418.大公と褒賞相談
「九頭大蛇に対するクラーケンテープの捕縛効果――この功績があれば、ロセッティ君を子爵へ推薦できますね」
「え……?」
動き出した馬車の向かい、ザナルディに唐突に言われた。
その隣、ベガも赤い目を閉じてうなずくのに、冗談ではないことを理解する。
「い、いえ! これはザナルディ様の実験ですので、功績はザナルディ様です。私はお茶のときにたまたまお話ししたのと、こちらでクラーケンテープを巻いただけですから」
そもそも、ダリヤでは何一つできなかったのだ。
ワイバーンでのここまでの移動も、矢にその身を削って血をつけ、九頭大蛇に食いつかせたのも目の前のザナルディだ。
馬車でクラーケンテープをぺたぺたとくっつけていただけの、自分のものではない。
「話しただけだとしても、あなたが言ってくれなければわかりませんでした。クラーケンテープを矢に的確につけられる魔導具師もいなかったでしょう。前回は多くの被害者が出た九頭大蛇に対し、今回は被害が最小限、次の有効な対応策も見つかったのです。遠慮なく功績を誇っていいのですよ。私が推薦人にと言いたいところですが、後ろ盾に私の名はどうかと思いますので、叔父上に頼みましょう」
細い目をさらに細くして笑う彼を前に、ダリヤは必死に逃げ道を探す。
ザナルディの叔父はオルディネ王。本日、クラーケンテープで大不敬を働いたばかりなのだ、むしろ自分の名は忘れてほしい。
「いえ! 私は本当にお手伝いしただけですので……その、すべてザナルディ様の功績にして頂ければと!」
思わず両手を組み、懇願の声をあげてしまった。
彼は無言になり、薄灰のレンズの向こう、目を細めては戻すこと二度――ようやく口を開いた。
「ロセッティ君、あなたは本気で私に、これだけの功績を譲ると?」
「はい、お譲り申し上げたく――」
「私に『功績譲り』ですか……本音を伺いたいのですが、もしや、子爵位が欲しくないとか?」
「はい!」
反射的に大きくうなずいてしまった。
本気も何も、譲るどころか熨斗をつけてお渡ししたい。
自分は平和に楽しく魔導具制作をする日々が欲しいのだ。
大体、貴族関連に関して無知、勉強不足で男爵位ですら慌てる自分には、子爵など絶対に無理である。
が、その後にはっとする。
自分は男爵でありながら、国の重鎮を前に、ものすごく失礼なことを申し上げたのではあるまいか。
「その、私では分不相応ですので。男爵位を頂いたのも重いことと思っております……」
必死に取り繕ったが、目の前のザナルディはからりと笑った。
「ああ、私と同じことを考える方がいたのですね」
「同じこと、ですか?」
「ええ。私も今回のことはストルキオス――第二王子である彼に丸投、いえ、すべて譲ることにしておりますので」
丸投げと言いかけた彼に、理解が追いつかない。
おそらく自分が目を丸くしていたせいだろう、ザナルディはそのまま説明を続けてくれた。
「これでも王位継承権三位なので、私が功を上げると色々とうるさい輩が出ます。ですから今回の国境へのワイバーン特急便は、魔導具制作三課の私が第二王子に命じられて動いた――そういうことにします。ストルキオス本人の許可範囲ですし、王にも了承頂きます」
相槌の声も出せなかった。
オルディネ王国を乱さぬため、王位継承権問題を発生させないために、ザナルディは無能を演じ、『錬銀術師』、『魔導ランタン昼型』の名を背負っているのか――
ダリヤがそう感動している中、彼は椅子の背にだらりと身を預けた。
「正直、面倒くさい……」
「え?」
「私はあまり表に出たくないんですよ。陰でこそこそやっている方が性に合っていますから。大体、大公の肩書きだけでも重すぎるのに、功をあげて、堅苦しい各種式典に呼ばれることが増えるとか、儀礼的な領地訪問に出され、望まぬ見合いを勧められるとか、三課の塔で好き勝手できる時間を削られるだけです。私には何一つ利点も楽しさもありません。それなら功を譲って、代わりに自由に好きなことをさせてもらった方がいい。王子達の評判が良ければ国も安泰、私はちょっとお小遣いが頂ければ……あ、内緒にしておいてください」
ぬらりとした動きで姿勢を戻すと、彼は黒手袋の人差し指を唇の前で止める。
ダリヤははい、と、深くうなずいた。
