376.人工魔剣制作9回目~黒風の魔剣
『服飾師ルチアはあきらめない ~今日から始める幸服計画~』、臼土きね先生によるコミカライズがスタートしました!(コミックシーモア様にて先行配信となります)
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一階の作業場、ダリヤは棚から布包みの長剣を出そうとする。
気合いを入れて両手で持ち上げようとしたら、ヴォルフが片手でひょいと持ってくれた。
「机の上でいいかな?」
「はい。そのまま分解してください」
彼は慣れた手つきで鞘から剣を抜き、柄から刃を外した。
刃の根元は灰銀で、黒ではない。上から色を塗られたというのがはっきりわかった。
まだ一度も使われたことのない刃は、黒塗りでもつやりとしていた。
「これ、黒い塗料かと思ってたんですが、黒鋼を粉にして塗っているそうですね。塗料的な使い方で」
「刃に金属を張っている隊員もいるよ。ベルニージ様の使ってる剣は、先端の方に重心をおいてあって、こう――振り下ろしたときに加速がつくんだ」
「先端に重心、ですか?」
「ああ。そのうち俺も少し練習してみようかと。切り換えや方向の癖を覚える必要があるけど、ベルニージ様が教えてくれるそうだから」
「なるほど……」
魔物討伐部隊の副隊長でもあったベルニージだ。
少し癖があっても、より魔物に対して有効な剣を使いこなしているのだろう。
ヴォルフも攻撃力増強を考えるなら、その方がいいのかもしれない。
「今日は、この剣に一角獣の角で魔力遮断をして、上に首長大鳥の嘴を使って、硬質化の上掛けをしようと思っていたんです。でも、その前に、先端に紅金を少しだけ張ってみます? 私の魔力ですと、重さが大きく変わるほどは付けられないですけど、お試しにはいいかと」
「それだとありがたい。紅金がなくなったら、俺が買ってくるから」
「――わかりました。そのうちなくなったらお願いしますので」
紅金は丈夫で衝撃に強い。剣に向いている金属である。
また、強い付与魔法を入れられるので、魔導具としてもいい素材だ。
火山帯で少量しかとれないため、ミスリルよりもお高いのだが、ダリヤはそう使うことはない。
まだ紅金の在庫はしっかりある。
そのうちは、だいぶ先になるだろう。
「紅金は実験用に薄板にしているものがありますので、これを剥がれないよう、炎龍のウロコの粉を付与して溶解させてくっつけます。鍛冶師さんみたいに完全に一体化はできませんが」
「なるほど……あれ、その炎龍の粉って、ヨナス先生の?」
「いえ、この粉は魔導具制作部のウロス部長から分けて頂きました」
鮮血のような粉は、ヨナスのウロコとはまた違った色合いだ。
なお、ウロスが魔力をこめすぎて結晶を通り越して粉塵にしたそうで、『証拠隠滅に差し上げる』と言われた話はしないでおく。
ちなみに付与しようとしたのは大きめの『魔導暖炉』だそうだ。
王城で、薪が燃えるのが優雅だという方が一部いらっしゃるので、暖炉の裏、見えないところに薪を燃やす魔導具を置いているのだという。
薪は火が付きづらい上、燃えるスピードは一定ではない。
温度調整も難しいので、その補助だそうだ。
冬の寒い日、赤い炎が揺らめくのを楽しみたいという気持ちもわかる気がした。
「ウロス部長にお返しは何かした? その分は俺が――」
「大丈夫です。素材入れのガラス瓶に四十ほど、クラーケンテープを貼ってきました。魔力の高い方だと、クラーケンテープを貼るのが難しいので……」
「ああ、指にくっつきやすくなるんだっけ」
「魔力制御が完全にできれば問題ないんですが、私も一つ上がったら、二巻き駄目にしましたから」
王城の魔導具師達は、ダリヤよりはるかに魔力が高い者ばかりだ。
