356.爺の幸せ
夜空の下、ドラーツィ家の馬車が、神殿から貴族街へと向かっていた。
乗っているのは二人だけ。ベルニージとヨナスである。
移動ついでにスカルファロット家へその身を置いていこうと言うと、ヨナスは素直に受けた。
ヨナスがユーセフといる間、ベルニージはミトナと菓子を食べながら話していた。
主人が倒れたことで心労は深かろうと話を向けたが、彼は笑顔でダリヤを褒め――通り越して、麗しき女神と賛美していた。
魔物討伐部隊の黒髪の先輩には、聞かせぬ方がよさそうだ。
ヨナスがユーセフとミトナ、それぞれと何を話したのかは知らぬ。
耳となる者も置かなかった。
だが、悪い話ではなかったようだ。
馬車の魔導ランタンの下、向かいのその表情は、とてもすっきりとしていた。
もっとも、それをこれから壊すのが自分かもしれぬが――
ベルニージは指先で白い髭を整え、背筋を正す。
「ヨナス、ちと話がある」
「はい、どのようなお話でしょうか?」
即答した男が、表情を消して自分を見た。
その錆色の目を見返しながら、ベルニージは前置き無く告げる。
「お前、家の子になれ」
「はっ?」
聞き取れなかったはずはあるまいに、絶対に聞き間違えたという表情となった。
どうやら予想にはなかったらしい。
「ドラーツィ家当主である息子の養子だから、儂の『孫』という形だな。すべて今のまま、何の働きも報告もいらん。一切の紐はつけん。ほどほどの小遣いは渡す。月に一度か二度、ドラーツィ家に帰ってくるだけでかまわん」
「――護衛騎士のマルチェラを引き連れて、ですね?」
察しの良さはなかなかだ。じつに先が楽しみな男である。
「そうしてもらいたい。当主継承権なしで、家の財を分け与えることもできんが、儂が死んだら多少の金銭は譲ろう。養子となった時点で、足の速い八本脚馬と馬具、騎士に必要な物一式、支度金は渡す。ああ、剣はかぶるからいらんな」
「頂いた物は時をずらし、すべてマルチェラに贈ればよろしいでしょうか?」
「いや、マルチェラではなく、お前にだ。馬具と鎧、服、すべてにドラーツィ家の紋章を入れる。うっとうしい羽虫除けぐらいにはなろう」
「それは――もったいないお話です。私にお返しができるとはとても思えませぬが」
言葉と裏腹に、受けることはないであろうと踏んでいる。
即座に代価を確かめ、裏を読もうとするのはまさに貴族男子らしい。
「お前が養子となったら、我が家より派閥全家に通達しよう。『息子ヨナスと、その上司であるスカルファロット侯、そして義父のハルダード商会に手を出すな』と」
「どなたかが、グイード様とユーセフ様を狙っていると?」
「今のところ聞いておらん。だが、我が家が先に釘を刺せば、うちの派閥で表立って狙える家も嫌がらせができる家もそうはない。それに、ドラーツィ家とスカルファロット家、派閥違いの侯爵家の二人がそろう場に手を出すのは、なかなか骨が折れよう。今よりだいぶ気楽になるぞ」
「――名誉あるお話をありがとうございます。グイード様に相談の上、お返事申し上げます」
予測通りの対応だ。
何より主を優先させる、それは従者としてはすばらしい。
だが、この男の根は従者ではない、絶対に騎士だ。
黒塗りの暗器より、その赤い剣がはるかに似合う。
「いいや、その必要はない。お前はこの話を、絶対に断らん」
強く言いきった自分に、鋭い光を秘めた目が向けられた。
臨戦一歩手前のヨナスに向け、ベルニージはできる全開の笑みを向けた。
「ドラーツィ侯爵家は一族の名をもって、子息ヨナス・ドラーツィを、次期スカルファロット侯の『相談役』に推薦する。お前は魔付きのまま、いかなる場でもグイードの隣に立てる。今よりはるかに強き守りとなろう」
「っ!」
いつも冷静なヨナスが、驚きと喜びに面を大きく崩し――
してやられた、という表情となった。
ああ、この表情が見たかった!
なかなかに若者らしく、まだまだ、かわいいではないか。
今までありがたくも振り回してくれた分、この男になんとしても返したかった。
この後ろにいるグイードも、きっと似た表情をするだろう。
見られぬのは残念だが、そう考えるだけで楽しい。
後輩の魔物討伐部隊員達だけではない。
スカルファロット家にも負けるわけにはいかぬのだ。
マルチェラとより近しくあるには、ヨナス、スカルファロット家を通す必要がある。
そして、マルチェラ一家を守るには、スカルファロット家の力が欠かせない。
己のドラーツィ家を考えても、グイードの率いるスカルファロット家、そしてそこに近しいロセッティ商会、二つのつながりはいずれ大きな力となる。
いいや、描いた筋書きはそれでも、自分には建前か。
一族の他、ダリヤにヨナス、そして、ルチア達、魔物討伐部隊――世話になり、つながった者達すべて、残りの人生をかけて守っていきたい。それだけだ。
「ありがたくお受け致します。よろしくお願い致します、ベルニージ様」
予想通りの返事と、深い一礼が返ってきた。
「何よりだ、ヨナス。早急に手続きを進めよう」
妻と練りに練った策は、今、この手に成った。
ヨナスを養子とし、魔付きのままでスカルファロット家の相談役に推薦する――
それは前侯爵の自分をもってしても、大仕事だった。
ヨナスの母がイシュラナの奴隷であったこと、魔付きへの忌避、派閥の違い、そんな反対理由をヨナスの有能さと価値、スカルファロット家との関係の重要性を説いてつぶし回り、少々の無理も通した。
そうして、息子達、一族、関係者を絡めて説得し、ようやくにまとめた。
その間にヨナスを他家に獲られてはならぬ、横槍も入れさせぬと、妻が久しぶりにテーブルに手紙の高山を作っていた。
派閥違いは生徒に任せたと言われたが、そのやりとりは聞いていない。
しかし、結果がこれなのだから、妻には惚れ直すばかりである。
侯爵当主の座はとうに長男に譲った。
権謀術数は元々得意な方ではない。
それでも、王城の騎士、魔物討伐部隊員には復帰したのだ。
面倒だと思えるばかりだった貴族社会に復帰するのも、そう悪くない。
ヨナスがマルチェラと会わせてくれたあの日、自分は妻と朝まで語り合った。
夫婦二人、強欲で老獪な貴族を目指すのも面白い。
残り時間がある限り、守りたい者達へ、互いの腕を思いきり伸ばそうではないか――
そう、悪い笑顔で誓い合った。
「ここまでして頂くのです。私からベルニージ様への代価が不足では?」
整え直した表情を向け、ヨナスが自分に問う。
無表情の裏、精一杯さが透けて見えるようになったこの男――
我が孫として、なかなかに鍛え甲斐がありそうだ。
まったく、長生きはしてみるものである。
「充分だ。かわいい孫を育てるのは、この爺の幸せだからな」
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