432.九頭大蛇戦祝勝祭準備
「うわぁ……」
二階の窓から見えるのは、人、人、人。
宿の前、老若男女が道を埋めんばかりにいる。
「ありがとうございましたーっ!」
「感謝申し上げます!」
「オルディネ王国、魔物討伐部隊に栄えあれ!」
魔物討伐部隊へ感謝を告げる歓声が、人々から切れ間なく上がっている。
廊下を過ぎる隊員達は、窓からなるべく離れたり、身をかがめて移動していた。
九頭大蛇戦祝勝祭のため、午後からは街に人が多くなっていた。
ここが魔物討伐部隊の宿と口伝えに広がり、お礼を言いたい、一目見たいという者が集まったらしい。
宿に入られたり、トラブルになったりしないよう、衛兵の他、国境警備隊が警備に回ってくれている。
「ありがたいことだが、これでは祭への参加は難しそうだな」
「時間をおかないと厳しいでしょう」
グラートが苦笑しつつ言うと、グリゼルダが同意した。
ここは宿二階の広間。隊員のほとんどが騎士服でテーブルにつきつつある。
騎士服のダリヤも、グリゼルダの勧めに従い、その隣に座った。
この時間から隊員の多くが貸し服に着替え、街に出かける予定だった。
しかし、外の様子を見る限り、こっそり出るのは難しそうだ。
「グラート隊長、グッドウィン伯爵より通達が参りました! ご確認の上、御返事をお願い致します」
国境警備隊員がグラートに歩みより、手紙を手渡す。
それに目を通したグラートは、浅くうなずきを返した。
「了承した。お気遣いに感謝するとお伝え頂きたい」
「承りました!」
国境警備隊員は一礼し、足早に出て行く。
グラートは立ち上がると、隊員達へ向いた。
「魔物討伐部隊の勇姿を見ないと祝勝祭が始められぬそうだ。これから希望隊員で馬車と騎馬で街を一周する。その後は、他の宿で酒宴の予定だ」
確かに魔物討伐部隊の勇姿を見たいという人々の気持ちもわかる。
ダリヤが納得していると、隊長は声を続けた。
「酒宴で『華やかな接待』を受けたり、いろいろと声がかかるかと思うが、節度は守れ」
「「はい!」」
隊員達の声がちょっと跳ねた。
華やかな接待とは貴族用語だったろうか? 思い出そうとしている自分の向かい、感嘆の声が響いた。
「あのグラートが、節度と……!」
「時は流れましたな……」
「ああ、ジスモンド殿にお伝えしたい!」
目を押さえる真似をするベルニージに対し、目を閉じてうなずくレオンツィオ。
ゴッフレードにいたっては、突っ伏し、テーブルをべしべし叩いている。
「そこ、無駄口を叩くな」
過去を振り返る大先輩方を叱るグラートの声は、やや小さい。
ベルニージ達はすぐ口を閉じたが、隊員達に微妙な笑みが伝染していく。
ダリヤはそっと視線を壁に寄せた。
「ダリヤ先生も参加なさいませんか? 接待の酌華は男女共におりますし、話題の豊富な者も多いかと思います」
グリゼルダの提案でようやく思い出した。
華やかな接待とは、接待に酌華がつく飲み会のことだ。
華やかで話題の豊富な男女に酒を注いでもらうのも悪くはないが、自分は緊張して楽しめない気がする。
「いえ、私は宿に残りたいと思います」
幸い、ザナルディにもらった黒革ケースの製図セットもある。
部屋で今後の開発魔導具を考えるのもいいかもしれない。
「では、参加する者は準備にかかれ」
「服装は崩さないでください。髭は整えるか剃るように」
「ああ、宿に残る者は人が引いてからなら出てかまわん。ただし、安全には充分気をつけろ」
隊長と副隊長の声に従い、多くの隊員が立ち上がり、準備に向かう。
「人生一度の華やかな日!」
「おい、王都に凱旋するのを忘れるな」
「あの人の中を行くわけか。髭、剃り直すか……」
浮かれた笑顔もあれば、ちょっとだけ緊張気味の声もある。
そんな中、ダリヤの元へ黒髪の青年がやってきた。
「ヴォルフは――」
名前を呼んだ時点で、彼はふるふると首を横に振る。
まだ尋ねていないのだが、行かないのがよくわかった。
その後ろ、こちらに来ようとするドリノの肩を、赤鎧の先輩騎士がつかむ。