急ぎでほしいという瓶へのクラーケンテープ貼りで稀少素材が頂けたのはありがたいことである。
もっとも、ウロスに手元を見られながらの作業はちょっと緊張したが。
「これが紅金の板ですが、ヴォルフには軽すぎるでしょうか?」
紅金は実験用に、父の頃から取引がある加工業者に切ってもらった。
その薄さは厚紙二枚ほどである。
重さと密度のある金属ではあるが、手のひら程度の長さでは、重さはあまり出せなそうだ。
「いや、少しは違うと思う。加速はつかなくても、違いに慣れていくのにはいいし」
「……加速……」
加速と言えば、思い出すのは疾風の魔弓である。
加速の練習なら、先端に風魔法を少し足せば可能かもしれない。
「紅金に緑冠の羽根――正確にはこの羽根の根元部分なんだそうですけど、これで弱めですが風魔法をつけてみましょうか? ヴォルフに紅血設定をしてもらって、使うときに魔力を流せば少しだけ加速がつくかと。理論的には天狼の腕輪と同じです。ずっと弱い効果ですけど」
「これと同じ……」
銀に金の輝きを宿す腕輪を目に、ヴォルフが笑う。
「ぜひお願いします!」
敬語で言われたことに笑ってしまいつつ、ダリヤは付与を開始することにした。
作業台の上の黒い刃、その先端に紅金の板を二枚置く。
その上に、炎龍のウロコの粉を小さじ半分ほどそっと載せた。
あとは左手に緑冠の羽根を持ち、右手の指先からゆっくりと魔力を流していく。
紅金全体を包むように魔力を流していくと、上にあった炎龍の粉が、とぷりと紅金に消えていった。
一拍遅れ、一段赤さを増した板は蝋のように溶ける。
そして、ダリヤの指先からの魔力を、するすると糸をほどくように持っていき始めた。
そこに左手の緑冠の羽根を近づけると、ほろほろとクッキーのように崩れていく。
もっとも、粉の一欠片も手元には残らない。
紅金がすべてを引き寄せ、呑み込むように吸収した。
あとはひたすらに魔力が一定に入るように付与をしていく。
入り方に波があるので、ダリヤの方がそれに合わせて魔力を流す。
以前はなかなかに難しかったこの付与の調整も、今は落ち着いてできるようになった。
代わりに今度は速度や付与の均一性が気になり――父のような満足な付与ができる日はまだ遠そうだ。
それでも、先端をきれいに覆った紅金は、元から剣の一部であったかのようにきっちり張り付いた。
刃と紅金の間には、わずかな隙間も見えない。
なかなかいい仕上がりではないかと、ダリヤは表情には出さずに思う。
「すごいね! きっちりくっついた。先端が赤くてかっこいい……」
「……ちょっと悪目立ちしそうですね」
黒い刃の先端だけが赤い。
この赤さが、赤鎧のように魔物を寄せたらどうしよう、そう不安になったが、最後にまた黒鋼を塗ればいいと思い直す。
もっとも、とても楽しげに見ている横の青年が止めそうであるが。
「では、次に魔力遮断と硬質化の上掛けを交互にしていきますね」
「ダリヤ、休憩しなくて大丈夫?」
「ええ。去年、魔力が上がったので、前より多くかけられるようになったんです」
剣の横、今度は一角獣の角を薄く切ったものを置く。
同時に、首長大鳥の嘴を砕いたものも準備した。
首長大鳥の嘴は、ミスリルのハンマーとノミで慎重に削ったつもりだが、見事に不揃いな粒になってしまった。
嘴にも木と同じで目がある、そうわかったのは削り途中。
己の観察力の甘さを痛感した作業だった。
刃に一角獣の角を当て、右手の人差し指と中指で魔力を流す。
すでについているのは魔力八の付与。それよりも少しだけ上の魔力をかけてきっちり覆い、一点の抜けもないようにする。
その後は首長大鳥の嘴の破片――小指の爪ほどのそれを載せ、先ほどよりも少しだけ多い魔力で包んでいく。
「これで一回、っと。ここにもう二回、弱めの魔力で上掛けしますね」
