371.魔鳩恐怖小屋
「建物が増えましたね」
「そうだね。もう倍どころじゃなさそうだ」
数日後、ダリヤはヴォルフと共に王都の東側にあるスライム養殖場を訪れていた。
草原の中、高い黒レンガの塀に囲まれた敷地には、分厚い鉄の門をくぐってしか入れない。
以前は緑の芝生部分が目立ち、奥に小さな養殖場があった。
それが今や、敷地にはみっしりと建物が並び、芝生の方が少ない。
ヴォルフの言う通り、倍では足りぬ増えようだ。
「これ全部にスライムがいるんだよね……」
感心するヴォルフに、心から同意する。
「ようこそ、ヴォルフレード様、ダリヤさん」
馬車を降りたところへ迎えに来たのは、笑顔のイデアだった。
本日は白衣の下は作業着、下も動きやすそうな紺色のパンツスタイルだ。後ろで一つにまとめた長い髪が、尾のように跳ねていた。
ダリヤは本日、厚手の作業着にカーキ色のキュロットスカート、そしてブーツを合わせてきた。
ヴォルフは黒い騎士服にブーツ、足元の心配はない。
というのも、スライム養殖場はそれなりに広いが、馬での移動は最低限となっている。
馬は繊細なので、スライムに怯え、動けなくなったり暴れる個体がいるためだ。
建物の間を歩いて行くと、入り口に、赤、青、黄、緑の旗が飾られているのが見えた。
おそらくはスライムの種類別の建物になったのだろう。
しかもどれも三階建てである。突貫工事で建てたとは思えぬ、頑丈そうな造りだ。
ついきょろきょろと辺りを見渡したくなるのをこらえ、先へ進む。
建物の間を縫った先、ひらけた場所に、それなりの大きさの二つの小屋があった。
「あれがグリーンスライム干し場です」
一方の小屋は四方を銀の金網で覆い、上が木枠とガラス――とはいえ、ガラスは無残に割れている。
中で片付けをしている職員達がいるようだ。
「あの、あれは――?」
「魔鳩が入れないように金網を魔封銀補強にして試したものです。午前中、天井部分のガラスを割られてしまい、まだ片付けているところです」
「皆様にお怪我はありませんでしたか?」
「中にいた研究員が怪我を負いましたが、すぐポーションで治しましたので」
イデアはあっさりそう言うが、本当に大丈夫なのだろうか。
心配になっていると、ヴォルフが問いかけた。
「確か、仕様書には強化ガラスとありましたが、魔鳩が割れるものなのですか?」
「はい、通常の魔鳩では割れないのですが、一羽、とても身体強化が強い個体がいたそうです。金網を破れないとわかると、上空まで飛んでから、身体強化をかけて降ってきたそうです……」
イデアの青藤色の目が遠くなっている。
強化ガラスを割れるほどに強い魔鳩とは、どんな個体なのか。
一回り大きく、強そうな魔鳩かもしれない――そんなことを思いつつ、もう一方の小屋へ向かった。
上のガラスと木枠は同じだが、四方は木板で囲まれた小屋へ進む。
ちょうど扉が開き、見慣れた顔がのぞいた。
「ああ、ダリヤさん、ヴォルフ様、これでそろったな」
少し疲れのにじむ、それでも笑顔のフェルモにほっとした。
作業中のせいか、素ガラスの眼鏡をかけている。
「ダリヤさんの仕様書通りに作って、そこからちょっと羽根の大きさをいくつか切り換えてみた。この光の具合と風はなかなか面白いな」
ダリヤが試作したのは、少し大型のドライヤー四台だ。
一台につき風と火の魔石を四つ使い、細めの金属筒十二本に風を送る。
風は強弱と温風冷風がそれぞれ時間差で自動で切りかわるようになっている。
そして、四台の稼働は別々に行う。より不規則性を出すためである。
風の出てくる筒は天井から床に向かって下げる形になる。
半数の筒の下には、薄い金属でできた銀の風車。
風車は、羽根だけではなく、頭部も風を受けてくるくる回り、光を飛ばす。
こちらは魔鳩というより、通常の鳥避け目的が大きい。
