表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
407/566

406.九頭大蛇と血の鎧

「行くぞ!」


 グラートの声に合わせ、準備を終えた騎士達が騎馬を進めていく。

 向かうは赤い花火の上がったあたり、おそらくこの木々を抜けた先だ。


「ヒヒーンッ!」


 若い緑馬グリーンホースが数頭、高く鳴いた。

 前へ進むことを拒否し、ひづめを迷わせている。


「馬を落ち着かせられたら続け!」


 距離が開くのも承知で、隊は騎馬を進める、いや、進めざるを得ない。


 ぬたり、まとわりつくその独特な感覚は、額が最初だった。

 続いて、顔、喉、肩、胸、そして全身に広がる不快感。

 それを押しのけて、高い木々の間を縫い抜けると、広く平らな場――いや、元は草木があったのだろうが、土が広くえぐれた場所があった。


 奥の土山の前、それはいた。

 小山のような身体、森大蛇フォレストラスネイクを黒くし、左右にヒレをつけたような九つの頭、地面に食い込んだ四本の太い足、蝙蝠こうもりを思わせる片方だけの羽――


「あれが、九頭大蛇(ヒュドラ)……!」


 誰かが低く唸ったのが聞こえた。


 九頭大蛇(ヒュドラ)は、大きめの森大蛇フォレストラスネイクが九匹集まったようなもの――そんな甘い考えは、粉々に消え失せた。


 ただ大きいだけであれば、首の数が多いだけであればまだいい。

 どれだけ魔力があるのか、この距離でさえそのゆらぎがわかる。

 背中どころか、背骨が冷えていくのがわかった。


 黒い土山を背に、九頭大蛇(ヒュドラ)は時折うねりと首を動かすだけ。

 遠目でも、その足元が土と氷で覆われているのが見えた。


「間に合った……」


 木々と土の境界、長杖ロングスタッフを支えによろめく魔導師は、自分達を見て、確かに笑った。

 だが、続く言葉はなく、その場に崩れ落ちる。

 口と鼻から流れる血が、その白い髭を染めていった。

 魔力を使いきり、それでも無理をしたのだろう。


 不自然なほどに平らで、騎馬達が駆けられるであろう硬い地面――

 九頭大蛇(ヒュドラ)の前、魔導師は、土魔法で騎士達の足場を作り上げていた。


 その隣、溶けた大盾を離した白髪交じりの騎士が、魔導師を引きずってこちらへ退避しようとする。

 だが、その両足の曲がりに、すでに歩けぬと一目でわかった。


 這い行く姿を食べ頃と判断したか、九頭大蛇(ヒュドラ)の首達がぬらりと伸びる。

 伸ばしきったところで届かぬように見えたが、あの魔物には毒液がある。


「ヴォルフ、ドリノ! 行けるか?」

「行きます!」

「任せてください!」


 二人は同時に八本脚馬スレイプニルを飛ばす。

 声をかけ合わずとも、ドリノは魔導師を、ヴォルフは騎士を拾い上げ、騎馬の背に乗せて戻って来る。


「陣形十三! 土壁アースウォール 設置! 攻撃魔法、弓騎士準備!」


 自分達が移動する間に、グラートが騎馬を進めながら命じた。

 魔法の使える騎士達により、目の前に左右二枚の土の壁ができる。

 へいつきの簡易な自陣のできあがりだ。


 傷ついた二人は後方の騎士に任せ、最後尾に下がらせる。

 ハイポーションであれば助かるだろう、そう思いたい。


 風の向きが変わった。

 ようやく獲物を横取りされたと理解したのか、九頭大蛇(ヒュドラ)が九つの首すべてでこちらを見た。

 黒い十八の目は魔物討伐部隊に固定され――その口が、血色ちいろに裂けた。


「ギシャアアアアァー!!」


 九つの首が同時に鳴く。

 魔力揺らしと威圧が同時に来た。

 それは、脳を揺さぶり、心臓を殴る音だった。


 魔力が高くないと思われる者達がぐらりと揺れ、騎馬から落ちて手足をつく。

 強い威圧に耐えられなかったらしい隊員も、騎馬から落ちるか、その背に身を伏せて頭を上げられなくなる。


 魔物に慣れた魔物討伐部隊員ですらそれである。

 通常の者達であれば、ほぼ意識を失うか、倒れるかしていたであろう。


「『九頭大蛇(ヒュドラ)と戦える者は限られる』、こういうことか!」


