421.国境の祝勝会(一)
「今回の九頭大蛇戦にあたり、魔物討伐部隊の栄誉を讃えると共に、心よりの感謝を――王城で指揮をとっていたストルキオス殿下よりのお言葉です」
二階の広間の一番奥、ザナルディが立ち並ぶ隊員達へ話している。
その右にはグラート隊長、グリゼルダ副隊長、そして、相談役のダリヤ、反対側にはエラルドと並ぶ。
自分の後ろにはマルチェラもいるのだが、どうも落ち着かない。
ヴォルフは赤鎧の並ぶテーブルにいる。
せめてヨナスが一緒であればと思うが、彼はまだグイードと共に九頭大蛇の警備と解体に当たっているそうだ。
ザナルディの言葉通り、クラーケンテープの使用は、ありがたくも第二王子のストルキオスの指示ということになった。
元々、彼は医学に明るく、動物・魔物についても生態を研究しているという。
ザナルディがその指示に従ってクラーケンテープを試すため、魔物討伐部隊の相談役であるダリヤ、毒液に効果的な風魔法を持つカークを招集、エラルドは大公の安全のために急遽、同行した――
完璧なシナリオである。
ザナルディは話を区切ると、赤ワインの入ったグラスを持ち上げた。
騎士服の隊員達もそれに倣う。人数が多いため、広い部屋も密度が高く、隣の者が近い。
「さて、世の中には恨まれる者が多くいます。料理を前に長話をする上役というのも、それにあたるそうです。ということで――九頭大蛇戦の勝利を祝って、オルディネ王国に栄えあれ、乾杯!」
「「栄えあれ!」」
「「乾杯!」」
さざ波のような声に続き、グラスの当たる音が続いた。
大公の出席に緊張していた隊員達も、一様に笑顔だ。
ザナルディは本当に人を和ませるのがうまい。
だが、当人は当たり前のようにグラスをテーブルに戻し、グラートに顔を向けた。
「では、私はこれで」
「ザナルディ様?」
「少々疲れが出まして、食事は部屋でとりたいと思います」
宴席のためか、銀襟を外しているエラルドがザナルディに歩み寄った。
「もしや、お加減が――?」
「何も問題はありませんよ、エラルド君」
答える顔はいつものように青白く――ダリヤはそこで、はたと思い当たる。
鏃につけるため、何度も血を流したのだ。
騎士ではない彼が、数日で完全に回復するのは難しいのかもしれない。
「それと、『話したことがない上役との酒は、飲んだ甲斐がない』。王城の清掃員にはそう聞いたことがありますよ」
声をささやきに変え、ザナルディが笑む。
だが、ささやきを向けられたグラート、グリゼルダ、ダリヤは、そろって首を横に振った。
「私は、いえ、私達は、けしてザナルディ様をそのようには思うことはありません……!」
グラートのささやき返しに、強く意志がこめられる。
けれど、大公は整った笑みを崩さなかった。
「本当に気にしなくていいのですよ。逆に考えてください。私にとっても隊員の皆さんは距離があるわけです。なので、たまには護衛のベガと二人、部屋で楽に食事をしようかと。王城では気を配られすぎていて、塩辛いものや脂っぽいものはあまり食べられないので」
「……わかりました」
「では、宿の者に願い、塩辛いものや脂っぽいものを含め、広く一式お届けするように致します」
横のグリゼルダが小声で返すと、ザナルディは浅くうなずく。
「では、良い祝宴を――ああ、九頭大蛇戦に完勝したのですから、一度では足りませんね。グラート隊長、オルディネ大公として命じます。二度目の乾杯を」
「承りました、ザナルディ様。そして、この度は本当にありがとうございました」
「その言葉はぜひ、ストルキオス殿下に直接お伝えください」
グラートに続き、グリゼルダが一礼する。ダリヤもそれに倣った。
ザナルディは振り返ることなく、ベガを伴い、そのまま部屋を出て行った。
広間は少しだけ静かになる。
大公が出て行ったことで、何かあったのかと思う隊員もいるだろう。
「ザナルディ大公は所用とのこと、私が九頭大蛇戦完勝に二度目の乾杯を命じられたので、全員、グラスを満たせ!」
グラートのよく通る声に、隊員達は皆、グラスを持ち直す。
すでに空であった者は、再度赤ワインを注ぎ入れる。
ダリヤもまた、その手にグラスを持った。
「皆、本当によくやった! 本日のお前達の任務だ。食べて、飲んで、自慢話をして、寝ろ、以上! 乾杯!」
「「乾杯!」」
隊長による二度目の乾杯と命令に、大波のように声が続いた。
一度目の乾杯より、グラスのぶつかる音が高く上がる。
