438.菜の花パスタとお土産の羽根ペン
コミックス『服飾師ルチアはあきらめない』2巻(臼土きね先生)4月18日発売となりました。
公式Twitterにて新コミカライズ『魔導具師ダリヤはうつむかない ~王立高等学院編~』準備のお知らせです。
どうぞよろしくお願いします。
「すみません、マルチェラ、寝坊してしまって……」
「いえ、大丈夫です、会長。そんなに待っていませんでした」
ダフネと夜中に飲んだせいか、今朝、起きるのが少し遅れてしまった。
ダリヤは少しだけ早足に、マルチェラと共に階下に降りていく。
朝食は宿の広間で各自自由にとる形だ。
待ち合わせているわけではないが、ヴォルフもだいたいこの時間に来ている。
昨夜の彼はとても疲れているようだった。
今日は疲れがとれていればいいのだが――そう思いつつ二階の廊下へ踏み出すと、ヴォルフの肩を叩くドリノが見えた。
「しょうがないだろ、ヴォルフ。相手にしたのが九頭大蛇だぞ、あれだけ斬ったら仕方がないって」
「そうかもしれないけど……」
「そんなにがっかりするな。もう一度、ダリヤ嬢に願えばいい」
「いや、これ以上、ダリヤに迷惑をかけるわけには……」
どんよりと暗いヴォルフに向かい、つい早足になってしまった。
「おはようございます。あの、何かありましたか?」
「おはよう、ダリヤさん! ヴォルフが朝鍛錬で剣にヒビを見つけて、この通りなんだ」
「お、おはよう、ダリヤ……」
表情を作ろうとして失敗したヴォルフが、金の目を揺らして自分を見る。
魔剣が好きな彼のことだ。
せっかく手にした黒風の魔剣、しかも九頭大蛇を倒したそれにヒビが入っては、深く落ち込みたくもなるだろう。
「ええと、ヴォルフ、そんなに落ち込まなくて大丈夫ですから。次はもっと丈夫な剣ができると思いますし」
「ダリヤ、その……せっかく作ってもらったのに、本当に、すまない……」
「大丈夫ですから、気にしないでください」
ここまで落ち込むヴォルフは、初めて見たかもしれない。
だが、彼が悪いわけではない。
九頭大蛇戦で戦い抜き、あの太い首を落としたのだ。
よく折れなかったと剣に礼を言いたいほどだ。
ヴォルフの誕生日は間もなく。少し遅れるが、もうちょっといい剣を土台に、さらに重ねて付与した魔剣を贈るのはどうだろうか?
隊のための試作でもあると言えば、そう負担に感じなく受け取ってもらえるかもしれない――
そんなことをつらつらと考えていると、広間からグラートとグリゼルダが出てきた。
朝の挨拶を交わすと、グリゼルダが笑顔で言う。
「ダリヤ先生、ヌヴォラーリ君、今朝のメニューでは、角兎のスープと蜂蜜レモンジャムがお勧めですよ」
「ありがとうございます。頂いてきたいと思います」
言葉が終わると同時、国境警備隊の騎士が廊下を早足でやってきた。
皆、一斉に廊下の片側に寄ると、騎士はそのままグラートの前へ進む。
「魔物討伐部隊、バルトローネ隊長へ、王城より書簡です」
「確かにお受け取りした」
その場で書状の巻きを広げたグラートは、読み終わるとグリゼルダへ手渡した。
「王都近くの街道に、二角獣が複数出たそうだ。冒険者ギルドが先行しているが、指揮のために王都に戻っておく方がいい。幸い、今日のワイバーンの戻りに空きがある」
「では、私が参ります」
グリゼルダが書状を手に答える。
今は魔物討伐部隊の隊長・副隊長ともが国境に来ている状態だ。
王城でベテラン隊員のジスモンドが指揮をとり、若い隊員が多くいても、やはり大変だろう。
けれど、グラートは首を横に振った。
「グリゼルダ、九頭大蛇戦はお前が最初に指揮を執ったのだ、帰りも任せる。各宿場での挨拶と王都への凱旋もだ」
「いえ、それはグラート隊長の――」
「十年先、私は隊長をしておらんだろう。お前はここから名と顔を広げる必要がある。民の声も力の一つだぞ、『次期隊長』」
九頭大蛇戦指揮の功績を、グラートはグリゼルダへ譲るつもりらしい。
次期隊長としてふさわしいと示すためなのだろう。
グリゼルダは唇を噛みしめた後、ようやくにうなずいた。
「わかりました。お受け致します。ですが、あと十年は隊長職についてご教授をして頂きませんと。私はまだまだ未熟ですから」
「十年先だと私は六十を超えるぞ。さすがに、そこまではな」