本日一日で、ザナルディから内緒話をいくつかされたが、絶対に誰にも言えぬことだけはわかる。
あと、横のマルチェラが少し前から微動だにしていないのだが、大丈夫だろうか。
「ロセッティ君も子爵になってしまったら、今のように魔導具研究ができなくなるのが嫌なのでしょう? 面倒事が増えますからね」
思わずうなずきかけ、なんとか途中で止めた。
自分は男爵位を頂いているのだ、ここで同意したらやはりいけないだろう。
ザナルディはダリヤの返事を待たず、両手の指を組み合わせた。
「では、私と一緒にストルキオスに譲る形でいいですか?」
「はい、お願い致します」
「わかりました。では、あの部屋にストルキオスも同席していたことにしましょう。ああ、叔父上にも早めに口裏合わせをお願いしなくては――」
王に口裏合わせをさせる罪悪感がひたひたと湧いてくる。
しかし、第二王子、つまりは王の子息の功となれば、クラーケンテープでの不敬は水に流してもらえるかもしれない。そうであってほしい。
ダリヤがそんなことを祈っていると、馬車の揺れが一段減った。
どうやら、森の道から整えられた道に出たらしい。
「では、ロセッティ君への対価は、私が全力でお支払いしますので」
その声は、よく通った。
「いえ、対価は頂かなくて結構ですので」
「遠慮はしなくていいのですよ。魔導具師は素材費用で頭を痛めるものでしょう? ただ、まとめてのお支払いは目立つので、足のつきづらい金塊か、白金貨二枚を何年かに分けてお渡しする形にさせて頂ければと」
大公の全力が怖い。
クラーケンテープが金塊だの白金貨だのに化けてしまう。
「いえ、本当に結構ですので」
「では、王城魔導具制作部三課の魔導具師の待遇と給与はどうです? 週に一回、ヴォルフレード君とお茶を飲みに来るだけでかまいませんから。雑談中、九頭大蛇対策に次ぐ何かが生まれるかもしれませんし」
「ザナルディ様、今回は本当に偶然です。それに、勤務のない者に給与というのはどうかと思います……」
「ああ、財務部からジルド君が走ってきそうですね……」
書類を持ったジルドが滑るように走ってくる姿が幻視できた。
想像するだけでも怖いのでやめてほしい。
それに、三課は魅力的な場所ではあるのだが、個性的な高位貴族が多かったり、首無鎧の鎧の件があったりと、いろいろとダリヤの胃がもちそうにない。
「あとは貴族の縁談などというものも多少は融通できますが――間に合ってますよね?」
なぜ、自分を見た後に隣のマルチェラを見るのだ? 困惑しきったマルチェラも勢いでうなずかないでほしい。
「いえ、結構です。私はロセッティを継ぎたいと思っております」
「なるほど、そちらでしたか。それなら子爵位をとって相談役任せでもいいような気がするのですが……まあ、名を同じにする方に頑張ってもらうのもいいでしょうね」
いずれ魔導具師の弟子をとったら、養子にしてロセッティを名乗ってもらえればいいのだが――
こればかりは相手次第だ。
その前に自分が一人前にならなければいけない。
「しかし、困りましたね。私は対価なく功績を頂くわけにはいきません。ロセッティ君、本当に何か望むものや欲しいものはありませんか?」
普段は堅苦しさを感じさせないザナルディも、こういったところはやはり貴族だ。
ダリヤは問題なさそうな対価を必死に考え――とてもいいことを思い付いた。
「では、魔物討伐部隊にお願いできないでしょうか? 私は魔物討伐部隊の相談役ですので」
ここは頼れるグラート隊長に助けを求めよう。
別名、それを丸投げという。
「――それがロセッティ君の対価になるのなら、そうしましょう」
一拍の間があったが、ザナルディはうなずいてくれた。
「ありがとうございます! あの、中身はグラート隊長にご相談申し上げてからで……」
「では、グラート隊長とは私の方で話しましょう。釣り合いがとれる内容で取り決めますので、それで私はロセッティ君と『貸し借りなし』、よろしいですね?」
「はい!」
うまく乗り切った――!
ダリヤは両手を膝の上に、笑顔になりそうなのを懸命に抑える。
その向かい、ザナルディは黒手袋の指を唇の前に、そっとつぶやいた。
「人間、『貸し』を作られたままが一番怖いのですよ」




