391.茶葉選びと魔物ごっこ
スモークチキンサンド、子羊のフリカッセアなど、おいしい料理を黙々と堪能していると、ようやく会話が戻った。
「ヴォルフ、最近は長期の遠征がないようだね」
「はい、遠方は各家と、冒険者ギルドでの対応が増えているとのことです」
魔物討伐部隊が出向くのは、国の管理地や街道沿いが多い。
次いで、貴族の領地で魔物の数が多い、あるいは強いなどで依頼を受けたときとなる。
各家や国が置く警備隊、あるいは冒険者で対応できる場合は、出向く必要はない。
「アウグストが、今季から地域と季節で出やすい魔物の統計を取り、各家と調整の上、前もって冒険者を送り込むという試みを始めたそうだよ。まだ一部地域だし、対応できる魔物は限られるそうだが」
冒険者ギルドの副ギルド長であるアウグストは、冒険者による魔物対策を進めているらしい。
計画的で素晴らしい内容だ。
年中不在のギルド長に対し、アウグストが実質のギルド長と言われるのも納得できる気がした。
「ありがたいことです。魔物の同時発生などで人員が回らぬこともありましたから」
ヴォルフも感心したのだろう。うなずきながら答える。
「そうありがたがる必要はないよ。向こうも利益のためだ。『攻略の手引書も準備したのに、魔物討伐部隊の方が森大蛇は遭遇率が高い』、アウグストは晩餐でそう嘆いていたからね」
「嘆く、ですか?」
森大蛇と出会った不運を嘆くならわかるのだが、なぜ会えないことを嘆くのだろうか。
「ああ。いい値になるのに、冒険者ギルドで直接確保できないと、利益率の低い外部買い取りになるからもったいないと」
「もったいない……」
ダリヤはつい、復唱してつぶやいてしまった。
なんだろう、利益率で判断される森大蛇に、同情を禁じ得ない。
『緑の王』も厳しい時代になったものである。
話をしているうちに、ガラスの器に入ったデザートが部屋に届いた。
白いふわふわのかき氷の横、サルビアを数十倍に巨大化させたような純白の花が飾られている。
「削り氷のスカルラットエルバ蜜がけです」
「娘にはまだあげられないデザートだね」
かき氷の上にたっぷりとかけられているのは、スカルラットエルバの蜜。
甘いが、アルコール分がしっかりある。確かに大人のデザートだ。
勧められるがままに口にすると、ふわふわの氷の冷たさに、甘い酒の味が広がる。
その味わいを楽しんでいると、花の香りが鼻孔をくすぐった。
スカルラットエルバの蜜はそのまま、あるいは炭酸水で割るのもいいが、かき氷が一番おいしいかもしれない――そう思えるほどのおいしさだった。
話をしつつ食べ終えると、ローザリアが自分に声をかけてくる。
「ロセッティ会長、この後、茶葉選びにお付き合い願えませんか?」
「茶葉選び、ですか?」
貴族女性が『茶葉選びにお付き合いください』というのは、あなたと二人でお話がしたいの意味だと、礼儀作法の本にあった。
次期侯爵夫人に願われたなら、ダリヤに断る選択肢はない。
「作法に詳しくなく、失礼があるかもしれませんが……」
「義姉上?」
ヴォルフと同時に声を出す形になってしまった。
だが、ローザリアはにっこりと笑う。
「ロセッティ会長、言葉のままですわ。今日のお詫びにお茶の葉をお渡ししたいのです。お好みがわかりませんので、一緒にお選び頂けないかと」
「ありがとうございます」
貴族のマナー本を鵜呑みにした弊害である。
言葉通りのときとそうでないときの違いも書いてほしい、判断がつかない。
「試し飲みもして頂きたいので、皆様はお話を続けてくださいませ。遊戯盤やカードを出されてもよろしいかと思います」
「では、しばらく遊ぶとしようか。ヴォルフ、戦駒とカードのどちらがいい? 他に思い付くものがあればそちらにしよう」
「どちらでもかまいません。思い付くものもすぐには出てきませんし……」