赤い目をゆるめて笑ったグラートに、グリゼルダは碧の目を細めて笑い返す。
「うちの新人隊員はいくつですか? 確か、グラート様が最終の合否判定をなさったと記憶しておりますが?」
「仕方がない。できる限り尽力しよう」
副隊長は隊長の操作方法がうまいらしい。
周囲も自然、笑顔となった。
「では、ここからは任せる。私は一足先に帰る準備をするとしよう――あ……」
言いかけたグラートが、突然に眉を寄せた。
「どうかなさいましたか、グラート隊長?」
「いや、なんでもない。グリゼルダ、後を頼む」
そこからはそれぞれ別行動となるが、ダリヤはグラートの表情が気にかかった。
近くにいたのもあり、つい低く声をかけてしまう。
「グラート隊長――あの、何かお手伝いできることはありませんか?」
言い迷った末、職務のような尋ね方になってしまった。
だが、彼は同じく声低く返してきた。
「ダリヤ先生、すまないが、土産用にきれいめの羽根ペンを頼めないか? 買っている時間が無くなってしまった」
「ああ、奥様にですね。どのようなものがいいですか?」
周囲に言いづらそうな理由がわかった、そう思いつつ笑んで尋ねると、浅い咳をされた。
「書きやすければいいが、特にこだわりはない。一本――いや、二本を別箱で、これで頼む」
白いハンカチに載せ、渡されたのは金貨三枚。なかなかの高級品になりそうだ。
「お預かりします。頑張って探してきます」
そう答えると、グラートによろしく頼む、と小さく言われた。
そこからはマルチェラと共に朝食をとり、昨夜と同じ私服に着替える。
港近くのお店を回るためである。
一緒に行くのはヴォルフとマルチェラ、そしてドリノとランドルフだ。
初めての街でよい店を探すのは難しいので、お土産と食事をする店は宿の者と国境警備隊員に尋ねた。
彼らは地図付きでお勧めの店を教えてくれたので、その通りに回ることにした。
馬車で移動した港は、王都のそれとはまるで違っていた。
王都よりも奥行きがあり、数本の広い通行路が海に向かって延びている。
そして、その左右、大小様々な帆船が並ぶ。その船自体もカラフルで、いろいろな形がある。
地形の関係上、イシュラナ、エリルキア、東ノ国とも、王都よりこちらに寄港する方が多いらしい。
行き交う人々の服装も言葉も様々だ。
港周囲の建物も、王都のようなレンガ造りが主流ではなく、木造が多い。
春の日差しの下で潮風を受けていると、違う国にきたような感じさえした。
最初に向かったのは、香辛料を多く扱う食料品店だ。
地域別の塩や、コショウ、シナモン、ナツメグといった香辛料がガラス瓶入りで壁にずらりと並んでいる。
東ノ国のワサビの他、瓶入りの醤油、唐辛子を入れた竹筒などもあった。
「すごいです……!」
思わず感嘆の声を漏らすと、笑顔の店員に駆け寄ってこられた。
なんだかんだと迷いつつも、東ノ国の調味料を中心に、一店目にして、大量に買い込んでしまった。
しかし、これには理由がある。
本来、お土産は一人トランク一杯までなのだが、店を尋ねる際に同席していたグリゼルダに、調味料は魔物討伐部隊向け素材の扱いでかまわないと言われている。
「今後の遠征食に活かして頂ければと思います」
笑顔でそう言われ、予算も渡されそうになったが固辞した。
ヴォルフと共に、緑の塔で遠征用コンロに合う料理をゆっくり模索したいと思う。
「俺はこの七色唐辛子を買ってってみる。親父が喜びそうだ」
ドリノが手にしたのは、七色唐辛子入りのガラス瓶――七味唐辛子とは少し違うのか、色鮮やかな香辛料が大きめのガラス瓶を七つに分けた中にそれぞれに入っている。
使う料理によって配合を変えるのかもしれない。
ヴォルフはコーヒー用のシナモンを、マルチェラとランドルフはメープルシロップなどを購入していた。
その後は、国境街ならではの土産や小物を扱う店などを回る。
お土産店にはすでに九頭大蛇の画が描かれたコースターや木のコップなどが多く出回っていた。
壁には九頭大蛇と戦う魔物討伐部隊員の画もあった。
山のような九頭大蛇の前、剣を振り上げているところだ。
ドリノがその真横、無言で同じポーズをしたので、笑いを堪えるのが辛かった。
ダリヤもつい、かわいい系九頭大蛇のコースターを二つ買ってしまった。
ヴォルフは迷った末、九頭大蛇と剣がかっこよく描かれたジョッキを二つ買っていた。
