405.指揮権と副隊長
コミックス『服飾師ルチアはあきらめない~今日から始める幸服計画~』 1巻(臼土きね先生)、11月18日発売です。どうぞよろしくお願いします!
草丈のある中、森へ騎馬を進めていくと、人影があった。
国境警備隊員と革鎧の者、おそらくは冒険者なのだろう――その姿が五人ほど確認できた。
誰も彼もが泥だらけで怪我を負っている。
白髪交じりの騎士が、その背にいた冒険者を他の騎士に預け、こちらにやってきた。
「魔物討伐部隊副隊長、グリゼルダ・ランツァです。対九頭大蛇戦の指揮権譲渡をお願い致します」
騎馬を下りながら言ったグリゼルダに対し、近づいてきた騎士が即座に返す。
「国境警備隊第三部、スカルファロット中隊長代理バラン・エリアノ、指揮権譲渡致します。それと共にここまでの状況を報告致します。九頭大蛇は一頭、前回と比較し、七、八割ほどの大きさです。毒液に関してはほぼ同じかと思われます、魔法は確認できておりません」
空気がわずかに軽くなる。
前回より小さな九頭大蛇なら、戦うのも少しは楽にはならないか、皆がそう思っただろう。
その後、騎士はここまでの戦いについて説明してくれた。
この少し先、九頭大蛇と遭遇してすぐ、足止めに水魔法の使える冒険者が水を放ち、地面をぬかるみとした。
歩みを止めた九頭大蛇に対し、土魔法を使える魔導師が中級魔法で足元を固めつつ、火魔法の使える冒険者が地面一面を硬くなるように焼いた。
そこへ、八本脚馬に乗ったエルードが、背後から間近まで距離をつめ、上級氷魔法で片翼を落とした。
九頭大蛇はそこで初めて毒液を吐き、エルードは尾で騎馬ごと叩き飛ばされた。
重傷のエルードを治療に向かわせ、その後、魔力切れまで魔法を使い切った冒険者と魔導師を、国境警備隊員が今、こちらに下がらせているところだった。
九頭大蛇はその場から動かず、残った魔導師が土魔法を重ね、騎士が護衛をしているという。
「お見事です。先ほど、スカルファロット中隊長にお目にかかりました。ハイポーションで治癒の後、集合場へ向かわれましたので、ご無事だと思います」
「ありがとうございます! これで思い残すことはございません。私をこのままご一緒させてください」
騎士は笑顔で願う。
だが、グリゼルダは首を横に振った。
「さきほどの花火だけでは、この場所はわかりづらいでしょう。一度、後方に下がり、後から来る部隊にお知らせください」
「それならば他の者に任せられます。この老体、せめて囮にでもお使いください」
「お気持ちはお受取致します。ですが、後続に正確な位置を伝えて頂く方が、九頭大蛇との戦いには必要です。指揮官として願います、どうぞご協力ください」
確かに戦力は足りない。だが、目の前の者達はどうみても満身創痍だ。
すぐにでも治療が必要だ。
それに、もし移動中に魔物と遭遇したなら、この騎士が意識のない者を守らねばならない。
それによる判断だった。
「――ご武運を」
振り切るような声と共に、騎士とすれ違う。
後続の者達も、深く一礼した後に過ぎていった。
「では、行きましょう。九頭大蛇の状態を見て、判断します」
九頭大蛇が動かぬのであれば、遠距離で上級魔法の使える魔導師を待つことになる。
それによってある程度ダメージを与えた後に戦えればいいが――
前回の記録では、『九頭大蛇は魔法防御が高い』としかない。
どの程度の防御か、どんな攻撃が効くか、その間合いなど、はっきりとした記録は残されていない。
国境警備隊員達の通ってきた草折れを辿りつつ、騎馬を進める。
途中、棘蔓草の群生があり、ようやく人が通れるほどの隙間があった。
迂回も考えたが、左右は木々が密で、荷物もある八本脚馬や緑馬には通りづらい。
搬送のことを考え、二頭並走で通れるように幅を広げる。
急いで棘蔓草を刈ったが、どうしても時間がかかってしまった。
そうして、騎馬を早めつつ進んでいく。
風がそよそよと木々の枝を揺らす音を聞きながら、手綱を握る手に力がこもっていく。
鳥の声と虫の声が弱まり――消えた。
「間もなくと思われますので、各自装備の最終確認をしてください。必要な者は『痛み知らず』『恐れ鎮め』を飲むように」
隊を止めたグリゼルダが、振り返らぬままに命じた。
『痛み知らず』『恐れ鎮め』、戦闘前に飲むことがあるそれは、名前の通り、一時的に痛みを感じづらくする、そして、恐れから恐慌状態になるのを防ぐ薬だ。
どちらも効き目は早く、効果時間はそれほど長くない。
飲んだ後、半日ほど胃がむかつくという副作用がある。
