434.九頭大蛇戦祝勝祭と屋台
本日で5周年となりました。応援に心より感謝申し上げます!
公式Twitter開設、コンビニプリント追加を活動報告(2023.4.1)でお知らせしています。
どうぞよろしくお願いします。
遠く歓声が木霊のように響いてくる。
おそらく魔物討伐部隊のパレードが通っているところだろう。
「……もうちょっと、伸ばしておけばよかった」
「ヴォルフ、髪はそう引っ張るものではない。抜ける」
宿を出ると、ヴォルフが前髪を引っ張って下ろし、目をできるだけ隠そうとしている。
魔羊捕獲の任務では妖精結晶の眼鏡を付けないので、遠征に持って来なかったのだ。
かといって、今日ここでフード付きマントを着れば完全に不審者である。
周囲にそんな姿は一人もいない、衛兵に声をかけられてしまうだろう。
「ちょうどいいじゃん。ヴォルフがダリヤさんにくっついてれば安全だろ?」
「え? なんで?」
「二人でいればナンパされないし、ヴォルフがいればスリやひったくりにもあわない。あと、お前は背が高いから、はぐれても俺達がすぐ見つけられる。混み合ったら、ダリヤさんの背丈だとわからなくなるぜ」
「あ、確かに……」
ドリノにも迷子と安全を心配されてしまった。
しかし、ヴォルフほどの背丈があれば、人混みでもわかりやすい。
こうして、ランドルフとドリノ、ヴォルフとダリヤの二組状態で進むことになった。
通りを一つ抜けると、道幅が広くなる。そこには点々と屋台が並んでいた。
人々は楽しげに行き来し、あちこちで笑い声が響いている。
王都の屋台と違い、店の高さも幅もばらばらだ。
ただ、どの屋台も、横に小型魔導ランタンがかけられており、その下に赤い布が垂らされている。
赤い布が開店中の合図なのだと、ランドルフが教えてくれた。
最初に向かったのは、先程の宣言通り、蜂蜜飴の屋台だった。
木の棒の先、球体が刺さったような形で売られるそれは、琥珀色から茶、濃茶――どれも元の蜂蜜の色だそうだ。
「最初はこの蜂蜜飴だ。酒を飲む前に舐めておくと、悪酔いしづらいと言われている」
「ちゃんと理由があるんだ。俺はてっきりランドルフが熊だからだとばかり」
「熊ではない」
真顔で答えたランドルフが飴を、その隣の屋台でヴォルフがエールを購入する。
男爵になったお祝いだからと言われ、財布を閉じて受け取った。
飴を舐めると、口内にくせのない甘さが広がる。見た目よりやわらかで、半固形という感じだ。
「蜂蜜飴って、きつい甘さじゃないんだね」
「蜂蜜は集める花によって味が違う。これはリンゴの花だろう」
男性達はばくりと噛みつき、すぐに食べ終えていた。
飴の食べ方としてはどうなのか、ダリヤはそう思いつつも、彼らと共に木のコップを持って乾杯する。
王都と違い、エールはぬるい。蜂蜜飴の後だと、そのほろ苦さと味わいがよりしっかりわかった。
「魔物討伐部隊に乾杯!」
「魔物討伐部隊に感謝!」
道端の声高い乾杯に、四人ともつい目がいってしまう。
「九頭大蛇って、山のように大きかったんだってな!」
「ああ! 魔法も強くて、大風の魔法で遠くに飛ばされた隊員がいたとか」
「俺も聞いた! 木々をなぎ倒し、川のように毒を吐く九頭大蛇に、隊員達は身を溶かしながら戦ったって」
自分が到着する前に、もしやそんなことがあったのか、思わずヴォルフを見ると、首を横に振られた。
「なんか話が育ってないか?」
「武勇伝というのは、おそらくそういうものだろう」
前の二人も微妙な表情でささやきあっている。
けれど、立ち止まることはなく、周りに合わせるように道を進んだ。
「九頭大蛇飴……?」
人が並んでいるのは、先程の蜂蜜飴の屋台とは別の飴の屋台。
その横には黒地に白字で『九頭大蛇飴』の文字があった。
「九頭大蛇の素材って出回ってないですよね? 絵付きでしょうか?」
「型抜きじゃないかな?」
話していると、買い終えた客達が隣を過ぎる。
その手元には九頭大蛇飴――黒い飴をひょろ長い蛇のように伸ばしたもので、頭側が細く九つに分け切られていた。
胴はわずかに太め、そこに付け足されたらしい足は糸のように細く、尻尾はくるりとカールしている。
実物がわからないので、『黒い蛇のよう、首九つ』のイメージで制作されたのだろう。
「そうじゃねえ……あー俺が見たままに完全成形してきてぇ……」
飾り切りがとても得意だと聞くドリノが、ぼそぼそとこぼす。
それはそれで怖くて食べづらい飴になりそうだ。