彼らしいと納得したのは内緒である。
マルチェラはイルマに似合いそうなスカーフや、幼児用の木の玩具などを購入していた。
自分についてきてもらう形になったのだからと、購入資金を渡そうとしたが、すでにスカルファロット家からしっかりもらったのだという。
ちょっと申し訳なくなった。
店をいくつか回る中、一番買い込んだのはドリノだ。
九頭大蛇のコースター、薄青のペアグラス、紺色のリボン、青い上質な布――妻への贈り物は外箱を巻き尺でしっかり計られ、ぎりぎりトランクに入る量となった。
なお、自分のトランクの空きを使えと言っていたランドルフだが、羊毛の枕を買ったことで満杯となった。
巻き尺の計測値的に危ういが、締めれば入ると主張していたので大丈夫だろう、たぶん。
道順に店を回りつつ、休憩をかねてレストランへ向かう。
幸い、奥の大きいテーブルが空いていたので、そろって座ることができた。
本日のランチが菜の花のパスタとシーフードスープのセットということで、皆がそれを頼んだ。
ダリヤにはちょうどよさそうな量だが、他は各自、肉や魚、パンの追加をしていく。
テーブルの横、大きな窓から港が見える。
青い海の上、滑るように帆船が進んでいくのはとてもきれいだ。
皆で船や土産について語り合っていると、炭酸水が運ばれてきた。
「ダリヤ、疲れてない? 平気?」
炭酸水で乾杯すると、隣の席のヴォルフに小さく尋ねられた。
自分を心配してくれるのはありがたいが、彼の表情はまだ暗さが残っている。
「大丈夫です。それよりヴォルフ、まだ落ち込んでますよね?」
「あ、ああ……ちょっと」
剣を壊した罪悪感があるのか、金の目を伏せて答えられた。
「次はもっと丈夫にしましょう。せっかくですから、違う素材の剣も探してみませんか? フロレスさんのところで」
フロレスとは、王都にある武器屋の主の名だ。
いろいろな武器を扱っているので、いい素材の剣もあるかもしれない。
「ありがとう。じゃあ、王都に戻ったら一緒に行こう」
いつもの微笑を浮かべた彼に、ようやくほっとする。
そこへ料理が運ばれて来た。
海の幸たっぷりのスープにチキンステーキ、厚いサンドイッチなど、どれもおいしそうだ。
だが、ひときわ目を引くのは、白い皿にこんもりと盛られた菜の花のパスタだ。
鮮やかな緑の中、所々に黄色い蕾の見える菜の花と、拍子木切りのベーコンがたっぷりかかったパスタは、見た目だけでおいしい。
フォークにくるりと巻いて口に運ぶと、バターが香り高く、ニンニクがほどよく効いていた。
塩みは少し濃いめだが、ここまでかなり歩いたのでちょうどいい感じだ。
「王都よりこっちの方が、バターが甘いのかな?」
「近隣に畜産家が多い。新鮮さだと思う」
それぞれが食べながら会話を続ける。
「ヌヴォラーリさん、これから妻と住む家を探すんですが、新居探しってどれぐらい時間かかりました?」
「探すのに三ヶ月、改装に二ヶ月です。でも、うちの場合は妻が美容師で、店舗付き住宅を探したので……」
ドリノは王都に帰ってから、ファビオラと住む新居探しの予定である。
不動産や引越などについて、いろいろとマルチェラに尋ねていた。
これに関しては、引っ越しをしたことがない――新居に住み損ねたダリヤや、部屋を探したことのないヴォルフ達にはわからない。
新居の場所と値段の他、通勤、周囲のお店、近所付き合いなども考えて探す方がいいというマルチェラに、ドリノが聞き入っていた。
「ちなみにですが、ヌヴォラーリさんて奥様との出会いは?」
「たまたまそこにいて、髪を切ってもらった関係で、ですね――」
マルチェラとイルマの出会いの話を微笑ましく聞いていると、ダリヤが幼馴染みだという話に進んだ。
ドリノはそこから自分に声をかける。
「幼馴染みかー。ダリヤさんは、もし一緒に住むとか、旦那を持つとしたらどんな人が好み? 庶民だと、ヌヴォラーリさんみたいな頼りがいのある人の人気が高いけど」
ドリノに一般論をふられたので、ちょっとだけ考える。
「そうですね……まじめで、お酒や食事の好みが合う人でしょうか」
「確かに。全然違う好みとなると大変そうだな」
ドリノがそう答えて、横のマルチェラがうなずく。
ヴォルフとランドルフはひたすら菜の花パスタに集中している。好みの味なのかもしれない。
