416.魔物討伐部隊九頭大蛇討伐
地に倒れ伏す者、剣を支えに立ち上がるだけで精一杯の者、泥だらけ血だらけの魔物討伐部隊員達。
目の前には、三つの首をうねりと動かし、足の自由を取り戻した九頭大蛇。
ここから先へ進ませるわけにはいかない。
魔物討伐部隊員として、最後の最期まで足止めの戦いを――そう覚悟する自分達の視界を、赤い矢が横切っていく。
矢につけられた白くはためくものが、長く尾を引いていた。
的は九頭大蛇の頭、毒霧を吹かんとしていたそれらが、ぴたりと動きを止める。
風魔法で撃ち落とされるだろう、そう思ったとき、三の首がばくりと矢に噛みついた。
「えっ?」
続く二矢目、少し遅れた三矢目も、残り二つの首が好物を見つけたかのように食いつく。
矢の後方から垂れ下がる白いリボンのようなものが口元からびろびろと長く伸び――四方から、とすとすと矢がそれを打つ。
どういう仕組みかはわからないが、白いものは九頭大蛇の口周りに貼り付き、首回りにベタベタとくっついていく。
糊でも塗っているのか、九頭大蛇に刺さらぬ矢が落ちてもそのままだ。
「よっしゃあーっ!!」
遠くから、騎士の吠え声が響いた。
「総員! 身体強化を解き、一時九頭大蛇から距離をっ!」
副隊長からの大音量に、理由はわからぬが即、従う。
身体強化魔法を解く意味はわからないが、もしかすると、あのリボンのようなものには九頭大蛇向けの毒が塗られているのかもしれない。
なんとか動けぬ隊員を下がらせなければ――そう思ったとき、鏃で裂けた白い端切れが、目の前にひらひらと落ちてきた。
「なんじゃあ、これは?!」
自分の隣、ぶつからぬよう避けた先輩に、白いリボンが後を追うように動く。
ヴォルフはそれを咄嗟に掴んでしまう。その色合いと質感には覚えがあった。
「これ……クラーケンテープ? ダリヤだ!」
思わずその名を口にし、自分で笑ってしまう。
ここに彼女が来るはずがない。
それでも、その気配を感じた気がして、内の絶望が溶け消えていく。
「先輩方ーっ!」
そして、もう一人。来るはずのない緑髪の後輩が、満面の笑顔で駆けてきた。
「カーク?! さっきの風魔法はお前か!」
「はい! クラーケンテープの実験と魔力ポーションのお届けに上がりました! ザナルディ大公とダリヤ先生とエラルド様も一緒です!」
「はぁっ?!」
「なんで?! どういう組み合わせだ?」
周囲が驚きの声を上げる中、ヴォルフは後方を見た。
土壁の間、魔物討伐部隊の騎士服を着たダリヤ――そこまでは見えるのに、その表情がはっきりとはわからない。
視力はいい方だが、拡大できないのが悔やまれる。
姿が見えたのはうれしいけれど、お願いだから土壁の後ろ、安全なところにいてほしい。
カークの少し後ろ、銀襟の神官が続いていた。
九頭大蛇の背のベルニージ達や倒れている隊員を、追加で来る騎士達が運んで行く。
「エ、エラルド様?!」
「はいと返事をしたいところですが、本日の私はオルディネ大公のポーションです――解毒 ・高度治癒! 解毒 ・高度治癒!」
もはや早口言葉かと思える連続詠唱に、運ばれた隊員達が毒の名残も傷一つもなく回復していく。
「エクストラポーションがダースで届いたな」
「どこぞの隊長が運んでくださいませんでしたので」
エラルドが魔力ポーションの瓶を一気飲みしていると、ドリノが足を引きずってやってくる。
その横、三人の隊員が、防水布の上、まったく動かない騎士を運んできた。
「エラルド様、お願いですっ! ゴッフレード様を!」
