363.中家の代価
「まだ内密にってことだけど、ベルニージ様の家がヨナス先生を養子にするって。ベルニージ様にとっては孫になる形で。ダリヤには先に伝えておいてくれって」
スカルファロット家の別邸へ向かう馬車、向かいのヴォルフがそう教えてくれた。
「よかったです!」
思わず声が大きくなってしまう。
だが、本当によかった。
これでヨナスは護衛騎士として、グイードの隣、王城のどこへでも付いていける。
「ああ、本当によかった。王城で打ち合いをしたときに、腕に惚れ込んだんだって。派閥違いだから時間がかかったのかもしれない」
派閥違いでもヨナスを孫にするあたり、ベルニージはよほど惚れ込んだのだろう。
だが、一つだけ気になることがあった。
「あの、ヨナス先生は、魔付きを解呪しないで大丈夫なんですよね?」
「ああ、ベルニージ様が今のままでいいって。ドラーツィ家を通すのも大変だったと思うけど、流石だよね……」
「ええ、すごいと思います……」
魔付きに対しての忌避と畏怖はやはり根深い。
魔力暴走して亡くなった者や子供に対して魔核を食べさせたなど、暗い歴史もある。
それでも、ヨナスが今の強さのままであれるよう、ベルニージは力を尽くしてくれたのだろう。
今後はヨナスの祖父になるわけだが――二人を並べて想像しても、違和感がまるでなかった。
「ただ、ヨナス先生が、兄の護衛騎士に相談役も追加した上に、従者もそのままするつもりだったらしくて、ちょっと本邸でもめてた……」
「ヨナス先生でも、一人三役は大変では?」
「ああ。それに『ドラーツィ侯爵のご子息に従者をさせるわけには参りません』、と執事が」
考えてみれば当然だった。
ヨナスは高位貴族子息になるのだ。従者という立場は合わぬだろう。
「兄は必要なときだけ別に従者をつけるからいいと。それで、相談役と護衛騎士をしてもらうから両方の報酬を提示したら、ヨナス先生が『点数割引を致します』って」
「点数割引……」
それは点数で考えていいものなのか。
しかし、ヨナスは義理堅い性格なので、両方満額でもらうのは避けたいのだろう。
「兄上が、侯爵家子息に相談役と護衛騎士をしてもらうのだから、正当な報酬と待遇を与えないと、次期スカルファロット侯爵として顔がつぶれるって押し切ってたけど」
「そうですよね、それだけのお仕事をしていただくわけですから」
「あとは、ヨナス先生の今の部屋を広い客室に移そうとしたら、客室では落ち着かないし、今の部屋のままでいいですって」
「わかる気がします」
長くいた部屋は愛着もあるのだ。広い客室はちょっと落ち着かなそうである。
「うん、俺もわかる気がした。それで、グローリアが、自室の隣が空いているからヨナス先生の部屋にと。客室じゃなくて、家族の部屋ならいいだろうと……」
五歳の女の子のその言葉を想像するだけで、心温まる。
しかし、ヴォルフはその金の目をそっとそらした。
「ヨナス先生は、『グローリア様に弟か妹が生まれたら使う部屋だからいけません』、と。そしたら、いつ弟と妹が生まれるのかとグローリアが兄上に尋ねて――俺はそこで兵舎に戻ったんだけど」
「……ヴォルフ……」
「戦略的撤退です……」
ヴォルフが回避行動を取ったようだ。
確かに答えに窮するが、そこでグイードへ助け船を――出せる気がしない。
そして、彼はとても乾いた声で続けた。
「その日の夜に、兄とヨナス先生が別邸の裏でちょっと本格的鍛練をしたって」
「まさか、氷蜘蛛短杖と闇夜斬りで鍛錬したんじゃないですよね?」
「そっちは使わなかったんだけど、兄が家の杖を持ち出して、ヨナス先生が大剣を使ったらしくて、屋敷の窓を一部入れ替えたって連絡が来た」
あのお二人は何をやっておられるのか。
鍛錬にしても、ご自身の魔力と力を考えて頂きたい。
「お怪我はなかったんですか?」
「大丈夫だと思う。兄も今日登城してたし。でも、『今度、本邸で夕食を、別邸の使用方法についてお話ししながら』って――なんで義姉上が俺に手紙をくれたんだろう……?」
何をどうしたらそうなるのかわからないが、ヴォルフに飛び火したらしい。
とても不安げな表情に、前世、動物病院の待合室で震える飼い犬を思い出してしまった。
「ええと、ヴォルフ……ご家族なのですから、親交を深めるためのものかも……」
なぐさめにもならぬ言葉を必死に組み立てていると、スカルファロット家の別邸に着いた。
・・・・・・・
スカルファロット武具工房に着くと、すでにヨナスとルチア、担当魔導具師が待っていた。
そこへすぐ、ベルニージもやってきた。