「他に何かある? あ、これ黒コショウも合いそう」
ドリノはさらに尋ねつつ、黒コショウを菜の花パスタにかける。
ダリヤはフォークを手に、昨夜のダフネの言葉を思い出した。
「――約束を守ってくれる人、でしょうか」
「――約束を、守ってくれる人……」
フォークの先をパスタの山に刺したまま、ヴォルフにオウム返しをされた。
ちょっと抽象的に聞こえただろうか。
だが、ドリノ達はすぐにうなずく。
「それはそうだな。約束はやっぱり守りたいと思うし」
「なるほど、ダリヤ嬢は誠実を尊ぶのだな」
それぞれに納得されると、なんとなく気恥ずかしくなる。
ダリヤはそこから集中して、菜の花パスタを食べることにした。
食事を終え、次に向かったのは文具店だ。
この街で最も大きい文具店は三階建て。広い店舗には羽根ペンにインク、手紙関連品にブックカバーや栞がコーナー別に販売されている。
個室では、代筆を請け負う美麗な文字の筆記師、各国の翻訳を手がける通訳までがそろっているという。
皆で店を回り、ダリヤとヴォルフ、マルチェラは羽根ペンを、ドリノはランドルフと共にその隣にあるインクを見ていた。
並んでいる本数がとても多いので、ダリヤは店員に相談することにした。
予算を告げ、書きやすいと思われる羽根ペンを出してもらう。
予算は二本で金貨三枚なので、なかなかの高級品が並んだ。
羽根ペン向きとしては、白鳥や鷲、梟、製図には烏がいいとも聞いたことがある。
しかし、まっ先に見せられたのは艶やかな純白のペン――魔物素材だった。
「こちらは天馬の羽根を使用したものです。丈夫ですので長くお使い頂けます」
「天馬ですか……」
「はい、天馬は健康祈願や縁結びの意味合いもあり、お祝いに選ばれるお客様も多いです」
ヴォルフが興味深そうに見つめている。
年末にイヴァーノからもらった天馬の羽根のお守りは、今、鞄の中にある。
さすがに彼は持ってきてはいないだろうが。
「こちらは緑冠、こちらは黒鷲の羽根のものになります。緑冠は軽く、手の負担が少ないといわれています。黒鷲の方は商業関係者の方でご使用になられることが多くございます」
緑冠は鳥形の魔物であり、緑の矢の如く飛ぶこともできる。
魔物図鑑では、前世で知る緑色のエボシドリのようだった。
黒鷲は、商業ギルドで見たことがある。
黒鷲の羽根と黒インクで、黒字の縁起を担ぐことがあるらしい。
深い緑と鮮やかな黒い羽根ペンは、どちらもきれいだった。
そこからいろいろな羽根ペンを見せてもらった。
正直、高級品らしくどれも持ちやすい。
試し書き用の羽根ペンもとても書きやすく、差がわからなかった。
結果、グラートは濃灰の髪に赤い目、妻であるダリラは赤髪に緑の目なのだから、共通する赤系の色合いを選べばいいのではないか、ヴォルフ達とそう話し合った。
そこで店員が勧めてくれたのが、赤い羽根の対――とはいえ見た感じ、同じ種類の羽根ペンというだけにしか見えない品だった。
羽根の部分は虹色の入った美しい深い赤。
赤い孔雀の羽根とでもいえばいいのだろうか、光によってより赤くも金色にも見える、不思議な色合いである。
「天馬の羽根を、魔物染料で染めたもので、一切退色しません。それと、二本を合わせて頂くと、つながりがわかるかと」
胴の少し上部分にあるそれは、一見、滑り止めの模様のように見える。
だが、二本そろえると、飾り文字が半分ずつ彫られ、つながるのがわかった。
「『永きを共に――』、文字が半分ずつになってるんですね」
夫妻で使うにはぴったりだ。
「これ、いいと思いませんか?」
「きれいな赤だし、いいんじゃないかな。喜んでもらえると思う」
「私もそう思います」
ヴォルフとマルチェラも賛成してくれたので、そのまま購入することにした。
グラートの指定通り、箱は二つ。大きさは同じなので、夫妻のどちらがどちらを使っても問題ないだろう。
支払を済ませて箱を受け取ると、マルチェラが布で包んだ後、鞄に入れて持ってくれる。
ダリヤはようやく安堵した。
なお、贈られた羽根ペンは、グラートの屋敷で使われることはなく、王城の二つの執務室でそれぞれに使われることになる。
揃いに気づいた者は、使い手二人の友情の深さに感じ入ることとなるが――
ダリヤ達は知らぬ話である。