399.魔物討伐部隊員の魔羊捕獲
青空の下、街道沿いの木々がその新緑を揺らしていた。
現在、魔物討伐部隊の二十名ほどが、東街道を馬と八本脚馬で移動中である。
隣国より護送していた魔羊が逃げ出したので、捕獲を手伝うためだ。
東街道を馬で一日ほどのここは、宿場街が近い。
そこは東西に長い湖があり、湖畔には別荘や宿が並んでいる。
湖の浅瀬では水遊び、場所によっては魚釣り、小舟で中央にこぎ出せば船遊びもできる。
周辺は安全で、過去に大型の魔物が出たこともない。
「――というふうに、あそこの宿場街は、休暇にとてもお勧めなんですよ」
「いい避暑地なんだね」
馬を並べた後輩の説明に、ヴォルフはうなずいた。
カークは祖父母や父母、そして婚約者やその家族と、避暑に来たことがあるそうだ。
「ヴォルフ先輩も、ダリヤ先生とどうです? 息抜きにいいと思いますよ」
なかなか魅力的な提案である。
だが、今年はすでに予定があるのだ。
「いや、今年の夏はダリヤと家の領地に行く予定だから」
「そうなんですか!」
「ようやくご紹介するのだな」
カークにはいい笑顔で、後続で八本脚馬に乗るランドルフには、安堵したように言われた。
確かに、ダリヤにはとても世話になっている。父にはもっと早くに紹介するべきだったかもしれない。
「もう予定は決まっているんですか?」
「詳しくはまだだけど、家にある古い魔導具を見てもらうのと、魔導具の素材になる銀蛍を見に行こうって話はしてる」
カークにそう答えると、不可解なものを見る目を向けられた。
ダリヤは魔導具師である。そうおかしな内容ではないだろう。
「あの、ヴォルフ先輩、ダリヤ先生のことは、お父上に伝えてあるんですよね?」
「ああ、友人の魔導具師で商会長もやってて、とてもお世話になっている人だって、言ってあるよ」
カークがなぜか後ろを振り返る。
つられるようにヴォルフも振り返ると、ランドルフが無表情でこちらを見ていた。
「……ヴォルフ、そこは『お世話になっている大切な女性だ』と言うべきだ」
きっちり断言され、貴族的な言い方として駄目だったのかと反省する。
「ああ、そうするよ」
笑顔でそう答えたが、友には赤茶の目を細められただけだった。
話をしつつ馬を駆けさせていると、街道の先、何台も並ぶ馬車が見えてきた。
馬車の近くまで来ると、皆、馬から下りる。
「この度はご助力に感謝申し上げます」
馬車から出て挨拶をしてきたのは、第二騎士団の副団長である。
以前、沼蜘蛛の討伐に参加して以降、時折、魔物討伐部隊の遠征に、訓練として参加してくれている。
今回は第二騎士団の団員二十名が付いての魔羊の護送だ。
安全性に間違いはないと思われる。
だが、その魔羊を乗せてきたらしい馬車二台の側面は、大きな穴が空いていた。
馬車は横転したと聞いていたが、いったい何があったのだろうか。
「馬車の中で魔羊達が争ったようです。馬車の壁を破り、隣国から育成のためにやってきた飼育係を蹴り……」
血の熱い魔羊達がいたらしい。
説明する副団長の横へ、ヨロヨロと中年男性がやってきた。
蹄型の汚れを服に残すこの者が、隣国から来た飼育係だという。彼は名乗りの後、深く頭を下げた。
「この度は大変ご迷惑をおかけ致します。この事態を招いたのは、馬車に違う群れの魔羊を入れたのが原因だと思われます」
「失礼ながら、別々の群れの魔羊を連れてこられたのですか?」
その説明に聞き返したのは、魔羊牧場にいたというレオンツィオだ。
「はい、いい魔羊の番を二組、あとは毛並みのいい若い魔羊で全十頭の指定がありまして、群れは四つとなっております」
「群れの結束を考えたら、同じ馬車は厳しいかと思いますが」
