366.鷲獅子の素材と貴族試験
すみません、遅くなりました!
「鷲獅子~、鷲獅子~」
緑の塔の居間、節をつけて口ずさみながら、ダリヤは温熱座卓の上、魔封箱を開けた。
下手な歌の通り、中身は鷲獅子の素材。
銀色の二つの魔封箱、それぞれに入れられている。
大きく長い魔封箱の方は、長い黒茶の羽根六枚と一巻きの茶の毛皮。
鷲獅子は鷲の上半身と獅子の下半身をもつ魔物なので、同じ個体である。
ぱっと見は大型の鳥の羽根と、毛足が長めの動物の毛皮だ。
だが、触れてみると確実な違いがわかる。
艶やかな羽根は硬く、表はマットな色彩だが、裏に艶がある。
触れると柔らかさの他、表面を薄く覆う魔力がわかる。
指先につるりとしたそれは、魔封板と少しだけ似ていた。
毛足が長めの毛皮は、上はやわらかな手触りだが、下に行くにつれて硬くなる。皮部分にいたってはとても硬く、金属を思わせる質感だ。
もっとも、これは死後、かなり時間が経っているせいもあるのだろうが。
魔法防御と物理防御に優れるという鷲獅子、その特性がこの二つでもよくわかる。
魔法も物理も効きづらい上、攻撃力もあり、移動速度は速い。
魔物討伐部隊が対峙することになってほしくない魔物だとつくづく思う。
小さい魔封箱に入っているのは茶金色の爪――こちらは一つ、傷の少ないきれいなものだ。
魔封箱の内蓋として、水晶ガラスが張られている。
爪自体は茶に近い色合いなのに、窓からの日差しにわずかに緑の光が見えた。
ダリヤは触れずにその輝きを堪能した後、そっと蓋を閉じた。
鷲獅子はとても強い風魔法を持つ。
この爪をそのまま魔法で付与すれば、強い効果が見込めるだろう。
必要魔力が高すぎ、ダリヤには無理だが、小さい欠片にすれば扱える。
「大型乾燥機とか、塔の空調もいけるかも……」
浪漫素材なのに、どうにも身近な使い方しか浮かばぬ自分に笑ってしまう。
そういえば、昨日、これを渡してきたときのイヴァーノは、とてもいい笑顔だった。
魔封箱の中身を聞いたダリヤは、『自分にはもったいない素材だ』、そう言いかけ、部下の言葉で止めた。
『おめでとうございます、会長! 商会を立てるときの夢が一つ、叶いましたね』
昨年春、ロセッティ商会を立てるかどうかの話になったとき、ダリヤを説得したのはマルチェラとイヴァーノだ。
自分の商会などとんでもないと思っていたのに、炎龍に大海蛇、そして鷲獅子など、珍しい素材が扱えるかもしれないと言われ、あっさり陥落した。
遠い夢だった鷲獅子が、目の前にあった。
しかもあの日、イヴァーノが話してくれた『隣国で討伐された鷲獅子』――この個体こそがそうだという。
本当に、人生はわからないものである。
この鷲獅子は、冒険者ギルドの副ギルド長であるアウグストからのロセッティ商会への贈り物――いや、研究用素材だそうだ。
スライム養殖場、加工場は、それ自体の利益はもちろん、冒険者を引退した者達のよい仕事先となりつつある。
『これはお礼ではなく、「一艘の船」仲間としての喜びの分かち合い、次の開発への期待です』とイヴァーノ経由で聞いた。
ずいぶんお高すぎる期待である。けれど、ダリヤは素直に受け取った。
あの日の夢は確かに叶った。
ここからは次の夢の実現を目指し、少しでも皆へ返していこう、そう思いながら。
「ダリヤ、もうちょっとでできるから、運んでもいいかな?」
台所から顔を出したのは、黒いセーターに白いエプロン姿のヴォルフだ。
なんと本日はヴォルフが昼食を作ってくれている。
