436.前九頭大蛇戦跡地とワサビ入りサンドイッチ
「よし、二次会に行くぞ!」
「「応!」」
途中、魔物討伐部隊員をねぎらう祝宴も終わり、ようやく建物の外に出る。
道にずらりと並ぶ馬車で、二次会に行く者、元の宿へ戻る者、それぞれだ。
ここまでグイードの隣に座らされていたマルチェラは、いまだ緊張がとけずにいた。
楽にしていいと言われ、テーブルを埋め尽くす料理を勧められたが、味わえるわけがない。
酒を注いでくれるのは美しい酌華の男女。
彼らは隊員達の話を丁寧に聞き、酌と共に褒めそやす。
マルチェラが九頭大蛇戦で何の活躍もしていないと答えても、一切表情を変えず、王都からこちらへ来た任務自体に礼を言われた。
自分がいていい場ではない気がして、つくづくと王都の妻子が恋しくなった。
「夜はまだ長いね。マルチェラも羽を伸ばしてきたらどうだい? ダリヤ先生はこちらに任せてもらってかまわないよ」
「お気遣いありがとうございます。ですが、私は妻のいないところで羽が伸ばせないものですから」
「そうか。私と同じだね。では、宿へ戻るとしよう」
グイードに酔いを感じさせぬ笑みを向けられた。
先程の祝宴では、彼が水の伯爵家と言われていたスカルファロット家、現在の侯爵当主とわかると、酌華が代わる代わるに訪れた。
興味、尊敬、羨望、一部お近づきになりたさがにじみ滴る者もいたが、グイードは等しく貴族の優雅さで酌を受けていた。
なお、自分は全員等しく緊張して酒を注がれた。
「ちょうど戻ってきたようだ」
一台の馬車の扉が開き、ヨナスが降りる。
彼はすぐ入り口へ振り返って手を伸ばし、続く女性魔導師のエスコートをしていた。
その後、グイードを目に留めると、足早にやってくる。
「ヨナス、花火は楽しかったかい?」
「ああ。思いきり使えたからな」
腰横の魔剣を軽く撫で、ヨナスがとても満足げに笑う。
めったにない表情に思わず見入っていると、軽く咳をされた。
「――マルチェラ、ご苦労だった。グイードの護衛は交代する」
「ヨナス、ダフネ副長のエスコートはもういいのかい?」
「先約の騎士がいらっしゃるそうだ」
「それは残念だったね。では、宿へ戻ろうか」
そのまま来たときに乗った馬車に向かい、足を進める。
この通りは国境警備隊と衛兵が規制してくれているが、それでも魔物討伐部隊を讃える声、周囲の宿の中からだろう、乾杯の声や歌声が時折響いてくる。
それを聞くともなしに耳にしていると、たしなめる声が混ざった。
「ベルニージ様、飲み過ぎですぞ!」
「何、たいしたことはない。ここからはグラート隊長と飲まねば!」
声のする方へ目を向ければ、ふらつくベルニージが仲間の騎士達に支えられていた。
その姿に、ヨナスがすかさず声をかける。
「お祖父様、隊の皆様にご迷惑をかけてはなりません」
「では、ヨナスも儂と飲め。肴も頼んであるぞ!」
「食事もですか……」
渋い表情のヨナスが、マルチェラに向く。
そして、一段声を低くした。
「マルチェラ、ダリヤ先生はこちらで人を出す。すまないが代わってくれ。またキャベツの酢漬けを出されてはかなわん」
「――はい」
ドラーツィ家で好まれるキャベツの酢漬け――あれはなかなかおいしいのだが、ヨナスは苦手としている。
炎龍の魔付きの特性なのだろう、『匂いだけでも昔の三倍酸っぱく感じる』と口をすぼめて言われた。
そこまでいくと、同じテーブルにつくだけでもきついだろう。
「お祖父様、私は護衛の任務がありますので。代わりに弟子のマルチェラをお連れください」
「仕事では仕方がないな。ではマルチェラ、付き合ってくれ」
「わかりました」
九頭大蛇戦の後だ。
マルチェラとしては、ベルニージがとことん飲みたいのはわかる。
本日はどこまでも付き合おう、そう思った。
グイード達とは、そこで馬車に乗り込んで別れる。
ベルニージと共にその場で見送ると、グラートとグリゼルダがやってきた。
「グリゼルダ、二次会は頼む。私は先輩に挨拶へ行ってくる」
「了解しました。どうぞ――お気を付けて」
途中で言葉を切った副隊長は、一礼して歩き出す。
向かう先は笑い声をあげる隊員達、そのまま共に二次会へ向かうらしい。