「その……何度か申し上げたのですが、上からの強い指示がありまして……」
その遠く揺らぐ目に、いろいろと察した。
どこの世界も、上からの無茶な命令というのはあるらしい。
人間達の話し声が気になるのか、馬車の穴から魔羊が二匹、顔をのぞかせた。首輪に鎖と、こちらはもう逃がさぬ対策がなされているようだ。
「まだ逃げているのは何頭ですか?」
「十頭中の四頭です」
知らせがあったときは九頭だった。その後にかなり捕まえたといえるだろう。
幸い、群れの仲間がここにいるので、単独で遠くまで逃げることは少ないらしい。
「うち二頭は近くの木に引っかかっております。上れないため、枝を落とすかとも考えたのですが、高さが高さで万が一があってはと」
「魔羊なら、落ちてもちょっと怪我をするぐらいでしょう。ポーションをかければ問題ないのでは?」
レオンツィオの質問に対し、第二騎士団副団長は、一段声を低くする。
「こちらは、次の『眩しき方』がご使用になる予定の糸なのです」
「――なるほど、それでは剣も弓も向けられず、足蹴にもできないわけです」
次の『眩しき方』――次期国王の王衣となる羊毛らしい。
道理で艶やかな毛の魔羊が指定されるわけである。
「では、一頭ずつ、大切に素手で捕まえましょう」
ヴォルフの隣、ランドルフが当たり前のように言う。
それができたら苦労はしない、そう思いつつも、それしかないようだ。
皆、ちょっと硬い表情になりつつ、分担して魔羊を捕まえることとなった。
ヴォルフ達が最初に向かったのは、街道を少し入った場所である。
見上げる木、風にではなく、物理的にゆさゆさと揺れている枝があった。
「見た目、魔羊のなる木だね……」
「あれ、どうやって捕まえるんですか……?」
白くふわふわの魔羊が二頭、高い部分の枝にいた。
一頭は枝と枝に胴体がぐるりとひっかかり、足にも枝が巻き付いている。
もう一頭は枝の分岐部分にすっぽりと嵌り、四つの足は宙に浮いている。
ただの木であれば人間が登って羊に縄をかけるということも考えられたが、この木は『糊の木』。
皮を削って樹液を出すと、いい糊材になる。
よって、登り間違えると、人が木にくっつく。
人間が育てる場合は背止めをし、高さを制限するのだが、ここは自然の森。
高さがあることもあり、上って下りられなくなると魔羊より手間である。
「ヴォルフ、お前が飛んで、枝を魔羊ごと落とせるか?」
「ああ、いける」
ランドルフのいきなりの質問に、ヴォルフは反射的に答えた。
しかし、それでは魔羊に怪我をさせる恐れがある。そう言おうとして友を見て、理解が追いつかなかった。
「ランドルフ先輩、どうして脱いでるんですか?」
「ヴォルフに枝ごと落としてもらい、下で魔羊を受け止める」
「はっ?」
「鎧を着けていたら魔羊に怪我をさせてしまうかもしれない。あと、糊の木は枝も粘着性がある。アンダーシャツをくっつけたくはない」
「待ってください! ランドルフ先輩が怪我しませんか?」
「問題ない」
言いながら、ランドルフはさっさと鎧もシャツも脱ぎきった。
ヴォルフも二度大丈夫かと確認したが、友は問題ないとくり返すばかりだ。
一応、カークにポーションを持って横にいてもらうことにした。
「じゃ、行ってくる」
黒風の魔剣を手に、ヴォルフは魔羊のいる枝の根元へ飛ぶ。
剣を勢いよく振り抜くと、枝は思ったよりあっさりと斬れた。
自分はそのまま前方向の草むらへ、魔羊は枝ごと真下へと落ちる。
ヴォルフが振り返ったときには、すでに魔羊はランドルフの腕の中だった。
カークと年配の騎士がくっついた枝を引き剥がしている。
糊の木なので、どうやっても枝にくっついた羊毛も少し抜ける。