「ドリノ、ちやほやされる貴重な機会だぞ、行かないか?」
「いえ、俺は妻にちやほやされたいので!」
「くっ! お前の分も、ちやほやされてきてやる!」
先輩騎士はドリノの背中を思い切り叩いた後、笑いながら歩き去って行った。
「ランドルフは参加しませんか?」
続いてやってきたランドルフに、グリゼルダが声をかける。
「――申し訳ありません。この街で兄より顔と名が通るのは控えたく」
一拍遅れた声は、どこか平坦に響いた。
グリゼルダは了承の言葉を返すと、そのまま部屋を出て行った。
ここは国境に一番近い街であり、グッドウィン伯爵家――ランドルフの実家が治める地域でもある。
兄より目立たぬように配慮する姿に、彼もまた貴族なのだと感じた。
「宿にしばらくいたら人もひくだろ。貸し服に着替えて、通りの屋台でも回ろうぜ」
「この街の屋台は王都とはまた違う味わいだ。ぜひ皆に試してほしい」
「楽しみだね。ダリヤ、一緒に行こう」
ダリヤは三人の声に笑顔で応え、少し時間を空けて、外へ出ることに決めた。
出かける前には騎士服から貸し服に着替えなくてはいけない。
ヴォルフを護衛に四階へ上がろうとすると、踊り場に銀髪の主が見えた。
「グイード兄上!」
呼ばれた彼が青い視線を返す。
グイードの後ろには、マルチェラも続いていた。
「ヴォルフ、ダリヤ先生、これから街でのパレードかい?」
「いえ、我々は宿に残ろうかと。人がひいたら、宿の近くを散策する予定です」
「そうか。ダリヤ先生、ヴォルフに護衛をさせるから、マルチェラをこのまま私の護衛に借りられないかい?」
「ええと、マルチェラ……」
ダリヤはマルチェラに対し、命令できる立場ではあるのだが、したくない思いもある。
あと、危ない目にもあってほしくない。
つい迷って声をかけてしまった。
「問題ありません。グイード様の護衛としては力足らずかと思いますが」
「ああ、危ないことはないよ、部下達も一緒だから。私もこれから着替えてパレードに参加するんだが、騎士がいないとしまらないと言われてね」
グイードには見透かされていた。
それにしても、彼も街を回るのであれば、騎士役はヨナスが最適だろう。
しかし、その姿は見えない。
自分と同じ疑問を持ったらしいヴォルフが、兄に問いかける。
「兄上、ヨナス先生は九頭大蛇の警備をなさっているのでしょうか?」
「いや、ヨナスはダフネ副長のご指名でエスコートに行っている。夜まで帰さないそうだ」
ダフネは公爵家出身の女性である。
馬車の乗り降りなどのエスコートはもちろん、護衛騎士が必要なのだろう。
「九頭大蛇の警備も問題ないよ。ストルキオス殿下が夜番をしてくださるそうでね」
「殿下が夜番……まだ解体を続けていらっしゃるのですか?」
「ああ、明日までに大体の区切りをつけたいそうだ。王が近衛の魔導師を手伝いによこしてくださったから、大丈夫だろう。九頭大蛇はもちろん、野生のワイバーンが来ても簡単に輪切りにできる」
戦力的に十二分らしい。盗人が来た場合も輪切りになりそうだが。
「さて、時間も押しているから、カフスを家の物に替えてこなくては。今日は馬車で手を振るのが仕事だからね」
「兄上、お気を付けて」
「ああ、ヴォルフも――ここは王都ではないのだから、ダリヤ先生をきちんと守り、目を離さないように」
「はい!」
子供ではないので迷子にはなりません、そう言いたくなったが口は閉じておく。
王都とまるで違うこの街、地図がないと路地一つ向こうでも混乱しそうだ。
「それにしても、華やかな接待を受けるのは久しぶりだ。マルチェラも一緒だし、家の薔薇より美しい花などないけれどね」
「兄上……」
「グイード様……」
己の妻、ローザリアについての優雅な惚気である。
ダリヤはヴォルフと共に笑ってしまった。
そんな自分達に向かい、グイードは唇の前、人差し指を立てる。
自分達にしか聞こえぬささやきが、そっと落とされた。
「だが、妻には内緒にしておくれ――お土産ごと凍りたくはないんだ」
ふるり、その後ろの騎士が、無言で身体を震わせた。