「ああ、言い忘れた。酔ったら各自部屋に戻って寝ろ。つぶれたら床で毛布巻きだ! 絡み酒と悪酔いをした者は、明日、宿の掃除だからな!」
続く注意に、隊員だけではなく、料理と酒を運ぶ給仕達までが笑っている。
そうして、皆、ようやく椅子に腰を下ろした。
「では、パン分け代わりの前菜です」
グリゼルダが告げると、給仕が全員に小さい皿を配り始める。
皿に載るのは魚の白身らしい、小さな一切れだ。
よく焼かれているらしく、その上にぱらりと塩コショウが振りかけられ、木串が刺されている。
オルディネでは、催しの際などに一つのパンを分けて食べることがある。
それにより親睦を深め、仲間であることを確かめるといった意味合いだそうだ。
今回は人数が多いので、大きな魚を分けたのだろうか――そう思ったとき、副隊長の説明が続いた。
「『真っ黒な森大蛇』の首肉の一部です。血抜き、浄化、水洗いの後、しっかり焼いた一皿です」
「……真っ黒な、森大蛇……」
「え、じゃあ、これって……?」
「首がたくさんありませんでしたか、副隊長?」
グリゼルダはにこやかな表情で答えない。
おそらくは九頭大蛇の首肉だろう。
だが、ダリヤには見てもわからず、魔力の残滓も感じない。
おそるおそる切り身の刺さる木串を持ち上げるが、口に運ぶのはためらいがある。
「思ったより淡泊だな。味が薄いというか、身が若いというか、今一つ……」
「脂ののりが悪い森大蛇というところですね」
「栄養のよくない個体だったようだな」
すでに口にした隊員が、素直に感想を述べ始める。
なお、栄養がよく回っていた場合、その餌は何なのかを考えたくない。
だが、とりあえず問題なく食べられるものではあるらしい。
ダリヤは気合いで口に運び、咀嚼を開始する。
脂は少なく、味も薄い、鮮度はいいが少しだけしなしなした鶏肉――浮かんだ感想はそれだった。
「大安売りの鶏肉の、割とマシな方って感じだ。これなら鼻血は出さなくて済むな」
「ドリノ、その話は……」
赤鎧のテーブルでは、ドリノが自分と似た感想をのべていた。
「前の森大蛇とはだいぶ違うな」
「案外、首毎に肉質が違うかもしれませんね」
ダリヤのいるテーブルでは、食べ終えたグラートとグリゼルダが語り合っている。
これらの肉は同じ首からとられたものらしい。
何故か、隣のエラルドがいい笑顔となった。
「では、ここで試しましょう」
「え?」
エラルドが懐から、油紙の包みを取り出す。
はさまれていたのは、三切れの赤黒い肉。
「解凍したばかり、このままいってみたいと思います」
「待て、エラルド! その肉は――」
グラートの制止の途中、エラルドがばくりと一切れを口に――まぶしいほどに白く発光した。
げほげほと咽せた後、咄嗟に出したハンカチに赤いものがにじむ。
ダリヤは思わず悲鳴に近い声をあげてしまった。
「エラルド様っ! 大丈夫ですか?!」
「――問題ありません。ちょうど毒腺が通っていたところかもしれません。舌が溶けかかり、詠唱ができず、味も今一つわからず……流石、九頭大蛇です。気合いを入れて浄化し、もう一度挑戦を――」
「やめろ、馬鹿者がっ!」
グラートが怒鳴りながら立ち上がる。
「エラルドから肉を取り上げろ!」
「はっ!」
「大丈夫です! 自分で治癒できますから。ああ、皿を、せめてあと一枚、味の確認を!」
近くの隊員達に羽交い締めされつつも手を伸ばすエラルドを、ダリヤはそっと視界から外す。
「エラルド! お前は自分の安全も考えろ! お前に何かあっても、他の者は治せんのだぞ!」
「私は自分で治癒できますので、ご心配なさらず」
「心配するに決まっているだろうがっ!」
グラートが容赦なく怒鳴りつけているが、これは食べさせては駄目だろう。
苦笑と困惑を浮かべつつも、周囲は声をかけられずにいる。
エラルドは隣の席であり、自分が一番近い。ダリヤは迷いつつもその名を呼んだ。
「エラルド様、その、他にもおいしいものは沢山あると思いますので、それはまたの機会に――」
「わかりました。ダリヤ先生がそうおっしゃるのであれば、従いましょう」
あまりに素直に席に戻られ、拍子抜けする。
向かいのグラートもようやく椅子に戻った。
それを待っていたかのように、大量の皿がテーブルに並べられる。
ダリヤ達のテーブルでは、給仕が丁寧な説明をしてくれた。
「国境大森林の、牙鹿のステーキです。この街の名物でございます」
