409.魔物討伐部隊九頭大蛇戦(二)
・活動報告(2022.10.28)にコンビニプリント追加のお知らせをアップしました。
「おっしゃ、さっぱりした! もう一戦!」
「応とも!」
「ああ、行くぞ!」
ドリノの明るい声に、周囲が沸く。
剣を持ったのは高等学院から、それなのに平然と自分と競う友は、その剣で大きな斜線を描く。
飛び込む先、首の皮を削られた三の首が、後方に下がった。
ここで九頭大蛇を進ませ、戦いの場を移すわけにはいかない。
動けぬ隊員達に向かわせたくもない。
ヴォルフとドリノ、動ける騎士達は攻撃を続ける。
「あ!」
不意にばくりと噛まれたのは、ドリノの剣だった。彼は迷わず柄から手を離す。
そして、目の前の鼻先にすかさず魔法を向けた。
「氷針!」
そのまま発動させると、その顎からは逃げられた。代わり、ぐしゅん!と、九頭大蛇のくしゃみめいたもので飛ばされる。
その勢いと方向は予測できず、ドリノは斜めに転びかけ――かぷりと六の首に捕まった。
「おいしくない! おいしくないからな!」
必死の言葉が通じたか、それともその前の赤い鎧のまずさを知っているからか、六の首に噛まれてはいるが、牙を立てられてはいない。
ただし、その長い首は器用にしなり、背後の岩山に向いた。
「ちょ、待ったーっ!」
ふりかぶって投げられ、ドリノがボールのように飛ぶ。
ドスンと鈍い音がして、そのまま岩山の壁をずるずると地面へ落ちた。
「ドリノっ!」
「生きてるー!」
声は即座に返ってきたが、その場から動けぬらしい。
だが、六の首はそれでやめたが、三の首がドリノに向いた。
「ギシャー!」
三の首は苦さも構わぬものか、それとも後ろは岩壁だから押し潰す気か。
目の前に伸びる首を、丸腰のドリノが弱い氷魔法で迎え打とうとする。
「死んでたまるか! こちとら、かわいい妻が王都で待ってんだよ!」
「ドリノっ!」
助けたくて駆け出しても、本体の向こうで時間がかかる。彼の姿が九頭大蛇の陰になって見えない。
ヴォルフがあせる中、悲鳴に似た声が響いた。
「ゴッフレード様っ!」
「問題ないぞ、ドリノ先輩。喰われたのは魔導義手だ。魔導具師殿に新型を頼む口実になる」
大剣を片手で振った騎士は、笑いながら答える。
けれど、流れ落ちる赤い線と風に乗る匂いでわかる。もっていかれたのは生身の上腕ごとだ。
「さあ、もう一狩り行こうぞ!」
背のドリノから距離を取るつもりなのだろう、ゴッフレードが大剣を構えて九頭大蛇へ駆け出す。
鬼気迫る彼に、三の首は危険を感じたのか、首を大きくしならせた後、ゴッフレードの真上へ振り下ろした。
「避けろ、ゴードっ!」
誰かの叫びに重なり、三の首の下、バギリと鈍い音が響いた。
すでに彼に兜はなく、鎧は溶けかかっていた。その身を守るにはあまりに脆い。
倒れたまま動かぬ騎士の手から、灰銀の大剣は離れていた。
「この野郎っ!」
九頭大蛇に叫ぶドリノを、壮年の騎士が捕まえて離脱する。
迫りくる首を老齢の騎士が槍をふるって止め、若い騎士が剣を持ってその背を守る。
「ギシャアァー!」
九頭大蛇の前足が地面にめり込む。
身体を大きく揺らすと、ばりばりと音を立て、後ろ足を引き抜いた。
「総員、なんとしてもここで止めるぞ!」
「「応っ!」」
ずるりずるり、九頭大蛇は向きを変えてこちらへ向かおうとしている。
「灰手!」
叫んだグラートが剣をふるう。狙いは九頭大蛇の太い足だ。
だが、白い煙たなびく魔剣は、その黒いウロコにも届くことはなかった。
首二つがグラートを狙って毒液を吐き、距離を縮めさせない。
ベルニージの現役時代、ワイバーンが空を飛び、地に映る影を『死の影』と呼んでいたという。
ワイバーンが死を呼ぶ魔物なら、この九頭大蛇は地獄へ誘う魔物だ。
尾を断ち、首の数を半分以下に減らしたのに、倒れることも弱ることもない。
近寄れば毒液を受けるか、太い首に跳ね飛ばされる。
また一人、騎士が地に倒れ伏して動かなくなった。
「ヴォルフ、ドリノ!」
不意に、自分とドリノの名が叫ばれた。
乱戦の中でも、その声ははっきり聞き取れた。
「ランドルフ?!」
彼はいつの間にか、九頭大蛇の背、その首元近くにいた。
右腕がだらんと下がり、一目で折れているとわかる。右目はすでに開かず、額から顎までが毒で焼け爛れていた。
それでも彼は、少年のように笑った。
「我が親友達よ、これまでに礼を言う! 本当に、楽しかった!」
その言葉に、剣も盾も持たぬ彼が、九頭大蛇の首元にいる理由がわかってしまった。
「やめろ、ランドルフっ!」
「ざっけんな、馬鹿野郎っ!」
違う場にいるドリノと、同時に怒鳴る。
止めに行きたいが、目の前の五の首に邪魔されて進めない。
「ランドルフ! とにかく一回下がれ!」
ドリノも気づいているのだろう。
土魔法には、対魔物用として効果が高い、有名な魔法がある。