ベルニージと一緒にいた騎士達も、グリゼルダと共に行ってしまった。
馬車が何台か動いた中、王城魔導師のダフネがやってきた。
先程ヨナスにエスコートされた後、化粧直しへ向かったらしい。
その唇は艶やかな赤となっていた。
「グラート隊長、待たせたかい?」
「いや、私も来たばかりだ。ああ、ちょうど来たな――」
馬車の最後尾、緑馬の二頭立ての箱馬車が止まる。
御者台には二人、どちらも国境警備隊の騎士だ。
まるで皆が集まるのが決まっていたかのように、その箱馬車へ向かう。
マルチェラはベルニージに続いて乗り込むと、神官がエールを瓶から飲んでいた。
その足元にはすでに数本の空瓶と、屋台の串が皿に重なっている。
「エラルド殿も、宴に参加すればよかっただろうに」
「いえ、こちらの屋台もなかなかでしたよ」
どうやら、彼は馬車の中、一人で食事をしていたらしい。
神官らしからぬ有様だが、誰も咎める者はない。
そうして、馬車は夜の街を走り出した。
馬車の中、マルチェラは困惑を深めていた。
座席には自分とベルニージ、その横にグラート。向かいにダフネとエラルド。
つながりがまるでわからぬ顔ぶれの上、馬車がどこへ行くのかもわからない。
しばらくすると、馬車の揺れが少し大きくなった。
ガタガタという車輪の音に、カツカツと小石の跳ねる音が混じる。
疑問符が積み重なる自分へ、ベルニージが声をかける。
「マルチェラ、付き合わせてすまんな。ここからは夜の散歩だ。一緒に歩いても、馬車で待っていてもかまわん」
「いえ、お気遣いなく。その、夜の散歩、ですか?」
意外な言に聞き返すと、ベルニージはうなずいた。
「ああ。夜の森を歩こうかと思ってな。前回の九頭大蛇戦の跡地あたりだ」
一段低くなった声に、マルチェラは理解する。
どうやら自分が呼ばれたのは、偶然ではないらしい。
やがて馬車が止まったのは、森の中の細道だ。
自分達の馬車の後ろ、国境警備隊の馬車が一台続いてきた。
薄い月明かりで、足元がよく見えない。
馬車の横、魔導ランタンがいくつかかけられた。
そして、木のコップに入ったワインと、ハムサンドが渡された。
「皆、悪酔いせぬように、先にサンドイッチを食べて行こう。これは東ノ国のワサビという香辛料を入れたものだ。涙が出るほど辛いが、味はよいぞ」
これらを準備したのはベルニージであったらしい。言葉の後、すぐにハムサンドに齧り付いた。
それに続き、グラート達も口にする。
「辛っ!」
「少し入れすぎではないか? 目と鼻にくる……」
「ちょうどいいじゃないか。グラートはお子様舌かい?」
マルチェラも同じようにがぶりといき、鼻につうと走り抜ける辛さを味わった。
うまくはあるが、ちょっときつすぎる。
コップのワインでどうにか辛さを流したほどだ。
隣の馬車の横、国境警備隊の者達も辛さに声をあげたり、鼻をつまんだりと忙しい。
エラルド含め数人は、すでに涙目である。
「ワインとサンドイッチは多くあるからな。散策の終わった者から食べていてくれ」
ベルニージがそう言うと、国境警備隊の者達がそろって会釈をした。
サンドイッチ一つを食べ終えると、それぞれに魔導ランタンとタオルを巻いた赤ワインの瓶が渡される。
そこからは細道を徒歩で進む。
林を抜けたところ、高い木の柵で囲まれた広い草原があった。
「ここが、前の九頭大蛇戦跡の一つです。最後の戦いの場でした。長らく草木が生えませんで――四年前、ようやく立ち入りの許可が出ました」
白髪の国境警備隊員はそう言うと、柵の門扉の鍵を開ける。
その横、大小の花束がいくつも置かれていた。すでに先客があったらしい。
凹凸のある地面の上、草丈は短く、まばらな若木は膝丈ほどもない。
九頭大蛇戦の跡は長年かかって薄れ、ようやく自然に戻ろうとしていた。
門扉を全開にすると、誰ともなくグラートを見る。
魔物討伐部隊長である彼を最初に、そう考えているのだとマルチェラにもわかった。
だが、彼は門前に立ち、足を進めることはなかった。
「グラート隊長、胸を張って報告すればよい」
ベルニージの声に、グラートは首を横に振る。