残りの半数の筒の下は、テーブル四つの上、平らになりかけたグリーンスライムの上に強めの風を送る。
通路を歩いているとわかるが、強弱のついた風が時間も方向も不規則に吹く。
人間でもちょっと落ち着けない感じだ。
「フェルモさん、筒を改良して頂いてますよね?」
「ああ、一部細さを変えて、ちょっと出口にカーブをつけたのもある」
「ああ、それで風の音がいくつかあるのか……」
ヴォルフも納得していたが、歩く度に風の種類が変わる――いくつか音が混ざっている感じだ。
そう考えていると、急に目の辺りに風が来て、ちょっとあせった。
「ああ、長くこの部屋にいるなら、眼鏡をかけている方がいい。風で目が乾く」
フェルモが眼鏡をかけている理由がわかった。
次に来るときは眼鏡をもってこよう、ダリヤはそう決める。
「おかげさまで、温風と冷風交互にすると、いい感じにグリーンスライムが乾燥するのがわかりました。それで、時間はかかりますが、天井を強化ガラスにし、日光を取り入れた大型乾燥場を建てようかという案も、昨日出たのですが」
「魔鳩にガラスを割られてしまったと……」
大型乾燥場なら、確かにドライヤーと送風機関連の魔導具改良でいけそうだ。
しかし、屋外干しから室内干しにするにしても、日光を取り入れる強化ガラスを割られてはどうしようもない。
「結局、強い魔鳩をなんとかしなきゃいけないってことだ。いっそ、餌に下剤でも混ぜたら二度と食わないんじゃないかと思ったが、駄目なんだってな」
「ええ、かえって魔鳩が増える可能性がありますから」
下剤は使えない。糞によってさらに魔鳩を呼んでしまうからだ。
一つのテーブルの真横に来ると、イデアがグリーンスライムへ指を向けた。
「こちらのグリーンスライムは、すべて罠餌です。空蝙蝠の粉末と、舞踏花の花粉を合わせたものを溶かし、ゼラチンを合わせ、グリーンスライムの表面に塗り固めました」
「舞踏花の花粉、ですか?」
「はい、舞踏花の花粉を吸うと、動けなくなるまでその場でふらふらと踊るように動きます」
舞踏花は、赤いドレスのような花弁をもつ、かわいい花だ。
ヴォルフが以前、差し入れでくれた蜂蜜が、舞踏花から採ったものだと聞いている。
美しい琥珀色で、さっぱりした甘みだった。
しかし、その花粉を吸い込んだ者はふらふらと倒れるまで踊るように動く毒である。
うっかり森で吸い込むと、自分の身体が思うようにならなくなるので、大変に危険だ。
もっとも、量を加減できれば、魔鳩が疲労困憊し、二度と来なくなるかもしれない。
「流石、冒険者ギルドですね。舞踏花の花粉が魔鳩に効くとは、知りませんでした」
ヴォルフが感心しているが、同意である。
魔物図鑑にも植物図鑑にもそのような記述はなかった。
「いえ……これは外部の方の、ご提案で……」
言い淀んだイデアが、目の前のグリーンスライムをじっと見た。
その目にある迷いに、ダリヤは一歩近づいてささやくように伝える。
「あの、守秘があるのでしたら、伺わなくても大丈夫ですので」
ありがとうございます、と小さく言うと、イデアは自分達に向き直った。
「提案は、ニコレッティ商会長――私の父です。薬草と毒草についてはくわしいので、アウグスト様がお呼びになったそうです。ジャン所長にお任せしようかと思ったのですが、ヨナス先生が同席を、と……」
「そうだったんですか……」
父に勘当されていると言っていた彼女だ。
さぞかし会いづらかっただろう、そう思っていると、フェルモが口角を上げた。
「いい親御さんだった。ちょっと心配性みたいだが……」
その言葉に、イデアは迷いの表情を苦笑へと変えた。
「冒険者ギルドで会った翌日、こちらへ差し入れだと、ポーションとハイポーションを馬車いっぱいに積んできたんですよ。そんなに危ない研究はしていないのに……本当に、とうに大人なのに、過保護すぎて困ります」
「……でも、また会えてよかった……」
