431.第二王子と魔導具師
ダリヤはザナルディの言葉に頭を下げ、ありがとうございます、と言うだけが精一杯だった。
オルディネ大公からのあの言葉は、男爵としてとても名誉なことだ。
けれど、一番強く感じたのは安堵だった。
九頭大蛇戦での自分の役目を無事終えられた――そう、心から思えた。
思いを噛みしめつつ九頭大蛇戦跡地へ戻ったところ、グラートと共に呼ばれた。
ストルキオス殿下からのお声がけだという。
しかし、辺りを見渡してもそれらしいお姿はない。
呼びに来た騎士には九頭大蛇の胴体――黒い小山へと案内された。
斬った首には防水布が巻かれ、きっちりと縄が掛けられている。
凍らせていても、やはり生臭さと血の匂いが漂っていた。
ダリヤが見るのは背側、反対側の腹側から解体中らしく、ありがたいことに中身は見えない。
しかし、怖い。
胴体から一定の距離を置いて止まると、グラートが左手を挙げてダリヤを止め、無言で斜め前に立ってくれた。
心からありがたかった。
「ダリヤ先生、私も同席するよ」
グイードが少しだけ息を上げてやってきた。
彼はダリヤの貴族後見人である。殿下と会う際に失礼があってはならないので、来てくれたのだろう。
充分に気をつけるつもりだが、すでに王のご尊顔に引っかき傷をつけるという罪を犯しているので、彼には心配されているに違いない。
「ありがとうございます」
小さくそう言うと、グイードは半分だけ振り返ってうなずいてくれた。
が、なんとなく違和感を覚える。
いつものグイードとどこか違うような――そこで気づいた。
いつも一緒にいるヨナスがいない。
視線をずらすと、ヨナスは他の騎士達と共に、九頭大蛇の尻尾を持ち上げ、固定していた。
ヴォルフがそれをざっくりと斬り、馬車に積める大きさにしている。
そこで思い出す。
ストルキオスはヨナスを腑分けしたがって――訂正、魔付きの身体に学術的興味を持たれている。
グイードにしてみれば、絶対に距離を取らせておきたいだろう。
小山の手前、護衛のためか、白い鎧の騎士と魔導師であるダフネが立つ。
そうして、案内役の騎士が声高く伝えた。
「ストルキオス殿下、バルトローネ隊長、ロセッティ男爵がお見えになりました!」
「今、行きます」
少し遠い声が響く。
おそらくストルキオスは裏側にいるのだろう。
迂回してくるであろうことを見越し、皆に合わせて視線を下げて待つ。
「ああっ!」
騎士の悲鳴に似た叫びに、咄嗟に全員が顔を上げた。
九頭大蛇の切れ目から、ぬるりと出てきた者――血まみれでわからないが、鎧をつけているようなので、たぶん騎士だ。
解体を手伝っていて、たまたまそこから出てしまったのだろう、そう思ったとき、彼は自分達の前に音もなく降り立った。
「ご婦人の前でこれは失礼を――浮遊水」
ぶわりとした魔力の揺れと共に、空中に大きな水球が現れる。
騎士はそれに頭から突っ込んでいくと、身体の血を流し落とした。
汚れた水球が地面にびしゃりと落ちると同時、白い騎士服の男性が大きなタオルを捧げ渡す。そして、もう一枚で背側の水を拭き取っていた。
白い鎧の騎士は、顔と髪をざっと拭くと、長めの前髪をかき上げる。
そこに現れたのは、甘さのあるとても整った顔立ち。長身痩躯で少しだけ癖のある艶やかな金髪、白磁の肌に鮮やかな青い目――白馬の王子様の完全見本だった。
周囲の視線が一気に集まっていくのもよくわかる。
もっとも、比べればヴォルフの方がかっこいいが。
彼をよく見ているダリヤとしては、きれいな画ぐらいの感覚だった。
それよりもさっきの血まみれの姿の方が心に残っている。
というか、心臓に悪くて忘れられそうにない。
思い返せば、ヴォルフと最初に出会ったときも血まみれだった。
今世、絶世の美青年は血まみれで登場しなければいけない、そんな決まりでもあるのかと問いたい。
「バルトローネ隊長、この度の九頭大蛇戦、見事な采配でした」
「お言葉をありがとうございます。ストルキオス殿下のお力添えあってのことです」
「スカルファロット侯、引き続き凍結の手間をかけます」
「どうぞご存分にお使いください」
ダリヤの前の二人がそれぞれに言葉を返す。
鮮やかな青の視線は、次に後ろの自分へ向いた。
