410.魔物討伐部隊の魔導具師とオルディネ大公の仮説
時は少し遡る――
グラート達、魔物討伐部隊の出発を見送った翌日、ダリヤは朝から王城へ来ていた。
九頭大蛇に関する続報を聞くためだ。
昨夜、ヴォルフ達は国境に到着したという。
そして、いまだ九頭大蛇の出現情報はない。
このまま国境大森林の奥深くか、空を飛んで未開の地へ移動してくれないものかと何度思ったかわからない。
できるものなら、自分も今すぐ国境へ行きたい。
行ったところで、できることなど何もない。
己の身を守ることすらできないのだ、邪魔になるだけだろう。
それでも、九頭大蛇と戦う彼らを王都で待つのは、時間が果てしなく長く思えて、辛い。
ただただヴォルフが、魔物討伐部隊の皆が心配で――
もっとも、自分のこんな思いは甘いのだろう。
昨日、王城近くの街道で隊長達の騎馬とすれ違ったというカークが戻った。
ヴォルフの後輩騎士である彼は、魔羊捕獲に出向いた遠征組の中、ただ一人、先発隊に加われなかったと聞いた。
身体強化魔法がないため、伝令役になったのだと。
彼は一人、魔物討伐部隊棟に戻り、隊長代理のジスモンドに書類を渡し、報告した。
受け取ったジスモンドはカークの肩に手を置き、ただ一言を告げた。
「――よく耐えた、カーク」
カークは頭を下げたまま、上げなかった。いや、上げられなかったのだろう。
若い隊員が彼に駆け寄り、腕をとって部屋を出て行った。
ドアが閉まらぬうちに聞こえたのは、押し殺しても隠せない慟哭。
悔しさと心配をないまぜにしたそれに、部屋の者は皆、無言になった。
部屋にいた隊員は、皆、見送り組だ。
彼らを、そして、国境に向かった隊員の家族や恋人の想いを考えれば、ダリヤが嘆くことなど許されない気がする。
受付で報告を受けた後、護衛役のマルチェラと共に魔物討伐部隊棟を出た。
まだ午前の茶の時間にも間がある。
王城魔導具制作部長のウロスからは、一課と二課にはいつでも来ていいと言われている。
また防水布作りの手伝いに行こうかと考え、指先のじわりとした痛みに気づいた。
叙爵のために伸ばしていた爪は、作業に邪魔だからと短く切った。
慌てていたせいで、ちょっと深爪気味だ。
「ダリヤ先生!」
呼ばれた方を向くと、緑髪の青年が駆けてきた。
「カークさん……」
今までもヴォルフと一緒に会うことの多かった彼は、自分にこの呼び方を許してくれている。
いつも快活であったその顔は、疲労と焦燥の色が濃い。
「隊の方に連絡はあったでしょうか?」
「先発隊の方が国境に到着したと、それと、九頭大蛇の情報はまだないと伺いました」
「そうですか……」
噛みしめられた唇が白くなった。
おそらくほとんど眠っていないのだろう、その目は赤く、隈もくっきりと見えた。
「カークさん、あの、差し出がましいようですが、お体を大切になさってください……」
昨日、伝令役として馬を飛ばして戻ってきたのだ、疲労もあるだろう。
そう思って言ったのに、彼はその目に悲痛な色を宿した。
「ダリヤ先生、ヴォルフ先輩達を置いて、俺だけが戻ってきて、申し訳――」
「おや、ロセッティ君、おはようございます」
謝りかけたカークの後ろ、大公であるザナルディとその護衛騎士がやってきた。
一礼の後、挨拶を返すと、彼はダリヤに問いかける。
「ロセッティ君、今日は王城待機ですか? なにか急ぎの仕事が?」
「いえ、知らせを待ちたいと思いまして――」
こういうときにどうするのが正解なのかはわからない。
商会はイヴァーノに任せ、魔物討伐部隊の相談役として王城で待機することを選んだ。