「昔はよく、魔物ごっこやかくれんぼをねだられたものだが」
グイードの言う『魔物ごっこ』とは、前世でいう『鬼ごっこ』である。
東ノ国の言い方でも『鬼ごっこ』なので、そう呼ばれることもあるが、今世のそれは二パターンある。
途中までのルールは似ていて、決めたエリア内で、魔物役が十数えてから他の者を追う。
そこからは捕まった人間が次の魔物役となるパターンと、魔物が増えていくパターンがある。
後者は参加人数が多い場合にとられる方法である。
「魔物ごっこやかくれんぼは、兄上達によくして頂きましたね」
「学院でもあっただろう? 昼休みなどはよく騎士科の者が魔物ごっこをしていた」
兄の明るい声に対し、ヴォルフは金の目をそっと伏せた。
「いえ……俺は声をかけられなかったので、兄上達以外とはやったことがなく……」
「ヴォルフ……」
「ヴォルフ……!」
グイードと声が完全に合ってしまった。大変に気まずい。
次の言葉を選びかねていると、ヨナスがナプキンで口を拭った。
「昼食も済みましたし、裏庭でなら、気分転換にいいのではないですか?」
「そうだね。食後、軽く身体を動かすにはうってつけだ。エルードがここにいないのが残念だが――庭番のドナにでも付き合ってもらおうか」
以前、ヴォルフと一緒に出かけたときに護衛をしてくれたドナは、本邸の庭番だったらしい。
『夜犬に餌をやるのがメインの仕事』、そう言っていたことに納得した。
「グイード様、剣も短杖も使用しないのですね?」
「ああ、心配しないでおくれ、ローザリア。腹ごなしの遊びだよ」
「ヨナス、攻撃魔法も肉体的攻撃も一切なしですね?」
「もちろんです。裏庭を散策するようなものですので」
ローザリアがそれぞれに念を押す。
グイードとヨナスは鍛錬で別邸の窓を割ったことがあるので、心配されているようだ。
だが、武器も攻撃魔法もないのであれば、ただの追いかけっこだ。危なくはないだろう。
隣のヴォルフを見れば、少しだけ困ったような表情で――それでも興味があるのはその目の光でわかる。
自分が彼らの魔物ごっこを見られないのが、ちょっと残念だ。
「楽しんできてくださいね、ヴォルフ」
彼は笑顔でうなずいた。
そのまま、二手に分かれて部屋を出る。
ダリヤはローザリアについていく形で廊下と階段を進んだ。
向かった先は、先程の部屋よりも小さめで、やはり客間らしいところだった。
窓の外には青い空。水色のカーテンには白い薔薇が刺繍され、調度も水色と白を基調にしている。
女性らしい部屋に感じられた。
「ロセッティ会長は、香り付けの紅茶はお好きですか?」
ソファーに腰を下ろすと、ローザリアに尋ねられた。
「恥ずかしながら、今まであまり飲んだことがなく、知識がございません」
紅茶は行きつけの店で食料品と買ってくるか、頂き物を飲むかである。
好みを言えるほどに詳しくは無いので、正直に答えた。
貴族女性の嗜みとしては、ある程度、紅茶の知識も有った方がいいと、貴族のマナー本で読んだことはある。
が、礼儀作法に手一杯で、そこまで手が回らないのが正直なところだ。
「それなら試し甲斐がありますね」
楽しげに笑んでくれたローザリアに、貴族女性らしい優雅さを感じた。
彼女はオレンジ、ベリー、ホワイトローズ、ピンクローズといった、ダリヤも知っている香り付けの茶葉をメイドに頼む。
ワゴンに載せられた沢山の銀色の缶は、すべて茶葉だったらしい。
茶葉選びのため、注がれるのはカップに三口分だけ。カップは紅茶毎に取り替えられる。
ダリヤには初めての形式である。
それでも、香り付け紅茶の甘やかな香りに、張りつめていた気持ちが一段楽になった気がした。
「ロセッティ会長とは本日が初対面ですのに、失礼な上、お見苦しいところをお見せしてしまって――」
「どうかお気になさらないでください」