 グラートは前回の九頭大蛇(ヒュドラ)戦の報告書、その一文を理解した。

 九頭大蛇(ヒュドラ)と戦える者は限られる――

 それなりの魔力があり、魔力酔いを起こさぬこと、威圧に耐えうるだけの精神力が必要なのはわかっていた。

 偵察のワイバーンも、九頭大蛇(ヒュドラ)の近くでは怖がり、近づくことができなかったとある。


 だが、今回のように疲労の少ない魔物討伐部隊員であれば、ここまで影響を受けぬと思っていた。

 実際に戦った先輩方からも、魔力や威圧の話は聞いた上での判断だった。


 読み間違えたとすれば、今回の九頭大蛇(ヒュドラ)の魔力。

 身体が小さくとも、魔力も低いとは限らない。

 もしかすると前回の九頭大蛇(ヒュドラ)を超えている場合もあるやもしれぬ。


 隊員達の歯を食いしばった唸りと、荒い呼吸が響く。

 その中を、いくつかのひづめの音が前へ出た。


「ダリヤ先生とうちの孫の叙爵の前に出てくるとは、迷惑このうえない蛇よ。その命でつぐなってもらおう!」

「ベルニージ様、もはや言いがかりですな」


 年嵩の新人騎士達が、どこ吹く風とばかりに声を上げる。

 固まっていた隊員が、何人か動けるようになったようだ。


「へっ、この程度! 炎龍ファイヤードラゴンの方がよっぽど怖いわ!」


 魔力値としては厳しいであろうに、ドリノがいつもの口調で吠える。

 さすが赤鎧スカーレットアーマーと言うべきだろう、彼らは誰も姿勢を崩してはいない。


「具合の悪い者達を、土壁の後ろに下がらせます」


 いつもと同じ声、同じ表情かおで、副隊長のグリゼルダが告げてきた。


 幸いなことに、ここまで来た八本脚馬スレイプニル緑馬グリーンホースは、恐慌状態に陥っていなかった。

 先ほど薬草煎餅を食べさせたばかりだからかもしれない。

 自分が乗る八本脚馬スレイプニルなどは、鼻息荒くひづめで地面を削っている。

 ありあまる魔力は、格上の魔物への闘争心を与えてくれているようだ。


 九頭大蛇(ヒュドラ)は固められた前足を引き抜こうと、ミシミシと地面に亀裂を入れている。

 うねうねと動く首は、それぞれシャーシャーと鳴いてはいるが、先ほどのようにはそろわない。

 今のうちに少しでも削っておきたい。


「弓騎士、中距離魔法の水以外、攻撃用意! 動けぬ者は後方で回復に専念しろ!」


 動ける隊員が、近くの動けぬ者を後方に運ぶ。

 這って前に出ようとする隊員は、八本脚馬スレイプニルから降りた騎士達が、壁の後ろに連れていく。


「う、動けます……!」


 それでも這い続ける者へは、グリゼルダが手のひらから水をかけた後、持ち運んでいく。

 水魔法持ちの副隊長は、隊員達の頭を冷やすのもうまい。


「狙え――撃て!」


 弓騎士・魔法の使える騎士が揃った時点で命じた。

 中級の火魔法による火嵐ファイヤーストーム、同時に土魔法の土槍アースランス

 続く魔弓の矢と、速度増強の風魔法――

 音を立てて向かうそれは、大型の魔物向け。各自の魔力も温存なしの全力。


 土煙の中、九頭大蛇(ヒュドラ)に攻撃が当たると思ったそのとき、グワン!と、吠え声がした。

 続いて、強い風が咆吼ほうこうを広げるように吹き抜ける。


「防御魔法か!」


 魔法は少しは当たったらしい。三つの首がぶんぶんと振られている。

 だが、射った矢はすべて、その手前に落ちていた。

 ついに自由になった一つの足が、残りの足の自由を求めて地を叩く。


 九頭大蛇(ヒュドラ)の足止めをするには、その羽を落とし、飛行能力を奪う。

 その上で足元を氷魔法、土魔法などで固めて足止めする。

 動けなくなった九頭大蛇(ヒュドラ)に魔法や弓で距離をとって攻撃し、少しでも弱ったところを接近戦で一気に叩く――それが理想的な戦い方だといわれる。


 しかし、防御魔法が高い魔物は、高魔力の魔導師による魔法、もしくは接近戦での近距離魔法と物理攻撃となる。

 書類で見ればたった二行。

 実戦では、その二行に隊員達の命がかかる。


 行かせる者の順番も指示も決めている。