「ただ待つのは時間が長く感じるでしょう。前回の九頭大蛇の皮でもご覧になりませんか? ロセッティ君と護衛の方と――そちらの騎士殿、名乗りを願っても?」
「カーク・レオナルディと申します。ご尊顔を拝し光栄です、ザナルディ大公」
話を振られたカークが、右手を左肩に当て、流れるように挨拶をする。
彼もまた貴族なのだと、改めて感じた。
「ああ、王都の壁守りの、レオナルディ子爵のご子息ですね。楽に話して構いませんよ。私は大公の肩書きだけがありますが、王城の『錬銀術師』『魔導ランタン昼型』と呼ばれる程度の者です。不敬を問うようなことはありません」
ダリヤが最初に会ったときと同じ、緊張感なく言われるそれに、カークが身を固くしている。
大公にそう言われても、はい、そうですか、と言えるわけがない。
だが、彼は緊張からそうしていたわけではないらしい。
ザナルディへまっすぐに向くと、その場で片膝をつき、頭を下げた。
「ザナルディ大公、不敬を承知でお願い申し上げます――国境へ、王城騎士団、魔導部隊の方をお願いすることはできませんでしょうか」
固い声で願われたそれは、ダリヤも同じく思っていたことだった。
思わず視線を上げると、ザナルディは目を糸のようにして笑んでいた。
「騎士団としてではありませんが、魔導部隊の一部が、もう行きましたよ」
「え……?」
「まず立ちなさい、レオナルディ君。膝が汚れます」
カークが困惑を込めて立ち上がると、ザナルディが言葉を続けた。
「グイード――スカルファロット侯と魔導部隊の希望者が、昨日の夕方に出立しました。王城の守りも大事ですが、九頭大蛇はとても希少な素材ですから、内々で冷凍保存を頼んだのです。冷えすぎるといけないからと火魔法持ちの魔導師や、運ぶのは船になるかもしれないからと風魔法の得意な魔導師なども行きましたよ」
「グイード様と、魔導師の皆様が……」
それであれば、九頭大蛇が出てきても、きっと戦いは有利になるだろう。
心強い話に、肩の力が少しだけ抜けた気がした。
「王の命令で集めたハイポーションもワイバーンで運ばせました。冒険者ギルドにも在庫がちょうどあったそうで、それなりの量です。今頃は届いているでしょう」
灰色の空を見上げた彼が、眼鏡の弦を黒手袋の指で上げ直す。
「前回よりはいいはずです。それしか言えぬこの身が不甲斐ないですが」
「いえ、ありがとうございます! ザナルディ大公!」
「ありがとうございます、ザナルディ様!」
カークと同時に礼を述べると、彼は首を横に振った。
「すべては王のお力ですよ。さて、九頭大蛇の皮を見ながら、三課でコーヒーでも飲みませんか? ああ、レオナルディ君もできれば――魔物討伐部隊の相談役をお借りする形になりますので付添人をお願いしたいのです」
「ぜひご一緒させてください」
ザナルディの誘いを受け、ダリヤはカーク、マルチェラと共に三課へ向かうこととなった。
魔物討伐部隊の受付に三課への移動を告げた後、馬車で王城の裏門に近いそこへ移動する。
古びて苔むした塔は、一課や二課の建物とは、やはり雰囲気が違う。
重そうな金属扉をくぐると、一行はそのまま地下へ向かった。
「セラフィノ様、二部屋をご準備致します」
いつの間にかザナルディの隣に現れたメイドが、小声で告げる。
少し眉を寄せた彼は、ダリヤ達に言った。
「全員同室でと言いたいところなのですが、今は有事扱いなので、伯爵家以上の家の者か、本人に爵位がある者としか同室でお茶が飲めないのです」
ザナルディは魔導ランタン昼型などと名乗っているが、王位継承権は三位である。
仕方がないのかもしれない。
しかし、そうなると、ザナルディと同室でお茶を飲むのは自分だけになる。