「はい、すぐに。ああ、次はあなた方ですよ。完全回復!」
呆気ないほどに短い詠唱と共に、まばゆい白い光がこぼれ落ちる。
ゴッフレードは朱色の目を開くと、眠たげに横の騎士達を見た。
「せっかくきれいな花畑を歩いていたというのに、起こさないでくだされ……どれ、もう一眠り……」
「ゴッフレード様! お花畑は駄目ですっ!」
必死に叫ぶドリノにも、背中側から治癒魔法がかけられた。
エラルドは再び魔力ポーションをがぶ飲みし、重傷者を片端から治していく。
「ありがとうございます! エラルド様!」
「惜しいですな。このまま、歴史の教科書に載ろうかと思っておりました」
「お礼と苦情はオルディネ大公へどうぞ」
ヴォルフ達も、治癒を受け、魔力ポーションを一気飲みする。
気になる九頭大蛇は、クラーケンテープ付きの矢を次々と口と首に撃たれ、そちらから逃れようと必死で、隊員達はまるで視界に入っていない。
首を下げ、短い前足で首回りのクラーケンテープを外そうとしているが、厳しい体勢だ。
粘着力がかなり強そうなのもあり、一本も剥がれていない。
「これで最後だっ!」
土壁方向の弓騎士が叫び、長く白い尾を引く矢が放たれる。
それもまた、九頭大蛇の口元にしっかりと届いた。
幾重にも巻かれたクラーケンテープにより、三つの首からもう咆吼は上がらない。当然、毒液も吐けない。
「クァッ……?!」
「キュェ……?!」
「ゥップ……?!」
鳴き声も小さく、苛立ちが最高潮となったらしい九頭大蛇の三首が、同時に大きくうねった。
身体強化でクラーケンテープを裂き切るか、それとも風魔法の攻撃が来るか、周囲の隊員が姿勢低く身構えたそのとき――
「グブッッッ!」
ぎゅうっと、すべてのクラーケンテープが一段縮まった。
きつく食い込んだそれに、三つの首はさらに動けなくなる。というか、このまま窒息するかもしれない。
辺りが妙に静まりかえっていく。
『実験成功ですね!』『よかったです!』、そんな明るい声が聞こえたのは幻聴か。
「ヴォルフ、あれは、どういうことだろうか?」
「クラーケンテープって、魔力を入れると縮むんだ……」
首を動かすことも困難になりつつある九頭大蛇に、つい遠い目になってしまった。
ここまで命懸けて戦ってきた、いや、今も戦っている相手なのだが、こうして見るといろいろと感じるものがある。
あと、何もかも台無しの感が凄まじい。
「こういうとき、何て言えばいいんだろう……」
「何も言うな!」
「自分の中の騎士道が……」
「寝かせとけ!」
自分とランドルフの迷いは、替えの剣を持ったドリノに一喝された。
確かに、今はまだ戦いの途中だ。
「あーっははは! あれならば斬り放題ですなあ!」
「待て、レオン! お前は今、魔導義手がなかろう!」
「グラート隊長、早くご許可を!」
武器を構えた熟練隊員達が、そろって獰猛な笑みを浮かべている。
身体を癒され、魔力を補充した者達も、次々に構えを取り始める。
矢が放たれている間、隊長であるグラートは、カークからクラーケンテープによる実験、その他の知らせを聞いていた。
目の前ではエラルドの途切れぬ治癒魔法、魔力ポーションで戦力も回復した隊員達、後ろの陣から魔力酔いを醒ました隊員達が加わっている。
土壁の間からは、王都から来たザナルディ公爵と、魔物討伐部隊相談役のダリヤが見学中――
すべてを聞き終えたとき、魔物討伐部隊長の口角はきつくつり上がっていた。
「これで、やっと言える……!」
小さく、それでいて重いつぶやきが落ちる。