本人たっての希望である。
「はい、ありがとうございます!」
ダリヤは慌てて魔封箱をさらに木箱にしまい、棚へと移動させる。
そして、自分も運ぶのを手伝うことにした。
「すごくおいしそうです……」
温熱座卓の天板に載るのは、炭酸水と大きめのクレスペッレ。
チーズ、牛肉と野菜の炒め、細かく刻んだ果物の三種類である。
「クレープと似たようなものだし、三種だけなんだけど」
「何を言うんですか、ヴォルフ。クレープを焼くのも難しいですし、三種類もあったら十分です」
ヴォルフはクレープを焼くのがうまいが、クレスペッレは見た目が似ていても別である。
中身も作らねばならないし、衣の折り具合も難しいのだ。
「さて、今日は俺がこの台詞を―― 『冷めないうちにどうぞ!』」
笑顔のヴォルフにお礼を言い、クレスペッレを包んだ緑の葉ごと持ち上げる。
彼は材料として、屋台向けの大きな葉まで買ってきたのである。
見た目も雰囲気も確かにこちらの方がおいしそうだ。
最初に白い湯気の上がる、チーズのクレスペッレから齧り付く。
最後に焼いたものだそうで、チーズはまだとろりとしていた。
生地とチーズの味わいを楽しんでいると、途中から黒コショウの香りが強めになる。
それに感心していると、その先、種類違いのチーズの味が口に広がった。
「ヴォルフ、これ、おいしいです。チーズは二種類ですか?」
「ああ、ドリノから教わったんだ。本式は『余りのチーズを砕いて全部入れる』んだって」
実家が食堂のドリノらしいレシピだ。
チーズ一種類で大きめだと、味に慣れてしまうことがある。
けれど、これは口飽きすることなく食べられる。
続けて食べたのは牛肉と野菜の炒めのクレスペッレ。
持った瞬間、その香りに『もしや』と思い、一口食べて納得した。
「こちらもおいしいです。味噌ですか?」
「ああ、ダリヤは東ノ国の調味料が好きみたいだから、試しに作ってみた」
「ありがとうございます。でも、お試しでここまでできるってすごいですね」
「あー、じつは……試作品は隊員の希望者に食べてもらって、塩辛かったりもしたんだ。皆、頑張って完食してくれたけど」
「そうだったんですか。初めて使う調味料は難しいですから……塩辛いのは包む量を減らして食べたとかですか?」
ちょっと気になって尋ねると、ヴォルフがそっと金の目をそらす。
「蜂蜜はすべてを解決する――そう、ランドルフが」
「解決しません」
「水をたくさん飲めばすべて流れ去る、と、ドリノも」
「流れ去りません。水分をとっても、塩も砂糖も体内に残るじゃないですか。他の皆さんは止めなかったんですか?」
「若いから大丈夫です、と、カークが。それで、その場の隊員全員が若さを主張して食べきった」
若さを免罪符にしないで頂きたい。
高血圧に悩んでいた前世の父は、若い頃は低血圧だったと言っていた。
気づいたら高血圧になっていたのだという。
つまりは、年を経て一気に雪崩れてくることだってあるのだ。
「ヴォルフ、健康は本当に大事です。試すときも、濃い味は避けて薄めからいきましょう」
天板に身を乗り出し、真剣な思いを込めて言うと、神妙な表情でうなずかれた。
その後、果物のクレスペッレをデザートに、食事を終えた。
蜂蜜たっぷりのそれは、とてもおいしかった。
・・・・・・・
「ユーセフ様達は、無事にイシュラナに到着したそうだね」
「ええ。私も今朝、伺いました。イヴァーノからですが」
食後の紅茶を横に、温熱座卓でヴォルフと向き合って話を続ける。
