表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
405/563

404.白い便箋と国境警備隊

 ヴォルフ達、魔物討伐部隊の先陣は、馬車や人を追い越し、雨で速度を落としつつも、一日ほどで国境に最も近い街に到着した。

 王都からすでに魔鳩まばとで知らせがあったとのことで、グッドウィン伯爵家が宿と騎馬の世話場を準備してくれていた。


 すぐに九頭大蛇(ヒュドラ)と戦う覚悟で来たが、国境沿いの大森林から出てくるのは今のところ小型の魔物だけ。

 九頭大蛇(ヒュドラ)の確かな情報はまだないという。


 ここまで駆け抜けた八本脚馬スレイプニル緑馬グリーンホース達には、かなり無理をさせている。その身体を水で冷やした後、餌と休養が必要だ。


「何かあれば随時ご報告致しますので、皆様は少しでもお休みください。騎馬はこちらでお世話致します」


 グッドウィン伯爵家の家令にそう告げられ、隊員達は宿で休息を取ることになった。


 宿の従業員は、やや年代が上の者達がほとんどだった。

 原則として、四十歳以下の者達は、すべて隣の宿場街より遠い村や街へ、分散して避難させているのだという。

 国境伯であるグッドウィン家の有事の備えが、ここまで行き届いていることに感心した。


 食堂では、ワインと干し肉、山のような黒パンとチーズ、そして、湯気の立つスープが並んでいた。希望の品をトレイに取り、食堂か、各自割り振られた部屋で食べる形だ。

 料理人達には質素で申し訳ないと詫びられたが、有事にここまで準備してもらえたことに、感謝しかない。

 グリゼルダが代表として、丁寧に礼を述べていた。


 移動で雨に降られた身体は、意外に冷えていたらしい。

 ヴォルフはトレイに食事を載せてもらい、個室で毛布にくるまりながら食べることにする。


 食堂の出口付近では、睡眠薬を処方する医師がいた。

 短時間でも眠れるよう、ヴォルフも体重に合わせた分量を受け取る。

 続くランドルフや他の隊員の数人も、同じように睡眠薬を受け取っていた。


 入った部屋にはベッドと小さな机と椅子が二つ。乾き切らぬシャツを部屋の隅のハンガーにかけ、毛布を肩に置く。

 スープを食べながら、遠征用コンロの上に鍋を置き、チーズと赤ワインを入れた。

 風邪をひかぬよう、より温まろうと思ってのことだ。

 しかし、相性の問題か、チーズに赤みを帯びた灰色が混じり、なんとも微妙な色合いになっていく。


 そういえば、緑の塔でダリヤと最初に食べたのは、チーズフォンデュだった。

 この色合いでもきっと、彼女となら笑い合えただろうに――そう思いながら口にして、味気なさに驚いた。

 どうやら、自分は戦いの前で緊張しているらしい。


 と、食べ終えぬうちに、ノックの音が響く。

 招集かと急いでドアを開けると、緊張した面持ちで木箱を持つ、宿の者がいた。


「もし、手紙を書きたい方があればお使い下さい」

「――ありがとうございます」


 一瞬迷ったが、ヴォルフは礼を言って木箱を受け取った。

 木箱の中にあったのは、白い封筒と便箋、羽根ペンと小さなインク壺だ。

 もしかすると、これが最後の手紙になるかもしれない。

 ダリヤに、兄と父に、これまでの礼を書くべきだろう。


 食事の後、迷いつつも最初にダリヤへ手紙を書こうとし、文面に迷った。

 これまでありがとうと、共にいて楽しかったと、これからはロセッティ男爵として頑張ってくださいと、そんなふうに書くのが正しいのかもしれない。

 けれど、どうしても最初の文字が綴れなかった。


 こんな手紙を受け取ったら、ダリヤはきっと泣くだろう。

 泣かせたくない人を、ずっと笑顔であってほしい人を、この自分が泣かせるのか。


 ぴしり、手の中の羽根ペンが鳴いた。

 指に力が入りすぎ、芯を傷めてしまったらしい。


 便箋は白いまま、ただの一行も書けなかった。



 ・・・・・・・



 カーテン越しの朝日で、ヴォルフは自然に目覚めた。

 緊張で眠りが浅くなるかと思ったが、移動の疲れで、いつもは効きづらい睡眠薬も効いたらしい。

 服を整えて廊下に出ると、ランドルフも出てきたところだった。


 朝食はそれぞれにとるが、食堂にそのまま残る者が多い。

 食堂は一階なので、ここですぐ状況報告を聞けるからだ。

 宿へ国境警備隊から早馬が来たのは、午前の茶の時間をすぎたときだった。


「国境大森林より、小鬼ゴブリン牙鹿ファングディアなどの魔物、動物が耕作地へ移動中、宿場街側へ来るものは、グッドウィン伯爵家が対応しております。耕作地側は国境警備隊が防衛、半数が九頭大蛇(ヒュドラ)の警戒中です」

