392.雑談と妖精結晶
「すまない、ダリヤ、叙爵前の忙しいときに」
ヴォルフに申し訳なさそうに言われた。
スカルファロット家の本邸で昼食を頂いたのが一昨日、そして本日は別邸の工房である。
妖精結晶の眼鏡の作り方を、スカルファロット家の魔導具師に教えるためだ。
予定よりちょっと早く着いたので、工房でヴォルフと共にお茶を頂いている。
「いえ、叙爵までは仕事をほとんど入れていないので、気にしないでください」
ダリヤが男爵となる叙爵式までは、あと一週間ほど。
イヴァーノが準備のためにと仕事を最小限にしてくれたので、本日、朝からここに来ることができた。
塔にいても、ほぼ暗記した叙爵の順番表と基本の礼儀作法の本を読むぐらいだ。
そう、無理なスケジュールでもない。
むしろここのところ懸命なのは、髪・肌・爪等の手入れである。
ルチアに長いリストと大量の瓶を渡され、『なんなら、あたしと美容師さんで毎日磨きに行くわ!』と笑顔で言われたため、自分でやると主張した。
ルチアが基本デザイン、それを服飾ギルド長のフォルトと服飾魔導工房の工房員で縫ったというドレスは、『咲き誇る大輪』と名付けられているそうだ。
つい遠い目になってしまったが、それをまとう本体として、なんとか頑張っている。
「私の方こそすみません。ヴォルフのスペアの眼鏡を作る前に、その、今と同じ目の眼鏡を作ることになってしまって――それにストックの妖精結晶も使いきると思うので、次の入荷まで時間をください」
魔導具は仕様書だけでは制作が難しいものも多い。
妖精結晶の眼鏡もおそらくそうだろう、ダリヤはそう判断した。
そのため、黒風の魔剣よりも先に、スカルファロット家の魔導具師に制作をしながら説明させてもらえないかと提案したのだ。
提案はすぐ通ったため、本日の実作はヴォルフの金の目をレンズに付与する予定である。
しかし、塔にあった妖精結晶のストックをすべて持ってくる形になったので、彼が緑の目に変装する眼鏡は、作るのが遅れてしまう。
これまでも遅れていたので、さらに申し訳なかった。
「俺の方は大丈夫。最近は王城でも全然声をかけられないから。義姉上はきっと、できあがりをとても楽しみにしているだろうし、その、我が家の平和のためにも早い方がありがたいので……」
後半につれ、ヴォルフの声が小さくなったのは何故なのか。
あと、どうしてここで平和という単語が出てくるのか。
どうにも心配になってくる。
「あの、ローザリア様に、早い制作を願われているとかでしょうか?」
「そうじゃないんだ。この前の魔物ごっこに、兄とヨナス先生と、ドナと、護衛騎士達が十人ほど参加してくれたんだけど、皆、全力で俺と遊んでくれたことにより、ちょっと注意を……」
「もしや、どなたかが怪我を?」
「いや、怪我人はいない。芝生が少し削れたのと、花壇の花がちょっと折れたのと、木の枝が一部折れたのと――それで義姉上から参加者全員がお叱りを……それなりに……」
叱られた子犬のような目に、それなりにきつくお灸を据えられたのだと理解する。
グイードとヨナスは、魔物ごっこを腹ごなしの遊びとか、裏庭を散策するようなものと言っていたが――なかなかハードな魔物ごっこになったらしい。
ちょっと見たかった。
「庭師に謝って、皆で花壇の花を入れ替えたり、草むしりをしたりしてた。俺は王城の朝鍛錬があるから兵舎に戻されてしまったけど、夜までかかったって」
グイード達が草むしりをする姿が、どうしても思い浮かばないが黙っておく。
しかし、ヴォルフにとって、魔物ごっこはトラウマにならないか、それが心配になった。
「ええと、騎士の皆さんも参加した魔物ごっこというのは、どんな感じだったんですか?」
「前半は魔物役が一人で捕まえ合ってた。それをくり返してたんだけど、人数が多いから立って待つだけの時間が多いってことで、魔物役が増える形に変えたんだ」
「十人以上ですから、その方が自然かもしれませんね」
「ああ。それで、ドナが最初の魔物役で――足がすごく速いから、護衛騎士をぽんぽん捕まえて、兄とヨナス先生と俺が追いかけられる側になった。ちょっと、遠慮してくれてたのかもしれないけど」