作法も話術もまったく自信が無い。一気に緊張してきた。
「あなた方ならいつでも破れる木の壁で区切った部屋にしましょう。もちろん、ロセッティ君の隣にはメイドをつかせますよ」
「私はセラフィノ様の護衛です、同室のご許可を」
「ベガ、私側の者が一人もいなくてどうするのです? 今日は騎士同士で歓談なさい」
そのままさらに地下を降りると、全員で一つの部屋に入る。
部屋の右側には木の壁があり、木のドアがあった。
そちらからザナルディの護衛騎士であるベガ、カーク、マルチェラが隣室に移る。
ザナルディと自分は手前の部屋に残り、ローテーブルをはさんで座る形になった。
もっとも、ドアはストッパーによって半分ほど開けられており、状況や声はどちら側からでもわかる。
その後、すぐにメイドがワゴンをひいてきた。
テーブルに並べられたのは、コーヒーに砂糖にミルク、そしてクッキー、クリーム色のジャムのようなものが入ったガラス瓶だった。
隣室にも同じものが運ばれて行き、カークとマルチェラが固い声で礼を述べるのが聞こえた。
それに倣おうとし、ダリヤは声を上ずらせる。
「ほ、本日は、お招きをありがとうございます……」
「ロセッティ君、メモは渡しているでしょう。楽にしてください」
確かに、ザナルディからは不敬は問わぬという一文と署名をメモにしたものをもらった。今も手帳にはさんでいる。
しかし、楽にできるかどうかは別である。
「ロセッティ君はもう男爵となったのですね。おめでとうございます。コーヒーでお祝いというのもしまりませんが」
「いえ、お言葉をありがとうございます」
叙爵の儀がなかったせいか、いまだ男爵の実感はない。
けれど、羊皮紙に刻まれた名は、確かにダリヤ・ロセッティ男爵。
一番先に見せたかったヴォルフには、いまだ見せられていない。
「こちらのミルクジャムは、北の牧場の特産品です。コーヒーとよく合いますよ。あと忘れないうちに――こちらが九頭大蛇の皮の端切れです」
その二つを同時に同じテーブルに載せられると、ちょっと困惑してしまう。
ザナルディが九頭大蛇のガラス瓶を渡してきたので、両手で慎重に受け取った。
銀の蓋に赤いバツ印のついたガラス瓶の中、黒く細長い物体が見える。
乾ききったそれは、黒い皮の上に少しだけ白い粉をふき、九頭大蛇だと言われなければ爬虫類の皮としかわからない。
「ただの蛇皮のようでしょう?」
「はい、私は見ても判別できません。魔力も残っていないようですから」
討伐から三十年近く経っているのだ、魔力の残滓も感じられない。
ガラス瓶をそっとテーブルに戻すと、ザナルディはメイドに預け、隣室へ運ばせた。
「これが九頭大蛇ですか?!」
「本当に黒いんですね……」
「はい、九頭大蛇はその身体全体が黒だったと言われており――」
隣室から護衛騎士のベガが、カークとマルチェラに説明している声が聞こえる。
つい聞き入りそうになり、ダリヤはソファーに座り直した。
向かいでは、湯気の上がるコーヒーの前、ザナルディがミルクジャムの蓋を開けようと格闘していた。
「これはちょっと固いですね――」
ぺきん、独特な音がして、金属の蓋は外れた。
その口部分、パッキン素材としてのクラーケンテープがべろりと剥がれていた。
おそらく、貼りが甘かったのだろう。
クラーケンテープは白い厚手の布、前世の布の絆創膏に似ている感じだ。
魔力を通すと半透明の白いゴムのような材質になり、粘着性も出る。
パッキンや滑り止めなどにも使われる品だ。
「これはもう使えませんね。後で中身を入れ替えてもらいましょう」
「クラーケンテープを貼り替えれば、そのままお使いになれるかと――」
前世と違い、今世の透明なガラス瓶はちょっとお高い。