酒を飲めば問題ないとは、酒好きの隊員達の言である。
それぞれ、一度騎馬を降り、武器や防具の確認をする。
ヴォルフが手にする黒塗りの刃は、刃こぼれ一つない。
銀色の剣を手にする者、槍先の革袋を外す者、背の戦鎚を手にする者――それぞれが真剣に武器を見つめている。
今回の防具にはすべて名が刻まれている。
宿で背縫いのついたシャツに着替えた者もあれば、今朝、手足の甲に黒インクで名を書いた者もいる。
鎧に名を、背縫いに名を、手足に名を――
たとえ九頭大蛇の毒に溶けても、どこかで己だとわかるように。
八本脚馬の首を撫でていたランドルフが、その背に戻った。
そうして、ヴォルフの隣に馬首をそろえる。
先頭は赤鎧達だ。
命じられずとも、騎馬の位置は変わる。
ヴォルフの隣にはランドルフ、後ろには同じ赤鎧の先輩騎士が二人。
その後ろに副隊長であるグリゼルダ、他隊員と続く。
すべてそろった、後は九頭大蛇討伐に向けて前進あるのみ――
その張りつめた空気は、底抜けに明るい声によって破られた。
「間に合ったー! まったく、俺を置いてくなよ!」
「ドリノ?!」
駆けてくる灰色の八本脚馬の上、笑顔の騎士がいる。
「グリゼルダ副隊長! グラート隊長が、すぐ追いつくので待っていろとのことです! 俺が一番軽いので、先にお知らせに参りました」
「わかりました――お待ちしましょう」
ドリノが来たことで、場が変わった。
彼は場を明るく変える、類い稀な才がある。
そしてまた、人を驚かせることも得意である。
「では、待ち時間に聞いてください。私、ドリノ、ファビオラと結婚しました!」
空に向かって突き上げた左腕、その手首には金の髪で編まれた腕輪。
辺りが一瞬静まりかえり、その後にやや控えめではあるが、そろって沸いた。
「おめでとう! ドリノ!」
「想いが叶ってよかったな! おめでとう!」
「ドリノ、この裏切り者! 今年の年末独身者会も自分が幹事をすると言っていたくせに!」
「よし、九頭大蛇のついでに、後ろから射てやろう」
祝いの言葉の中、恨み節と物騒さが少々混じっているが、ドリノはいい笑顔である。
これが既婚者の余裕なのかもしれない。
「ドリノ、おめでとう。ここからは後方に下がれ」
「おい、ランドルフ。誰が赤鎧辞めるつったよ? 俺はこのまんまだよ」
通常、結婚すると赤鎧を辞める者が多い。
だが、彼は当たり前のようにそう答えた。
「結婚したばかりで細君を泣かせるものではない」
「泣かせねえよ。大体、それを言うならお前にもいるだろうが。心配する家族と、あとかわいがってる魔羊。なんだっけ、フランフランちゃん?」
「フランドフランだ」
「六日に一回は王城でお散歩デートしてんじゃん。あの子、ランドルフを見つけるまで探し回るぞ、絶対」
「そうだね。ランドルフが送って行かないと、誰かが蹴られるよ、きっと」
会話を聞いていた赤鎧の先輩達が笑い出す。
「私は蹴られるのはお断りだぞ、ランドルフ。あ、結婚おめでとう、ドリノ」
「そうなったら、俺は王城警備隊に同情する。ああ、ドリノ、先を越されるとは思わなかったぞ、おめでとう」
「先輩方、俺への祝いの言葉が、なんでフランドフランちゃんの後なんですか?」
その言葉に、先輩達はさらに笑っている。
「ヴォルフ、ダリヤさんから伝言! 帰ってきたときの食事で、『メニューは、なんでもリクエストを受け付けます』って!」
「ダリヤが?」
「この際だ、一番好きなもの、しっかり頼めよ!」
「それは……迷って頼めそうにないな」
鶏の唐揚げにあさりのワイン蒸し、塩スープパスタに茹で蕪、ダリヤが作るものはなんでもおいしいのだ。
どれか一つを選ぶのは難しすぎる。
だが、それを全力で記憶の端に押しやり、ただ前を見た。
「一番好きなものなんざ、決まってるだろうに……」
ドリノのつぶやきは風に流れる。
木々の向こう、多くの蹄の音が聞こえ始めていた。
・・・・・・・
「待たせたな、皆!」
八本脚馬の上、グラートは先発の隊員達を見渡す。
そして、一人も欠けがないことに安堵した。
先にドリノを行かせたが、そのせいか皆の緊張もとれている。
「グラート隊長! 早かったですね」
「早すぎるぞ、隊長殿。先に九頭大蛇を叩き、日干しにして待つ予定だったものを」
グラートは声に少しばかり苦笑しつつ、グリゼルダの元へ騎馬を進めた。
「こちらに着いてすぐ、九頭大蛇目撃の花火を見た。ここに向かう途中、国境警備隊の騎士達と会った。あとは足跡をたどってまっすぐ来られた。運は我らに味方しているようだぞ」
