369.湯がきソーセージとナッツの蜂蜜漬け
あけましておめでとうございます。
旧年中の応援とご愛読に心より感謝申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
商会の部屋に残ったダリヤ達は、魔鳩に関する書類をめくりつつ、難しい表情になる。
魔鳩は鳩とは違う性質であり、魔物だけあってなかなか強いようだ。
魔導具で対応といっても、体重は軽く、空中から来る可能性もある。
前世と違ってセンサーがないので、距離での感知も難しい。
グリーンスライムに触れた瞬間、軽い電気ショックでも与えられればいいのだが、生憎と今世、電気の魔石はない。
ダリヤは唸りそうになりながら魔鳩に関する書類を見返す。
隣では、フェルモががしがしと左手で頭をかいていた。
自分達を交互に見たイヴァーノが、少しだけ口角を上げる。
「お二人でも悩むことがあるんですね……」
「おい、イヴァーノ、俺はしょっちゅう製品では悩んでるからな? 一緒にするなよ」
「フェルモさん、それ、私が悩んでないように聞こえます……」
ちょっとだけ口を尖らせてしまった。
確かに、前世の知識と運に助けられてできた魔導具もある。
だが、開発も試作も失敗することの方が圧倒的に多いのだ。悩まないわけがない。
「あの、ちょっといいですか?」
微妙な空気を感じ取ったのか、それまで黙っていたメーナが明るい声を出した。
「僕はここの前に運送ギルドにいたわけですが、あそこの屋上では鳩と魔鳩を飼ってます」
運送ギルドは小さい物から大きい物までなんでも運んでくれる。
手紙もその一つなので、鳩と魔鳩がいるのは当然なのだろう。
「それなりの貴族や大きい商会なんかでも魔鳩を飼っているところは多いと思いますが、運送ギルドの魔鳩はかなり速いです」
「それは知りませんでした。魔鳩の育成がいいか、特別な餌でも?」
「特に秘密だとは言われてませんでしたが、一応ここだけの話で――運送ギルドの魔鳩は、国境伯の『グッドウィン家』から購入しているものです」
国境のグッドウィン伯爵――それはヴォルフの友人であり、魔物討伐部隊員のランドルフの実家のはずだ。
それをメーナが知っているのかどうかはわからない。
ただ彼は笑顔で、その水色の目をダリヤに向けた。
「グッドウィン家つながりで伺ったら、魔鳩の弱点、教えてくれませんかね?」
その後、在室している者での話し合いとなった。
いい提案ではあると思うが、今回の魔鳩の件は微妙な内容だ。
武具工房に無関係なランドルフを巻き込むわけにはいかない。
また、ヨナスの生家もグッドウィン家ではあるが、現状、縁は切れていることになっている。
男爵叙勲前の大切な時期でもあり、避けるべきだろう――
結局、メーナの提案にそう答えを出した。
メーナは特にこだわりもなかったようだ。
人に尋ねるのが難しいなら、隣国の魔鳩に関する本を探しては、と代案を出してくれた。
その後、王都の書店を回ってみたが、魔鳩の専門書はなかった。
緑の塔に帰ってから確認すれば、ヴォルフが購入し、居間に置いている魔物図鑑が一番くわしかった。
とはいえ、わかるのは、魔鳩の基本的なことだけ。
通常の鳩より一回り大きく、飛行速度がかなり速い。
基本、草食だが、虫、カエルなど小型動物も食べる。巣を二つ持ち、往復する習性がある――
すでに聞いたことがほとんどで、魔鳩避けの参考になりそうな内容はなかった。
いい考えが浮かばぬまま翌日も過ごし、ダリヤは緑の塔、居間の温熱座卓の天板を拭いていた。
窓の外は夕暮れ、そろそろ鍛練を終えたヴォルフがやってくる時間である。
王城にも魔鳩はいるそうだが、彼に聞いたら何かわかるだろうか――そう考えたとき、門のベルが鳴った。
玄関ドアを開けると、門の向こうにヴォルフ、その後ろにランドルフが見えた。
