427.スカルファロット家の兄弟酒
・コミカライズ『服飾師ルチアはあきらめない』(臼土きね先生)2巻が4月18日に発売予定です!
・『魔導具師ダリヤはうつむかない』の続刊・9巻に関するお問い合わせについて、活動報告で御返事させて頂きました。刊行期間が空き、お待ち頂いている読者様には本当に申し訳ありません。
「――光栄なお話をありがとうございます、グイード様。ですが、私はロセッティの名を継ぎたいと思っていますので……」
「男爵になったんだから、『ダリヤ・ロセッティ・スカルファロット』という名乗りもよいと思うよ」
「あ、兄上……!」
ヴォルフは思わず声を上ずらせた。
グイードがダリヤに対し、誤解されそうな言い方をしている。
彼女は養女の話だと受け止めているが、自分を付けるなどと言ったら、婚姻話のように聞こえるではないか。
幸い、ダリヤは誤解することはなかったらしい。
失礼にならぬようにか、数秒、間をおいて、礼儀正しく断っていた。
話し終えると、彼女はヨナスを護衛に部屋を出て行く。
この場は兄弟三人だけとなった。
「久しぶりだ。改めて兄弟で乾杯しよう」
長兄らしく言ったグイードに、エルードと共にうなずく。
椅子を並べ直し、テーブルに置いたグラスは四つ――誰も座らぬ席のグラスにも、白ワインを注いだ。
そこが、兄ファビオの席であることなど、言わずともわかる。
「では――スカルファロット家に栄光あれ、乾杯」
「「栄光あれ、乾杯!」」
腕を伸ばし、カツンカツンとグラスを打ち合う。
喉を通る少しだけ冷えたワインは、柑橘系を思わせる香りを宿していた。
「次は王都の屋敷で、父も一緒に乾杯したいところだね」
「そうですね」
「父上は、お変わりないか?」
「最近は五十肩だと言っていた。その割に、国境に来ようとして私と戦いになったが」
「え?」
グイードと父の戦いなど聞いていない。
狼狽えかけたヴォルフの隣、エルードが尋ねる。
「グイード兄上は、父上に勝ったのか?」
「ああ、勝ったよ、ジャンケンで」
「ジャンケンか、そりゃあ時間がかからなくていい!」
エルードが笑い出すが、ヴォルフはついグイードの顔を見てしまう。
「私が言い出したことではないよ、セラフィノだ。王城の廊下が冷えると話し合いを止められて、恨みっこなしだとジャンケンをさせられた」
父息子対決は、オルディネ大公の判断だったらしい。
納得できてしまった。
だが、廊下が冷えるという時点で、王城の廊下で二人はどんな状態だったのか。
それだけ父も兄も懸命だったのだろうが。
「父が来なくてよかったよ。青い顔で熟睡しているエルードに、鎧は外れたのに赤いヴォルフ。あんな二人を見たら、九頭大蛇の本体は氷槍の大雨で肉片になっていただろうね」
「兄上も特殊魔法を使ったと聞いたが?」
「家の筆頭魔導具師殿のおかげだよ。いい長杖だった」
兄の使った長杖は、どうやら家の魔導具師のものらしい。
ダリヤも興味を持つだろうか――そう思ったとき、話は自分にふられた。
「ヴォルフ、王都に戻ったら、コルンバーノに氷の魔剣を作らせようか? 素材次第で、それなりの氷魔法が行使できるだろう」
「いえ、俺はダリヤの作る魔剣を持ちたいです」
考える間もなく答えていた。
九頭大蛇戦後、自分は心のままに言ってしまったのだ。『俺も兄様達みたいに氷魔法が使いたかったなぁ……』と。
兄はそれを気にかけてくれたのだろう。
「グイード兄上の気持ちはうれしく思います」
「なあ、それなら俺に作ってくれないか? 気に入りの一本が折れてしまったから」
「いいとも、エルード。できあがり次第、お前に送ろう」
エルードが助け船を出してくれる形になってほっとする。
その青い目が、自分に向かって優しく細められた。
「ワイバーンでなくてすまないね、エルード」
「いいや、剣はありがたい。ワイバーンも欲しいのは確かだが」
「エルード兄上は、国境警備隊にワイバーンがいたら、龍騎士を目指されていましたか?」