朝、ロセッティ商会の部屋へ、ハルダード商会の王都支店の者が知らせに来たという。
イヴァーノはそれを聞いて、本日休みのダリヤにすぐ教えに来てくれた。
ユーセフはイシュラナ到着後、間を置かず商会の指揮をとり、砂漠で避難、取り残された人々の救助をしているという。
大きな竜巻だが、人的被害は少なかった。
ただ、砂に埋もれた水路、使えない水場、畑の作物など、早めに対応しなければならないものは多い。
砂漠の魔物も、軍と傭兵、冒険者が対応を始めているそうだ。
一通り話を聞いて少しほっとした。
早い復興を祈るばかりである。
「ユーセフ様は、本当はヨナス先生の叙爵を見たかったろうから、当日の姿絵を描かせると、兄が」
「いいと思います。きっと喜ばれますよ」
「確かに正装のヨナス先生はかっこいいから……あ、この前、ヨナス先生がドラーツィ家の養子になって、ドラーツィ侯爵とご挨拶にみえられたんだ。その日が黒の三つ揃えで、髪型もこう後ろに全部撫でつけてて……なんだか少し遠くなった気がした」
ヨナスは予定通り、ファーノ家を中家に、ドラーツィ家の養子となった。
ダリヤもドラーツィ家から挨拶の手紙を受け取っている。
ヨナス・ドラーツィの署名はまだ見慣れない。
だが、大剣の描かれた赤い封蝋は、彼に似合いに思えた。
「まだ落ち着かない感じですか?」
「いや、ほとんど元通り。翌日から兄の隣にいるし、まだ護衛騎士用の服が上がってこないからって、従者服だし。口調だけはちょっとだけ砕けた感じになったけど」
「ヨナス先生らしい気がします」
「ああ。でも、屋敷の者達が混乱してる。今まで『ヨナス、ヨナス殿』だったのを『ヨナス様』に直したり、廊下を譲ったりするから……ヨナス先生は今までと同じでかまわないって言うんだけど、執事が絶対にだめだと。『来客や催しの際でも、慣れた方が出やすいですから』と」
「なるほど、そういったこともありますね……」
ヨナスは長いことスカルファロット家で暮らしていると聞く。
長年馴染んだものを急に変えるのは難しいだろう。
だが、外部の者が来た際に、いつもの呼び方や対応が咄嗟に出てしまったらまずい。
「それに王城でも、一部の人がヨナス先生を気にしてて、俺もいろいろ聞かれるんだよね。この前、王城で兄がヨナス先生を首にしたって話が流れたから」
「え? ないですよね?」
グイードがヨナスを首にする、ヨナスがグイードの護衛騎士をやめる、どちらも想像がまったくできない。
「もちろんないよ。兄の護衛騎士はヨナス先生しかいないと思うし」
ヴォルフも同じだったらしい。
しかし、どうしてそんな話になったのか謎である。
「王城で尋ねるような内容じゃないから、本邸に行ったら兄が待ってて。なぜ、こんな話が出回っているのかと尋ねたら、『まあ、合格』と言われた……」
「合格って、何かの試験だったんですか?」
「ああ、貴族向けのそんなところ。ベルニージ様の発案で、兄とヨナス先生が仲違いしたことにして、ヨナス先生が実家からも出されて、庶民になる。それでどういう対応を取るか、その早さで相手と家がわかるって」
「そういう試験ですか……」
貴族のややこしさ、ここに極まれり。
屈託なく笑うベルニージを思い出し、ぴんとこない気もするが――彼は前侯爵当主である。
こういったことも必要なのだろう。
「兄のところには新しい護衛騎士と従者の紹介状と、ヨナス先生と仲直りしろなんて手紙も来たって。友達には『筋書きがちょっと甘い』って言われたそうだけど」
これで甘かったら通常はどうなるのだ?
