39.冷蔵庫は急速冷凍の夢を見るか
オルディネ王国の王都の夏はそれなりに暑い。湿気は少なめだが、気温は上がる。
まだ初夏だというのに、汗ばむ日が多くなってきた。
この時期、一番困るのが食料品の保存である。
ダリヤは冷蔵庫に入りきらず、カゴに入れていた野菜を手にする。一昨日買ったものだが、水分が抜けてくしゃりとなってしまい、スープに入れるしかなさそうだ。
ぬるい紅茶を口にしつつ、窓から少しばかり色の悪い空を見上げる。
ヴォルフとの約束は今日だったが、『遠征が入った』という手紙が昨日届けられた。
約束を守れない謝罪と、帰ったら連絡するという内容だ。
乾ききっていないうちにたたまれたであろう便箋、その紺のインクが少しだけにじんでいた。
魔物討伐部隊の仕事は、本来そういうものだろう。
王都の周辺から国境までと範囲は広く、魔物は予告なく出るので遠征は急だ。
討伐は日帰りから一ヶ月以上まであると聞いていたから、遠征自体、それほど驚きはしなかった。
ただ、今日、短剣の魔法付与を試せなかったのが残念だ。
あとはほんの少し、天気が、移動が、ヴォルフが何を食べているかが気になっているだけだ。
けして、討伐の赤鎧で今まで無傷という、彼の強さを疑っているわけではない。
ダリヤは軽く頭を振って窓を閉めると、一階の作業場に下りた。
作業場は窓を開けていても、むわりと暑かった。ダリヤはすぐ、冷風扇のスイッチを入れる。
このところ一番売れている魔導具は、この『冷風扇』だという。
オズヴァルドの開発した冷風送機が水タイプと氷タイプの二種類となり、それぞれ『冷風扇』『氷風扇』と名前がついた。
氷風扇はまだほとんど出回っていないが、前世のクーラーを思わせる涼しさだ。そのうちにきっと流行るだろう。
生活が快適になる魔導具は、一度体験したら、なかなか手放せないものだ。
作業場には、試作用に作ってもらった、銀色の大きな箱が鎮座していた。
新しく作りたいと考えているのは、『冷凍庫付きの冷蔵庫』である。
魔導具としてはすでに冷蔵庫はあるのだが、冷凍庫付きのものはない。また容量も少なめだ。その辺りを改良して制作してみようと考え、付き合いのある工房に箱を頼んだ。
早くても五日くらいはかかるだろうと思っていたが、作りが簡単でちょうど手が空いているからと、わずか二日で届いた。
新型の冷蔵庫を試作するための銀の箱は、三段の棚があり、それぞれに扉がついている。
前世でダリヤの使っていた冷蔵庫は、上から冷蔵室、野菜室、製氷機とチルド、冷凍庫という順だった。
こちらでは、冷気が下に落ちることを考え、試作品では上から冷凍庫、冷蔵庫、野菜むけにする予定だ。
中を確認すると、ようやく定着が落ち着いたところだった。
防水布と似た処理で、ブルースライムを処理したものを内部に貼っている。
青い半透明の色合いが少々不気味だが、扉を閉めれば台所に置いていてもおかしくない見た目になる。
つい、その微妙な青さにカビを思い出してしまうが、代替品が思い浮かばないので、とりあえずこれで進めることにした。
後ろ側に回ると、ざら書きで頼んだというのに、見事な格子状に魔法管がつけられ、内部にも回っていた。冷蔵庫の横に魔石をセットする魔石ポケットもすでに付いている。
こういった大型筐体の外側を作る職人は、父の代から同じ工房だ。
メモで大体の形を伝えても、すでに何をどう作るのか、先回りして知られているのではないかとさえ思える出来だった。
ダリヤはその赤髪を束ね、防寒機能の付いた手袋をした。
氷の魔石をポケットにセットし、どこにどのぐらいの魔力を流すかを計算しつつ、格子状の管に冷気を通していく。
上の段には凍る程度に強めに、中央の段には弱めに、そして下の段には中央の段から落ちる冷気を利用する形で固定した。
扉を閉めてみたが、かなり冷気漏れするので、クラーケンでできたテープを魔法付与で止めていく。
クラーケンテープは、ゴムと似ていて、なかなかいいパッキンになる。
ただ、開け閉めするときに少しだけ、キュワッという微妙な音がするので、ダリヤはつい小さいクラーケンがそこにいる想像をしてしまった。
が、空想ミニクラーケンは小さくても、あまりかわいくなかった。
自分はもう少し、かわいいものに対する空想力を磨く必要があるのかもしれない。
一通り冷気が回ったことを確認すると、一番上に水を入れた木のカップ、2段目にワイン、三段目にオレンジを一つ入れてみた。あとは時間経過で様子を見ることにする。
冷蔵庫がうまくできるようであれば、いずれは『自動製氷機能』も付けたいところだ。
氷・風の魔石をうまく設置すれば、前世と違って、自動製氷機能付きコードレス冷蔵庫が作れるかもしれない。
最も難しいのは、氷になったときに移動させる風の魔法制御だろう。
あとの問題は氷の魔石で維持費がかさむことだが、パッキン対策と効率化に力を入れればなんとかならないだろうか。
ぐるぐると考えを回しつつ、繰り返しメモをとった。
ふと冷蔵庫の銀色を見て思いついた。
冷凍庫の部分には、もう一つ氷の魔石を入れてもいけるかもしれない。
氷の魔石をダブルで使えば、もしや『急速冷凍』というのが可能ではないだろうか――むくり、好奇心がわき上がる。
魔石は一つより二つの方が相乗効果で機能が上がることも多い。
ただ冷やすだけならこれで間に合うが、機能的に『急速冷凍』というのがあってもいいのではないだろうか。
予定はしていなかった機能だが、これは試作である。
試作であるならば、やはり考えたことは試すべきである。
少々無理な理論で好奇心を援護し、やってみることにした。
筐体的には安全値内だが、慎重に魔石ポケット部分を魔力で変形させ、魔石二つをセットする。そして、魔力の流れを制御するために、指先から魔力を流していく。
不意に、窓の外で遠雷が轟いた。
その響きに思わず遠征先のヴォルフを思い出し、一瞬、集中が切れた。
パキリ、非常に嫌な音がした。
一拍遅れて、ピシリという微妙な音が続いた。
慌てて魔石ポケットから氷の魔石を外したが、奥のひとつは見事に半分に割れていた。
どうやらいつもより魔力を多めに流してしまったらしい。今までにない大失敗である。
中が壊れていないか、おそるおそる冷凍室を開けようとし、数センチで止めた。
「わぁ……氷がいっぱい」
扉の隙間からは、たいへんに美しい氷の壁が見えた。
結果として急速冷凍で、上の段一杯の氷ができているが、これをどうしろというのか。他に何も入らないではないか。
ダリヤはため息をついた後、頭を抱えた。
扉は数センチ動いただけで、それ以上手前に引くことができない。どうにもならないので、このまま溶けるまで待つことにした。
今回、急速冷凍機能はあきらめよう。溶けたらもう一度、魔石一個で作り直そう――そう思いつつ、きちんと冷える下の段には今晩のワインをもう一本追加で入れておくことにする。
入れたワインは白だ。
今日のワインは少しばかり辛いに違いない。