「あ! あっちには九頭大蛇焼きがあるよ。あそこ、赤い看板を出してる」
「きっと、細長いパンに足を付けたとかだろ?」
赤い看板の出ている屋台には人が並んでいたが、行列の流れは比較的速い。
この際だと、皆で行ってみることにした。
「さあ、買った買った! おいしい九頭大蛇焼きだよ!」
まさか、九頭大蛇の肉が屋台で売られていることはないだろう。
香りも、ドリノの言うようにパンのようだ――そう考えていると、小さめのパンケーキのようなものが多く並んでいるのが見えてきた。
それに対し、店員が火の魔石をつけた焼き印で、じゅうじゅうと印を付けている。
九つの蛇の頭に丸い胴体、ちまりとした足、短い尻尾。
なんともかわいらしい九頭大蛇が描かれていた。
実際の九頭大蛇とはまったく違うシルエットだが、これはこれでいい気がする。
一瞬、地に並ぶ九つの首が脳裏に浮かんだが、全力で振り切った。
しかし、九頭大蛇戦からわずか数日で焼き印を作っての九頭大蛇焼き――
職人は仕事が早い。そして、商人はたくましい。
九頭大蛇焼きの中身は、カスタードとチーズの二種だという。
ダリヤとランドルフはカスタードを、ヴォルフとドリノはチーズを選ぶ。
屋台の横、細い木のベンチに座って食べることにした。
ベンチのある場の近くは、酒を売っている屋台が多い。二度目の乾杯は黒エールとなった。
九頭大蛇焼きのカスタードは、量は少なめだが、甘さがしっかりしている。
何より、パンケーキ部分はバターのよい風味がして、ふんわりとおいしい。
それを味わっていると、先程、焼き印を押していた店員がやってきた。
水分補給なのだろう。汗を拭き、隣の屋台で買った炭酸水を飲む。
ベンチの自分達を見ると、軽く頭を下げられた。
「お買い上げありがとうございます。うちの九頭大蛇焼きはどうですか?」
「おいしいです。チーズに黒コショウが入っているのがいいですね」
「ええ。酒の肴にもなるようにと思いまして。救って頂いたお礼に、魔物討伐部隊の方に食べてもらいたかったんですが、宿で差し入れはできないと言われてしまい、売る量が倍になりました」
今、魔物討伐部隊が目の前で食べています――そう言うに言えない。
ダリヤは九頭大蛇焼きを丁寧に噛みしめる。
「まあ、そうたいしたもんじゃないんですが」
「いえ、とてもおいしいです」
自分の隣、まっすぐな声が響いた。
金の目を店員に向け、ヴォルフがやわらかに微笑む。
「すごくうまいです!」
「おいしく頂いております」
ドリノとランドルフもそれに続く。
「え……?」
ヴォルフ、ドリノ、ランドルフ、鍛え上げた体躯の彼らを順番に見た店員が、はっとした表情になる。
慌てたように周囲を見渡したが、その後に尋ねることはなく――
「お買い上げ、まことにありがとうございました……!」
店員の思いきりの笑顔に、四人そろって笑み返した。
九頭大蛇焼きを食べ終えると、再び皆で歩き出す。
不意に歩調をゆるめたヴォルフが、辺りを見渡した。
「俺、やっぱり年をとったのかもしれない……」
年齢を経ると油物が辛くなるという、もしやその心配か。
ヴォルフの年代的にはまだないと思うのだが、胃薬を渡した方がいいだろうか――ダリヤは心配で聞き返してしまう。
「え、ヴォルフ、どうかしました? 胸焼けとかですか?」
「いや、女性に全然声をかけられないし、付いてこられることもないし。何というか、まとわりつく感じの視線がないから」
彼ならではの言葉に、そういえばと思い返す。
ちらちらとヴォルフを見る者や、かっこいいという声は聞こえたが、後ろのランドルフ達もそれなりに視線を集めていた。
何より、王都のように、隣のダリヤが『釣り合っていない』という言葉を一度も聞いていない。
「そういうことでしたか。もしかして、こちらでは王都と美青年の基準が少し違うんでしょうか?」
ヴォルフのように整った顔立ちではなく、筋肉多めが優先されるとか、日焼けしている方がかっこいいとか、地域的にもてる方向差があるのかもしれない。
「これなら俺、こっちに住んだ方がいいかもしれない……」
「ヴォルフ、おかしなこと言い出したけど、お前、今、『素』だからじゃね?」
「『素』?」
「今までずっと人に対してこう、構えてたろ? 今はダリヤさんの隣で、素で抜けてる感じだから、普通の兄ちゃんだってわかるのかもしれないってこと」
「なるほど、ドリノの言うことも一理ある。一匹でいると稀少な闇狼に見えていたが、飼い主の横だと、ただの夜犬とわかるということだな」
よくわからない喩えである。