声にするつもりのない言葉が、小さなつぶやきとなって口からこぼれた。
ダリヤ、とヴォルフに名を呼ばれ、はっと我に返る。
父カルロを思い出しはしたが、それだけだ。別におかしなことを言ってはいない。
動揺を隠して呼吸を整えると、イデアへ向かって言い直す。
「本当によかったです。薬草と毒草に詳しいのであれば、とても心強い味方ですね」
「……はい。アウグスト様も今後は取引と相談先にしたいと――それで、二ヶ月に一度、父が王都へ納品に来るときに、私も会うことになりました」
きっと親子で食事でもして語り合い、これまでの時間を埋めるのだろう。
そうしみじみしていると、イデアは言葉を続ける。
「お互いの知識共有のために、父は私に薬草講義を、私は父にスライム講義をしようと話し合いまして。この際なので、スライムのすばらしさをとことん理解してもらうつもりです。そのついでに、食事でもしようかと」
順番が違う気もするが、彼女らしい。
頑張ってください、ダリヤはそう、笑顔で言った。
その後は全員で小屋を出て、しばらく様子を見る。
本日は実験の為、ドアを半分開けている。
しばらく待つと、小鳥がやってきて、中に入ると間もなく、慌てたように出てきた。
不規則な風か、風車による光の反射のせいだろう。
魔鳩はそうそう来ないだろうと思ったが、少しして、あっさり二羽で来た。
どちらも艶やかな灰色の翼を持ち、普通の鳩よりも一回り大きい。
首回りの緑と薄い赤紫のグラデーションに、赤みのある黒の目は、通常の鳩と似ている。
人が少し離れたところにいても、警戒や遠慮はないらしい。
通常、小屋に入るには薄い金網を破るか、身体強化をかけてドアを押すなどする必要がある。
だが、今回はきれいな滑空でドアから入って行った。
「ああ、あせってるな、ありゃ」
フェルモが薄目のまま、口角を上げる。
ドアの隙間、空中からびたんと真下へ落ちた魔鳩が見えた。背中に強い風を受けたらしい。
風の流れがわからないのだろう。
今度はそのまま床をとっとっと歩いていく。
それでもなんとかテーブルに乗り、罠餌の干しグリーンスライムをつつき始めた。
「……ポーッ!」
怒りとも嘆きともつかぬ微妙な鳴き声が響く。
「味わうのが遅い。それは四口目だろう……」
ヴォルフに関しては、自分より目がとてもいいことだけはわかった。
その後にむせているような微妙な音が続く。
ちょっと食べた魔鳩がかわいそうになった。
「もう一羽の方はさらに食べてますね……悪食だわ……」
干しスライムの表層をむしり続ける魔鳩に関し、味覚を疑いたくなる。
いや、味の好みはそれぞれだ。もしかするとあの魔鳩には珍味なのかもしれない。
「先の魔鳩の方が踊り始めたな……」
ドアの間、床でくるんくるんと微妙な回転を始めた魔鳩が見える。
ちょうどいい効き目のようだ。
まだ食べ続けている魔鳩の方が心配になってきた。
後で気絶するまで踊るのではあるまいか。
「ああ、もう一個仕掛けを付けておいた。ドアを閉めきると、一カ所だけ、外に出られる小さい出口を作ってもらって、そこに押し戸を作った」
「フェルモ、小さい押し戸って?」
「魔鳩や鳥がそこを身体で押して出る、小さい扉だ。猫の出入り口と似たようなもんだ。そこを通ると、背中の後ろから霧吹きで水がかかる。まだ出る量が少ないんで調整中だが」
「水にはやっぱり唐辛子の粉を混ぜて?」
「いや、ワイバーンの抜け殻を細切れにして、一晩漬け込んだ。いい『味わい』が出たんじゃないか」
とても悪い顔で、先輩職人が笑った。
おいしい干しグリーンスライムを狙った魔鳩的にはこうだろう。
中に入ると不規則な風――周囲を確認したところで、流れはまったく読めない。
苦労してテーブルの上、餌のグリーンスライムに飛びついても、ひどくまずい。
あきらめて帰ろうとすると、やはり風が乱れていて警戒せざるを得ない。