 グラートがそれを口にしようとしたとき、ベルニージが騎馬を寄せた。


「隊長殿、 『魔物寄せ』はあるか?」


 『魔物寄せ』のほとんどは、国境警備隊に渡した。

 国境大森林から出てくる魔物を、多方面に散らせない、討ちもらしを防ぐためだ。


「粒は使いきりましたが、大公より『赤い瓶』を頂いております」

「大盤振る舞いだのう。では、一つくれ。我々三人で首を寄せ、間引いてこよう」


 酒をねだるように左手を伸ばす老騎士に、グラートは騎馬に付けていた鞄からガラス瓶を出す。

 指の震えは、気合いで止めた。


「ベルニージ様、我々が参ります!」

赤鎧スカーレットアーマーの出番を取らないでくださいよ!」

「自分達は赤鎧スカーレットアーマーです! 先陣を切る義務があります」


 口々に言う赤い鎧の主達に、ベルニージは呆気なく返す。


「儂は中の土魔法、ゴードは中の上の火魔法、レオンは上の下の水魔法。それで防御しながら戦える。長く持つのは我々だ」


 三人だけを行かせるのは、完全なおとりだ。

 確かに効率的な方法だが、魔物寄せを浴びた彼らを九頭大蛇(ヒュドラ)がどうするかなど、考えずともわかる。

 わずかな迷いを見抜かれたか、赤茶の目が厳しく自分を見た。


「グラート隊長、引き継ぎを覚えておられるだろう」

 

 魔物討伐部隊の隊長と副隊長は、引き継ぎで必ず言われることがある。

 どんな戦いでも行けと命じ切るのが仕事だと、それが隊長と副隊長の役目だと、できぬのであれば、役につくなと。


 忘れたことなどあるものか。

 今までに何度もそうしてきた。何度も部下を見送ってきた。

 けれど、慣れることなどあるものか。


 それでもグラートは、いつもと同じく、めいを下す。


「ベルニージ、ゴッフレード、レオンツィオ――隊長命令だ、先駆けを命じる」

「しかと承った!」

「では早速参りましょう!」

「ええ、有名な九頭大蛇(ヒュドラ)殿を、あまりお待たせするのもよくありません」


 嬉しげに笑う三人に対し、赤鎧スカーレットアーマー達は拳を握り、必死に口を引き結んでいる。

 彼らへ視線を流したレオンツィオが、近くのグリゼルダに唇を動かすのが見えた。

 『口が半分より埋まるまで、彼らを止めよ』――


 報告書にはない。

 けれど、前回の九頭大蛇(ヒュドラ)戦を生き残った先輩隊員が、深酔いして話したことがある。

 『身体強化が強い騎士や魔法持ちが口にいる間に、本体を叩くのが一番早い』と。

 家畜を餌にはできないのか、そう尋ねたグラートに、先輩は吐き捨てた。

 『あいつらの好物は、魔力の高い人間だ』、と。


 騎馬を最前に進めた老騎士達は、ガラスの瓶の赤い血で己の身を染めていく。


「これで我らも赤鎧スカーレットアーマーだな」

「赤はやはりかっこいいですな!」

「これで我々も、少しは九頭大蛇(ヒュドラ)殿にもてましょう」


 一人は剣を持ち、一人は槍を持ち、一人は大剣を持つ。

 そして、曇りない笑顔で振り向いた。


「帰ったら祝杯だ。孫も呼んで深酒をしようぞ!」

「終わったら九頭大蛇(ヒュドラ)さかなにできないか試さねば!」

「次の鍛錬は、威圧の掛け合いから始めましょう!」


 血まみれの鎧で、彼らは走り出す。

 その背はたちまちに遠くなっていく。


 止めたい、止められない、いっそ己が行けるものならば――

 それができぬのが、隊長という役目だと、わかりすぎるほどわかっているが。


 ぎりり、一昨年治した奥歯が、また割れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ベルニージ、ゴッフレード、レオンツィオ。 異世界版「三匹が斬る!」? イヤ、浪人じゃないか。 う~ん「水戸黄門」じゃ無いし「サンバルカン」じゃないし「チャーリーズ・エンジェル」じゃもちろん無いし。 何…
何度も読んで結末が分かっていてもこのシーンは胸がキュッとなる…
うぐう。。。。。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