ローザリアはまだ気にしているのだろう。
貴族の淑女が前に出て客人に氷魔法を放った、それは誤解でも褒められたことではないのはわかる。
だが、夫を守って即座に行動する彼女は、うらやましいほどに強かった。
「本当は昼食のとき、逃げ出したいほどに恥ずかしかったのです」
「いえ! グイード様を守ろうとするお姿はとてもかっこよく……」
待て、自分。後悔なさっているところを、騎士のように褒めてどうする? 失礼ではないか。
声を尻すぼみにしつつ、ダリヤは礼儀作法の本を必死に思い出す。
あれだけ何冊もあるのに、類似のシチュエーションがないのはおかしい、そう斜め上の八つ当たりが思い浮かんでしまった。
だが、柔らかな声がそれをかき消す。
「……守ろうとする姿がかっこいいとは、うれしい褒め言葉ですわ」
今までの整った笑みもきれいではあったが、それとはまるで違う。
ローザリアの白薔薇が咲き誇るような笑みに、本心からだとわかった。
ダリヤは詫びの言葉を喉で止め、メイドの勧める紅茶に口をつける。
「それにしてもヴォルフレードのあの顔にはとても驚きました」
「ヴォルフ、レード様、の顔がおわかりになったからですか?」
「ええ。それと、ロセッティ会長はヴォルフ呼びでかまいませんよ。親しい友人として、義弟から許されているのでしょう」
本当に気遣いが細やかだ。そう思っていると、彼女は細く吐息をつく。
「少し残念でしたわ。あんなふうにはっきりと、夫や娘の顔が見られればいいのですけれど」
「失礼ですが、眼鏡型の魔導具はお試しになったことがありますか?」
魔力が視えるのであれば、魔力遮断のできるレンズの眼鏡はどうかと考える。
そうすれば、グイードや娘の顔もはっきりわかるのではないだろうか。
だが、彼女は首を横に振った。
「眼鏡型の魔導具で、魔力を通さぬレンズのものも試しましたが、ぼやけてしまうのです。うちの魔導具師達が手を尽くしてくれているのですが、私の目は自動的に魔力を拾おうとするらしく……合わせるのは難しいようです」
軽率に聞いたことが申し訳なくなった。
スカルファロット家であれば当然そういった研究もしていることだろう。
そして思い出す。
神官であるエラルドであれば、なんとかできないだろうか? そんな希望を抱いてしまったとき、彼女はティーカップに白い指をかけた。
「神官にも内密に見て頂きましたが、『魔力封印をすれば見えるようになるかもしれません』と。私には選べない方法です」
魔力封印は、魔力を使えないようにするものであり、高魔力の罪人など、限られた者が受けるものだと聞いたことがある。
封印のための魔法があるのか、あるいは魔導具を使用するのかわからないが、一度受けると回復はできないそうだ。
貴族であり、次期侯爵夫人であるローザリアとしては、その方法は採れないだろう。
「それに、私は慣れてしまっているので、魔力が見えないと人の判別が難しくなります。顔は肖像画を見ているのでわからないわけではないですし。魔力が視えること自体、何かと便利なこともありますから」
そう言った彼女は、銀青の目を窓へ向ける。
彼女には魔力が視えるから、妖精結晶の眼鏡をつけたヴォルフがはっきりと見えたのだろう。
そう思い返し、とても単純な考えが浮かんだ。
「それでしたら、ヴォルフと同じ妖精結晶の眼鏡で、グイード様がグイード様に変装すれば見えるかもしれません」
「グイード様がグイード様に、ですか?」
表現として間違っているように聞こえるが、そのままだ。
眼鏡のレンズに、グイードの青い目を表現させれば、本人そのままになるだろう。
「はい。ヴォルフの眼鏡にはレンズに緑の目をした男性のイメージを入れています。それと同じく、グイード様の目のイメージをレンズに入れて――ご本人とまったく同じにはできないかと思いますし、眼鏡をかけているお顔になってしまいますが、グイード様のお顔というか、さきほどヴォルフが見えたぐらいにはなるのではないかと……」
