420.宿での再会
本年もたくさんの応援を頂くと共に、物語にお付き合い頂き、ありがとうございました!
読者様、関係者の皆様へ心より御礼申し上げます。
楽しい時間のお届け目指し精進して参りますので、来年もどうぞよろしくお願いします!
「落ち着かない……」
広い部屋の壁際で、ダリヤはつぶやきをこぼす。
ここは国境に一番近い街の大きな宿だ。
自分がいるのは最上階の四階、広い階に三部屋しかない特別室。
階の一番手前にダリヤ、一つの部屋をあけ、奥にザナルディが入る形となっている。
リビングルームであるはずの部屋は、商業ギルドの会議室並みに広い。
白に金の飾りで揃えられた調度は高級感したたりまくる艶である。
使っている寝室のベッドにいたっては、白い飾りレースの天蓋付き、三、四人が眠れそうな大きさだ。
昨日と一昨日、ダリヤはその端で丸まって眠った。
そもそも、入り口のドアからここに来るまでにも部屋があったり、寝室が三つあったり、ダリヤ一人にはもったいなさすぎる。
本来、ここはそれなりの爵位を持つ貴族か、警護を必要とする大商人などが泊まる階だろう。
大公であるザナルディは当然として、ダリヤは階下のもっと小さな部屋になるはずだ。
しかし、納得のいく理由があった。
九頭大蛇と戦った魔物討伐部隊員は全員ここに宿泊する。
そして、当日含め三日間は休息と健康確認をする。
戦いの後遺症や九頭大蛇による毒、感染症などの警戒のためだという。
宿の大浴場や手洗いは、男性用・女性用・個室だ。
だが、隊員達は全員が男性。九頭大蛇戦の避難の関係で、宿の者もほとんどが一定年齢以上の男性。
できれば一時的に大浴場を男性用としたいということで、ダリヤは風呂付きの個室――この豪華な部屋に案内された。
なお、マルチェラも一応同室ではあるのだが、入り口から入ってすぐの護衛待機部屋におり、国境警備隊の女性騎士と共にでなければこちらには入ってこない。
この部屋で一緒にいたのは、九頭大蛇戦の翌日、王都へ手紙を書いたときだけだ。
魔鳩に持たせるので制限があり、一人あたり宛先は一つ、通常の便箋四分の一の薄紙だった。
ダリヤは豆粒のような字で、イヴァーノに詫びの手紙を書いた。
マルチェラはイルマに、元気だから心配いらないと書いていた。
おそらく、魔物討伐部隊員達も各部屋で同じように手紙を書いたのだろう。
というのは、ダリヤは九頭大蛇戦以後、ヴォルフを含め、隊員の誰とも会っていないのだ。
一昨日、ダリヤはザナルディと共に国境警備隊の待機所へ戻り、その後にこの宿へ移った。
夕方過ぎに宿に来た隊員は、届けられたシャツやズボンを穿き、サイズのない者はシーツを巻いて宿に入った。
皆、ポーションを飲むか、詰め込むように食事をし、倒れるように眠った――ザナルディ経由でそう聞いている。
王都からの強行軍、九頭大蛇戦と、疲労と心労が重なったのだろう。
昨日はエラルドと国境警備隊の専属治癒魔導師・医師が、全隊員・関係者の健康確認をした。
ダリヤの元へも女性医師が訪れ、問診の後、薬草で作られた胃薬を処方してくれた。
隊員に貧血や微熱のある者もいたので大事をとって休養、祝勝会は持ち越して翌日の夕方――
本日、これからである。
「会長、お時間です」
ノックの音に了承すると、マルチェラがドアを開けて告げる。
ダリヤは窓に映る自分をちらりと確かめてから、部屋を出た。
祝勝会には大公であるザナルディも参加するので、正装代わりに本日も魔物討伐部隊の騎士服である。
マルチェラも同じだ。
廊下に出ると、整然と並ぶ国境警備隊の騎士達と目礼を交わす。
彼らはザナルディの警護のためにいるのだろう、全員が帯剣していた。
その横をちょっと緊張しつつ通り、マルチェラと階段を下りていく。
と、三階に差し掛かったとき、早足で上ってくる音がした。
ザナルディに急ぎの用事の者かもしれない、そう思い、マルチェラと共に踊り場の端に寄る。
けれど、足音の主は、自分の前でぴたりと止まった。
「ダリヤ――」
自分の名をいつもより小さい声で呼んだヴォルフが、ようやくに笑む。
けれどその金の目はなんだか困っているようで――再会を喜ぶより、一気に不安になった。
「ヴォルフ、もう大丈夫ですか? あの後、貧血になったり熱が出たりしませんでしたか? ちゃんと食事は取れましたか?」
心配が積み重なり、矢継ぎ早に尋ねてしまった。
「心配してくれてありがとう。エラルド様にきっちり治療してもらったし、後遺症もなかった。食事もちゃんととってたから大丈夫。それより、ダリヤに謝りたくて。一昨日、俺は君に対して、とても失礼なことを――」
「いえ、失礼なことなど何もありませんでしたよ」
自分の元へ子供のように駆けてきたヴォルフを思い出し、笑顔で流す。
謝られるようなことは何もない。
ヴォルフは九頭大蛇の毒が回ったことで子供のようになっていただけ。
子供ならば友達相手に抱きつきもするし、もっと遊びたいと駄々をこねてもおかしくない。
それに、会いたかったと言われたことも、共にいたいと言われたことも、友としてうれしいだけだ。
「マルチェラ、ダリヤと一緒に来てくれてありがとう」
「いいや、当たり前のことだろ。むしろ王都に残ったらイルマに怒られてる」
二人が小声で笑い合うのを眺めつつ、ふと感じたことを口にする。
