411.魔物討伐部隊の魔導具師とオルディネ大公の実験
「戻りました! ちょっとだけお付き合いください」
コーヒーが冷めぬうちに、ザナルディが一人の男性を連れて部屋に戻ってきた。
金髪に紺黒の目をした彼は、整った顔にくっきりと疑問符を貼り付けていた。
年齢は五十代ぐらいか。背が高く、それなりにがっしりはしているが、おそらく王城の上級魔導師なのだろう。
騎士服ではなく、白のシャツに前を閉じぬままの黒いベストとズボン、どれも艶やかな絹だ。
魔導師のローブを羽織る暇もなく連れて来られたらしい。
その目の下には、くっきりと濃い隈があった。
九頭大蛇出現の有事で忙しいところ、仕事を中断させてしまって申し訳ない。
「急ぎですから、挨拶も名乗りも省略で。さあ、ロセッティ君、クラーケンテープのそちらを」
ザナルディに早口で言われ、幅広のクラーケンテープを差し出された。
が、目の前の男性はおそらく貴族である。
無理に連れて来られた可能性がとても高いので、一応確認する。
「あの、クラーケンテープがお体にくっつくかと思いますが、よろしいでしょうか?」
「かまわんぞ。風魔法でよいのだな?」
紺黒の目の男が、苦笑しつつうなずいた。どうやら風魔法の使い手らしい。
ダリヤはテーブルを迂回し、幅広のクラーケンテープを長めに伸ばす。先端はザナルディが持ち、自分が本体を持った。
「では、失礼し……っ!」
魔導師に魔法を願おうとした瞬間、手元のクラーケンテープが消えた。
びたん!と音がしたことで、本体一巻きが丸ごと飛んでいったのに気づいた。
ザナルディの方も、テープの端を保持していることができなかったらしい。
伸びたクラーケンテープは、魔導師の顔や首、腕にびたびたと貼り付いていた。
「うわっ!」
ザナルディがクラーケンテープの本体を剥がそうと引っ張ったが、そのまま追加で伸ばす形になってしまった。
それが追加となった形でさらに顔につき、本人も両手で取ろうとする。
しかし、剥がそうとしても剥がせないらしい。
「っ!」
ダリヤの目からは、魔導師の鼻から口元まで、クラーケンテープがびったりくっついているのが見えた。
ということは、呼吸ができていないではないか!
「失礼しますっ!」
ダリヤは全力で、彼の鼻から口のクラーケンテープを剥がしにかかった。
この者はどれだけ魔力が強いのか、なかなか取れない。ただただ必死に剥がした。
ようやく剥がし終えたときには、その顔や喉に腕と、あちこち皮膚が赤くなってしまった。
おまけに、ダリヤの爪痕が頬に二本残っている。
魔導師は肩でぜいぜいと息をしていた。
「ああ、赤くなってしまいましたね。おいしいポーションはいかがです?」
「要らぬ――治癒」
ザナルディの問いかけに答えた彼は、一瞬だけ青白く発光した。
皮膚の赤さはきれいに消える。
どうやら治癒魔法も使える魔導師だったようだ。
ダリヤがほっと胸をなで下ろすと同時、ドアが激しく叩かれた。
「オルディネ大公、解錠を! ご許可頂けぬ場合、五つ数えて破ります!」
「開いてますよ」
ザナルディが緊張感なく応え、メイドがドアをすぐ開く。
白い騎士服の騎士三人が、雪崩れこむように入ってきた。
「お一人での移動はおやめください! 御身になにかあっては!」
「セラフィノに少し話があっただけだ。すぐ戻る」
短く答えた彼は、抗議の色濃い騎士達を伴って部屋を出て行く。
そしてドアの手前、半分だけ振り返った。
「なかなか楽しかったぞ。セラフィノ、ロセッティ」
優雅な笑顔に、ザナルディと二人、礼の言葉を返す。
「ご協力に感謝します」
「か、感謝申し上げます……」
ダリヤはそこからドアが閉まるまで、頭を深く下げたままだった。
ザナルディ大公の名を呼び捨てにし、白い騎士服の護衛騎士を伴う者。
誰だったかの予想はほぼつく。
しかし、自分の立場的に、心から確認したくないが、尋ねざるを得ない。
「――あの、ザナルディ様、今の御方は?」
「叔父です。魔力がオルディネ最高値なので一番かと思いまして」
「ザナルディ様の叔父様と言うと、その……」
「ええ、オルディネ王ですよ」
ダリヤは膝から崩れ落ちかける。
なんてことをしてしまったのだ、不敬罪で一生日の当たらぬ所へ入れられてもおかしくないではないか。
クラーケンテープで人生が終わってしまう!
