374.誕生日と赤い花籠
前世、『好奇心は猫を殺す』という諺があった――
そんなことを思い出しながら、ダリヤは緑の塔の仕事場、床に手足をついて動けずにいた。
午後一番から始めたのは魔導ランタンの製作である。
金の台に青い装飾が入った魔導ランタンは、このところ少しずつ進めていたものだ。
注文者はヴォルフ、納品先はヴォルフの父、スカルファロット伯爵である。
魔導ランタンは奇をてらうものではない。
日常、当たり前に使う前世の家電と同じだ。
だから使いやすさを最優先に、本体に触れたときの当たりが気にならぬよう気をつけた。
だが、完成はまだ少し先だ。
魔導ランタンにかぶせるガラスの傘は、フェルモの妻、バルバラに頼んでいる。
ガラス職人に完全復帰したバルバラは、新規は一年以上待ちという人気だ。
なるべく先に製作するとは言ってくれたが、昨年は病気で休んでいた期間もある。
無理はさせたくない。
それに、傘の絵柄はヴォルフからもらったスカルファロット家の春の庭――なかなか細かい画なので、時間がかかる。
幸い、ヴォルフは急いでいないので、時間をとっていいものを作ってもらうように伝えてある。
納期までまだまだ時間があるということは、改良と創作の余地があるということだ。
ダリヤはそう考え、底板の一部に、滑り止めも兼ねた飾り彫りを入れてみることにした。
底にスカルファロット家を思わせる氷模様ではまずいと思い、流れる水のような紋様を選ぶ。
底板を持ち、ミスリルのノミで薄く線を描くように彫り始め――机の上では光加減できれいに見えなかったので、窓の近くに移動した。
敷物の上に座り、光を当てて確認しながら、薄く紋様を入れ続けた。
ミスリルのノミの刃はするすると進み、我ながら上出来の流麗な線が刻めた。
そうなると底板全体に広げたくなり、線も浅彫りと中彫りと二段にしたより細かい紋様に挑戦し――
挑戦心は時を殺した。要するに時間感覚が狂った。
敷物の上、正座で飾り彫りをして一区切り。足が痺れきって立てなくなった。
今はすでに日が傾き始める時間、冷えてきた床の上、動けずにいるのが今である。
一体、今日この日に自分は何をやっているのか?
そう思ってしまうのは、本日が自分の誕生日だからだろう。
もっとも、前世と違い、今世に誕生日を大きく祝う習慣はない。
オルディネ王国では、誕生日その日を祝う意識が薄いからだ。
誕生日をすぎたとして、翌日以降の休日の前や、人が集まったときなどにまとめてお祝いをすることが多い。
また、誕生日すぎより、家族皆が一年を無事越えたという新年の祝いの方が重い感じだ。
前世であれば、父母や友人が誕生日を祝ってくれた。
今世は少し手の込んだ食事を父と食べるか、外食に出ることもあった。
けれど、今は一人暮らし。
ヴォルフは鍛錬の日、ルチアは仕事、イルマは子育てで忙しい。
特に祝うこともなく、淡々と一日を過ごすだけである。
少しだけぼんやりとしていて、ドアベルの音に気づくのが遅れた。
「ヴォルフ?」
二度鳴らされたベルに、おそらくは彼であろうと思う。
慌ててドアに向かおうとし、痺れた足を失念した。
ドタン、前のめりに倒れて膝を打ち、思わず小さな悲鳴を上げる。
「ダリヤ!」
己の名を呼ぶ声に、『ちょっと待ってください』と声を張り上げよう――
息を吸い込んだとき、ばきりと蝶番を飛ばしつつ、ドアが消えた。
「ダリヤっ! 大丈夫?! すぐに医者を――」
「いえ、大丈夫です!」
部屋に飛び込んで来たヴォルフが、いまだ立ち上がれずにいる自分を抱き上げた。
ダリヤは思いきりあせりつつも、足の痺れのジカジカとした痛みに、押し殺した悲鳴を上げる。
「くっ!」
「すまない! ポーションが先か、ああ、ポーションを飲んだら、すぐ神殿に運ぶから! 馬車にもポーションがあったから、中で飲んでもらった方が早いか――」
青くなったヴォルフが、そのまま自分を運ぼうと足を踏み出す。
痺れによる痛みと、彼の行動が早すぎ、ダリヤは混乱しつつも声を張り上げる。
「待って、ヴォルフ! 足が痺れただけだから!」