「ロセッティ会長、ぜひお願いしますっ!」
立ち上がってテーブルに身を乗り出し、両手を思いきり握られた。
指が手に食い込む勢いで、ちょっと痛い。
「奥様――」
メイドがすぐローザリアの腕を押さえて止めてくれた。
慌てて謝罪されたが、ダリヤは何もなかったと笑み返す。
自分が同じ立場であったなら似たことをしたかもしれない、そう思えた。
「お支払いはいかようにでも! 遠慮なくおっしゃってください」
素材に妖精結晶を使用するので少々値段は張る。
だが、スカルファロット家は間もなく侯爵家になるのだ。無理な金額ではないだろう。
「では成功しましたら、正規の値段でお願い致します。それと、仕様書をお渡しし、その場で実作を致しますので、スカルファロット家の魔導具師の方もお作りになれるようにして頂ければと……」
「当家に教えて頂いてもよろしいのですか? これはロセッティ工房内の技術で、門外不出では?」
「いえ、そういったものではありません。元々はヴォルフのために作ったものですから」
ヴォルフが傷つかずにすむよう、人の目から守りたい――
その願いで作った妖精結晶の眼鏡が、たとえ仮でも家族の顔を見られるものになれば、とてもうれしいことだ。
「それと、少々手に入りづらい、妖精結晶という素材が必要になります。数が要ると思いますので、当方の在庫もお持ちしますので」
「いくつぐらい必要でしょうか? 冒険者ギルドに緊急依頼をすると共に、商業ギルドへ他国含めての買い付けをお願いしますので、それなりに数は揃えられるかと思います」
話が早いが、早すぎる。
その勢いでは、妖精結晶がスカルファロット家に買い占められてしまいそうだ。
「いえ、そこまでの数は要りません。眼鏡一個に対し妖精結晶半分が基本です。ただ、眼鏡そのものの数がいるかと……グイード様と、ご息女と、ヨナス先生と、近しい方の分、それに、お子様の成長に合わせて必要だと思いますので」
「ええ、ぜひ!」
勢い込んで言う彼女の腕にそっと触れた後、メイドが新しい紅茶を淹れてくれる。
ホワイトローズの香り付けの紅茶は、砂糖がなくてもふわりと甘く感じられた。
「……できあがるのが待ち遠しくて、眠れなくなりそう……」
聞き取れるかとれないか、そんなつぶやきについ視線を上げる。
貴族の優雅さが消え、少女めいた表情となったローザリアがいた。
自分と目が合うと、少しはにかんだ後、優しい笑みを浮かべる。
「ロセッティ会長、いえ、『ダリヤ先生』、こちらの茶葉をお贈りしてもよろしいかしら? それと、私のことは『ローザリア』とお呼びになってください」
続けられた二つの願いに、断る言葉はない。
ちょっとだけ緊張しつつも、ダリヤは笑顔で返す。
「ありがとうございます、ローザリア様。とてもうれしく思います」
・・・・・・・
ダリヤ達が茶葉を選びに向かうのとは別に、ヴォルフ達は裏庭へ向かっていた。
下り途中の階段の踊り場で、グイードが足を止める。
振り返った彼は、ヴォルフにまっすぐ目を向けた。
「ヴォルフ、さきほどダリヤ先生が神殿契約を受けてくれたことを、忘れないでおきなさい」
「はい。ですが、ダリヤが誰かに秘密を話すようなことはありえません。神殿契約を結ばなくても――」
彼女は信頼できる、そう伝えたいと兄に近づけば、幼子を見る目を向けられた。
「確かに、ダリヤ先生は自ら望んで話すことはないだろうね。けれど、神殿契約をすれば『望んでも話せなくなる』。ダリヤ先生は自分に万が一があっても――脅されても、危険な目にあっても、このスカルファロット家の秘密を漏らさぬよう、自分が喋れぬようにしてほしいと願ったのだよ」
「ダリヤが……」
一瞬で喉が渇いた。
