353.知らせと見舞い
「グイード・スカルファロット様へ、神官よりお伝えがあって参りました!」
王城魔導師棟、ヨナスがグイードの執務室で書類を確認していると、使者がやってきた。
赤い布を肩から斜めにかけた使者は、神殿や神官の連絡を預かった者だ。
生死に関わることや緊急の用向きが多いため、王城内でも駆けることを許されている。
家族か、それとも関係者に何かあったか――室内は強い緊張に包まれた。
「この場で伺おう」
「ユーセフ・ハルダード会長が商業ギルドで『頭詰まり』で倒れ、治癒の後、神殿へ。お命に別状はなく、お話も問題ない状態とのこと。以上、エラルド神官よりのお伝えです」
「『頭詰まり』とは、また……助かって本当によかった」
身内のことのように表情を緩めたグイードが、ヨナスに青の視線を向ける。
「ご連絡をありがとうございます」
ヨナスは使者へ無表情に挨拶をし、銀貨を手渡す。知らせてくれた礼である。
使者は一礼すると、すぐ部屋を出て行った。
執務室にいるのはヨナスの他、グイード、そして彼の部下の魔導師が二人だ。
三人の視線は、少し迷いつつも一人に向いていた。
「命に別状はないとのことだけれど、やはり気になるね。ヨナス、神殿に行ってきたらどうだい?」
「かえって邪魔になるかと。いずれ日を改めて――」
言いかけた言葉に、ノックの音が重なった。
追加の使者かと身構えつつ入室を了承すると、白髪白髭の男が入ってきた。
「ヨナス、グイード殿、ハルダード会長の知らせは届いたか?」
入ってくるなり用件を切り出したのは、ベルニージである。
魔物討伐部隊の鎧姿で、その白髪が汗にぬれている。鍛錬の途中だったのだろう。
「はい、今、伺いました」
「儂はこれから神殿へ行くが、スカルファロット武具工房として、ヨナスと共に見舞っておく方がよいだろう、グイード殿?」
「お願いします。ベルニージ様」
「いえ、本日はまだ仕事が――」
「ヨナス、行きなさい。こちらは問題はない」
断りの言葉は言い終えぬうち、主に折られた。
そうして流されるがまま、ベルニージと共に神殿へ行くことになった。
・・・・・・・
ヨナスは従者服から騎士服に着替える。
ベルニージは鎧から黒の三つ揃えに着替えていた。賓客を相手にするような装いに、少々驚く。
そうして共にやってきた神殿、馬車の降り場ではミトナが待っていた。
どうやら、ベルニージが先触れを出していたらしい。
「ベルニージ様、ヨナス様、お見舞いにいらして頂き、ありがとうございます! ご案内致します」
曇りない笑顔の青年に、ユーセフの回復を確信する。
これならば心配いらぬであろう――ヨナスの脳裏、長らく会っていない母の笑顔が浮かんだ。
ミトナの案内で、神殿の病棟へと進む。
途中、早足の神官や目を赤くした者達とすれ違った。
薬品の匂いに混じり、血の匂いも漂う。
ドアの開け閉めに漏れ聞こえるのは、神官や医師の言葉と、安堵の声、そして、泣き声。
どうにも落ち着かぬものを感じながら、病棟の奥、一つの個室に向かった。
ドアの前、イシュラナらしい長衣の装いの者が二人、待機していた。おそらくユーセフの護衛なのだろう。
目礼され、中に入る。
瞬間、ミトナの気配が逆立った。
「ユーセフ様っ! なぜ書類など読んでおられるのですか!」
部屋の中央のベッドには、横になったユーセフ、その近くには椅子に腰掛けたエラルドがいた。
ユーセフは寝たまま、両手で持った書類を読んでいる。
「大丈夫。暇だった」
イシュラナ語で叫んだミトナに対し、ユーセフが苦笑しながら答える。
その声が終わらぬうちに、書類はしっかり取り上げられていた。
「ハルダード会長、お見舞い申し上げます。こちらはスカルファロット武具工房よりの目録です。お受け取りください」
「ハルダード会長、横になったままで結構ですぞ」
ベルニージが起き上がろうとするハルダードを止めてくれる。
ミトナに目録を渡すと、ユーセフと共に礼を言われた。
目録の中身は寝具――イエロースライムの粉からできた衝撃吸収材のマット、身体に絶妙に添う『砂丘泡』のクッション、そして、首長大鳥の羽根を入れた軽く暖かい上掛けである。
自分が騎士服に着替えている間に、グイードが手配してくれていた。
じつはヨナスの自室にある一式とほぼ同じなのだが、説明をするつもりはない。
「ハルダード会長、お加減はいかがですかな?」
「問題なく。オルディネ、酒、うまい、飲み過ぎかも」
横になったまま、それでも軽口を叩ける余裕はあるらしい。
ヨナスもつい、その勢いに合わせて返してしまった。
「ご無事で何よりです。イシュラナにお戻りになったら、母に叱られてください」
「……ナジャー、本気で怒る、とても怖い……」
真顔で低く返されたそれに、自分も内で同意する。
普段、物腰柔らかな母は、怒ることは少なかった。
しかし、怒るときには両肩を腕できっちりつかまれ、至近距離で目を合わせ、双方納得がいくまでぎちぎちにやられた。それを久々に思い出し、つい口角が上がる。
「あきらめてください」
「怒られて当たり前です」
ミトナと同時に声が出てしまった。
横のエラルドが耐えきれなかったようで、くつくつと笑い出す。
