382.錬銀術師と魔導ランタン昼型
・読者様よりTwitterにて「ヴォルダリ生誕祭2022」を開催して頂いております。開催御礼に番外編(https://ncode.syosetu.com/n6477gw/)にお話を追加しました。
ダリヤが多重付与の浪漫に浸っていると、目の前をひらりと白い紙が横切った。
見上げると、廊下をはさんだ階段から、書類の束を見ながら下りてくる者がいた。
黒いローブを身に着けているところを見ると、おそらく魔導具師の一人だろう。
足元に落ちた書類を、ダリヤはわざと裏返しのままで拾う。
中身が開発中の魔導具だったりしたら、部外者の自分に見られたくはないだろう、そう思ったからだ。
だが、拾い上げると同時に、ゴトゴトッという音がして、書類がばさばさと降って来た。
「大丈夫ですかっ?!」
階段の下、黒いローブの男が前のめりで倒れていた。
先日脳梗塞を起こしたハルダード商会のユーセフを思い出し、ダリヤは慌てて駆け寄る。
だが、意識があるかを確かめようとしたとき、手甲の付いた手が目の前に伸びた。
「失礼致します。当方で対応致しますので、お下がりください」
黒い鎧の騎士に従い、ダリヤは距離を取る。
魔導具制作部の護衛騎士であれば、こういったときの心得もあるに違いない。
とにかく無事であってほしい、そう思いつつ見守った。
「……痛た……」
ようやく起き上がった男が、右手で左肘をさする。
すると、どこからか出てきたメイドが、その肘に向けて手をかざした。
手のひらからのやわらかな白い光に、治癒魔法であろうことがわかる。
男はすぐに肘を動かし、浅くうなずいた。
「ご心配をおかけしました。階段を数段抜かしまして……」
バツが悪そうな声がダリヤにかけられた。
どうやら書類に夢中で、階段を踏み外しただけらしい。
そういったミスについては話を続けるのは失礼になるだろう。
ダリヤは相手の無事に安堵しつつ一礼し、ようやくその顔を見た。
刈り取り後の麦を思わせる、ばさりとした一つ束ねの長髪。黒いフレームの眼鏡、グレーがかったレンズの向こう、空色の細い目が見える。
背は高いのにちょっとだけ猫背で、青白い顔、そしてその眼鏡に、研究熱心な魔導具師なのだろうと思えた。
廊下では、辺りに散らばった書類をメイドが拾い集めている。
ダリヤが最初に拾った書類も床に置いてしまったので、再度拾い上げた。
メイドが近づいてきたので渡そうとしたところ、黒手袋の指が先に書類を持ち上げる。
「美しいお嬢さん、初めてお目にかかりましたが、どちらの部の方でしょう? 名乗りを願っても?」
「王城騎士団、魔物討伐部隊相談役を仰せ付かっております、ダリヤ・ロセッティと申します」
貴族の礼儀作法の本を脳内で検索しつつ、どうにか返した。
本来、爵位が上の者が先に名を言うものだが、ダリヤは庶民。
先に名前を頂くべきなのだが、独身女性が貴族男性に名前を尋ねるのは控え、他の者に聞くようにという一文もあったはずで――
礼儀作法の本は矛盾しないよう統一してほしい、心から。
「ロセッティ……ロセッティ……ああ、防水布の! このところ五本指靴下が人気ですが、それよりも乾燥付与した中敷き、私はそちらに心を惹かれました。今も愛用していますよ」
一段早口になった彼は、乾燥中敷きを使ってくれているらしい。
しかし、その名も立場もわからないので礼を言うにも迷う。
「お使い頂き、ありがとうございます。あの……」
「失礼。私はセラフィノ・ザナルディと申します。倉庫管理長などの肩書きで、王城の雑用をやっております。あと、魔導具制作部の――」
そこで、ダリヤ、と呼ぶ声がした。
ちょうど廊下に出て来たヴォルフが、足早に自分の側に来てくれる。
それだけでとても安心した。
「やあ、ヴォルフレード君。グイードの結婚式以来ですね」
「――お声がけをありがとうございます。『ザナルディ大公』」
聞いたことのない名称に、思わず固まった。
自分の横、右手を左肩に添え視線を下げたヴォルフにならい、一歩下がって顔を伏せる。
ザナルディといえば、カルミネの実家である公爵家。
『大公』というのは、たしか公爵の中でも一番上位で――たらり、ダリヤはこめかみに汗をかく。
爵位のない自分が許可なく声をかけていい相手ではない。
先ほどの騎士がザナルディの斜め後ろに立つ。
その黒革の鎧は最高級ブラックワイバーン製、手にする剣の鞘も豪華な装飾が施されている。
魔導具制作部の護衛騎士とはまったく違う装いだ。
自分がザナルディ大公に触れる前に止めてくれたことに、感謝しかない。
「正装でないときは一般の対応でかまいませんよ。私は王城の雑用係のようなものです。お二人とも、次からは肩書きなしの『ザナルディ』と――グイードには王城の冷凍倉庫や奥の住居の氷をねだってばかりですしね」
「――お言葉に甘えさせて頂きます、ザナルディ様」
どうやら、グイードに仕事を出す立場にあるらしい。
ヴォルフがようやく姿勢をほどく。
しかし、ダリヤはどうするのが正解なのかわからず、まだ顔を上げられない。
「ロセッティ君もです。私は魔導具制作部三課の課長で、一応同業者です。楽にしてください」
「あ、ありがとうございます、ザナルディ様」
大公という地位がありながら、魔導具師も兼任しているようだ。
きっと高魔力の凄い魔導具を制作しているのだろう。
「ロセッティ君、魔導具制作部の一課と二課の見学はお済みですか?」
「はい、ご案内頂きました」
「では、三課へもぜひどうぞ。先ほどご心配頂いたお礼に、ご案内しますよ」
思わず耳が立つ。
魔導具制作部三課はものすごく気になるが、大公など雲の上の人である。
絶対に不敬があってはならない。
ここは『日を改めて』などと、なんとか先延ばしの返事をし、その間に誰かに相談を――そう肩に力を入れたとき、ザナルディが隣へ視線をずらした。
「ヴォルフレード君、付き添いをお願いできますか? 王城とはいえ、ロセッティ君も知らない者ばかりのところではご不安でしょうから。魔物討伐部隊の仕事があるようなら、別の方を呼びますが」
「お受け致します。私はダリヤ嬢の護衛ですので」
ヴォルフが即答してくれた。
付き添いを護衛と言い替えてくれたのが、なんだかうれしい。
これで一人ではなく、彼と共に三課に行けることになったが、礼儀作法を考えると頭痛がする。
以前、『お偉い方々というのは断られるということを頭に置いていない』、そう、イヴァーノが言っていたことがあった。
それが今ようやく理解できた気がする。
わかってもどうしようもないが。
緊張が全面から滲み出ているであろう自分に対し、ザナルディは声を一段低くする。
「そう構えないでください。肩書きがあるだけで、私はたいした者ではありませんよ。王城住まいで公爵の仕事もしていませんし。何せ、二つ名が『錬銀術師』に『魔導ランタン昼型』ですから」
「『錬銀術師』と『魔導ランタン昼型』……?」
意味がわからず、口の中でつぶやく。
聞こえぬであろうはずのそれに、彼は空色の目を糸のようにして笑んだ。
「金を銀に変える愚か者、昼に要らぬランタンを灯す者――要するに無駄飯食らいですよ」
ご感想、メッセージをありがとうございます! いつもありがたく拝読しております。