己を起点として、その周囲に全魔力で土魔法を広げる。それによって、障害物を壊したり、周囲を固めたりできる。
とても強固だが、術者はそのまま動けなくなる。そんな捨て身の魔法だ。
「俺はここを固める! お前達は生きて幸せに……っ!」
必死の笑顔で言いかけた彼が、大きく姿勢を崩した。
「五十年早いぞ、若造!」
高らかな声と共に、ランドルフが九頭大蛇の首元から蹴り落とされる。
転がってくる彼と共に、外れた魔導義足がぼとりと落ちた。その表面はすでにぐずぐずに溶けていた。
「こういう格好いいことは、年の順じゃ!」
「九頭大蛇殿か九頭大蛇嬢かわかりませんが、もう一曲、我らと踊って頂きましょう!」
九頭大蛇の背の上、ベルニージとレオンツィオが楽しげに笑う。
二人とも、もう兜も鎧もない。
ベルニージは剣を杖代わりに立っている。
レオンツィオは魔導義手も上半身の上着もなくなっていた。
二人とも深い傷を負っていると一目でわかる。赤く染まる身は、立っているのが不思議なほどだ。
「ベルニージ様! お待ちください!」
再び九頭大蛇の背に向かおうとするランドルフを、飛びついて止める。
他の騎士達が必死に他の首を討とうとしているが、狙って毒液を吐かれ、剣も槍も届かない。
「どうか、ウロス殿にお伝えください、最高の槍だったと!」
「ご自分でお伝えくださいっ!」
叫び合う中、頭上から吐かれた毒液を、レオンツィオが水魔法の盾で受け流す。
だが、もう魔力がないのだろう。途中で消えたそれでベルニージは守れたが、彼は派手に毒液を浴びた。
肉が溶け落ちていく肩で、それでもレオンツィオは槍を持つ。
襲い来る三の首、その目を狙って牽制し、苛立たしげな鳴き声を上げさせた。
しかし、その肩では長く防御ができるはずもない。
「レオンツィオ様!」
九頭大蛇の背に乗ろうと飛んだところで、ヴォルフはガクンと体勢を崩す。
急激な脱力感に魔力切れを悟ったが、空中ではどうしようもない。
伸びた他の首に、地に叩きつけられるように落とされた。
「ぐっ!」
ばきり、と嫌な音がした。左腕が折れた、おそらく左足もいった。
手元にハイポーションはない。剣を支えに右足で踏ん張り、起き上がるだけで精一杯。
目の前に迫るのは九頭大蛇の大きく開いた赤い口、白い牙――
ここまでか、そう思った瞬間、一人の笑顔が鮮やかに思い出された。
叙爵の前祝いに行くと言った自分に、ダリヤは『楽しみに待っています』と答えてくれた。
次にあの店に行こう、また同じ景色を見よう、冬祭りを共に過ごそう、そんな先の約束が沢山ある。
未来に何の希望も抱いていなかった自分に、明るい明日を教えてくれた彼女。
ダリヤとの約束を破るわけにはいかない。
ダリヤを泣かせるわけにはいかない。
俺は、彼女の元へ、帰らなくてはいけない。
「まだだっ!」
咄嗟に天狼の腕輪に意識を、集中させた。
すべてを喰らわんとばかり、腕輪はこの身からわずかな残り魔力を剥がしていく。
視界は一気に赤く染まった。
全力で飛び上がり、向かってくる首の頭を蹴って飛び、背側に黒い剣を振るう。
手応えはあったが、深さが足りない。
呆気なく再び弾き跳ばされた。
受け身もとれずに地面を転がると、衝撃と痛みで呼吸が息が止まりそうになる。
「ヴォルフレードっ!」
先輩の騎士が這いずって自分にハイポーションを渡してきた。
もう瓶を指で開けることなどできず、そのまま歯を立てて蓋を噛みちぎる。
それでも、まだ剣を支えに身体を起こすのが精一杯。
回復までのわずかな時間がたまらなく長く感じた。
「まだだ……! 我らも行くぞ……」
倒れていた隊員達が、這うように起き上がる。
剣や槍を支えに、フラつきながらも九頭大蛇に向かう。
槍を当てても、傷をつけられぬほど弱い攻撃しかできぬ者がいた。
剣をようやく持ち上げるしかできぬ者がいた。
魔法を撃とうとして不発に終わった者がいた。
それでも、誰一人、逃げることもあきらめることもない。
警戒度が上がったのか、九頭大蛇は自分に向かって来る者達を確かめるように、高く首を伸ばす。
毒の霧で全員を動けぬようにした方がいいと判断したのかもしれない。
再び、三つの首が陽炎のような魔力をまとい始めた。
すべての首が動きを止めたことで、ベルニージも詠唱を始める。
九頭大蛇の毒の霧が先か、土魔法が発動するのが先か、ただ前へ進もうとヴォルフが足を踏み出した瞬間――
ごう!と、大気が吠えた。
「うわっ!」
「くっ!」
それは身を飛ばすのではないかと思えるほどの強風だった。
周囲の者は皆、地に伏せるか体勢を低くするしかない。
ヴォルフも立っていられず、そのまま地面に転がる形になる。
騎士達も九頭大蛇も、たまらず目を閉じ――
再び開いたとき、鉛色の空を貫いて飛来するものが見えた。
鮮やかな赤い矢が、白く長い尾を引いて飛んで来た。