ワイバーンが国境警備隊にいたら、やはり乗りたかっただろうか、そう思って尋ねたが、答えたのはグイードだった。
「エルードより、ファビオが龍騎士になりたがっていたね。ワイバーンの代わりだと、当時の一番大きい夜犬の背に乗って、屋敷の庭を駆け回っていたことがあったよ」
「ああ、俺とヴォルフも乗れと勧められて、あの夜犬の背にまたがったけど、走らせる前に転げ落ちたな。その後、ヴァネッサ様が乗ろうとして、母達が全力で止めてたっけ……」
「そうですか……母上が、夜犬に……」
初めて知った母の行動に、何と言っていいのかわからなくなる。
貴族のご婦人が何をやっているのかと思う反面、ちょっと楽しそうだとも思ってしまうのだから、やはり親子らしい。
「氷の魔剣は早い方がいいね。お前の叙爵に間に合うようにしたいものだ」
「グイード兄上は気が早すぎる。叙爵できるかどうか、まだわからないだろう」
「お前は国害と言われるほどの九頭大蛇に一番手で飛び込み、その羽を落とし、中隊を率いて戦いの場まで整えた。これでもらえないというのなら、侯爵権限で全力でねじ込むさ」
「いや、そこまでしてもらわなくても」
「エルード、国境警備隊での発言力が欲しくはないかい? お前が男爵になれば、ポーション関係に治癒魔法に備品、今、意見の通りづらいものも、多少は通せるようになるよ」
「それは確かに魅力的だが……」
グイードの勧めに、エルードが次第に語尾を濁していく。
勝敗が見えた気がした。
「それにしても――二人とも無事で、本当によかったよ」
長兄はグラスを干すと、肘をテーブルに乗せ、両手を組んだ。
その青い目が深くなり、叱られているわけではないのだが、隣の兄と共にちょっとだけ背筋を丸めてしまう。
「すまない、グイード兄上、心配をかけた……」
「本当にありがとうございました、グイード兄上……」
「さて、 それなら心配した兄のお願いごとを聞いてくれるかな?」
一体なんと言われるか――
そう構えたとき、長兄はそれはそれはいい笑顔で言った。
「可愛い弟達よ、早く結婚して、我が一族を増やしておくれ」
数秒の沈黙の後、エルードが兄のグラスに勢いよくワインを注ぐ。
「グイード兄上の励みに期待します!」
「そこは、その、兄上がお励みに……」
ヴォルフはそこでグラスを持ち上げ、底の残り酒を口にした。
「励みはともかく、妻の魔力が高いので難しいのだよ。グローリアに恵まれたことを神恵だと思うほどにね」
「グローリア嬢は氷魔法持ちだと聞いているが、魔力値も高いのか?」
「内々だが――生まれた時点で妻より高い」
あっさりと言った兄に驚くしかない。
義姉の魔力値が高いことも、グローリアがそれ以上であることも初めて知った。
「次の当主はグローリア嬢に確定だな。何も問題ないじゃないか」
「その予定ではある。お前達二人のどちらかが、当主を継ぎたいと思う場合は別だが」
「俺は国境警備隊にこのままいる。許されるなら、『こちらの地に根を張りたい』ので、当主継承権を、手放したい」
今度は隣の兄に驚いた。
『こちらの地に根を張る』ということは、この地で家族を持って暮らしたいという意味だからだ。
「エルード、婿入り先を決めたのかい?」
「いや、今回一緒に戦った中に、想い合う者がいる。男爵の息女で、本人に爵位はない」
「そうか。では横槍を入れられぬよう、養女の家を準備するよ。お前が男爵となったら、こちらでスカルファロット家の分家を立てておくれ。ああ、なるべく早いうちに紹介もしてほしいな」
「わかった……感謝する」
頬と耳の先を赤くしたエルードが、指先で頬をかく。
その横顔に、ヴォルフは声を一段大きくする。
「エルード兄上、おめでとうございます!」
「ありがとう。それとヴォルフも、宿で熱烈な求婚をされたんだろう。何か問題があるなら、グイード兄上に相談すればいいんじゃないか?」
「そうなのかい、ヴォルフ?!」
「いえ! その……」