貴族試験なるものがあったら、ダリヤは絶対に落ちる自信がある。
「でも、この試験、完全合格ってあるんですか?」
「初日の夜、ファーノ家のヨナス先生へ、護衛騎士希望の手紙を辛口ブランデーと一緒に送ってきたのがアルテア様。断る場合、返事はいらないから短い休暇を楽しみなさいって……」
「うわぁ……」
完全模範解答なのだろうが、その早さといい中身といい言い方といい、素晴らしすぎて参考にならぬ。
「ファーノ家もきっと大変だったよね。ヨナス先生への手紙は他にもあったと思うし」
「それはわかりませんが、ルチアの家では、ヨナス先生が工房を手伝ってくれて助かったそうです」
ヨナス用に部屋を準備し、そこで本を読んで過ごしてもらう予定だったらしい。
しかし、ヨナス本人に、暇だから仕事をくれと言われたそうだ。
彼はワーカホリックなのかもしれないと思ったのは内緒である。
「ヨナス先生、編み機がとても上手らしく――感心したと言っていました」
「流石、ヨナス先生……」
正確には、編み機も糸巻きも、『おそろしく上手』らしい。
服飾魔導工房から帰ったルチアが検品を手伝い、手伝いに来た新人を――ヨナスのことなのだが知らず――正式に雇うよう勧めたのだという。
編みで有名なルチアの祖父も、職人であればと残念がっていたそうである。
きっとヨナスは手先がとても器用なのだろう。
「あれ、ダリヤ、そこにあるのって薬?」
ヴォルフが棚に置いている薬の箱を見つけたらしい。その目を細めている。
「はい、熊の胆の胃薬です」
「ごめん! 胃の調子がよくないときにクレスペッレなんて――」
「違いますよ、ヴォルフ! これは食べ過ぎ用じゃなくて、神経性胃炎用です」
「神経性、胃炎?」
今世にも神経性胃炎はあるが同じ名前ではあまり聞かない。
一応似た単語はあるので、そちらで言い替えておく。
「『新人の胃病』です。叙爵まで一ヶ月切ったので……」
「そうだったんだ……なら、クレスペッレよりパン粥とかの方がよかったかな?」
「いえ、おいしいクレスペッレがよかったです。私の場合、食べ物ではないので。緊張というか、こう、男爵になる実感がなくて、落ち着かなくて……」
うまくは言えないが、言葉にして納得した。
男爵になる覚悟は決めたつもりだが、いまだ成るという実感がない。
ドレスも靴ももうすぐ揃うので、それを身に着けたら少しはわくだろうか?
それとも、叙爵の日に王城で実感するものなのだろうか?
そんなことを考えていると、ヴォルフが温熱座卓の向かいから出た。
自分の隣に少し離れて座ると、右手を左肩に当てる。
正座ではあるが、それは騎士の上位の敬意表現で――ダリヤは慌てて背筋を正す。
「『ロセッティ男爵』、不敬になるかもしれないけれど――俺にとってのダリヤ・ロセッティは、とっくに男爵で、魔物討伐部隊の相談役で、すごい魔導具師で――誇れる友だ」
真剣に自分を見つめる目は、まっすぐに告げられる声は、本心からの言葉だとわかるけれど――
どうかこんな不意打ちはやめてほしい、胃より胸が痛い。
それでも、もらった言葉は、まちがいなく自分の宝物だ。
手を少し伸ばせば届く距離、こんなに近くにヴォルフがいるのに、目と鼻の奥が痛くて、うまく笑顔が作れない。
うつむいて、右手で口元を隠して、なんとか笑ったふりで――
きっと貴族試験の表情作りは落第だろう。
「……ヴォルフ、ありがとうございます……実感、ちょっとわきました……」
「ちょっとなんだ」
彼がいつもの声で笑ってくれる。
それだけで落ち着けるのだから、単純なものだ。
そうしてダリヤも、ようやくいつものように笑い返せた。
応援ありがとうございます!
おかげさまで『服飾師ルチアはあきらめない』続刊となりました。
2巻は1月25日発売となります。
どうぞよろしくお願いします。