慌てるあまり、すでに外を見ていた彼の襟をつかみ、自分へ向かせる形になってしまった。
「足の、痺れ?」
金の目が、至近距離で一度だけ瞬きする。
「はい! 作業中、同じ姿勢でいただけで、怪我はしてませんから、本当に大丈夫です!」
力一杯そう言うと、ヴォルフの身体から緊張が抜けた。
「……よかった……」
吐息混じりに言われ、心配をかけたことがとても申し訳なくなる。
「すみません、心配させてしまって……」
「いや、俺が早とちりして……ああ、ごめん! ドアはすぐ直すから」
玄関のドアはなく、外が大変よく見える。
夏はともかく、この時期はちょっと寒そうだ。
門の外にはスカルファロット家の護衛のドナ――だと思うのだが、馬車でヴォルフを送ってきて、そのままだったのかもしれない。
一瞬こちらを見たような気がするが――そのまま歩き去って見えなくなった。
はっと我に返れば、いまだ自分はヴォルフに抱き上げられたまま。
心配のされすぎも大概である。
「ええと、ヴォルフ、もう大丈夫なので、下ろしてください……」
「す、すまない!」
その後、それはそれは丁寧に、作業場の椅子に下ろしてもらった。
ヴォルフに運ばれたのは、昨年初夏が最初だ。
あれはスカルファロット家の護衛を尾行とまちがえて屋根の上に飛んだときで――思えば、前回も今回も、彼は自分を守ってくれようとした。
「あぁ、折れてる……こっちは、無事……」
ドアの外に出て行ったヴォルフが、何かを拾って戻ってきた。
「十七日だから、今日がダリヤの誕生日だよね? 明日は夕方から演習があるから、ちょっと早いけど、一年を越したお祝いにと思って……」
差し出された赤い花籠には、薔薇やガーベラ、ラナンキュラスが飾られていた。
ガーベラが一輪、花のすぐ下で折れていたが、これは切ってグラスに浮かべればいい。
花籠のふわりと甘い香りに、ダリヤは顔を綻ばせる。
「ありがとうございます、ヴォルフ」
先日、差し入れにもらった飴細工の花もうれしかったが、この生花もうれしい。
今年はいい誕生月、いい誕生日になったとしみじみ思う。
「あ、忘れるところだった! これも君に。叙爵のときに使ってもらえればと……」
慌てた表情で続けて渡されたのは、布に包まれた長細い箱。
作業机の上で開けさせてもらうと、金の鎖に氷の結晶モチーフのペンダントが入っていた。
以前もらったイヤリングと同じその意匠、金色の繊細なきらめきに、すぐには言葉が出なかった。
「……こちらもありがとうございます。とてもきれいです。叙爵のときに使わせて頂きますね」
「そうしてくれるとうれしい。じゃあ、ドアを直すから。新しいのに付け替えた方がいいなら、遠慮なく言ってほしい」
新しいドアは全力で辞退した。
ヴォルフは外したドアを軽々と持ち上げ、蝶番のあった部分を確認し始める。
割れた蝶番は使えないので、取り付け部分に補強材を貼ってもらい、新しい蝶番に付け替えてもらう。
幸い、作業はわずかな時間で済んだ。
外気の入る部屋に、少し身体が冷えてしまったが。
「ヴォルフ、よかったら夕食はどうですか? この前もらったワインも、まだ開けていないのがありますから」
「ありがとう……」
忙しくても食事がとれるよう、冷蔵庫と冷凍庫は満杯だ。
けして、いつヴォルフが来てもいいようにではない――そう思いつつも、本日の夕食、彼向けのメニューを考える。
ちらりとその顔を伺えば、どこか暗さがあった。
「……俺はどうしてこう、かっこ悪いのか……」
ぼそり、かすかな独り言は苦さに満ちていた。
優しく思いやり深い友人に、愚かなことで心配をかけてしまった。
独り言に気づかないふりはできるけれど、自分に心を砕いてくれた彼に、そうしたくはない。
こんな当たり前のことを言うのに勇気がいるとは――
いいや、一つ年を重ねたのだ。
相手に言葉で伝えることを怠るな。
ぐるぐるとしながらも己に言い聞かせ、ダリヤは椅子から立ち上がる。
「――ヴォルフは充分かっこいいです」
笑顔で言い切ると、気恥ずかしいのですぐ階段へ向かう。
後ろに続く足音は、少しだけ遅れていた。