なお護衛騎士達が、先にグイードは捕まえられない、ヨナスは速度とフェイント、ヴォルフはジャンプ力があって捕まえづらいと苦悩していたことは、気づかぬ話である。
「それで逃げ回っていたら、護衛騎士の皆が連携して攪乱、隠蔽持ちの騎士がヨナス先生を捕まえた」
「魔法は使用しないんじゃなかったんですか?」
「隠蔽は身体強化魔法の一種だと、騎士達が主張した」
隠蔽は身体にまとう魔法である。分類的にはそうなのかもしれない。
あと、身体強化魔法も魔法ではないのかと思うが、ヴォルフ達はカウントすらしていないようだ。
「それで、次はヴォルフが追われることに?」
「いや、ヨナス先生は兄一直線。でも、兄上はなかなか捕まらなくて。あんなに足が速いなんて驚いたよ。花壇も池も軽く飛び越してたし、あの身のこなしはきっと騎士でも通用すると思う」
ヴォルフが尊敬をにじませた目で言った。
グイードは文官めいた容貌だが、弟と同じで運動神経に優れているらしい。
もしかすると、兄弟全員そうなのかもしれないが。
「あれ? ということは、最後に全員から追われたのはヴォルフですか?」
「ああ、真面目に逃げた。でも、子供の頃をいろいろ思い出したのと、この年でも兄上や皆と魔物ごっこができることがうれしくて、笑ってしまって……」
もしかすると、あの遠ざかる笑い声はヴォルフのものだったのかもしれない。
思い出して笑んでいると、彼がふっと息を吐いた。
「でも、笑ってたら、余裕があるんだと勘違いされて。皆が無言で追ってくるし、一斉に飛びかかってくるしで、つい天狼の腕輪で屋根を越えてしまって、俺のルール違反で終わった。魔物ごっこで、本当に追われる魔物の気分を味わったよ……」
追いかけっこも身体強化持ちが本気でやると、かなり怖いものになるらしい。
あと、天狼の腕輪があって良かったのか悪かったのか判断がつかない。
けれど、ひとつだけわかることがある。
「でも、これで魔物ごっこのいい思い出ができましたね」
「うん。次に話が出たら、俺は兄上達と飛び回ったことを思い出すよ」
ヴォルフが少年めいた笑顔で言った。
学院で誰にも誘われなかった魔物ごっこの思い出は、兄達とのそれにとって代わった。
それが我が事のようにうれしく思える。
「あ、つい『魔物ごっこ』って言ってしまうけど、今の学院生とか若者は、『鬼ごっこ』って言うんだって。去年、学院を出た若手の騎士が言ってた。『ある程度の年齢から上は魔物ごっこって言うんですよ』って」
「ある程度の年齢……私のときはどっちの呼び方もありましたけど」
「俺もそうだった。俺もどちらかというと『鬼ごっこ』呼びだったし。俺達の年代の後ぐらいから統一されつつあるんじゃないかな」
『鬼ごっこ』は、元々、東ノ国の言い方である。
オルディネの感覚では、鬼は悪魔。確かに懸命に逃げる相手としてはわかる気がする。
もっとも、魔物も怖いものが多いので、見かけたら逃げるのは一緒だが。
「兄が、スカルファロット家では正式名称を『鬼ごっこ』にするって。年齢なんてそう気にすることがないと思うんだけど」
「ヴォルフ、気にする人はするので、合わせてあげてください」
オルディネは前世と違い、年齢の数え方は新年も誕生日もわりとゆるく、サバを読むことも多い。
ダリヤは自分も人の年齢もそう気にしたことはなかった。
しかし、先日、ルチアに年齢に関する一部貴族の思い入れを切々と説かれた。
気にする人は深く気にする。
下手に敵を作りたくない場合は相手に合わせるべきだろう。
「それにしても、なんだか不思議だね。妖精結晶の眼鏡で、元々の金の目に見せるって」
「ええ。でも、ヴォルフをヴォルフだと見せるための眼鏡ですから」
表現がおかしいが、ローザリアにとっては正しい。
魔力が視える目に邪魔されることなく、家族の顔を見る――といってもある意味、偽装になってしまうが、そのための眼鏡である。
「説明用に、兄の眼鏡を作ってもいいんじゃないかな?」
「いえ、私にグイード様の目は無理かと」
「兄上の目って、イメージが難しい?」
「はい。お顔をじっと拝見したこともないですし」