「私は――ここの土が、踏めません」
振り絞った声にはっとする。
九頭大蛇の毒に溶けた隊員も多くいた。
自分の父、ベルナルディもその一人だ。
「じゃあ、グラートはここの門番もかねておくれ。皆で回ってくるよ」
「ああ。私はここから先輩方に報告するとしよう」
声をかけたダフネを一番手に、それぞれが草原へと入っていく。
グラートは自分達を見送るように、門の前に立ち続けていた。
「場所がわからないから、この辺りでいいか」
不意に足を止めたダフネが、靴の爪先で、そして踵で、地面を強く蹴り出した。
二度、三度、四度、泥で靴と裾が汚れるのもかまわぬその姿に、国境警備隊の騎士が声をかける。
「失礼ながら、よろしければ自分達が掘りますので――」
「ああ、心配しなくていいよ。もうこれで充分。うちのも九頭大蛇の毒で溶けたから、土に染み込んでるだろう。少し削ってやらないと、酒を草に横取りされてかわいそうかと思ってね」
あっけらかんと答えたダフネは、土の抉れたそこへ、ワインをだばりと注ぎ入れた。
そうして、その前に腰を下ろす。
自分の前を歩くベルニージは、そのまま歩みを進めている。
足を止めかけていたマルチェラは、慌ててその後へ続いた。
いつの間にか魔導ランタンの光が遠くなり、皆がばらばらの方向へ行っているのがわかった。
魔導ランタンを地面に置き、己も座って酒を飲む者、誰かに話しかける者、歌声を響かせる者、そして嘆く者――
風に流れきらぬその音は、耳ににじむように聞こえる。
ふと、視界の端、白い神官服が見えた。
ひどく不規則な歩みで、エラルドが進む。よほど酔っているらしい。
「ベルニージ様、あの、エラルド様が――」
足元が危ういようだが大丈夫だろうか、そう尋ねようとしたとき、エラルドの魔導ランタンが光を消した。
くずおれるように両膝を地面にした彼が、その右手で持った瓶を地面に叩きつける。
血のように広がったワインが、地面をかきむしるように突き立てられた爪が、薄い月明かりで見えた。
「うああぁ……!」
喉を裂くような慟哭が上がる。
けれど、何一つ言えることはなく、振り切るようにベルニージの後を追った。
皆、ここに誰かに会いに来ている――
そう思いながら歩みを進め、草原の奥、平たい黒岩の前に立つ。
「皆、本当に頑張ったのう。九頭大蛇と戦って、よくわかったわ」
ベルニージは膝をつき、岩にワインをかけた後、瓶に口をつける。
マルチェラは何も言わず、彼と同じことをした。
「ベルナルディ、勝ったぞ。儂が七の首を取ったのは見たか? 儂は当分そちらにはいけんでな、可愛い孫と曾孫の話と、魔物討伐部隊の話をたっぷり持っていくから、待っていてくれ……」
岩を墓石に見立てたよう、細い声で話すその背は、いつもよりとても小さく見えた。
酒瓶に巻いていたタオルを顔に当て、老人は肩を震わせ始める。
騎士は葬儀以外で泣いてはならない、そんな教えがある。
この涙は、ワサビの入ったサンドイッチが辛かっただけ。
そんな理由付けをしなければ、涙を流すことも許されないのを、不自由と思うべきか、それとも意地と表すべきか、自分にはわからない。
マルチェラは無言のまま、夜の草原を振り返った。
遠く、いくつもの魔導ランタンが小さな灯りを揺らめかせているのが見える。
今日ここに来た者達は、おそらく身内や親しい者を亡くしたのだろう。
向かった先、思い思いに死者を悼んでいるのだろう。
自分はここに来た者たちの中で、最も心が揺れぬ者かもしれない。
嘆きや悲しさは遠く、父の死の実感は薄い。
実の父母は顔も知らず、今の父母との絆は強い。
それでも、九頭大蛇を思い出す度、この背は冷える。
あんな化け物と命懸けで戦い、背の民を守った男の息子であることを、内で誇りたい。
黒革の手袋をきつく握りしめ、マルチェラはベルニージの横で膝をつく。
「父上――やっぱりらしくないな……父さん、俺は、あなたに会ったことはありません。でも、戦い抜いたあなたを誇りに思います。俺は、家族を守るので精一杯ですが――それでも、頑張ります」
剣もろくに使えず、礼儀作法もひどいものだが、自分は父と同じ騎士となった。