そのうちに身体が罠餌の舞踏花の花粉のおかげで勝手に動き出して止まらない。
疲れ切り、ようやく外に出ようとすれば、押してしか出られぬ小さなドア、そこを通れば霧吹きで、ワイバーンの抜け殻付きの水がわずかだが身体にかかる。
わずかでも匂いがつけば、鼻のいい魔鳩のことだ、おそらく避けられるだろう。
どう考えても、魔鳩恐怖小屋である。
「俺が魔鳩だったら、二度と来ないと思う……」
ヴォルフがしみじみとした声を出す。
ダリヤも深くうなずいた。
「ヴォルフレード様、ロセッティ会長、ようこそおいでくださいました」
聞き覚えのある声に呼ばれて、振り返る。
やってきたのは栗色の髪に樺色の目の男性――スライム養殖場所長のジャンだった。
本日は冒険者らしい麻色の上着に茶の革のズボン、その上に軽鎧を身に着けている。
武器は手にしていないが強そうに見えた。元上級冒険者なのだ、当然かもしれない。
「対策の御礼を申し上げます。何羽か来ましたが、今のところ二度来ているのはいません。それと、温風と冷風を交互にすると、グリーンスライムは透明感のあるいい粉になるようです」
「よかったです。強化ガラスが魔鳩に狙われなければ、乾燥場もいい方法だと伺いましたが……」
「はい、しばらく検証することになりますが。大型乾燥場を作るにしても、時間がかかりますし。この対策でも来る魔鳩があれば、ワイバーンの皮で匂いをつける予定です。『例の方法』は、それからにしたいと――」
これでも来る場合は、とてもかわいそうではあるのだが、例の方法――翼を折ってポーションでの治療になってしまうのかもしれない。そう思ったとき、ジャンが目の前から消えた。
一瞬のことで何が起こったのかわからずにいると、小屋の前で大声が響く。
ジャンはここから小屋のドア前まで、一気に移動したらしい。
「やはりお前かっ!」
最早顔見知りなのか、ドアからふらふらと出てきた魔鳩を捕まえ、ジャンが吠えた。
ちなみに、もう一羽の魔鳩はまだ室内の床で踊り続けている。
「ジャン所長、もしかして、あの魔鳩ですか?」
「ああ、隣の強化ガラスを割った奴だ。足環が銀に金線、王城の魔鳩だ。あと、この顔はもう覚えた」
「ポー」
恐怖も緊張もなさげに鳴く魔鳩に、ジャンが舌打ちする。
「己に絶対に危害は加えられん、そうわかっている表情だ……」
「ポー」
魔鳩は肯定のように鳴くのをやめた方がいい。
なんだかジャンの周辺に魔力のゆらぎを感じる。
「王城の魔鳩が大変申し訳なく……」
「いえ、王城の皆様の責ではありません。こいつ、いえ、この魔鳩、この個体の問題ですので」
ヴォルフの謝罪をジャンが止める。
しかし、その樺色の目はその間もずっと魔鳩に向けられていた。
その後、ジャンが職員らしい者の名を呼ぶ。
すぐに一人の男性が黒い厚めの皮を手にやってきた。
どうやらブラックワイバーンの皮らしい。
「ああ、そうだ! それを火で温めてくれ。よく匂いが立つように、少々焦がしてもかまわん」
「わかりました!」
声をかけられた職員は火魔法持ちだった。
手のひらから小さな炎を出し、ワイバーンの皮の表面を焼き温める。
立ち上るのはクラーケンの干物とちょっと似た匂いだ。
香ばしさに苦さが混じったような――とても独特なワイバーンの匂いは、ダリヤにもはっきりわかった。
「クポッ?」
その強い匂いに恐れをなしたのか、魔鳩は逃げようとじたじたし始めた。
それを大きな手でしっかりと捕まえたまま、ジャンはとてもいい笑顔を浮かべる。
「さあ、歓迎してやろう。魔鳩君、ようこそスライム養殖場へ!」
「ル、ルポーーッ!」
頭の先から翼、尾羽に足――ジャンはそれはそれは丁寧に撫で付ける。
その間中、魔鳩の悲痛な鳴き声が響いていた。
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