その度に、メエメエと抗議の声が上がっていた。
「暴れないでくれ、怪我をしてほしくない」
ランドルフがそう伝えるものの、魔羊はじたじたと暴れる。
羊という名はあるが、身体強化もある魔物だ。その力はそれなりに強い。
頭をぶんぶんと振ると、その金の角がランドルフの頬に当たった。
「くっ!」
「ランドルフ!」
「大丈夫だ。たいしたことはない」
その頬が浅く切れたらしい。
頬から顎まで伸びた赤い線は、ぽたり、魔羊を抱く腕に落ちた。
けたたましく鳴いていた魔羊は、次第に声を小さくする。
「カーク、皿に水をくれ。長く木の上にいたのだ、水分補給が必要だ」
「はい!」
準備してきた深めの皿に、カークが魔石で水を入れる。
魔羊の目がちらちらとそれを見ていた。
「喉が渇いただろう。声がひび割れている」
ランドルフは魔羊をそっと地面に下ろす。
魔羊は逃げることもなく、目の前に置かれた水を吸うように飲み始めた。
ひとしきり飲み終えると、その目でじっとランドルフを見る。
「メェー、メェー」
その後、呼びかけるように鳴いた方向は、まだ木の上にいる魔羊である。
枝の分岐部分でひっかかっている魔羊は、動きをぴたりと止めた。
おかげで揺れで手元が狂う心配をしなくてよさそうだ。
「えーと、あの魔羊の枝も斬っていいかな?」
「ああ、頼む、ヴォルフ」
二頭目の魔羊救出は、とてもスムーズに進んだ。
結局、服を着たランドルフが二匹とも抱き上げたまま、馬車に戻る。
ヴォルフとカークは、彼の鎧を持って後に続いた。
魔羊の馬車を守る第二騎士団の者達には、とても驚かれた。
「あの木の上の魔羊を、こんな短時間で!」
「流石、『魔羊使い』! お噂はかねがね……!」
称賛の言葉に、赤銅色の髪の主は困り顔をしていた。
そこへ、複数の夜犬と共に、投網を持って追いかけたグリゼルダと第二騎士団の騎士達が戻ってきた。
網の中には一頭の魔羊が不機嫌な表情で丸くなっている。
馬車の横まで来ると、『ご教授ありがとうございました!』という騎士達の声が響いた。
グリゼルダ副隊長は、今回も教師役を買って出たらしい。
そして、残りはあと一頭となった。
夜犬が導いたのはごく近く、草むらでのんびりと草を食む魔羊がいた。
その個体はこちらを見ても逃げることはない。
夜犬が魔羊を噛むなと命じられているのがわかっているのか、近づいても無視である。
いや、あまり距離を詰めると蹴る真似はするようだが。
「魔羊さーん、一緒に王都に行きませんかー!」
「ケッ!」
カークの明るい誘いに対し、妙に人間くさい否定の声が返ってきた。
その声に、横の騎士達が肩を震わせて耐える。
魔羊は、何事もなかったかのように、また草を食み始めた。
「ヴォルフ先輩、あれ、風魔法で転がしていいと思いませんか? ごろごろ十回程度で済ませますから」
「やめておこう、カーク」
とても真剣な表情の後輩の肩に、手を置いて止める。
彼の風魔法で本気で転がされたら、流石の魔羊でも怪我をするだろう。
「時間も惜しいですな。副隊長、ご許可頂けますか?」
「どうぞ、レオンツィオ殿」
許可を得た白髪隻眼の魔物討伐部隊員は、鎧を外す。
ランドルフと違い、シャツは脱がないようだ。
「では、久々に羊追いといきますか――魔羊、十数えたら追いかけるぞ!」
高らかな宣言の声に、魔羊が耳を動かした。
騎士達も皆、レオンツィオに視線を向けている。
なぜここで宣言の上、鬼ごっこをやる必要があるのだ? そう思っていると、夜犬と別の方角を探していたベルニージ達がやってきた。
「なんじゃ、一匹くらいはと思ったが、レオンツィオが出るのでは、出番なしだな」