その後に響くのは、獅子の咆吼のごとき声。
「隊長命令だ! 全員、必ず生きて討ち果たせ! 後ろにはオルディネ大公とダリヤ先生がおいでだ! 我が隊の女神に、不甲斐ない様を見せるな!」
「「応っ!」」
大波のように、周囲から声が返った。
たちまちに、騎士達が魔物の足止めの陣形を組んで進む。
「気をつけろ! クラーケンテープの近くで身体強化をかけるとくっつくぞ!」
「なかなか剥がれませんから、注意してください!」
己の筋力頼りとなった隊員達が、それでも槍と剣を強くふるう。
九頭大蛇のウロコが宙にはじけ、騎士服の溶け消えた腕を切り裂く。
地面に叩きつける足が土を砕き、その破片が鎧のない身体を打つ。
魔法付与を重ねた矢がウロコの剥げた皮膚の上、ようやくに刺さり始めた。
濃い血の匂いは、もうどちらのものかもわからない。
「取れるなら首を取れ、ユドラス! ギーシュ! ヴォルフ!」
赤鎧の先輩二人、そして己の名が叫ばれた。
三人で合わせたように応、と答え、九頭大蛇へ向かって走り出す。
しかし、クラーケンテープ巻きになっているとはいえ、敵も大人しくやられるわけがない。
隊員達を蹴り飛ばして前へ進もうと、滅茶苦茶な動きを始めた。
それに必死に応戦しながら仲間達が足止めしてくれる。
「六の首はもらうぞ!」
先輩の一人が、その大剣で首の根元へ突っ込んでいく。
叩き斬ると同時、残る三の首がその身体を横殴りにする。とはいえ、クラーケンテープでその動きは阻害され、勢いは殺せていた。
先輩は血飛沫と共に地面に落ちたが、騎士達がすぐエラルドの元へ運んでいった。
「三の首を獲る!」
九頭大蛇の背に乗った先輩が走る。そこからは身体強化魔法を止めたのだろう、一段動きは遅くなった。
それでもたどり着いた首、クラーケンテープで巻かれたすぐ下を、深く切り裂いた。
悲鳴すらもなく、三の首がずるりとずれていく。
先輩は肩を外してしまったらしい。手から剣をとり落とし、左手で右肩を押さえつつ、なんとか背から飛び降りてきた。
「征け、ヴォルフ!」
「はいっ!」
クラーケンテープで二つの首はまだくっついている形だ。
三の首が途中まで落ちているせいで、残りの首の重さが五の首にかかり、動きが鈍っている。
これ以上の好機はない。
ヴォルフは九頭大蛇の手前、天狼の腕輪に魔力を流し、思いきり高く飛ぶ。
あとは身体強化を最小限に、落下の勢いと己の力、そして黒風の剣で首へ向かう。
「ぐっ!」
がつり、その衝撃に身体強化なしの手が思いきり痺れる。
黒風の魔剣でも、容易に斬れるわけがない。
肉の硬さに腕が鳴く、骨の硬さに肩が鳴く。
岩を斬るような感覚に歯を食いしばり、最後まで全力で振り抜いた。
と、斬った首からの血が顔に直撃し、たまらず目を閉じる。おかげで九頭大蛇の背に下り損ね、背中から落ちてしまう。
落下の風音に混じり、ダリヤに名を呼ばれた気がした。
「ヴォルフ、少しは後のことを考えろ!」
地面の衝撃を覚悟していたが、背中からランドルフに叱られるのが先だった。
落ちる前ぎりぎりで拾い止めてくれたらしい。
立ち上がり、彼へ謝ろうとしたとき、目の前にドリノが滑り込んだ。
「ランドルフ、それお前もな! さっきの『楽しかった件』について、後でゆっくりお話しような!」
「う、うむ……」
祝勝会の話が一つ決まってしまった。
そんなことを思いつつ、顔の血を手のひらで拭い、口に残る九頭大蛇の血を吐き捨てる。
すべての首は落とした。