「マルチェラさんが魔物討伐部隊の皆さんと並んでも、馴染みそうですね」
「うん、グリゼルダ副隊長も引き抜きたかったって残念がってた」
「やめてくれ、俺は小心者なんだ。死んだ九頭大蛇を小突くだけでぶるぶる震えてたんだから」
マルチェラは容赦なく九頭大蛇を殴っていたように思うが、それは誰のことなのか。
「俺よりダリヤちゃんの方が馴染んでいるだろ。その騎士服も」
「ダリヤ、その騎士服、すごく似合っててかわいい」
「あ、ありがとうございます……」
ヴォルフによる突然の貴族褒めに、思わず声が上ずった。
話題を切り換えようとしても、咄嗟に思い浮かばない。
が、そこで先に口を開いたのはマルチェラだった。
「すまない。少しだけ二人でここにいてもらえないか? 一度部屋に戻ってきたいから」
「マルチェラさん、何か忘れ物?」
「いや、九頭大蛇の話をしたら思い出して――ちょっと手洗いに」
その言葉にダリヤは無言でうなずいた。
ちょっとだけマルチェラに親近感がわいたのは内緒である。
彼が階段を上がっていくと、ヴォルフと二人、小声で話を再開する。
「皆さん、今日は騎士服ですか?」
「ああ。王城から後続の馬車が運んでくれたんだ。皆、凱旋でこれが着られるって喜んでる」
ヴォルフは笑顔で言うが、自分は同じ顔を返せなかった。
ダリヤも少しは魔物討伐部隊の歴史を学んでいる。
急ぎの討伐では荷物を最小限にするため、鎧の下服と下着ぐらいしか持たない。
後続の馬車が騎士服を運ぶのは、万が一のことがあったときに着せるか、亡骸代わりに棺に入れるため――
その記録を読んだとき、しばらく動けなくなったのを覚えている。
一人もあちらに渡ることはなく、全員が騎士服を着て、王都に凱旋するのだ。
本当によかった。今日は心から祝いたいと思う。
けれど、先に祝われたのは自分だった。
「遅くなったけど――できることならば一番に言祝ぎたいと切望しておりました。ダリヤ・ロセッティ男爵、栄誉ある叙爵を心よりお祝い申し上げます」
右手を左肩にあて、敬意を表した彼に、ダリヤはまっすぐ向き合う。
庶民から男爵になったからか、それとも騎士服を着ているせいか、いつもよりヴォルフが近く感じられた。
「ありがとうございます、ヴォルフレード・スカルファロット様。オルディネ王国のため、魔物討伐部隊のため、誠心誠意励んで参ります」
「どうぞ、これからも益々のご活躍を――」
ここまで真顔だったヴォルフが、うつむき加減に言い淀む。
ダリヤは精一杯格好をつけて返してみたのだが、どこかおかしかったのだろうか。
「ダリヤ、活躍は安全な範囲でお願いしたい……!」
金の目をうるませての唐突な懇願、その内容に思わず言い返す。
「安全な範囲って、危ないことはしてませんよ。見ていただけですし、九頭大蛇が動かなくなるまで近づいてもいませんし、すぐ宿に来ましたし」
「いや、王都からワイバーンに乗って、九頭大蛇の近くに来ること自体、充分危ないから」
「ワイバーンには箱で運ばれてきましたし、生きている九頭大蛇は土壁の隙間から見ただけですよ。それにマルチェラさんも一緒でしたし、ザナルディ様もエラルド様もいらっしゃいましたから」
「それはそうなんだけど、俺はダリヤに何かあったらと思うと心配で!」
「私はヴォルフの方が心配でしたよ!」
そろって声が高くなりかけ、慌てて口を閉じる。
なぜ祝いの言葉から心配合戦になってしまうのか。
自分達には、かっこいいやりとりも気の利いた会話も無理らしい。
だが、そこでふと思い出す。一つ、自分達らしい伝言を頼んでいた。
「あの、ドリノさんから伝言って、聞いてますか?」
「ああ、戦う前に聞いた。帰ったときの食事で、メニューはなんでもリクエストを受け付けます、って」
「何がいいです? いくつでもいいですよ」
「それが、いつもおいしいものばかりご馳走になっているから、全然選べなくて……」
緑の塔に帰る、一昨日、そうせつなげに言っていたヴォルフ。
今、目の前の彼は血を流しておらず、傷も見えない。
それでも、あれほどに大きな九頭大蛇を相手に、痛くて辛くて、必死の戦いだったはずだ。
ほんの少しでもねぎらえるなら、何十皿でも作りたい。
「塔に帰ったら、居間のテーブルいっぱいに季節料理を並べて、お祝いしましょう」
「ありがとう。俺は材料を準備して、料理も手伝うし、後片付けもするよ」
「それじゃ、ヴォルフのお祝いにならないじゃないですか」
「ダリヤも魔物討伐部隊なんだから、二人のお祝いでいいんじゃないかな?」
「ヴォルフの方が頑張ったんですから、そちらの方が優先です。何か希望はないです? お肉多めがいいとか、辛い系多めがいいとか……」
いつものように話しながら、料理の系統を尋ねてみる。
そうしたところ、ヴォルフも迷いだした。
とりあえず、チーズフォンデュと鶏の唐揚げと魚の煮付けと柚子塩野菜の浅漬けは作るつもりだが、彼もおいしく食べられる甘くないデザートもあった方が――
考え込んでしまい、会話が途切れる。
気がついて顔を上げると、ヴォルフが優しく自分を見つめていた。
「ダリヤが作ってくれるものならなんでも――大好きだ」
満開の笑みに、心臓が大きく跳ねる。
次の話を必死に探す中、マルチェラが階段を下りてくるのが見えた。