「名乗られていないのですから、あなたの知らない人ですよ」
しれっと言い切ったザナルディへ、思いきり恨みがましい目を向けてしまった。
ダリヤの姓は呼ばれたではないか。
自分が名乗っていないのに呼ばれたということは認識されたということで――ザナルディが主導したとはいえ、やったことはどの方向から見てもまちがいなく不敬だ。
相談したくても、ヴォルフもグラート隊長もグイードもヨナスもいない。
ぐるぐるする頭を抱えていると、再びノックの音がした。
ダリヤは王か騎士が抗議のために戻ってきたのではないかと、思わず身構える。
「ザナルディ様、こちらと伺いましたので。本日、お体の具合はいかがですか?」
「すこぶる順調ですよ、エラルド君」
入ってきたのは銀襟の神官、エラルドであった。
どうやら、ザナルディの健康確認に来たらしい。心底ほっとした。
「ああ、ダリヤ先生、魔物討伐部隊のことをご心配なさっていたのですね、目が――」
「い、いえ、大丈夫です!」
この涙目は、オルディネ王に危害を加えた自分へのものである。
しかし、言うに言えない。
いたわりをこめたエラルドのまなざしが、今はちくりと痛い。
「クラーケンテープの効果は高そうですね。この際、九頭大蛇で実証実験をしましょうか」
王の惨事も一切気にかけぬザナルディは、硬くなったクラーケンテープを指で撫でていた。
その楽しげな表情に、ダリヤはつい聞き返す。
「ザナルディ様、あの、国境の九頭大蛇でお試しになるのですか?」
「ええ。こんな私ですが、『オルディネ大公権限』というのがありましてね、王城のワイバーンを動かせるんですよ。伝令が二頭と、待機が一頭。三頭いますから、次が来たら我々も国境へ行きましょう」
「はい?」
「思い切りがよいところは、さすが魔物討伐部隊の相談役です! さあ、準備しましょう」
聞き返したはずの言葉は、了承とみなされた。
もちろん行くが、とても行きたいが、自分は何の役にも立てない気がする。
つい、視線は隣のエラルドに向いた。
彼が行ってくれれば、重い怪我を負ったとしてもきっと助かる。
けれど、九頭大蛇が危ないのも確かだ。
迷うダリヤが見たのは、エラルドの横顔だった。彼はザナルディへ、まっすぐに視線を向けていた。
「ザナルディ様、私を『荷物』にして頂けませんか? ポーションを持って行く手間が省けますから」
「それはありがたいですね。あなたが付いてきてくれるなら、何度死にかけても問題なさそうです」
さらりと大問題になりそうなことを言ったザナルディが、少しばかり眉を寄せる。
「ですが、よろしいのですか、エラルド君? 今日これからの予定もあるでしょうし、正規なら神殿の許可を取らなければいけません」
「殿下への講義は次に回せます。神殿には出立直前に使いを出せばよいでしょう」
やわらかな声で答えられたそれに、ザナルディが浅くうなずく。
「なるほど。世の中には急いでも間に合わなかった、ということがよくありますね」
「ええ、予定や出発が諸般の事情で前倒しになるのは、よくあることです」
笑顔で会話をしているのだが、悪巧みをしているようにしか聞こえないのは何故だ。
しかし、ぜひお願いしたいので口はきつく閉じておくことにする。
こうなると自分も共犯だ。
「ワイバーンで運べるのは三人までですから――」
「セラフィノ様! 護衛をつけずに国境へ行かれるなどありえません!」
部屋に飛び込んできたのは、ザナルディの護衛騎士だった。
隣室にこちらの会話は筒抜けなので、当然とも言える。
「もちろんベガにも同行してもらいますよ。次のワイバーンが戻ったら、二頭で行きましょう」
護衛騎士は一瞬、安堵の表情となり、それを慌てて整える。
開ききったドアから、カークとマルチェラもこちらへやってきた。
「レオナルディ君、急な話になりますが、国境へ同行して、エラルド君の護衛をお願いできませんか?」
「喜んでお受け致します!」
カークがふりかぶってうなずいた。
「ロセッティ君の護衛の方は、同行願えますか?」
「はい、お受け致します」
「マルチェラさ、いえ、マルチェラは王都に――」
「いえ、私はロセッティ会長の護衛です。同行させてください」
マルチェラに頭を下げられ、この場で何も言えなくなる。
そのまま、各自の準備が始まってしまった。
そろって廊下に出ての移動中、ダリヤは隣のマルチェラへささやきで伝える。
「ごめんなさい、マルチェラさん、巻き込む形になって。これからでも残れるようにするから」
産後のイルマと乳児がいる上に、護衛騎士経験の短いマルチェラを連れて行きたくはない。
このまま残す方法を懸命に考える自分に、彼は笑顔でささやいた。
「いいんだ、ダリヤちゃん。俺は一度、九頭大蛇をぶん殴ってみたかったんだ」