心配そうなヴォルフに笑顔で告げ、ダリヤは付与を続ける。
再度の魔力遮断と硬質化の上掛けを三度――ゆるやかに、だがしっかりと疲労と倦怠感は重なっていく。
それでも、天狼のときと比べればどうということもない。
隣にヴォルフもいるので、万が一、めまいを起こしても心配はないだろう、そう考えていた。
魔導具の上掛け付与には法則がある。
八の上には九の魔力で上掛けできる、さらに十で重ねられる。
ただし、一点でも付与抜けがあると失敗に終わる――オズヴァルドがそう教えてくれた。
付与の上掛けに慣れた魔導具師・魔導師であれば、『八』、『八.五』、『九』と『〇.五刻み』ほどでかけることも可能だ。
とはいえ、魔力が多くある者が絞り続けての付与はなかなかに厳しい。
より高い魔力で一気に済むのならば、その方が楽でもある。
ダリヤは庶民にしては魔力が多めだが、ずば抜けてはいない。
父カルロがいた頃は、その教えに従い、ひたすらに正確な魔力制御を目指した。
ようやく魔力が上がったのは昨年、そこからは変わった魔力差を常に意識し、同一規格の魔導具を作るべく、魔力制御に打ち込んだ。
結果、ダリヤは『〇.五刻み』より、さらに細かい魔力差で、かつ一定にした付与をくり返すことができるようになっていた。
もっとも、それをするには極度の集中が必要で、後で頭痛と吐き気が続くレベルである。
しかし、ヴォルフが帰宅した後、すぐに寝てしまえば問題はない――
ダリヤにはその程度の認識であった。
硬質化の三重掛けの後、大きく息をつく。
立ち上がってみたが、めまいも気持ち悪さもない。
まだいけるのではないか? そう思いつつ刃に触れれば、硬く丈夫になった感じはまるでなかった。
元々が硬い金属なのだから仕方がないとはいえ、三度掛けしてこれである。
ないものねだりは承知だが、高い魔力がほしくなってしまう。
「ちょっと失礼します……」
お手洗いに行くついでに、ダリヤは魔力ポーションを一気飲みした。
魔力を満タンにすれば、さらに三度の上掛けは可能だろう。
五パーセントで六回でも、うまくかかっていれば三割四分は強くなっている予定だ。
「まだいけるので、少し重ねておきますね」
魔力ポーションで回復が済むと、作業場に戻り、笑顔で付与を再開する。
またも心配そうなヴォルフを隣に、願うことがあった。
強き剣を、折れぬ剣を、曲がらぬ剣を、確かな力となる剣を――
薄紙を重ねるように魔力を交互にのせながら、ダリヤの願いは祈りに変わる。
早く魔物を倒して、ヴォルフが無事に帰って来られますように――
重ねる付与は、六掛けどころか八掛けとなった。
最後の付与は、魔力をあるだけまとわせる。
王城魔導具師には及ばぬが、それでも一欠片でも強くなるように、そして、一切の抜けがないように。
その後に柄も強度を上げ、魔力拮抗を起こして組み上げられなくならぬよう、一角獣の角で外側を包む。
そうして、刃への付与作業を終えた。
「先端の切れ味が落ちないよう、ここだけ研ぎを入れますね」
ミスリルの工具で、先端の紅金で、魔物を斬るであろう部分だけは鋭利に整える。
とはいえ、専門の職人の研ぎには遠く及ばない。
ヴォルフには、後でヨナスに相談し、武具工房の職人に研ぎ直してもらうことを勧めた。
「ええと、これでそれなりに丈夫になったかと……計算上は、いつもの剣の二割近く丈夫です」
「ありがとう!」
剣を組み直し、紅血設定をすると、ヴォルフがちょっぴり残念そうな表情になった。
「先端の赤は消えちゃったね……」
「そうですね。首長大鳥で上掛けしたので、黒になっちゃいました……」
八度の上掛けのせいで赤さはまるで残らず、黒い刀身に戻ってしまった。
黒い剣の先端だけが、角度を変えると、わずかに赤みを帯びた光を返す。