もしや魔物討伐部隊で何かあったのか、ダリヤは駆け足になり、すぐ門を開ける。
「ダリヤ、急ですまない。魔鳩の件をヨナス先生から聞いて――ランドルフに相談したら、魔鳩の知識はあるから手伝えないか、って」
「え? あの、いいんですか?」
魔鳩に関してランドルフを巻き込むことにはならないのか、守秘的に問題はないのか、昨日の心配をくり返していると、当人が声をかけてきた。
「家では魔鳩を取り扱っていた。王城関係でも隊の遠征でも魔鳩の通信は大切だ。よろしければ手伝わせて頂きたい」
その真摯な表情と声に、今回の件への理解がわかった。
確かに、グリーンスライム干しが『魔鳩ホイホイ』になりかねないのだ。
今後の魔鳩の使用法そのものがゆらぐ恐れもある。
協力を得られるならこんなありがたいことはない。
「ありがとうございます、ランドルフ様。お願いできれば心強いです」
「ダリヤ、魔鳩について話すのに、個室のある店へ行かない? 夕食も兼ねて」
「それが、もう夕食の準備をしていまして。ソーセージとか蒸し野菜とか、本当に庶民料理なんですが……」
ヴォルフは大丈夫だが、ランドルフの口に合うかどうかが心配なメニューだ。
しかし、今日ちょうど仕上がったばかり、ぴったりな一品があるのを思い出した。
「あの、ランドルフ様、ナッツの蜂蜜漬けはいかがですか? ちょうど漬け上がりなんです」
「それはおいしそうだ。ぜひお願いしたい」
以前、喫茶店へ一緒に行ったときのように、甘い物好きを隠すことも、迷いもない。
赤茶の目を細め、柔らかに笑んで返された。
それに安心しながら、ダリヤは二人を緑の塔へ招き入れた。
「冷めてしまいますから、お話の前に夕食にしましょう」
「ありがとう、ダリヤ。今日は、鍋?」
温熱座卓の天板には、小型魔導コンロ、その上にはお湯の入った浅鍋と蒸し鍋がある。
小型魔導コンロの火を入れ、ダリヤは本日のメニューを説明する。
「こちらは蒸し野菜です。好きなものを皿にとって、塩か、具入りマヨネーズをかけてください」
人参にじゃがいもにカリフラワーといった蒸し野菜が、白い湯気を吐いている。
店でお買い得野菜袋を買ったので、そこから適当な野菜をカットし、蒸し鍋で大量に蒸しただけである。
マヨネーズは、たっぷりのゆで卵と刻み玉ネギ、少しの乾燥バジル、コショウを混ぜた。
父カルロには、蒸し野菜の進む味と言われたものだ。
「こちらはこのお湯にソーセージを入れて――湯がきソーセージにします。温まったら、トングでお皿にとって、そのままか、粒マスタードを付けて食べてください」
「湯がきソーセージ……」
ヴォルフとランドルフが不思議そうな表情になるのも当然だ。
お店でも家でも、ソーセージは焼かれて出てくるか、スープの具になることが多い。
まして、目の前の鍋に入れられたのは、小さく短い皮付きソーセージ。
庶民向けのお買い得品なので、なかなか目にすることはないだろう。
最初の酒の選択肢は出さず、三つのグラスに黒エールを注ぐ。
そして、明日からの幸運を祈って乾杯すると、二人に料理を勧めた。
「湯がきすぎないうちに鍋から引き上げてください。あと、口に入れる前に、一度フォークで刺してください。でないと口の中で弾けます」
真顔で注意したら、二人に笑まれた。
だが、冗談ではないことは、口にしてもらえばわかるはずだ。
ダリヤは白く湯気を上げる浅鍋から、ソーセージを小皿に取る。
粒マスタードを少しつけ、フォークでしっかり刺した後、口に運んだ。
固めの皮の下、たっぷりの汁と共に、香辛料の効いた肉がぷりりと跳ねる。
噛みしめる程に汁が出て、脂の甘さと香辛料付きの肉の味がいい具合に混じり合う。
粒マスタードのぴりっとした辛さも、アクセントになってよく合った。
はふはふと味わった後、口内の熱さを静めるように黒エールを流し飲む。
脂を流された口はさっぱりとし、黒エールの苦さが爽やかさに変わっていく。