色のいい厚めの肉は、すでに切られている。フォークだけでも食べられる形だ。
味付けは塩と黒コショウ。噛みごたえがあって、肉の味がしっかり濃い。ソースがないのに納得した。
淡泊な九頭大蛇を食べた後だからよりわかるのかもしれないが、その脂は甘く、ほどよくのっている。鹿肉らしい独特の風味はあるが、それもまたおいしい。
添えられた辛子菜を口にした後、すぐに二切れ目にフォークが伸びた。
その後も、魚の塩焼きやチーズ焼き、肉、野菜の唐揚げ、魚貝たっぷりのスープなど、この街ならではの食べ甲斐のある料理が続く。
追加された白ワインは若いものだったが、爽やかな酸味で食が進んだ。
隊員達は皆、満足げに舌鼓を打ち、歓談している。
グラスを空けたグラートが、部屋をゆっくりと見渡している。
隊員一人一人を確かめるようなまなざしに、ダリヤは言葉が出なかった。
「バルトローネ隊長、行き届いた料理がご用意できず、申し訳ありません」
「いいや、とてもおいしいものばかりだ。隊員達も心地よく過ごしている。毎日のもてなしに礼を言う」
「もったいないお言葉です」
やってきた黒服の男性は、宿の支配人であったらしい。
グラートのねぎらいに深く頭を下げていた。
九頭大蛇に備えて避難していた者達は、街に戻りつつある。
だが、まだ食材や物品の流通も完全ではない中、この宿は魔物討伐部隊を何不自由なく過ごさせてくれている。本当にありがたいことだ。
少ししみじみとしていると、それなりに食べた隊員達が酒の瓶とグラスを持って移動を始めた。
本日、二階のこの広間の他、近くの部屋のいくつかがドアを開けて固定され、自由に出入りできるようになっている。
そこで親しい仲間と飲むもよし、追加の料理を頼み、ゆっくり食事をするもよし、各自の内をさらけだす暴露大会をするもよし。
もちろん、この広間で続けて歓談するのもありだ。
この階はほぼ魔物討伐部隊、加えて神官のエラルド、給仕の者達だけである。
気楽な語らいの場になるだろう。
「ダリヤ先生! 今、お時間をよろしいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
不意にテーブルの横から呼ばれ、そちらに身体を向ける。
そこにいたのは、クラーケンテープを最初に射た弓騎士であった。
「ダリヤ先生、この度の助援に感謝申し上げます」
「いえ、私は、ただクラーケンテープを矢の後ろに付けただけなので。あれを撃った弓騎士の皆様がすごいです。あれは、とても難しいことだと……」
矢に何かを付けて射るのは、速度や方向性が変わるので、とても難しい――
そう教えてくれたのは、ザナルディの護衛騎士のベガである。
王城の弓騎士でもできるかどうかはわからないと言われ、魔物討伐部隊の弓騎士の凄さに感動した。
それをそのまま伝えるわけにもいかず、語尾を濁してしまう。
だが、目の前の弓騎士は晴れやかに笑った。
「ダリヤ先生、失礼ながら、騎士として、拳を合わせて頂きたく――相談役、いえ、女神に敬意を」
「女神はやめてください! 私は、その、相談役でも、皆様の仲間だと思いたいので」
「失礼しました。では、敬意は横に、仲間として祝勝を!」
目の前の弓騎士の真似をし、拳を握る。
そして、こつん、と、拳を軽く打ち合わせた。
「あ、ずるいぞ! 俺も俺も!」
「自分もできましたら……」
ダリヤの前に弓騎士達が並ぶ。そのまま彼ら全員と拳を合わせることとなった。
敬意ではなく仲間としての祝勝、それにうれしくなりながら、ダリヤは席に戻ろうとする。
「ダリヤ、俺もいいかな?」
声をかけてきたのはヴォルフだ。
いつの間にか、赤鎧達のテーブルからこちらへ来てくれたらしい。
左手には赤ワインの瓶。そして、持ち上げかけた右の拳は握りかけである。
彼も仲間として拳を合わせてくれるつもりらしい。
「ヴォルフ、ちょっとしっかり握ってください。思いきりいきますので」
「わかった」
笑いながら握り直されたヴォルフの拳に向け、自分の拳を打ちつける。
がつり、ダリヤにしては結構強い力を入れたが、彼は楽しげに笑んでいる。
じわりと感じる痛みは、きっと自分だけ。
けれど、これを忘れたくない。
傷を負うこともなく、痛みを知ることもなく、戦いを終えた自分。
本日ここからは、もっと魔物討伐部隊の相談役魔導具師として頑張ろう――
ダリヤは拳の中、ささやかな決意を握りしめていた。