395.スカルファロット家の妖精結晶の眼鏡
おかげさまで『魔導具師ダリヤはうつむかない』8巻が発売となりました。
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「グイード、いつまで鏡を見ているつもりだ?」
スカルファロット家本邸の執務室、主が眼鏡をつけて手鏡を見ている。
細い銀枠の眼鏡を手にしてから、黙って五十数えたが終わらない。
ローザリアを待たせたくはないので、遠慮なく止めることにした。
「ヨナス、もう少し待ってくれ。確かに私の目なのだがね、ちょっとこう……」
グイードは手鏡を近づけては離し、己の目を確認している。
コルンバーノが妖精結晶を使って付与した青の目は、凜々しさ二割増しといった感じだ。
仕事に本気で打ち込んでいるときはこんな感じの目なので、ヨナスとしては違和感を覚えない。
だが、本人にとっては違うのだろう。
手鏡を見つめながら落ち着かぬ表情だ。
「その眼鏡をつけていると、二割増しで格好いいぞ」
「本当かい?」
「冗談だ」
「……ヨナス……」
ヴォルフが夜犬になっているのはよく見るが、やはり兄弟だ。
こうしていると白毛の犬の感がある。
もっとも、かわいげはあまりないが。
「ローザリア様でないと確認できないんだ。さっさと行くぞ」
「最近、ヨナスはベルニージお祖父様に似てきたね、大雑把さが――いや、それは前からか」
舌戦が長引くと不利になる。
ヨナスは無言で近づくと、グイードを乗せたままで椅子を引く。
彼はようやく手鏡を置き、仕方なさそうに立ち上がった。
従者としてさっさと部屋のドアを開けながら、ヨナスは隠してため息をつく。
この男は、妻に関して、どうしようもなく臆病になることがある。
揺るぎない想いを寄せ、同等の想いを返されているのだ。
そんな相手がいることを幸運と思えど、何の不安もいらぬだろうに。
もっとも、これを言えば惚気られるか、そんな相手がいない自分のひがみに聞こえるかもしれぬので、口にするつもりはないが。
魔導ランタンが並ぶ夜の廊下を進み、向かうのはローザリアの部屋である。
まだ彼女には完成したことを伝えていない。
先にグイードに確認してもらってからと思ったのだが、思いの外、長引いてしまった。
部屋の前、グイードを目にした護衛騎士の女性が目礼する。
そして、命じられる前にドアをノックした。
「グイード様がお見えになりました」
その声に内からドアを開いたのは、ローザリア専属のメイドだ。
グイードはドアの手前、眼鏡の中央を上げ直してから中へ入った。
「グイード様?」
部屋の奥、ローザリアがソファーから立ち上がる。
その青のにじむ銀の目がグイードに向けられ――ぴたりと止まった。
「眼鏡が仕上がってきたのだけれど、どうかな、ローザ?」
問いかけに返事はない。
ローザリアは両手で口元を押さえ、ただその両目からはらはらと涙を落とした。
グイードはそのまま彼女の元へ早足で向かう。
ローザリアがその白い指を伸ばすと、体勢を低くし、己の顔を妻の目の高さに合わせた。
眼鏡について聞くまでもない。
ヨナスは主の背に向かって言う。
「祝い酒を廊下に準備致します。それと、明日昼までの予定は、すべて午後に回してよろしいでしょうか?」
「ああ、頼むよ」
振り返らずに答えるグイードから、視線を外した。
そこで抱きしめてしまっては、せっかくの顔が視えないだろうに――
さっさと退散しないと、八本脚馬に真っ平らに踏み固められそうだ。
部屋にいたメイドも、ヨナスに続いて外へ出る。
ドアをきっちり閉めると、どちらからともなく右の拳を出し、軽く打ち合った。
部屋の前に立つ護衛騎士とも、無言で同じ動作をする。
スカルファロット家の護衛・鍛錬仲間としては、言葉よりこの方が早い。
「コルンバーノ殿の昇進を進言してください、ヨナス様」
「この前、役付けになったばかりです。スカルファロット家魔導具開発、魔導具部門の部長に」
「では、褒美の品でも金銭でも……欲しいものを聞くことはできませんか? ヨナス様とはよくお話しされる仲でしょうから」
黒髪のメイドが我が事のように願ってくる。
だが、それは自分の仕事ではない。
「私がどうこうするより、グイード様とローザリア様が全力で御礼をなさるかと」
「ああ、そうですね……」
こくこくとうなずくメイドに対し、ふりかぶってうなずいている護衛騎士がいる。
我らが主夫妻は部下に対し、賞賛と褒美を惜しまない。