そして、すっきりと冷えた口には、やはり熱々の湯がきソーセージが似合い――交互に味わっていると、隣のヴォルフと向かいのランドルフがまったく同じ動作になっていた。
ダリヤはボウルに準備していたソーセージを、そっと浅鍋に追加投入した。
「これ、肉汁たっぷりでおいしい……粒マスタードがすごく合う……」
「スープとは、また違うおいしさなのだな……」
自分と目が合うと、二人ともソーセージにフォークをしっかり刺しながら言う。
ランドルフが一個目でフォークを先端しか刺さず、食べて口を押さえていたのは見なかったことにする。
追加分のソーセージを勧めると、ダリヤはちらりと時計を確認し、台所に向かった。
湯がきソーセージも蒸し野菜もそれなりにあるとはいえ、体格のいい男性二人分には足りないだろう。
しかも、きつい鍛錬後に来ているのだ、ここはしっかり食べてもらいたい。
そう思ってオーブンで温めていたのは、ちょっと大きめの丸いパンだ。
中にチーズがたっぷり入ったオニオンパンは、少し焦げがつくほどきっちり焼くのがおいしい。
熱々のそれを、ヴォルフとランドルフ用に大皿に載せた。
ダリヤ用は好物のくるみパンである。こちらはオーブンの端に入れていたが、ちょっとだけ焦げていた。
ランドルフが来るのがわかっていたら、甘味のパンも買っておいたのだが――そう思いつつ、忘れぬうちにとナッツの蜂蜜漬けの瓶を出す。
ヴォルフと共に夜遊びへ出かけた日、塩ナッツに蜂蜜をかけたものを食べた。
それを思い出し、隣国の料理本のレシピ通りに作ったものだ。
アーモンドやくるみなどのナッツ類、そしてレーズンを少し、それを漬け込んで四日目。
なかなかにいい色合いである。
「ダリヤ、手伝えることはある?」
自分が台所にいるのを気遣ってくれたのだろう、ヴォルフが声をかけてきた。
ダリヤは遠慮なく、パンの皿を運んでもらうことにした。
その間に、ランドルフ向けにナッツの蜂蜜漬けを中皿にこんもりと盛る。
ヴォルフには塩味のナッツを、自分には小皿に少し取り分けた。
居間に戻ると、それぞれに食事を続ける。
ヴォルフがオニオンパンのチーズの伸びと熱さに驚く横、ランドルフが中皿に向き合っていた。
大匙にたっぷりとナッツをすくい、蜂蜜の線が途切れた瞬間にばくりといく。
とてもゆっくりとした咀嚼が長く続き、飲み込んだ後、長く静かに息を吐く音がした。
「ありがとう。とてもおいしい一品だ……」
ランドルフはそう言うと、赤茶の視線を深皿に戻す。
そのまなざしがとても深くなっているのは、これが隣国のレシピだからかもしれない。
学生時代は隣国エリルキアにいたという彼だ。
レシピが一緒なので、なつかしさ増しでおいしく感じるのだろう。
ダリヤは台所から追加を持ってくることにした。
ランドルフは貴重な一匙をよくよく味わった後、横ではむはむとオニオンパンを囓る友を見る。
『黒の死神』『魔王』とあだ名される青年は、一切の険なく、ただ楽しげに料理を味わっていた。
昨年の春まで、彼にはどこか冷たく張りつめたものがあった。
それが消えた今のヴォルフの方がヴォルフらしい――言葉遊びのようだが、そう思う。
「ランドルフって、本当に蜂蜜が好きだよね。そのうち熊にならない?」
自分の視線に気づいた彼が、少年のように笑った。
ダリヤが自分をもてなすのに嫉妬の欠片も見せず――それだけ信用されているという自負はあるが――
相手との距離の近さに甘えていると、突然手が届かなくなり、血が焼ける想いをすることもあるのだ。
ヴォルフ達がそんな想いをする未来はまったく見えない。
それでも背中を押したくなるのは、友だからだと思いたい。
「『お前はさっさと番犬になれ』」
隣国の言葉での勧めは、はたしてヴォルフの耳に届いたか届かなかったか。
部屋にはナッツの蜂蜜漬けを山盛りにした皿を持つ、赤髪の淑女が戻ってきた。