つい、そんなことを思って口にしかけ、相手にはまるで必要のないことを思い出す。
緊張がいらぬことを言わせてしまうこともあるらしい。
「確かに入れ替えは手間ですが、三課でクラーケンテープを貼れる者はいないので。二課の補助作業員にでもお願いしないといけません。クラーケンテープを貼るのは補助作業員か外注の仕事で、王城魔導具師は原則としてしないように言われていますから」
クラーケンテープは魔力が高いほどくっつきやすいので、当然だろう。
王城の魔導具師達の魔力であれば、使う前に丸まってしまいそうだ。
「あの、私でよろしければ貼らせて頂けませんか?」
幸い、鞄のポケットに一番細いクラーケンテープがある。
踵の高めの靴を履いていたとき、内側、踵の後ろに貼り、滑り止めにして、そのままにしていたのだ。
「では、お願いします」
許可をくれたザナルディは、興味深そうに自分の付与を見ていた。
もっとも、難しいことは何もない。
一定の魔力を入れながら、瓶の縁をくるりと一周するだけである。
「美しい付与ですね。前より開け閉めしやすくなりました」
やはり、ザナルディも貴族だ。
こんな単純な付与でも、上の立場の者として丁寧に褒めてくれる。
そう思いつつ、ダリヤは勧められたミルクジャムをスプーンですくい、コーヒーに沈めた。
コーヒーの香りにふわりとミルクジャムのそれが混じり、苦みが甘さにやわらげられる。
温かなコーヒーは、ダリヤには今日初めての食事のようなものだった。
「三課のちょっとした作業で、クラーケンテープが気軽に使えたら便利なのですが。前に箱のパッキンを直そうとした者が手のひらにくっつけて、自分の火魔法で焼いて取っていましたから」
火魔法をそんなふうに使っても、本人は火傷をしないらしい。ちょっと驚いた。
それにしても、そんなに高魔力の者にくっつくのならば、いっそ――
「クラーケンテープで九頭大蛇が巻ければいいのですが」
「あはは! ロセッティ君、じつに魔物討伐部隊らしい発想ですね。九頭大蛇は高魔力でしょうからよくくっつくかもしれませんよ」
ザナルディが楽しげに笑うので、ダリヤも笑んで返す。
「首が一まとめに出来たら、戦いやすそうです」
「なるほど、九本一まとめですか。別々に動かれるよりはきっと楽ですね。テープを巻くのは大変そうですが」
「それであれば、一匹一匹の口を閉じさせて巻くとか――」
「そちらの方がよさそうですね。毒液を吐かなければ近距離攻撃しやすくなります」
「九頭大蛇に火魔法はないのでしょうか?」
「風魔法と魔力感知は確認されていますが、火魔法はなかったはずです。ただ、クラーケンテープは力を入れて引っ張ったら手でも切れるほど脆いですよね?」
「細いもの一、二本でしたら。ですが、本数があれば切れませんし、クラーケンテープは魔力を入れるほど硬くなります」
「乙女の髪をより合わせたもので、東ノ国の龍が繋がれたというおとぎ話がありましたが、もしかすると本当なのかもしれません。一番幅のあるクラーケンテープで、本数を揃えれば……」
笑って始まった会話は、いつの間にか淡々としたものに変わっていく。
互いの考えていることが、希望から仮説になっていくような気がした。
もっとも、世の中はそんなに甘くないだろう。
そう思う自分の向かい、ザナルディが立ち上がった。
「ちょっと試してみましょう。魔力の高い人を連れてきます」
ザナルディはそう言うと、即座に部屋を出て行った。
とても行動力の高い方である。
メイドが新しいカップで二杯目のコーヒーを淹れ、バタークッキーを勧めてくれる。
ダリヤはそれをありがたく味わうことにした。