「ご報告ありがとうございます。ここにいる魔物討伐部隊は、国境警備隊と共に警戒にあたります」


 グリゼルダの言葉と共に、隊員達は国境大森林へ向かうこととなった。

 いつもと違い、隊員全員がかぶとを着ける。九頭大蛇(ヒュドラ)戦では毒液で頭からやられることが多いからだ。

 少し狭くなる視界に、緊張がせり上がってきた。


 オルディネ王国と隣国エリルキアの間には、緑深く広大な森林がある。

 『国境大森林』『帰らずの森』『迷いの森』など、呼称は複数あるが、正式名称ではない。

 どちらの国にも属さないからだ。


 その森に深く踏み込むと、方向感覚がおかしくなったり、気分を悪くして倒れる者がいるという。

 奥に進むほど魔物の変異体が増え、凶悪化するという説もある。

 このため、国をつなぐ道は、森の浅いところだけを切り開く形で、海沿いまで迂回している。

 森の恵みはとても豊かで動物も多いらしいが、人にとっては危険な場所だ。

 慣れた猟師でも、一定以上、奥へは踏み込まないという。


 前回の九頭大蛇(ヒュドラ)は、その森から突然に現れた。

 一時は国境警備隊の確認不足だと非難されたが、討伐後に調査しても、確かな足取りはわからなかった。

 九頭大蛇(ヒュドラ)には背に翼がある。

 その巨体を飛ばせるほどの大きさではないが、飛行できるほどの風魔法を持ち、遠方から移動してきたのではないか、そんな話もあった。


 けれど、悪夢のような戦いでも、出てきたのはその一度きり。

 二十数年――間もなく三十年という時間を前に、人々は記憶を薄れさせていた。


 空はどんよりと濁り、ゆるく吹く風は重い。

 耕地の細道を通り、鮮やかな緑の木々が目の前に近づいてきても、安らぎなど一欠片もない。

 そんな中、騎馬達が高くいななき出した。


「止まれ!」


 グリゼルダの号令に、全員が手綱を引く。

 森から草丈のある中を、八本脚馬スレイプニルと黒い馬が突っ切ってきた。

 馬と騎士達の一部から、白い煙が上がっている。

 どちらの騎士もかぶとの下の息は荒い。


「魔物討伐部隊の皆様か! 申し訳ないが、ハイポーションをお貸し願えませんか?!」


 八本脚馬スレイプニルに乗っていた大柄の男性が、馬を下りながら叫ぶ。

 その腕には、布に巻かれた騎士がいた。その騎士に兜はなく、頭は血と泥にまみれていた。

 顔も布を当てられていて見えないが、おそらくはひどい怪我を負っているのだろう。

 その身体はぐったりと動かない。


「お使いください」


 ハイポーションでもつかどうか――そう思いつつも、一番近くにいたヴォルフは馬を降り、備えていた一本を国境警備隊員へ手渡す。

 続いて馬を下りたランドルフが、地面に防水布を敷いた。

 布にくるまれた騎士は、その上にそっと置かれる。

 白い煙と共に肉の焦げ溶ける嫌な臭いが上がった。


「これは、九頭大蛇(ヒュドラ)の毒液ですか?」

「はい! 九頭大蛇(ヒュドラ)は片翼を凍らせて落としたので、飛んでは動けぬはずです。スカルファロット中隊長が、身を挺して足止めを――」

「え?」


 ヴォルフが反射的に騎士を見たのと、その顔と身体から布が取られたのは、ほぼ同時だった。


「エルード兄様っ!」


 自分の喉から、子供のような叫びが上がった。


 長く会っていなくてもわかる。

 青みを帯びた銀髪、グイードよりちょっとだけ下がった目、少し無精髭がある顎。

 九頭大蛇(ヒュドラ)の毒液と吹き出した血で、その顔の左半分が見えなくても、まちがいなく、兄、エルードだった。


「毒液が残ると火傷をくり返します。先に洗い流します」


 グリゼルダはそう言うと、頭部の泥と毒を水魔法で流す。

 その後にすぐ、国境警備隊の騎士がエルードにハイポーションをかけた。

 淡く白い光に包まれた顔は、ゆっくりと傷を薄くしていく。

 しかし、まぶたが開くことはない。傷も完全には癒えなかった。


「兄上! エルード兄上!」


 騎士達が拳を握りしめる中、ヴォルフはくり返し呼びかける。

 薄く開かれた青い目が、ようやくに自分を見た。


「……ヴォルフ、か……?」

「はい!」


 かすれた声に答えながら、慌てて兜をとり、顔を近づける。


「大きく、なったなぁ……」


 頬に伸ばされた右手、指が一つも見えぬ腕を取り、ただ必死に言葉を返す。


「兄上、後はお任せ下さい! 私達が必ず、九頭大蛇(ヒュドラ)を討ち取ってみせます!」

「だめだ、ヴォルフ!」


 思わぬほど大きい声は、血と共に吐かれた。

 起き上がろうとする身体を、騎士が慌てて抱き止める。


「兄上、どうか動かないでください!」