グイードに勢い込んで聞かれたが、一気に記憶が蘇り、すぐの釈明ができない。
「魔物討伐部隊を引退したらロセッティ殿の家に入ると、皆の前で了承したそうじゃないか。俺は今日、てっきり婚姻前の顔通しだと思ったのに話が出ないから。先にどこか許しをもらいに行かなければいけないところでもあるのかと……」
「いえっ! あれは俺が引退したらロセッティ商会に入るということで、婚姻の話ではありません!」
「なんだ、そうだったのか」
「大変に残念だよ……」
にっこり笑うエルードはともかく、グイードは深いため息をつかないでほしい。
二人の兄を前に、ヴォルフはどうにも落ち着かなくなる。
「まあ、この人だと思ったら速攻で行けよ。横からさらわれる前に」
「いえ、俺とダリヤはそういった仲では――彼女は、恋愛も結婚も望んでいないので」
「それは初耳だね。いろいろとあったせいかな?」
「……そうかと思います」
二年も婚約していた相手に破棄され、恋愛も結婚も望まない彼女だ。
恋愛が面倒で視野になかった自分と友人になってくれ、こうして付き合いが続いている。
そんなダリヤに、迷惑も負担もかけたくはない。
「ああ、そうだ。ヴォルフも男爵位が取れるかもしれないな。最後の首を落としたんだろう?」
「いえ、俺は弱らせてからのことなので、先駆けの騎士達にその功があると思います」
先陣を切ったベルニージ達三人――すでに爵位はあるが、王からの褒賞をもらうとすれば彼らだ。
赤鎧であっても、自分は後追いだったのだから。
「九頭大蛇戦なんてめったにないんだから、ヴォルフを含め、まとめて男爵上げしてくれるといいんだがなぁ」
「そうだね。私としてはヴォルフもそうなって、『隣り合う者』と男爵同士で名を連ねたらいいと思うよ……」
兄二人の言葉に、ヴォルフは首を横にふる。
「俺では功が足りません。エルード兄上と一緒に男爵になれる日が来たら、もちろんうれしいですが」
「ヴォルフは大きくなっても、本当にかわいいなあ……」
エルードが手を持ち上げ、ぽんとヴォルフの頭に乗せた。
自分の方が背は高くなったのに、その手のひらはとても大きく感じられる。
一方、向かいのもう一人の兄は、なぜかまた深いため息をついていた。
「うん、ヴォルフは、かわいいがすぎるのが悪い」
「は?」
「昔、森の泉を見に行ったとき、一角獣の変異種に持って行かれそうになっただろう? ヴァネッサ様が乱切りにした……」
「ああ、ありましたね……」
ヴォルフはどうにも遠い目になる。
森の泉には、幼い自分を連れ去ろうとした二匹の一角獣がいた。
自分を観賞用の氷漬けにし、巣で愛でたかったらしい。
母が追いついてすぐ助けてくれたが、思い出す度にぞっとする。
「走っても全然追いつけなくて、魔法を出すのもヴァネッサ様の方が早くて――俺はあれで詠唱を縮めようと思ったよ」
「魔法の発動は、一族ではお前が最短だったね」
「いや、最初はファビオ兄上の方が早かった。負けたくなくて、練習で舌を噛んで何度のたうったことか……」
そこからは幼い頃の話になった。
家族のことから兄弟喧嘩、屋敷でのかくれんぼに、水遊びでそろって風邪をひいたこと、学院での兄達の話――
まるでファビオもそこにいるかのように、関わる話を避けることはない。
初めて聞く話もあり、ヴォルフは楽しく兄達と語らい続けた。
盛り上がった話の後、隣のエルードがテーブルに突っ伏し、くうくうと寝息を立て始めた。
起こした方がいいのかと迷っていると、グイードに声をかけられる。
「エルードは疲れが出たのだろう。起きたらベッドに行かせるか、帰らせるかするよ。ヴォルフはどうするね? ここに泊まっていくなら、昔のように添い寝でもするが」
「ありがたいですが、俺は部屋があるので戻ります。九頭大蛇戦の記録も、もう少し書きたいので」
兄の冗談に笑い、ゆっくりと立ち上がる。
また明日も兄達と会える――それに安堵しながら、ヴォルフは部屋を後にした。