だからこれは祈りではなく、誓いだ。
隣から皺の深い手が伸び、自分の肩に置かれた。
その震えが完全に止まるまで、マルチェラはその場で岩を見つめ続けた。
「……これからは、九頭大蛇で泣く者は、もういなくなるだろうな」
「はい、そうなると思います」
ようやく立ち上がると、ちょっと膝が痺れていた。
ベルニージも同じだったらしい。わずかなよろけをすぐに支え止め、マルチェラは岩を見つめ直す。
魔物討伐部隊は、九頭大蛇に勝った。
けれど、魔物と戦うのは、どれだけ大変なことだろうか。そして、 どれだけ凄いことだろうか。
目の前で戦いを見たせいか、魔物討伐部隊がとてもまぶしい。
そして、今着ている騎士服が、手にしている黒革の手袋が、とても重く感じられた。
「マルチェラ、魔物討伐部隊員になろうなどと思うなよ」
「――いえ、そんな大それたことは考えておりません」
マルチェラは首を横に振る。
非力な自分が魔物討伐部隊員になれるなどとは思わない。
ただ憧れに似たものを少し感じたのは確かだ。
それは九頭大蛇戦を見たからなのか、自分に流れる血のせいかはわからないが。
「マルチェラ、お前は、お前の守りたい者を守れ」
強い声が、真横から響く。
彼は赤茶の目で、まっすぐ自分を見つめていた。
「ベルニージ様……」
「他人行儀過ぎて、さみしいのう。そろそろこの爺を、『師匠』とは呼んでくれんか? 『爺さん』でもかまわんぞ。マルチェラに『様』付けで呼ばれると、どうも落ち着かぬ」
言葉は冗談を含んでいるのに、声が少しだけ平らだ。
ここで二人、他とはそれなりに距離がある。
マルチェラは、ゆっくりと息を吸った。
「『爺さん』」
「うむ、なかなかよいな……」
「こう呼ぶとお年に聞こえますので、『師匠』と呼ばせてください……」
懇願するように言い換えると、祖父は笑ってうなずいた。
そこからは二人で来た道を戻っていく。
他の者達も戻り始めているらしい。魔導ランタンの灯りが動いていくのが見える。
「――そろそろ戻らぬか、ダフネ殿?」
道の途中、ベルニージが声をかける。
朱の髪の魔導師が、足元の穴に酒瓶を逆さに向けていた。
すでに中身は空。ぽたりぽたりとこぼれているのは、もう酒ではなかった。
「足りぬなら、ワインとワサビサンドイッチの追加を持って来よう」
「いいや、もう充分だよ。本当に――辛いねぇ」
かすれた声のダフネは、タオルを顔に当て、呼吸を整える。
ベルニージがゆっくりと歩み寄り、彼女へ声を続けた。
「ダフネ殿、ワサビの辛さで前が見づらかろう。この老体でよろしければ、胸でも腕でもお貸しする。なんなら、こちらの若い弟子でもかまわんぞ」
マルチェラはぎょっとする。
いきなり自分にふらないで頂きたい。どうしていいかまるでわからない。
「なかなか魅力的なお誘いだけど、やめておくよ。『前』がついても、夫が眠る場所だ。化けて出られても困るからね」
ダフネは魔導ランタンを持ち上げると、少し腫れた目を細め、自分達に笑って見せた。
そうして、手を借りることもなく歩き出した。
馬車まで戻ると、グラートが国境警備隊の騎士とワインを酌み交わしていた。
マルチェラ達も勧められ、ワインと、ワサビの入ったサンドイッチを再び手にする。
「カラシより、ワサビの方が目にくるな……」
「ワインが足りないんだよ、きっと。ああ、マルチェラといったね、この中じゃ一番若いんだ。遠慮なく飲んだ飲んだ」
「い、頂きます」
「ついでに儂にもくれ」
そろってワサビの効いたサンドイッチを食べ、目をこすり、鼻を啜って酒を飲む。
そうして、戻って来る者達を待った。
月が傾き、最後に馬車に戻ってきたのは、神官服を泥まみれにしたエラルドだった。
手にしたタオルは赤黒く、その爪の中も泥を残している。
「エラルド、ワサビサンドの追加はどうだ?」
「いえ、私は充分頂きました」
グラートに問われたエラルドは、いつもの声で答える。
あれほど泣いていたように見えたのに、目の赤さも腫れもない。
ただ、一番すっきりとした顔をしていた。
「皆様はどうぞお召し上がりください。ワサビに負けた目の腫れは、私が治療致しましょう」