「グラート隊長。九頭大蛇は現在、動いておりません。少しでも休養をお取りになってください」
「それについては問題ない。お前達より短時間で楽に来られた。街道は区間封鎖で人も馬車もなく、夜も明るく照らしてもらった。騎馬の膝を冷やすため、途中でしっかり休んだし、鞍の上には衝撃吸収の付いたクッションを敷いてきた」
前回の九頭大蛇出現時、王都から国境に来るまでに三日かかった。
それまでに国境警備隊や冒険者が足止めをし、死者と負傷者を出した。
王都から早馬で駆け続けた魔物討伐部隊員は、疲労を押して九頭大蛇に向かうしかなかった。
三日三晩寝ずに走り、そのまま九頭大蛇と戦うのはあまりに厳しい話だ。
それが犠牲の多さにつながったのだとグラートは思っている。
そしておそらく、グリゼルダの心配もそこだ。
「しかし、食事も休養もなく戦うのは戦力的に不利です」
「我々はなかなかうまいポーションを飲み、肉入りサンドイッチを食べながら来た。水浴びがまだなのでちと匂うが、それは九頭大蛇戦の後にするとしよう」
疲れは予想外になかった。
移動時の水分補給をかねて水筒で持たされたのは、王城魔導具制作部三課によるポーション。
今後の遠征のポーションは全部これにしてくれと思ってしまう味だった。
移動速度はおそらく過去最高。付与を追加した武器と共に、ハイポーションも山と持ってきた。
国境警備隊は前回の九頭大蛇戦から二倍に増員している。
グッドウィン国境伯は国境大森林から魔物や獣が出始めた時点で、自家で冒険者を雇い入れて備えていた。
両者によって、国境大森林からの魔物と獣の対処は完全だ。
魔物討伐部隊員を一人もそちらへ割くことはない。
そして、国境警備隊のスカルファロット中隊長が、すでに九頭大蛇の片翼を落とした。
無謀とも言えるその攻撃を成功させたのは、ヴォルフの兄――命はつなげるにしても重傷だ。
あの姿を見た弟が、目の前で金目に剣呑な光を込めているのもよくわかる。
だが、おかげで九頭大蛇は飛ぶこともできなければ、風魔法での攻撃も弱まるはずだ。
前回よりはるかに有利になった。
油断はできないが、それでもありがたくは思う。
「ここからは、私が指揮をとろう」
「指揮権をお返し申し上げます、グラート隊長」
「グリゼルダ副隊長、『王城へ戻れ』と言ったら聞いてくれるか?」
「――次の九頭大蛇戦に向けて勉強をさせて頂きたいです」
目を線にした笑みで答えてきたが、その碧からは全力の拒否が伝わってくる。
穏やかそうな見た目に反し、この者の頑固さはジルドといい勝負だ。
『なぜ、グリゼルダが副隊長なのか?』
魔物討伐部隊の新人達は、そう不思議がることがある。
グラートのように侯爵当主ではない、侯爵家の三男。
礼儀正しく、物腰やわらかではあるが、今年で三十六歳とまだ若い。
体躯は大きく、鍛錬の対人戦も強いが、丁寧な指導で恐れは感じない。
そして、しばらくしてこう考えることが多い。
鍛錬はもちろん、王城の各部署とのやりとりも駆け引きも、柔らかな笑顔で確実にこなす。
書類や報告書にいたっては息を吐くように書き、隊員達の悩みにも親切に答える。
グリゼルダは、隊を運営する手腕に優れているから副隊長なのだと。
それらも合ってはいるが、根本が違う。
グリゼルダは、単純に強い。
隊員百人が魔物と消耗戦になったとして、最後の一人はこの男だ。
彼が魔物と戦う姿を見た者ならば知っている。
水魔法である水槍の一詠唱で森大蛇を地に縫い止め、槍の一斜で二つにする。
対人戦は相手を傷付けまいとするが、魔物に関しては加減が要らぬ、それだけの話である。
「九頭大蛇戦の勉強か、では仕方がないな。ところで――九頭大蛇というのは『何種』か確定していなかったな」
「はい。まったく、『爬虫類』なのか『龍種』なのか、はっきりしてもらいたいものです……」
その低くなった声に、グラートは喉で笑ってしまう。
グリゼルダの唯一の弱点、爬虫類と両生類が大嫌いで、見れば感情的になりやすく、彼らへの慈悲がないのだが――
まあ、度を越せば部下達が止めてくれる。
それに、今回の九頭大蛇には、何種にしても慈悲は要らないだろう。
グリゼルダの力も、性格も、立ち回りも、何一つ気にかかることはない。
自分から、いつ役を継いでもやっていける。
明日、魔物討伐部隊長がこの者に代わっても、バルトローネ家は現在と同じ支援を続ける。
これからの魔物討伐部隊に揺るぎはない。
グラートは、満面の笑みをグリゼルダへ向けた。
「報告書は任せたぞ、次期隊長」




