていない。当然、人目を引くだろう。
女性達が黄色い声を向けるのも当然だ。
なのに、ちょっとだけ胸の内がざわめき――
「ベルニージ様! お帰りなさいませ! 屋敷に戻ったら皆にお話を!」
「「お待ちしておりますっ!」」
最初の声はおそらくユリシュア、ベルニージの家にいる魔導具師見習いの少女である。
少女達の方はわからないが、もしかすると皆、ベルニージの親戚なのかもしれない。
「ベルニージ様は大変おもてになりますね。うらやましいことです」
ダリヤは向かいの神官に笑み返し、ますます高くなっていく歓声を聞いていた。
そこからのパレードは予想以上の人の多さに、予定時間を過ぎることとなった。
だが、ようやく到着した王城、その門を過ぎても馬車は止まらない。
速度を落として進む先は騎士団の訓練場、王城でもっとも広い平地である。
そこまで来ると、ようやく全員が馬と馬車を降りた。
グリゼルダの後ろ、隊員達が列を成す。その右側にダリヤはグイードやヨナス達と並んだ。
マルチェラは馬車内で待機である。
隊員達の後ろ、九頭大蛇の首の載る馬車が荷台だけで置かれる。氷が溶け、地面にポタポタと水が滴り始めていた。
そこに魔物討伐部隊の一同を引き連れたグラートと第二王子がやってきた。
グラートはグリゼルダの横に立ち、ストルキオスはグイードの横に立つ。
王城にいた隊員達は、九頭大蛇の馬車のその後ろに列を作った。
同時に、王城騎士団員――おそらくは役付きの者達であろう、彼らが隊の左側に並ぶ。
そこにはダフネの姿もあった。
ダリヤが緊張を重ねていると、周囲の視線が一斉にずれる。
その方向に目を向ければ、近衛騎士四人を周りに、オルディネ王がやって来た。
黒絹の服に金の装飾、肩から流れる深い赤のマント、五石の宝玉をはめ込んだ金の王冠、右手の王笏――豪華な出で立ちと風格は、ダリヤが前回会った王とは別人のようだ。
いっそ違う人であってほしいのだが――そう思ったとき、王と目が合った気がする。
ダリヤは慌てて視線を下げた。
「九頭大蛇討伐、大儀であった!」
中央まで進んだ王が、その声を風魔法に乗せる。
拡声器要らずの言葉は、九頭大蛇戦の勝利と共に、王国の平和を守った隊員達と参加者への褒め言葉とねぎらいで締めくくられた。
王が戻っていくと、その場の者達は順次、徒歩や馬車で移動し始める。
本日はここまでで、王城での祝いは後日だそうだ。
ダリヤはようやく肩の力を一段抜いた。
ここからは隊員達と魔物討伐部隊棟へ、挨拶をし、置かせてもらっていた荷物を受け取り、緑の塔に帰る予定である。
半月も家を空けたのは初めてだ。帰宅したらまずは掃除だろう。
「ダリヤ先生、少々難しいお顔のようですが、どうかなさいましたか?」
「いえ、家に帰ったら、まずは掃除をしなければと思っていたところです、エラルド様」
「そうでしたか。蜘蛛と遭遇しないよう神に祈っておきましょう」
なかなかありがたい祈りをしてくれるエラルドは、ここまでダリヤ達の数歩後ろ、見学者のように立っていた。
彼は魔物討伐部隊員でも王城勤めでもない。
けれど、今回の功労を考えれば前に立っていてもいいのに、どうしてもそう思えてしまう。
「ダリヤ先生、これから魔物討伐部隊棟で祝杯を上げるとのことなので。エラルド様もぜひ!」
駆けてきたカークにそう言われ、エラルドへご一緒に、と言いかける。
けれど、細められた緑琥珀の目は、訓練場後方へ向けられた。
こちらにやって来るのは灰色の鎧の上、白いマントを付けた騎士達だった。
その出で立ちは王城騎士とは異なっている。
彼らはすぐ目の前で歩みを止めると、平坦な声で告げた。
「王都神殿より、エラルド副神殿長の迎えに参りました」
「わかりました」
エラルドはうなずくと、こちらへ顔を向ける。
「私はまた次に――機会を得るべく、頑張ると致しましょう」
ちょっとだけその表情が硬くなった気がする。
それが気になるが、自分では神殿騎士へ何を言うこともできず、つい助けを求めて視線を回す。
「失礼する」
願いは叶ったらしい。早足でやってきたグラートが、神殿騎士達に声をかけた。
「今回、エラルド神官に大変なご助力を頂いた。魔物討伐部隊にて礼を申し上げる時間を頂けまいか? 神殿へはこちらで確かにお送り申し上げる」
「副神殿長より連名で、急ぎ迎えるよう命を受けております」
願いを告げたグラートに対し、先頭の神殿騎士は無表情で返す。
人形めいたその応答はまさにお役所仕事――融通がまるで利かなそうだ。
「すぐに参ります。皆様方、失礼致します。どうぞ良き祝杯を」
エラルドはそう言うと、神殿騎士達に向かって歩き出す。
その銀の衿が、名残を惜しむかのようにたなびいた。
「エラルド様、本当にありがとうございました!」
咄嗟に、その背へ声を上げてしまった。
彼がこちらに振り返る、それと同時――
「全隊員、敬礼!」
グラートが声高く叫ぶ。
魔物討伐部隊員達が一斉にこちらを向き、右手を左肩にあてた。
ダリヤもそれに倣い、左肩に手を置く。
その動作は騎士の重い敬意の表現、隊員を救ったエラルドへ向けるにふさわしい。
「エラルド殿、心より感謝申し上げる!」
「「ありがとうございました!」」
グラートに続き、隊員全員が声を張り上げた。
王城に轟く礼に、エラルドはくしゃりと顔を歪め――銀衿をするりと外して手に持つと、その場で深く一礼する。
「九頭大蛇討伐をありがとうございました――また、参ります」
銀衿を外したままの神官は、笑顔で答える。
そうして、神殿騎士と共に馬車へと向かって行った。