しかし、言われなければわからず、言われても気をつけてみないと反射がわからない、地味な仕上がりである。
残念ながら、ヴォルフの求める魔剣のかっこよさはない。
ヴォルフ的には、やはり赤く光る魔剣――グラート隊長の灰手のように華やかさのある魔剣が憧れだろう。
「ちょっと振っていい?」
「ええ、離れますね」
両手で剣を構えたヴォルフが、壁に向かって剣を振る。
びゅん、という空気が裂かれる音に、ダリヤは思わず身を縮める。
「紅金の分、少し速度が乗るね。これに魔力を流して……」
びゅん、の音がさらに強く、黒い刀身はぶれて見えるほどに速い。
「ああ! これはいい! 思うところでちょっと加速できる」
残念ながら、ちょっとである。
その後は切れ味の確認に牛肉の塊を斬ってもらったが、よく斬れるとのこと。
これに関してはダリヤには判断のしようがない。
しかし、切断面はとても艶々だった。
そのうち、使っている包丁にも重ねがけを何回かしてみようと思ったのは内緒である。
「切れ味は体感で五割増しになった感じだ」
「それは首長大鳥のおかげですね」
「食べてよし、付与してよし、か。次会ったら、俺は首長大鳥に感謝しなきゃ」
ヴォルフは魔物討伐部隊員である。
感謝の後に首長大鳥がどうなるかが予想され、ダリヤはつい遠い目になる。
人間に会わぬよう、畑には来ないでほしいものだが、冒険者も獲りに行くことがあるわけで――それを魔導具素材として使う自分も同じだろう。
あと、首長大鳥のシチューはおいしかった。
結局、一番罪深いのは人間である。
「この剣ならかなり折れづらいと思う」
「元は同じ剣ですから、限界があるかと。折れたら遠慮なく言ってください。素材もありますし、また付与できますから」
「ありがとう! ダリヤ、何かお礼を――」
「ミルフィーユが食べたくなりましたので、いつか差し入れでお願いします」
無心に上掛けをした後、一息ついて最初に思ったのがそれだった。
ミルフィーユのように上掛けをくり返せば、魔力の少ない自分でも、回数だけは重ねられる。
もっとも、それで強い魔力が付くわけではないのが現実だが。
「わかった! 次の差し入れはそうするよ」
うなずいたヴォルフは、まだ鞘にしまうこともなく、楽しげに刀身を眺めている。
しかし、魔剣としてはまだ終わっていない作業がある。
「あとは名付けですね。ヴォルフにお任せしますので」
「ダリヤに候補はないの?」
「私に任せると、『先端紅金黒剣』、とかになりますよ」
「……うん……その通りだね……わかりやすいとは思う……」
そっと顔を壁に向けられた。
わかりやすさは魔導具の名付けとして利点ではないかと思うが、本当にそのまますぎるのも承知している。
「使うのはヴォルフなんです。好きな名前をつけてください」
一度刀身を撫でたヴォルフは、少年のように微笑んだ。
「『黒風の魔剣』――俺専用、他の人には使わせない」
「あの、グイード様とヨナス先生にはご報告を……」
「うん、そっちはちゃんと報告するよ」
こくり、素直にうなずいたのに、その金の目はずっと剣を見続けるという器用なことをしている。
ヴォルフは本当に魔剣が好きなのだ、仕方がないだろう。
「では、仕上げの布磨き作業はお任せしますね。私は余った素材を片付けますので」
「ああ、わかった」
とても機嫌の良い彼に満足しつつ、ダリヤは魔封箱に素材を入れ始めた。
今回の付与は結構な時間を要した。
窓の外では、すでに星々が瞬き始めている。
だが、その輝きをヴォルフが目に留めることはなかった。
魔導ランタンの下、拭き上げた黒い刀身の先端、寄り添うような赤の光沢。
それは夜空のどの星よりも美しく――
黒髪の青年は笑んだ唇でそっとつぶやく。
「ダリヤの赤だ……」