けれど、確かにヴォルフの雰囲気は以前よりもやわらかになった。
ただ、声をかけやすくなって、かえってもてそうな気もするのだが。
「『素』か……確かに、避けたいって思ってるときほど大変だったような気がする……」
「――それなら、ヴォルフはそのうち、妖精結晶の眼鏡がいらなくなるかもしれませんね」
自分が作った魔導具が、友人にとって必要なくなるかもしれない。
ただそれだけのことなのに、なぜか胸がざわついた。
「代わりにダリヤさんが隣に要るけどな」
「いや、あの眼鏡はずっと要るよ。俺の宝物なんだ」
ドリノとヴォルフの声が同時に響く。
ダリヤは歩みを止め、笑ってしまった。
通りは長く、左右の屋台はそれなりに数が多い。
肉や海鮮の焼き串、小さな丸いパンを揚げて蜂蜜をかけたもの、野菜とシーフードを細かく刻み、小麦と合わせて焦げ目がつくくらいに焼いた煎餅のようなもの、いろいろな果物酒――
王都では見ないメニューも多くあり、ひたすらおいしく食べ歩いた。
「ここからは戻りでよいだろうか?」
満腹感に浸っていると、ランドルフにそう尋ねられる。
三人共に了承した。
「さて、宿に戻ったら土産を考えないと!」
明日はこの街での最終日。午後はお土産を探しに行く予定だ。
商会を任せているイヴァーノとメーナ、イルマとルチアとイデアにはしっかり買って帰りたい。
王城で待機中の魔物討伐部隊員と魔導具制作部に対しては、菓子折的なものはあった方がいいのかで悩んでいるが、これはヴォルフ達に相談する方がいいだろう。
「お土産は一人トランク一杯までか……ファビオラにいろいろ買いたいものがあるのになー」
馬車移動の関係上、お土産の量は規定のトランク一つまでと説明されている。
これもまた悩む理由の一つである。
「ドリノ、トランク二杯までならいい。自分は要らぬ」
「ありがとうって言いたいところだけど駄目だ。お前も蜂蜜含め、しっかり買え――ん?」
話の途中、ドリノがくんくんと鼻を動かした。
「なんか不思議にうまそうな匂いがする。デザートにあの串焼き買ってくるから、道なりに行っててくれ」
近くの屋台に向かったドリノは、言葉通り、購入してすぐ追いついてきた。
四本の串をそれぞれに渡すと、最初に齧り付く。
「あまじょっぱくて、うまっ!」
小さな四角に切られた肉はしっかり焦げ目がついている。
一口囓ると、甘酸っぱいオレンジとわずかな苦みの混じる味がした。これは確かにデザートっぽい。
「これ、マーマレードでしょうか?」
「ああ、そうだと思う。ランドルフが好きそうだね」
「あ、これ羊肉だ!」
「……羊……」
ランドルフは開きかけた口を閉じ、そのまま串を見つめる。
「ランドルフ、よせ、それは俺が食う。ヴォルフ、勧めるなよ。こいつ、愛しのフランちゃんを思い出しているから」
「いや、自分はフランドフランの毛刈りが途中だと思い出しただけで……」
その赤茶の目が泳ぐ。
彼にとって、三課のあの魔羊は、かわいがっているペットの感覚かもしれない。
ここで羊肉を勧めるのは酷だろう。
「ランドルフ様、じゃなかった、ランドルフさん、その屋台に蜜リンゴ酒がありますから、そちらはどうでしょう?」
「ありがとう、ダリヤ嬢。そうすることにする」
ランドルフにほっとしたように笑まれた。
「ランドルフ、『さん』?」
自分の隣、ヴォルフが怪訝そうな表情をする。
呼び方が変わったのが不思議だったらしい。
「ダリヤ嬢は男爵と成られた。無爵で家を出ている自分が、様付けで呼ばれるわけにはいかない」
「そういうものなのか……」
「ヴォルフはずっと呼び捨てだろうに――ああ、人が増えてきたな」
ランドルフの言う通り、夕闇の通りに人波が厚くなってきた。
今日も仕事のあった人々が祭に参加し始めたのだろう。
笑い声がさざめき、酔った声が交差し始める。
時間を区切られてはいない祭は、ここからが本番かもしれない。
「ここからは混雑しそうだな。はぐれないようにしないと!」
ドリノがそう言いながら、ランドルフに大きめの木のコップを渡す。
話している間に、横の屋台で蜜リンゴ酒を買ってきてくれたらしい。
礼を言って受け取ったランドルフは、それをごくごくと喉に流した。
「ヴォルフ、ダリヤ嬢の手を取って離すな――はぐれたくない相手の手を離すと、後悔するぞ」
「ああ――」
ランドルフには、はぐれるのをとても心配されているようだ。
ダリヤはちょっとだけ気合いを入れ、ヴォルフと手をつなぐ。
そうして、皆で宿へ向かって歩き始めた。