「大丈夫だ……ヴォルフ……俺の、後ろに、いろ……」


 最早うわごとのよう、目の焦点はずれていく。

 それなのに、兄は自分に向かって強く笑ってみせた。


「今度、こそ……兄が……必ず、守る……」

「エルード兄様っ!」


 叫ぶ自分の肩を、がっしりとつかんだ者があった。

 横を見れば、ランドルフが片膝をついていた。


「急ぎ、集合場へ運ぶ方がよい。グッドウィン家から治癒魔法を持つ魔導師がきているはずだ」

「ありがとうございます、皆様!」

「どうか、兄をお願いします!」

「もちろんです! 我らの大事な上官ですから!」


 己も泥と血にまみれた騎士二人が、力強く答えた。

 そうして再びエルードを運んで行く。

 ヴォルフはそこでようやく我に返った。


「申し訳ありません! 身内のため感情的になり……」


 戦闘前のぎりぎりのときだというのに、兄を見て取り乱してしまった。

 だが、誰も自分を責めることはなかった。

 ランドルフにはぽんと軽く肩を叩かれ、年嵩の新人隊員達にはにこりと笑まれる。

 ここでどんな表情かおをしていいかわからない。


「すばらしい兄君ですね、ヴォルフ」

「はい!」


 グリゼルダの言葉に、胸を張ってうなずいた。


 前回、九頭大蛇(ヒュドラ)の討伐で苦慮されたことの一つが、その翼だ。

 翼がある魔物は、その翼で、あるいは風魔法によって飛ぶ。

 たとえ長距離の移動ではなくとも、飛んで移動されれば追うのに時間がかかる。被害が拡大する可能性も高い。

 そして、上から攻撃されれば飛べぬ人間は迎撃も難しい。


 だから、九頭大蛇(ヒュドラ)と対峙した段階で、兄は翼を落とそうと考えたのだろう。

 死角が少ないと言われる九頭大蛇(ヒュドラ)の足止めは、本来、赤鎧スカーレットアーマーの仕事だ。


 エルードは、魔物討伐部隊が来ると聞いて、赤鎧スカーレットアーマーの弟に、その仕事をさせまいとしたのではないか。

 あれだけの怪我を負い、動けなくなってなお、自分を背にかばおうとしていた。


 『今度こそ、兄が必ず守る』――

 その声は、長兄であるグイードと同じく、重い傷みをもって聞こえた。


 言葉通り、自分はエルードに守られた。

 国境警備隊員で、立派な騎士で、どこまでも誇れる兄だ。


 そして、もう二人の兄を思い出す。

 スカルファロット家当主として完璧と言えるほど、才覚に優れた長兄のグイード。

 再び交流できるようになってまだ一年だが、優しく強く、自分に甘すぎると思えるほどに面倒をみてもらった。


 馬車襲撃の後、おそらく自分で命を絶ったであろう次兄ファビオ。

 いつもまっすぐで、騎士を目指して努力を重ね、弟である自分には優しかった。


 二人も、自分の誇れる兄だ。

 俺はあなた達の弟でよかった、心からそう思う。


 と、視界を何かが動く。

 鉛色の空に、赤い花火が二度打ち上がった。

 九頭大蛇(ヒュドラ)がここにいる、その合図である。


 国境警備隊、グッドウィン伯爵家の騎士達も、すぐあそこへ向かうだろう。

 どのぐらい時間がかかるかはわからぬが、周辺の貴族、王都からの追加の戦力も来るにちがいない。

 少なくとも、これで九頭大蛇(ヒュドラ)が街や村を襲う確率は低くなった。


 あとは、どんな手段を用いても、九頭大蛇(ヒュドラ)をその場にとどめるのが、魔物討伐部隊の先陣の役目。


 強き兄達に比べ、自分はあまりに弱い。

 鎧の赤さより、柔らかな髪の赤さを思い、今、このときまで未練と不安に揺れていた。


 ヴォルフは兜をかぶり、八本脚馬スレイプニルの背に戻る。

 心を揺らすな、冷静であれ、内でそうつぶやき、奥歯がきしむほど噛みしめた。


 強くなければ、守れないものがあるのだ。

 未練はあっても忘れよう。想いはあっても封じよう。


 ここからはただ一騎士、いいや、ただ一個の死神となろう。

 魔物にとっての死神に――鎌に代わり、この剣ですべてを断ち切ろう。


 兜の下、一対の黄金が燃えるように輝いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
この辺何度読んでもどの回でも涙が……
今まで名前だけは知ってた兄上……初登場と共に株ストップ高である。こんなんずるでしょ!!!
[一言] 「今度、こそ……兄が……必ず、守る……」 「あの日」からの、長きにわたって兄たちが抱えていた本音。 まだ小さい一番下の弟を、その母を、守り切れなかった悔恨が、ここで。 物理的に距離的に疎遠だ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