「じゃあ、兄を呼んで、隣において付与するのはどうだろう? やりやすくない?」
「緊張してしまって、うまくいくと思えません」
「兄上なら、そう緊張することもないと思うんだけど……」
簡単に言わないでほしい。
ヴォルフには兄でも自分には友人の兄、何かとお世話になっている貴族後見人、そして次期侯爵当主である。
近距離で目を観察しつつ付与するのは無理だ。
ダリヤは話題を変えることにした。
「ところで、お庭の修復は全部終わったんですか?」
「うん、花の種類が少し変わったけど。今朝、本邸に行ったら、兄上と義姉上とグローリアがちょうど花壇を見ていて――その横で犬達がそろって、お腹を見せて転がってたよ……」
「かわいい光景ですね」
犬達がそこまでなついているのは、ドナの教育の賜物なのだろう。
話が区切りめいたとき、ノックの音がした。
「お待たせしました、ダリヤ先生」
やってきたのは二人、ヨナスとスカルファロット家の魔導具師だ。
正確な肩書きは、スカルファロット家魔導具開発、各種武具を開発する武具部門の長がヨナス・ドラーツィ。
そして、スライム関連商品を含め、魔導具を開発する魔導具部門の長が、コルンバーノ・ヒューラという名の魔導具師である。
撫でつけたオリーブグレーの髪と暗緑の目を持つコルンバーノは、これまでも何度か、武具工房で共に作業をしたことがある。
元々、スカルファロット家の専属魔導具師だそうだ。
ダリヤより一回りは上だろうか。スライム派生の各種魔導具に加え、魔導義足・義手などにも携わっており、魔力が豊富で作業が早い、とても腕のいい魔導具師だ。
魔導具部門の長というのも納得だった。
「ロセッティ会長、叙爵前のお忙しいところ、ありがとうございます」
「コルンバーノ様、こちらこそ、急なお願いを――」
「いえ、これまでできなかったことを叶えて頂けるのです。何をおいても参りますとも」
今まで口数が少ないと思っていた彼に、勢いきって言われた。
もしかしたら、ローザリア用の魔力を通さぬ眼鏡を試作していたのは、彼だったのだろうか、そう思い当たったとき、言葉を続けられた。
「ローザリア様用の眼鏡は、私ともう一人の魔導具師で試作をしておりました。魔力を通さぬレンズのものではぼやけが強く、レンズに魔力半減や方向変えなど、様々な素材でいろいろな付与を試しましたがうまくいかず……ローザリア様の目の特性故、外部の魔導具師を招くことも叶わず、非力を嘆いておりました。それを、対象者側に妖精結晶を使用した眼鏡とは、発想から素晴らしいと――」
「いえ! 私は偶然というか、ヴォルフがちょうど妖精結晶の眼鏡をかけていてですね、それをご覧になったローザリア様と話して思い付いたことなので。目についてお伺いしていたら、私もローザリア様用の眼鏡を作ろうとしたと思います」
物静かだと思えたコルンバーノに早口で褒められると、大変に落ち着かない。
あわあわと両手が上がりかけ、どうにか戻す。
あと、ヴォルフとヨナスは、そのにこやかな無言をやめて頂きたい。
「あの、当方で妖精結晶を五つお持ちしましたので、ご利用ください」
「ありがとうございます。こちらはレンズと眼鏡の枠をお持ちしました」
机の上に載ったのは、金属の大型トランク二つ。
片方が透明なレンズ、片方が眼鏡のフレームである。
フレームは当人の顔をはっきり見せやすいようにであろう、細めの弦のものが多かった。
「では、よろしくお願いします、ロセッティ会長」
「はい、先に妖精結晶のご説明をさせて頂きます――」
全員が席についた中、ダリヤは仕様書を横に、付与に関する説明を始めた。
三人は真剣な表情で聞き入り、質問もそれほどなく進んだ。
きらきらと虹色に輝く妖精結晶は、妖精が隠れるための魔力が固まったと言われている。
魔導具の素材としては認識阻害の力があり、イメージを固定表示させることもできる。
なかなか夢のある素材である。
しかし、付与の際にひどい幻覚を見せることも多い。
ゾーラ商会長であり、魔導具師の先生であるオズヴァルドからは、大切な人の死や、いなくなるところを見ることが多い。
夫や妻、婚約者、恋人、その後に家族、親友などだと教わった。