彼女がなぜ、そんな危ういことが即答できたのかがわからない。
そして、そこまで思い至らなかった自分を深く恥じる。
「もちろん、我が家でもお前の親しい友として、そして魔導具製作工房・武具工房の仲間として守ることとしよう。だが、お前は彼女の覚悟を無下にしてはいけないよ」
「はい」
深くうなずくと、グイードが兄の表情で笑う。
自分はまだまだ学びが足りないらしい。教えてもらえて本当によかった。
「本当にいい親友を持ったね。身内に加えたいほどだよ」
「――彼女との出会いを、神に感謝しております」
本心から答えたが、兄は笑みを深め、後ろのヨナスは浅く咳をする。
そうして、また階段を下り始めた。
「ドナ、犬達は元気かな?」
裏庭に出ると、このところよく護衛役をしてくれるドナがいた。
その周囲を夜犬が八頭ほど、元気いっぱいに駆け回っている。
「絶好調です。遊べ遊べとこの通りですから」
「それはよかった。『魔物ごっこ』をするんだが、ドナも参加しないかい?」
「え、『魔物』が入ってきましたか?! 犬達はまったく――」
「いいや、私達で本当に『魔物ごっこ』をしようかと思ってね。腹ごなしの遊びだよ」
本邸には魔物、もとい、侵入者が入ってくることがあるらしい。
犬を指揮するドナが間違えるのも無理はない。ヴォルフがそう考えをめぐらせかけたとき、ドナが明るい声を出した。
「そうでしたか。毎日暇ですから、ぜひ自分も参加させてください」
「じゃあ、頼むとしよう」
「庭番の私が最初の魔物役をしましょうか? あ、犬達は参加させますか? 捕まると舐められまくりますが」
その後ろ、わふわふと楽しげな息を吐き、尻尾を振る夜犬達が揃う。
遊んでもらえるかという期待だろう。輝く黒い目をドナとグイードへ向けている。
「申し訳ありませんが、私も参加しようかと……」
言いづらそうにしつつも、ヨナスがグイードの後ろから横へ出る。
途端、犬達は何も言われていないのに、全頭そろってびしっとお座りの姿勢をとった。
「では、犬達は向こうの庭で遊ばせておきますね。ヨナス様に追いかけられたら、まちがいなくその場で腹を見せるので」
「ヨナスは犬達に怖がられているのかい? よく遊んでやっているようだったが……」
主の問いかけに、ドナは首を横に振る。
そして、その草色の目でちらりとヨナスを見た。
「いえ、ヨナス様は怖がられているのではなく、こう、『ボス』として敬意を向けられているような感じです。犬達は、ヨナス様がとても強いのを理解しているので」
ドナの解説に、兄が目を一本の線にした笑みを浮かべる。
しかし、薄い唇からこぼれる声は一段低くなった。
「――犬達には、私よりもヨナスの方が強いと思われているのかな?」
「い、いえ、そういうことではないですから、グイード様! これはスカルファロット家を守る側というか、護衛としてのことでですね……」
額から汗するドナが弁解を続ける横、ヨナスがするりと前へ進む。
彼が目の前に来ると、犬達はころころと転がって白い腹を見せた。
それでも尻尾を振っているあたり、恐れではないらしい。
ヴォルフは素直に感心した。
後でドナに、『あれは犬達の全力の愛想です』と教えられたが。
「ドナ殿、守る側仲間の犬達は、本当に素直でかわいいですね……」
ヨナスは足元の犬達を撫でつつ、とてもにこやかに笑う。
「犬達には見学させておこう……そういえば、ここのところ、私は少々運動不足でね」
グイードが笑顔を返しつつ、上着を脱ごうとする。
なんだろう、陽光はまぶしいのに冷えてきた気がする。
犬達は転がったまま動かず、ただ尻尾の動きを止めた。
「あ、兄上、遊ぶ前に着替えませんか? せっかくルチアさんにお揃いにしてもらったのですから」
ヴォルフは慌てて声をかけた。
ここは少し時間をおいて落ち着く方がいいだろう。
「そうだね。これを汚すのはよくないか……」