「ロセッティ男爵――ザナルディ大公への助力、ご苦労でした」
「お言葉に感謝申し上げます」
目線は下げたまま、失礼にならない鉄板の答えを返す。
正直、緊張で視線を合わせたくない。
しかし、なぜかカツカツと靴音が近づいてきて――目線を上げると、グイードとグラートの間、すぐそこにストルキオスが立っていた。
「今回、あなたのような清き人に出会えたことに、心からの感謝を――」
そう言うと、完璧な王子スマイルを向けられた。
後ろの方にいた女性騎士か魔導師が、きゃっと声をあげる。
騎士達の、あ、とも、わ、ともつかぬ微妙な声も聞こえた。
確かに破壊力がある美しさだ。でも、ヴォルフほどではない。
それに、ダリヤはきちんと理解していた。
王族は貴族の頂点である。ストルキオス殿下も、初対面の貴族女性に対して褒めなくてはいけない、そのマナーを守っておられるのだろう。
ダリヤは美しいとは言い難いので、こう、爽やかにたとえての、清き人なのかもしれない。
この場合、妥当な気がする。
「過分なお言葉をありがとうございます」
鉄板の答え、その二。
ガブリエラに紹介された礼儀作法の先生から、汎用の鉄板を教わっておいて、本当によかった。
それにしても、なぜか辺りが静かである。
王子に見とれている者が多いのかもしれない。
「ところで、九頭大蛇の首は、森大蛇に似ているように思いますが、バルトローネ隊長はどう思いますか?」
「蛇型魔物として共通点が多いのではないかと。動きは九頭大蛇の方が速いので、身体強化の魔法が強いと思われます」
「なるほど、身体強化の魔法。蛇型魔物は低温に弱いことが多いようですが、スカルファロット侯としてはどうでした?」
「私が凍らせたのは首なしの死体です。惰性で進んでいたのを止めただけですので、比較はできかねます」
グイードのあの強力な魔法を見たダリヤとしては、九頭大蛇が生きていても氷の柱で串刺しにしていたような気もするが、言えることではない。
「ロセッティ男爵、蛇型魔物は素材として、どのように使うことが多いでしょうか?」
「はい――皮が盾や鎧などの防具の強化に、牙がある場合は武具の強化に使用されることが多いと伺っております。皮の強度によりますが、鞄やマントに使用されることもあります」
自分にも話をふられたが、魔導具では一般的なことなので、たどたどしくも説明した。
「内臓はどんなものになるでしょうか?」
「蛇型によっても異なりますが、森大蛇の心臓は眠り薬を無効にできるので腕輪や指輪の裏石などに、岩山蛇の牙は痛みを一定時間麻痺させるので、非常用のアクセサリーなどにされることがあるかと思います」
「それであれば、九頭大蛇もいろいろと活かせるかもしれませんね――ああ、確認を忘れていました。王城でお願いしたクラーケンテープの費用は間に合いましたか? 不足があれば魔物討伐部隊経由で申し出てください」
その目の青が一段深くなる。
クラーケンテープの費用――ザナルディ経由で受け取った魔物討伐部隊への代価のことだろう。
グラートと喜び合えるほどには受け取った。
だから、ダリヤは笑んで返す。
「充分にお受取致しました。不足はございません」
ストルキオスは今までで一番にこやかに笑み、浅くうなずいた。
話が済んだかに思えたとき、彼を呼ぶ声が響いた。
「ストルキオス殿下! 心臓がありました!」
「すぐ行く!――では、失礼します」
くるりと自分達に背を向けると、彼はその身を風に躍らせる。
その跳躍はそのまま九頭大蛇の胴の上、来たときと同じ切れ目から中へ滑り込んで行く。
「心臓はどこだろうか?!」
うれしげな殿下の声に、目の前の二人がそろって微妙な表情となった。
「その、ダリヤ先生、ストルキオス殿下は医学に秀で、魔物に関しても造詣が深く――」
「あの通り、自ら率先し、中身も研究なさる方でね――」
グラートとグイードが珍しく言葉を選んでいる。
「ストルキオス殿下は、解剖医でもあられるのですね」
「解剖医――ああ、そうだな」
グラートにほっとしたように言われた。
だが、殿下の研究したいものが魔物の構造であれば、あの行動も納得できる。
ダリヤも素材に関しては夢中になるし、元が魔物の内臓でも気にしない。