これでようやく終わり、ダリヤの元へ行ける――そう思ったとき、ひどく悪寒がした。
「まだ本体が動くぞ! 下に潜らないようにしろ!」
「ったく! 九頭大蛇の不死者とか、お断りだぞ!」
背後の九頭大蛇の本体が、まだ動いていた。
まるで死んでいることに気づかぬかのように、その足を前に出し、ずるずると進んでいく。
攻撃は一切ないが、不気味なことこの上ない。
隊員達が足を狙うが、首よりはるかに硬く切り裂けない。
魔法と武器による攻撃で胴を狙い、さらに首元を狙い、大量の血を流させても、首無しの九頭大蛇は這い進んでいく。
「鶏と似たようなものか。このまま放っておけば終わらないか?」
「そうかもしれんが、あっちに進まれるとまずいだろう」
勢いも速度も弱まっている。止まるまでは時間の問題だと思われた。
だが、向かっているのは森、距離はかなりあるが方向は隣国エリルキアだ。
討伐の際、隣国へ追おうとしていたと誤解されれば、国際問題になる可能性がある。
万が一、方向転換され、後方の土壁へ行かれても厄介だ。九頭大蛇本体の重量では、土壁も簡単に壊されてしまう。
「新しい土壁で一時足止めしてもいいが、方向を変えられると危険だ。後方の者達を避難させ、森側から回り込んで止めることにしよう」
グラートが足の速い隊員に伝言を頼もうとしたとき、土壁の間、声を上げた者がいた。
「グラート隊長ー! 素材を冷凍保存していいですかー?」
両手を口の横に叫ぶのは、ザナルディだ。
九頭大蛇の頭を傷まぬうちに凍らせたいのだろう。
緊張感のない声に、グラートが了承を返し、合図に右手を上げる。
うなずいたザナルディ、そして横のダリヤが土壁の後ろに消えると、黒いローブを肩にした銀髪の主が進み出た。
「あ、兄上?!」
ヴォルフは目を見張った。
王城を守護する役目を持つグイードが、何故ここにいるのだ?
いや、もしかするとザナルディの護衛役で、ダリヤと共に来たのかもしれないが――
混乱しつつ目をこらしていると、兄が自分を見た。
咳でもしているのか、グイードが一度下を向く。
再び顔を上げると、純白の長杖を右手に、完全な無表情で九頭大蛇へ向いた。
「我が全魔力を代価に結べ――結氷牢獄!」
吹雪のような冷たい魔力に思わず身を硬くすると、上空にぎらりと光るものが見えた。
ガツンガツンと固い音が同時に八つ重なり、九頭大蛇の周り、巨大な白の柱が地面深くに突き刺さる。
続いて、肉のぶつかる鈍い音がして、二本の氷柱が折れ、二本の氷柱にヒビが入った。
だが、それに触れる身体、流れる血までがたちまちに凍りついていく。
パキパキという音と、細く白い煙が上がる中、巨体はようやくに動きを止めた。
「止まったか?」
「あれなら、もう動けないと思うが……」
確かめ合うように言いながらも、隊員達は誰も武器を手放さない。
グラートが首を左右に、視線を遠く近くへ動かしている。
それが隊員達の最終安否確認だと、皆わかっていた。
エラルドの足元で横になっていた隊員が、自力で立ち上がる。
魔導義足を溶かしたベルニージや、血が足りずふらつく者は、他の隊員と肩を組んで立った。
ほとんどの者が血と泥にまみれ、目の下には濃い隈、息は荒く、騎士服や鎧は溶け、まだ毒液であちこち火傷も続いており――
それでも、倒れ冷えていく者は一人もいない。
雲間から光が差し、グラートの横顔をきらりと照らした。
王国騎士団魔物討伐部隊長は、右手の剣を天に向け、声高く宣言する。
「九頭大蛇討伐、完了!!」
空と地を、歓喜の叫びが覆い尽くした。