ありがたいことではあるのだが、度というものがある。
「そういえば、ローザリア様を蜂からお守りして刺されたことがおありでしたね。よろしければ、あのときの褒美について伺っても?」
「馬と鞍を頂きました。その場ですぐ魔導師に治癒魔法をかけて頂いて、なんともなかったので、かなりご遠慮申し上げたのですが……」
「ご遠慮は難しいかと……私は落ちづらい汚れがついた際、付与つきの新しいメイド服と、ドレスを頂きましたから」
護衛騎士とメイドが、そろって遠い目になっている。
仕事を理由に断れない状況に追い込む巧妙さは、ヨナスもよくわかっている。
魔法の付与満載の従者服に、幻惑の腕輪、八本脚馬、なかなかに高い給与、魔剣闇夜切り――
もしかしなくとも、自分が一番もらっているだろう。
「コルンバーノ様は、何を頂くことになるのでしょうか……?」
護衛騎士のつぶやきに、答える声はなかった。
その代わりのように、メイドが明るい声を出す。
「今夜は私どもも祝杯をあげたいところですね」
「そうしたいところですが、酒蔵庫の許可は――グイード様へは願いづらいですね」
今、出てきた部屋に戻るくらいなら、赤熊あたりに突撃する方がマシである。
二人とも多かれ少なかれ同じことを考えているのだろう。
苦笑めいた表情が自分に向いた。
「問題ありません。自分は相談役ですので、グイード様代理として祝い酒の許可を出しましょう」
相談役でなくとも同じことはできただろう。グイードに叱られることもないに違いない。
だが、今ここでそう言い切れることが心地よかった。
「別邸のコルンバーノ殿が戻っていないようなら、迎えを出すようお伝えください。まだ仕事をしている可能性がありますので。私は祝い酒を願いに参ります」
「わかりました。私は休憩室の方へ行って参ります。その後に護衛部屋の方に準備を致します」
自分達の話に、護衛騎士が残念さを隠さぬ声で言う。
「朝方の交替まで続いていたら、ご一緒したいところですが……」
「大丈夫です、交替で明日の昼まで祝いましょう。護衛仲間でコルンバーノ殿の偉業を共有し、褒め称えなければいけませんから」
妖精結晶の付与での悪夢に代わり、皆で褒め称え、現実を見せてやろう。
コルンバーノは少しだけ困った表情をした後、照れを隠しきって微笑むだろう――そう考えていると、廊下の先に影が見えた。
「グローリア様」
廊下を二人のメイドと共に歩いて来たのは、人形よりも愛らしい、そう表される五歳の幼女である。
ゆるいウェーブのついた白金の髪。白磁の肌に薄薔薇色の頬。吸い込まれそうに深い青紫の目。
整った顔立ちは両親譲りだが、完全にいいとこ取りをしたらしい。
このまま育てば、ヴォルフの隣でも遜色ない美女となるだろう。
少し前、同派閥の子供だけの貴族交流会を初見学したところ、翌日には花とカードが山と届いた。
これまでに各家から持ち込まれた縁談は二桁。
もちろん、祖父と父がそろって粉々に握りつぶしている。
「ヨナス! あ……ヨナス、様」
自分を見てぱっと笑顔になり、何故か様付けに呼び変えられた。
「よいのですよ、グローリア様は私がお守りする主のご息女です。今までと同じにお呼びください」
「でも、ドラーツィ様のお家の人になったから、いけませんって、先生が」
家庭教師に注意されたようだ。
教本通りならばそうだろうが、自分はグイードの相談役の前に護衛騎士である。
後で家庭教師へ話を通しておく方がいいだろう。
「今まで通りでお願いします、グローリア様。先生の方には私からお伝えしておきますので。ところで、どうかなさいましたか?」
幼子はそろそろ眠る時間である。
母へのおやすみの挨拶だろうか――そう考えていると、薄薔薇色の唇が答えた。
「父様のお仕事が終わっていたら、御本を読んでもらうの。この前の分も!」
「――グイード様は今、ローザリア様と大切なお話をなさっております。今しばらくかかるかと」
その青紫の目が、ヨナスをじっと見る。
グローリアは、今のところローザリアのように魔力で人の顔がぼやけるといった兆候はない。
色の名を覚えても、人に重なっているとは言わないので、おそらく魔力は視えていない。
だが、そのまっすぐな目に、ヨナスは子供だからといったごまかしはやめている。
「……明日にする……」
わずか五歳にして、癇癪を起こしもせず、父母に会いたいとも言わない。
ただきつく口を引き結び、目は潤ませても涙は流さない、見事なものだ。