「エラルド様、お知らせと――治療をありがとうございます」
一拍迷ったが、ユーセフは母の夫である。
自分が礼を言うのはおかしくないだろう、そう思って声をかける。
「お力になれたことをうれしく思います」
エラルドに、まだ笑いの消えぬ声で答えられた。
それにしても、ユーセフは大商人とはいえ、よくエラルド――この銀襟の高位神官を呼べたものだ。
通常、高位貴族でなければ彼を呼びつけるのは難しい。
グイードとて、上に願って、マルチェラの妻へ完全治癒魔法をかけてもらったのだ。
「商業ギルドへエラルドを呼んだのは、ジェッダ殿か?」
「いいえ、ダリヤ先生です。ちょうど神殿に戻ったとき、『ロセッティ会長の急ぎのご依頼』と伺ったので」
「ダリヤ先生、ですか?」
なぜ、ここでその名前が出てくるのか、思わずエラルドに聞き返してしまう。
だが、その先を説明したのはミトナだった。
「ユーセフ様が倒れたとき、たまたま商業ギルドのロセッティ商会のお部屋におりました。そこで、ロセッティ会長が動かさないよう、すぐ医者と神官を呼ぶようにと、ご自身の名で手配してくださいました。すべてを見越していらしたのかと――本当に、救いの女神のようなお方です」
思い出しているのか、ミトナが黒い目を深くする。
その声にこがれが入っているのではないかと錯覚するほどだ。
赤髪の魔導具師は、またしても人を救いあげたらしい。
もっとも、あのダリヤ先生のことだ。自覚なさっていないような気がひしひしとする。
自分も魔物討伐部隊の相談役として男爵位を受ける、その借りを返せていないのだが――それさえ覚えてもらっているものか怪しいところだ。
「ダリヤ先生は、ユーセフ殿が頭詰まりだと、よくわかったものだな」
「お父上が、商業ギルドで倒れられたと伺いました」
倒れたユーセフに己の亡くした父を重ねたのだろうか。
それでも、これは類いまれなる幸運だ。
高位貴族でも頭詰まり、心臓止まりで亡くなることは多い。神官が間に合わぬ、治療ができぬこともあるのだ。
他国の商人であるユーセフは、運がよかったとしか言いようがない。
「エラルド様、本当にありがとうございました。王都支店の者が間もなく御礼を持って参りますので」
「お心だけ頂いておきます。神官は、個人的な御礼を受け取れないのです」
「そうでしたか。では、神殿へ『白金貨』を寄進致します」
『白金貨』の単語に、思わず目が細くなった。
流石、ハルダード大商会と言うべきか、会長の命の値は高く見積もったらしい。
だが、エラルドは笑顔で首を横に振った。
「おやめください。うちの神官が、こぞってイシュラナへ引っ越してしまいます」
「しかし、それでは正当なお返しが……」
「きちんと、代価、払う」
「お気持ちはうれしく思いますが、すでに治療費は頂きましたし、他の治療者との兼ね合いもありますから」
「しかし――」
ミトナもユーセフも不満そうだ。
イシュラナの民は大変恩義に厚いと聞くが、どうやら本当らしい。
「ああ、では、寄進は馬車の内装変更をお願いできませんか? ここにユーセフ様を運んだ馬車の内装ですと、病人を運ぶのに良いので」
「もちろんです。どちらへ依頼すればよろしいでしょうか?」
「ロセッティ商会のイヴァーノ殿へご相談ください。ああ、思い出しました! もしお願いできますならば、来てくださった医師に隣国エリルキアの最新の医学書を一式お願いできませんか? なかなか入手できぬとお悩みでしたので」
「わかりました、すぐに手配致します」
神殿にロセッティ商会に医師――エラルドの見事なつなぎに、舌を巻いた。
銀襟の高位神官はこういったこともお得意なのかもしれない。
「では、神殿から出られましたなら、祝いの場を設け――」
ベルニージが笑顔でそう言いかけたとき、エラルドが咳をした。
それまでの軽さが不意に失せ、緑琥珀の目に冷えた光が宿る。
思わず身構えたのは、自分だけではなかろう。ベルニージも言葉を続けはしなかった。
「ハルダード会長、お身体のことを考え、今後はお酒を控え――長旅も避けられた方がよろしいかと」
「エラルド様、それは再発がありえると?」
「ないとは申し上げられません。お薬を飲み続けて頂ければ、可能性は下がると思います。しかし、酒、ワイバーンでの高所の移動、長時間の馬車の揺れなどは、できるだけ避けた方がいいでしょう。それと、長旅はどうしても身体に負担がかかります。こちらでしっかり休み、帰国の際も充分ご注意ください」
長旅を避けろということは、イシュラナへの帰国も大変ではあるが、次にオルディネに来るのは難しいということで――
二年に一度、白状すれば面倒にも思えたユーセフの挨拶がなくなる。
ただそれだけのことなのに、妙な引っかかりを覚えた。
ミトナがイシュラナ語で訳し終えると、ユーセフが黒い目を閉じた。
長く吐かれた息の後、そのまなざしは自分だけに向いた。
「ヨナス、短い、時間を。話したい」
「わかりました」
断る選択肢は己になく――ただうなずくしかなかった。
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