「そうですな、撤収の準備をしておく方がいいかもしれません」
緊張感なく言う二人の声が終わらぬうち、レオンツィオが駆け出した。
視界で距離を測っていたらしい魔羊は、草丈のある方向へ飛び込むように逃げる。
あれでは絶対に見失う、そう思ったとき、横から間延びした声が響いた。
「儂が隊にいた頃、レオンツィオは一、二番に足が速くてのう。あと、魔物に対しては、とてもいい性格でなぁ……」
空を飛ぶように跳ねる魔羊を追い、レオンツィオも飛ぶように走る。
高さは魔羊に追いついていない。
だが、ジグザグに逃げる魔羊に対し、直線的というか、向かう方向を予測するかのように進んでいく。
が、その姿は草丈のある場で、不意に見えなくなった。
もしや、転んだか倒れたかしたのではあるまいか、そう心配になって足を踏み出しかけたとき、先を行く白い魔羊が振り返っているのが見えた。
いきなり追っ手が見えなくなったので、気になるのかもしれない。
そろそろ風の向きが変わる時刻か、木々と草を吹き抜ける風が揺らした。
「メエッ?!」
鳴き声と共に、緑の草波に魔羊が呑まれ消えた。
「え?!」
もしかして、この草原には大きめの穴がいくつもあるのではないか?
さきほどはレオンツィオが落ち、今度は魔羊が――
周囲の騎士達も息を呑む中、草波の中から、ひょいと白髪の男が立ち上がった。
その腕には、四つ足をきっちり捕まえられた白い羊がいた。
「なかなかよい毛並みの羊ですな。軽めなので、食いでは今一つ足りなさそうですが」
「メッエーッ!」
身の危険を感じたか、魔羊は暴れようとしている。
しかし、よほどきれいに四つ足をキメられているらしく、背を地面側に揺れるのが精一杯。
そんな魔羊を持ったまま、レオンツィオは悠々と戻ってきた。
「レオンツィオ殿、お見事でした」
「いえいえ、羊飼いの腕は落ちました。もう少し騎士として鍛錬をしませんと」
くっきりと手の甲に蹄型の泥を残したまま、魔物討伐部隊員が笑った。
これで魔羊全頭がそろった。
予定していたよりもかなり早い時間なので、戻りも早まるかもしれない。ヴォルフはそう期待したが、馬車はまだそのままだった。
第二騎士団副団長、グリゼルダ、そして、隣国の飼育係は難しい表情で話し合っている。
「グリゼルダ殿、本日はこれから宿場街に参りますが、魔物討伐部隊の皆様もご一緒願えないでしょうか? 木の上にいた二頭が少し弱っており、獣医に診せたいと思います。それと、団の馬達も少し休ませねばならぬようで――宿の方は当方で予約していたところを継続予約に切り換えてありますので」
丈夫な魔羊とて、長い時間、木の上で暴れていれば、消耗もするだろう。
それに、第二騎士団の馬は、長い遠征に慣れた魔物討伐部隊の馬とは違う。
宿場街での一泊も仕方なさそうだ。
「では、交替で魔羊の警護をし、明日朝一で王都に戻ることに致しましょう」
グリゼルダが了承し、一同はそのまま宿場街へ向かうこととなった。
本日はテーブルで食事がとれ、ベッドで眠れそうである。
遠征中はなかなかないので、ありがたいことだ。
「夕食に湖魚が食べられるといいですね!」
「わかりました。宿に願ってみましょう」
「え?! あ、ありがとうございます!」
カークが自分に言った言葉に、第二騎士団の副団長が笑顔で答えてくれた。
慌てて礼を言う後輩は、それでもちょっとうれしそうだ。
明日の夕方には王都に戻れる。
そうしたら、ダリヤの叙爵の前祝いに、緑の塔へ行こう。
香りのいい花を合わせた花束と、甘口の赤ワインと、別邸の料理人に頼んでいるチーズケーキを持って。
まだ青さの残る空、白く見え始めた糸月に、ヴォルフはそっと微笑んだ。