本日は各種魔導具の状況確認のようなものだ。
あのクッションリスのような遠征夜着、魔物討伐部隊向け、そして神殿向けの馬車の衝撃吸収材マット、そのカバー、レッドスライムによる人肌保温材などの進行と今後の製造について話し合った。
イデアは増築の関係で離れられず、報告書類だけが来た。
他にも、王都外のスライム養殖場が増築中であること、さらに周囲の草原の開墾予定も聞いた。
スライムの大量生産は、大変順調に進んでいるらしい。
イデアはもちろん、養殖部長のジャンを含め、関係者に頭が下がる思いだ。
そうして一通り報告が終わると、紅茶が入れ替えられた。
湯気のたつ紅茶の前、ベルニージがいきなり切り出す。
「まだ内々だが、うちの家で、ヨナスを養子にすることになってな。今は『中家』――中継ぎの家を探しておる」
ダリヤはさきほどヴォルフから聞いていたので驚きはない。
目を丸くしているのはルチアだけである。
「良きつながりをお祝い申し上げます。でも、どうして中継ぎの家がいるのですか?」
ルチアがきっちり祝いをのべた後に尋ねる。
ダリヤもそれがわからなかった。
「私が実家と切れたという形を取るためです。互いに便宜は図らない、という表明になります。実家にもドラーツィ家にも、無駄な願いをされないためです」
「ヨナスが惜しいから返せと言われぬようにしたいのでな」
からからと笑うベルニージは、とてもうれしげだ。
すでに孫自慢をしている祖父のようである。
「ベルニージ様、『中家』はどういった家をお探しですか?」
「派閥と深いつながりのない男爵家か庶民のご家庭で、ある程度、貴族を知っているのが理想だな。もちろん支払いはきっちりするし、書類を書いて名を借りるのは十日でよい。我が家で一切の迷惑はかけぬようにする」
魔導具師の問いかけに、ベルニージが説明してくれた。
ダリヤではヨナスを養子にするのは無理だろう。
父であるカルロがいれば一肌脱いでくれたかもしれないが。
イヴァーノあたりなら条件的に合うかもしれないが、ヨナスを息子にと言うのはハードルが高そうだ。
そんなことを考えていると、ベルニージが視線を動かしていき、ぴたりと止めた。
「ルチア先生、もし願えるものならば、なのだが――」
「はい! 家で良ければお使いください。きっちり庶民ですので」
一瞬の迷いもなく了承した彼女に、ファーノ家の男性陣、特に父親が苦悩する顔が浮かんだ。
『ファーノ家の男どもは骨がない』とは、ルチアの弁である。
なお、彼女の母はたぶん動じないだろう。性格がルチアそっくりなのだから。
「ルチア先生にご迷惑をおかけするわけには――」
「じつに助かる。ヨナス、これ以上の好条件はあるまい。ルチア先生のことはよく存じ上げておるし、服飾魔導工房長の家であれば理由付けも立つ。何より、お前が背を気にする必要がないではないか」
「それは、そうですが……」
歯切れの悪いヨナスを横に、ベルニージは言葉を続ける。
「ルチア先生、代価は何がよい? 中家には金貨二十枚以上が基本だ。うちならば三十、いや、金貨四十でも、魔糸の山でも魔物の毛皮の束でも、遠慮はいらんぞ」
ベルニージが太っ腹な提案をすると、ルチアが小首を傾げる。
そして、いきなりぱあっと明るい笑顔になった。
「ヨナス先生に、お似合いの服を探させてください!」
「そうか、ルチア殿にヨナスの服を一式依頼すればよいのだな?」
「いえ、そこはドラーツィ家の服飾師の方々がいらっしゃると思うので、一枚ご依頼頂ければ充分です。その、いろいろとお似合いの服を探したいので……ヨナス先生を、一日お貸し頂けると……」
友人の青い目がきらっきらに光っている。
ダリヤはいろいろと察した。
「なるほど、似合いの服か。確かに、従者服と騎士服だけではいかんな。今後はいろいろと違う服もほしいところだ」
ベルニージとルチアの会話に齟齬が生じているようだ。
話がすでに見えた自分は、友に小さめの声で釘を刺す。
「ルチア、素直に言った方がいいわ。当日、ヨナス先生が混乱するから」
「は?」
ヨナスとベルニージが怪訝な表情で自分達を見る。
隣のヴォルフが二度、咳をした。
「中家のお支払いは要りませんから、ヨナス先生で、一日着せ替えがしたいです!」
ルチアが満面の笑みで言い切った。つられたようにベルニージも笑む。
「そうか、安くついてよいな。好きなだけ着せて脱がせるとよい」
「ベルニージ様……」
ヨナスが恨めしげにベルニージを見た。
「くっくっくっ……金貨三十枚を一日で稼ぎ出すとは、さすが我が孫よ!」