ヴォルフの眼鏡を作ったとき、ダリヤが見たのは妖精である。
犬系の魔物から必死に逃げたが、力尽きて地面に落ちる妖精。
目の前にある虹を向こう側に渡ろうとするが、飛ぶこともできず――そのまま息絶えたのだろう。恐怖に固まった思いが強く伝わってきた。
妖精の怖さと悲しさを思い出す度、ダリヤは内でそっと祈っている。
おそらくは今回もその幻覚を見るのだろうが、背筋を正して受け止めるつもりだ。
「では、これから付与を始めたいと思います」
説明を終えると、ヴォルフ用のレンズを選ぶ。
彼は今と同じ形のレンズを選んだ。慣れたものがいいのだそうだ。
自分達の横では、コルンバーノがサイドテーブルに魔力ポーションを並べていた。
「こちらはスカルファロット家からです。一枚の付与ごとにお飲みください」
ダリヤは礼を述べたが、その本数に目を見張った。
妖精結晶は一回の付与で魔力を半分もっていく、厄介な特性がある。
眼鏡のレンズは二枚。連続で付与することは理論上可能だし、ヴォルフの妖精結晶の眼鏡も一回で一気に付与した。
しかし、魔力枯渇で倒れては迷惑この上ない。
このため、魔力ポーションも一本頂けないかとお願いしたのだ。
それが何故ずらりと並んでいるのか。
魔力ポーションから視線を外せずにいると、コルンバーノに小さな声で問われた。
「ロセッティ会長、新しい付与を知ったときは、なるべく早いうちに自分の手で試したい派ですか、それとも理論と技術確認をしてから試したい派ですか?」
「……前者です」
同じく小さな声で言うと、彼はこくこくと二度うなずいた。
「同じでよかったです。本日教えて頂いた後、すぐにでも試したいと思いまして――魔力ポーションの方はお気になさらないでください。私や他の魔導具師も使用しますので」
それならば安心だ。
レンズ一枚ごとに飲むのであれば、一日一つの眼鏡を安全に試作することができるだろう。
ただ、妖精結晶の付与では、どうしても気になることがある。
「あの、失礼ながら、今まで妖精結晶のご利用は――」
「何度かあります。悪い夢なら見慣れておりますよ」
そうあっさり言い切られた。
これぞ腕ある魔導具師の余裕である。
感心しているダリヤの向かいでは、ヨナスが妖精結晶に目を細めていた。
「妖精結晶とは、ずいぶんまぶしいものだな……」
「そんなにまぶしいですか、ヨナス先生?」
「ヴォルフはこのきらきらした感じが目にこないか?」
「平気です。長く見ているとチカチカはするかもしれませんが」
妖精結晶は陽光の下、虹色の光を反射している。
それは水晶よりも一段強く、細かな光だ。
ダリヤはまぶしいとまでは感じないが、じっと見ていると目は疲れるかもしれない。
それと、ヨナスは炎龍の魔付きなので、もしかしたら見え方が違うなどもありえる。
「龍種は光り物を好む習性があると言いますから、それでよりまぶしく感じるのでしょうか?」
「なるほど、龍は宝石も好むっていうし、まぶしく感じるほど、ヨナス先生には妖精結晶が魅力的なんだろうか?」
「ヨナス様、追加で取り寄せるので、おひとついかがですか? 部屋のオブジェに」
示し合わせたわけではけしてない。
しかし、三人の問いかけが流れるように続いてしまった。
ヨナスは黙って三人の顔をそれぞれに見た後、何故か視線をダリヤに固定する。
その口角がゆるやかに吊り上がった。
「私は巣に持ち帰るなら、宝石や金銀より、美しい女性――」
「ヨナス先生!」
「――より、酒の方がいいですね。で、ヴォルフ、何か?」
「いえ、何でもありません……」
ヨナスの言葉を途中で止めたヴォルフが、そっと目をそらす。
なんとなく視線の行く先に困り、ダリヤはコルンバーノへと目を向ける。
彼はその暗緑の目を細め、楽しげに笑っていた。
「皆様、本当に仲がよろしいですね」
一人だけ傍観者にならないで頂きたい。
先ほどは三人そろってヨナスに質問していたではないか。
ダリヤはその笑顔を真似、彼に言葉を返す。
「皆で仲がいい方が、仕事はきっと捗りますよ」
コルンバーノは数秒固まった後、くつくつと笑い出す。
ダリヤも笑顔のまま、付与のため、妖精結晶に手を伸ばした。