「ヨナス先生も、よろしければ着替えませんか?」
「そうだな。捕まることはそうないと思うが、捕まえるときに暗器で怪我をさせるとまずいからな」
当たり前のように言ったヨナスに、グイードが青い目を細める。
無言なのに、この妙な重さはなんだろう。
学院時代にできなかった魔物ごっこを試しにしてみる、ヴォルフはそんな軽い考えで楽しみにしていた。
だが、一歩間違うと、自分が魔物の気持ちを味わえそうだ。
必死に対応策を考え――ここは危険を分散し、安全を確保するべきだろう。
「兄上、ヨナス先生! せっかくなので、他の護衛の方もお願いしてはどうでしょう?」
「ですね! 魔物ごっこは人数が多い方が楽しいですから!」
ドナが全力で同意してくれる。
その言葉に思わず顔を向け――視線が合った瞬間、わかりあえた気がした。
そうして、そろって動きやすい服に着替えに行く。
待機していた者達に参加を募ったところ、手空きの騎士が十人ほど参加してくれることとなった。
面白そうに目を輝かせる若手騎士、緊張感が漂う中堅騎士、気配を薄くする年配騎士――皆、とてもありがたかった。
兄とヨナスと共に着替えに向かったところ、なぜか狩猟用の服装を渡されてしまった。
腕が動かしやすいよう肩にゆとりのある灰色のシャツ、魔羊の丈夫な革のベスト、黒のズボンに足音の出にくい黒のロングブーツ――
兄と先生は一体どんな大物を捕まえるつもりなのか? 自分もほぼ一緒の格好をしているにも拘らず、そう思えてならない。
「皆様、とてもお似合いですね……」
着替えて戻ると、廊下にいたドナに遠い目で褒められた。
その横、誰も命じていないのに、メイドが治癒魔法持ちの魔導師を呼びに行った。
そして、人数を増やし、再び裏庭へ向かうこととなった。
・・・・・・・
ダリヤはローザリアとの話を終え、帰路につこうとしていた。
明日、ヴォルフは隊の早朝訓練があるので、夕食を共にする約束はない。
せっかくグイード達と楽しんでいるのだ、声はかけずに行くことにする。
進む廊下の途中、ローザリアが足を止めた。
「……魔物ごっこをなさっておられるようですね」
彼女が顔を向けると、メイドがすぐ窓を開ける。
庭のかなり先、土埃が上がっているのが見えた。
距離もあり、その姿はよく見えないが、ヴォルフ達が魔物ごっこをしているらしい。
「あはははは……!」
遠ざかる高い笑い声は誰のものだろうか。ダリヤの耳では判別できない。
ヴォルフが子供のときにやりたかった遊びに付き合った形だが、案外、グイード達も楽しんでいるのかもしれない。
和気あいあいと遊ぶ男性陣を想像し、つい笑顔になってしまった。
「皆様、楽しまれているようですね」
「……ええ、そのようですわ」
次期侯爵夫人の優雅な笑みに見送られ、ダリヤはスカルファロット邸を後にすることとなった。
ローザリアは一階まで共に下りると、ダリヤを護衛騎士のマルチェラに託した。
再来の約束をして別れた後、メイドと共に裏庭へ向かう。
「まぁ……」
魔力が視えるその目には、外に出た瞬間、白に赤、青に黄色と、魔力を持つ者達が高速で移動しているのがわかった。
先頭は金色が混じる白――それを目にしみる純白と深紅、そして様々な色合いの者が追っていく。
武器もなく、魔法も使っていないが、身体強化をどれほどかけているものか。
ぶつかったなら、まちがいなく跳ね飛ばされるだろう。
「参加者が増えているようですね……」
「はい、皆様、とても満喫なさっておられるようです……」
ローザリアはメイドと抑揚少ない言葉を交わし、魔物ごっこが終わるのを待つ。
緑の香り濃い風は、しばらく吹き続けた。
俊足をいかんなく発揮した汗だくの男性達と、深く抉れた芝生、風圧で倒れた花々――
氷蜘蛛の妻が冷えきった笑顔を浮かべるのは、間もなくのことである。