「まだ孫ではありませんが」
声低い反論は、笑顔の祖父予定に完全に無視された。
「せっかくだ、ルチア先生、儂が払うので家の紋章を入れた夏と冬の夜会服を作ってやってくれ。侯爵家にふさわしい上物で頼む。予算に糸目はつけん。家の服飾師には黒の三つ揃えと騎士服を頼むので問題ない。他にもこれは似合うと思える服があれば、追加してくれてかまわん。屋敷でくつろぐ服も要ろう。ああ、似合いの小物も一式でな」
「ありがとうございます、ベルニージ様!」
「いえ、必要な服は自分で揃えますので――」
「ヨナス、儂は、孫には服に関する口答えを許さん主義でな」
どんな主義なのかと言いたくなるが、あまりに楽しそうなベルニージに口を閉じたままにする。
周囲もどうやら同じらしい。皆、目が笑っている。
「ヨナス先生、十日だけでも家族なので、家族割で目一杯割り引いて、素敵なお洋服を作りますね!」
「あ、ありがとうございます……」
底抜けに明るい服飾師に、ヨナスが完全に呑まれた。
「それならルチア先生、話を進めてもかまわんか?」
「はい、これからすぐ家に行って話してきます。あ、ヨナス先生、サイズは服飾ギルドでわかりますが、お変わりはありませんか?」
「ございません……」
「わかりました。似合いそうなお洋服もたくさん集めておきますね!」
ルチアはいい笑顔を浮かべ、スキップしかねない足取りで部屋を出て行った。
その背を無言で見送っていたヨナスが、くるりと自分に向き直る。
「ダリヤ先生、普通は何枚ほど試着するものでしょうか? 私は男ですし、女性と違って、そう時間はかからないかと思うのですが……」
「ヨナス先生、相手はルチアです……」
自分でもわかるほど低い声が出た。
ヨナスが警戒するように、その赤錆の目を細める。
「私が着せ替えになったときは、持っている服を一枚残らず徹夜で試しました」
「着せ替えで徹夜か、ルチア先生は研究熱心なのだな。流石、若くして服飾魔導工房長になる逸材よ」
ベルニージが深くうなずく。
ダリヤの横、ヴォルフがこらえきれぬ咳をしていた。
「ダリヤ先生、それは、完全に朝までですか? 朝方ということではなく?」
「正確には翌日の午前のお茶の時間まで続けてです。上はそのままで下だけ替えるとか、タイやマフラーなどを合わせるとか、靴の組み合わせとか、それもあるので……かなり時間はかかると思います」
「いや、しかし、男の私を飾る楽しみがあるとは思えぬのですが?」
ヨナスはどうしても認めたくないらしい。
しかし、相手はルチア。
筋金入り、いや、内にミスリル棒が入っているような服飾師である。
「男女は関係ないと思います。いえ、むしろルチアなら、なかなかない機会に大喜びするんじゃないかと……」
自分の答えに対し、ヨナスの表情が険しくなっていく。
その隣、ベルニージは涼やかな表情で紅茶を飲んでいる。
これに関して、未来の孫に助け船を出す気はないらしい。
「しかし、それほど服はそろえられるものでしょうか? サイズのこともありますし……」
「ヨナス先生、服飾ギルドには貸衣装もあると聞いています。ルチア先生は服飾魔導工房長ですから、枚数はそろえられるのではないかと……」
「ルチアのことなので、丸一日、それを組み合わせることになるかと……」
「……くぅぅ」
トカゲを絞めたような、微妙な鳴き声が聞こえた。
きっと気のせいだ。
「ダリヤ先生……ヴォルフ……」
ヨナスがうるりとした目で自分達をみつめる。
彼が助けを求めるような目をすることにとても驚いたが、その悲惨さに振り切れない。
「ヨ、ヨナス先生、一日だけ、数時間だけですから!」
なぐさめにならないフォローをヴォルフが入れた。
ルチアの親しき友であるダリヤは、必死に考える。
「ええと……他に貴族の方に同席を頼めば、いくらルチアでも少しは自重するんじゃないでしょうか? ……ほんの少しだけかもしれませんが……」
「わかりました!」
いつも冷静な彼が、ひどくほっとした顔でうなずいた。
この後、ヨナスはグイードにルチアの家を中家とする報告と共に、試着の件について相談する。
結果、ルチアが女性であることを理由とし、試着の際は貴族男性の立会人を頼むこととした。
そして、その依頼は、服飾ギルド長であるフォルトへ手紙で伝えられた。
グイードとヨナスの誤算は、フォルト自身が仕事を休んで引き受けるとは考えなかったことだ。
ルチアにフォルト、この二人の服飾師。
抑止力は一切なく、相乗効果だけだとヨナスが思い知るのは、当日のことである。