だが、感情制御は貴族の嗜みでも、子供時代をすり減らすことはない。
自分はグイードの相談役だ。代わりになってもいいだろう。
明日の夜にまた鍛錬になる可能性が――なくもないが。
「グローリア様、代理で私がお読みしてもよろしいでしょうか?」
「うん!」
満面の笑みでうなずかれ、ヨナスはメイドに振り返る。
祝い酒の手配を願う前にうなずかれた。
「後はお任せを、ヨナス様」
そこからは小さな淑女をエスコートし、彼女の寝室へと向かう。
ヨナスがここへ入室するのは初めてである。
白と薄薔薇色を基調とした寝室の中央、メイドに手伝ってもらい、夜着のグローリアがベッドに入る。
その横、ヨナスは椅子に座り、膝の上にずしりと重い本を受け取った。
「ヨナス、それを読んでほしいの」
願われた本は分厚い魔物図鑑。
読み聞かせは不慣れなので、童話や物語ではないことにほっとした。
そうして読み始めれば、グローリアは魔物の絵に目を輝かせ、時に読んでいた内容について、あるいは見たことがあるかを尋ねられる。
質疑応答の多い読み聞かせは、グローリアがぱたりと寝落ちるまで続いた。
本を閉じると、笑んだメイド達に見送られ、そっと寝室を出る。
窓の外、星の並びから夜更けであることを確認し、階下へと下りた。
護衛部屋の近くまでくると、灯りが細くこぼれているのが見えた。
ドアはぴったりとは閉められておらず、わずかに開いている。
ここで飲んでいるぞという合図のようなものだ。
屋敷の警護は手薄にできないため、交替での祝いだ。それほど人数もいない。
それでも、部屋の中からは明るい笑い声が響いていた。
「コルンバーノ様、お手柄です!」
「本当にすごいです! もう、あのグイード様のお顔!」
「コルンならやれると思っていたとも!」
「ありがとうございます。まだまだ学びの途中ですが……」
中央のコルンバーノは、メイドにべしべしと肩を叩かれ、もう一人のメイドにオレンジジュースをグラスに注がれ、護衛騎士にチーズの皿、魔導師にクレープの皿を勧められている。
酒の飲めぬコルンバーノに対し、他の者達のグラスは皆、琥珀が濃い。
「でも眼鏡というのが少しもったいないですね。グイード様は素顔の方が格好いいので」
「今後はそれも研究したいと思います。イヤリングか髪飾りタイプでできないかと考えておりまして。こういった関係はまだまだ勉強不足ですが……」
「大変そうですが、それが実ればグローリアお嬢様のお顔を、そのままご覧頂けますね!」
「コルンならやれるって!」
疲労よりも高揚の色が顔にあるコルンバーノに納得する。
すぐに次の魔導具開発へ進みそうだ。
自分も話に加わるか、そう思ってドアノブに手をかけようとしたときだった。
「でも、グイード様は眼鏡もお似合いですので眼鏡タイプもそのままで! あとヨナス殿、いえ、ヨナス様もきっと眼鏡がお似合いになると思うのです!」
「考えてみればそうかも……ヨナス様は知性的な感じもするので、似合いそうですね」
いきなり入りづらい状況になってしまった。
そのまま入り口で二の足を踏んでいると、背中側からぽんと肩に手が置かれた。
「隠蔽を使って後ろに立つのはやめてもらえませんか、『ドナ先輩』」
呼び方をわざと昔に戻してささやく。
ドアノブに姿が映っていなければ、金属底の靴で蹴り飛ばしていたかもしれない。
「そう怖い顔しないでくださいよ。侯爵のご子息になったんですから、もうちょっとお上品にならないと、『ドラーツィ相談役』」
草色の目を細めて笑ったドナが、ようやく肩から手を離した。
どうにも慣れぬ呼ばれ方だ。
ヨナスはドナに向き合うと、表情を整えて切り返す。
「『お上品な戦いは犬の餌にもならない』、訓練でそう教えてくださったのは、先輩では?」
「後から来てぶち抜いていった野郎が何を言いますかね。大体、もう教えることなんか何もないんだから、先輩呼びはなしでいいって言ったじゃないですか」
確かに、打ち合いでは魔付きのため力勝ちし、模擬戦でも勝てるようにはなった。
だが、今、自分が護衛騎士として生きていられるのは、先輩方との訓練があるからだ。
教わることがなくなる日がくるとも思えない。
コルンバーノと同じく、自分もまだまだ、学びの途中である。
「先輩は、いつまでも先輩ですよ」
「ここで泣かせないでくれませんかね! コルンバーノ様を褒め倒せなくなるじゃないですか」
言葉に反し、ドナはけらけらと笑いながらドアを開ける。
つられ笑いをしたヨナスは、共に部屋へと入っていった。