そもそも、今、左手首に着けている守りの腕輪の裏石は、一角獣の角、二角獣の角、炎龍の鱗、森大蛇の心臓である。
魔物にとっては、人間が一番恐ろしい敵かもしれない。
「グラート隊長、尾の分割が終わりました。ただ、馬がそろわず、輸送にはしばらくかかるかと思います」
ヴォルフが報告にやってきた。
九頭大蛇の尾は馬車に載せられる状態になったものの、馬達が近づくのを嫌がっているという。
こうなると、八本脚馬や緑馬で運ばせるしかないが、こちらは馬よりも数が少ない。
「ここからは私の仕事です。箱詰めするか、海路を増やすかを調整してきますので、魔物討伐部隊の皆様は九頭大蛇戦勝祭のご準備を」
「礼を言う、『グイード侯』」
『侯』を付けて呼ばれた彼が、ちょっとだけ眉を寄せた。
グラートからはこれまで呼び捨てであったところ、侯爵に上がって同格になった。
当然なのだが、慣れないのかもしれない。
「グイード、いや、『グイード侯』」
「ダフネ副長、いきなり何を?」
「何をじゃないだろう。侯爵の顔に成ったじゃないか」
魔導部隊のダフネにも、同じく呼ばれている。
しかし、通常であればそのまま照れ笑いになりそうなところ、グイードは見事に整った笑顔に切り換えていた。
ダリヤはグラートとヴォルフと共に、再び九頭大蛇の首選びに戻った。
結果、周囲に一番新鮮だと勧められたもの――ヴォルフが最後に落とした首をもらうことにした。
その後は九頭大蛇戦勝祭で道が混む前にと、宿へ戻ることにする。
浴槽準備に土魔法持ちのマルチェラを借り受けたいとベルニージに願われ、護衛役はヴォルフとなった。
彼と二人で馬車に乗り込むと、安心感で思わず長い息をついてしまった。
「やっぱり緊張した? ストルキオス殿下への挨拶」
「いえ、それよりもどの首を選ぶかで迷ったのと、ザナルディ様にお礼を言われたことが――」
本日のことをかいつまんで話すと、彼は納得したようにうなずく。
「やっぱりダリヤはすごいよね。魔導具でここまで戦うなんて、想像もつかなかった」
「それを言うなら、魔物討伐部隊の方がすごいです。あんな――怖い魔物と戦っているんですから」
遠目で見ても、死骸でも怖い。
九頭大蛇の首を塔の庭に置くことがなくてよかった、そんなことを考えていると、金の目が自分に向いていた。
「ストルキオス殿下はとてもかっこいいから、女性には人気があるんだ」
「確かに、いかにも王子様っていう方でしたね」
血まみれの話については、ヴォルフも巻き込みそうなのでしないでおく。
そのまま会話が止まったので、今度はダリヤから話を切り出した。
「グイード様が、『グイード侯』って呼ばれるようになりましたね」
「ああ。最初は落ち着かない表情をしてたけど、やっぱり侯爵らしい顔になっていくんだって思った」
ヴォルフの言葉に、ふと我が身を振り返る。
自分も男爵になったわけだが、それらしい顔にも雰囲気にもなっていない。
迫力や貫禄どころか、冷静さも落ち着きもないのをどうしたらいいのか。
苦悩にはまりつつある中、ヴォルフが自分を呼ぶ。
「ところで――ダリヤ・ロセッティ男爵。俺に対する言葉が、まだ丁寧なんだけど?」
「あ! それはですね、切り換えのタイミングがわからなかっただけで! 慣れなくて言いづらいというか……」
それは、二人で『嘆きの魔剣』――水が出るだけだが、それを作った日のことだ。
『ダリヤは、俺に丁寧だよね』、そうヴォルフに言われた。
イルマ達と話しているときとヴォルフと話すとき、ダリヤの口調が違ったためだ。
ヴォルフと呼び捨てにしていても、彼は伯爵家の一員で、自分は庶民で――
あのときは迷った末に、男爵位をとるまで待ってほしいと伝えたのだ。
「無理はしなくていいよ。俺はここまで男爵位は取れなかったし、イルマさんやルチアさんより距離があるのは仕方がないから」
「そんなわけないじゃないですか! ヴォルフは私に一番近いです」
見開かれた黄金に、喜色が広がる。
それを見間違えることがないほどには、自分は彼の近くにいた。
「一番近い……ああ、そうだね。俺にもダリヤが、一番近い」
うなずいて、後、少年のように笑い返すヴォルフに理解する。
自分の緑の目にもきっと同じ色が宿っていて――彼にもそれがわかったのだと。




