327.タラ鍋と大根おろし
「ダリヤ、これ、隊から。牙鹿の牙とモモ肉」
間もなく夕暮れ、緑の塔へヴォルフがやってきた。
腕には小さめの魔封箱と、大きな木箱をかかえている。
牙の入った魔封箱は一階作業場の棚に、モモ肉と野菜、そしてワインの入った木箱は二階へと運ばれた。
「牙鹿の討伐はどうでした?」
台所で鍋を火にかけ、野菜を二人で切りつつ話を始める。
「ルチアさんの作ってくれた擬態着を着たんだけど、クッションリスは観察されて、赤熊と黒狼からは逃げられた。魔物によっては追い込みに使えそうだから、足の速い隊員が次から試してみることになったよ」
「よかったです。これからの討伐に役立つといいですね」
「ただ、森大蛇の擬態着を着たドリノは、牙鹿に追いかけられてた」
「牙鹿って、森大蛇を食べるんですか? それとも、変異種です?」
魔物図鑑では草食と書かれていたが、もしや今回の牙鹿は変異した、雑食なのだろうか。
「いや、変異種ではなかったらしい。それに、討伐の牙鹿って雑食の方が多いんだ。だから、もしかしたら狙うのかもしれない。ドリノが森大蛇の擬態着を脱いでから、ベルニージ様が着たんだけど、やっぱり追いかけられたから」
「ベルニージ様が……」
前侯爵当主が何をやっておられるのか。
今回は新人騎士の演習も兼ねているとは聞いたが、新人らしさが欠片も想像できない。
だが、魔導義足が好調なのだけはわかった。
しかし、そこまでして牙鹿が追うというのは、相当なものがあるのだろう。
「もしかして、牙鹿は森大蛇に恨みがあるのでは?」
レタスをむしっていたヴォルフの手が、ぴたりと止まった。
「ありそうだね。群れが森大蛇に襲われたとか、縄張りを奪われたとか――でも、それを言ったら、うちの隊の方が魔物から恨まれるよね。小鬼の新天地を滅したり、大蛙の楽園を襲ったりしているわけだから」
「それを言ったら、私は数多くのスライムの安寧を脅かしているわけですが?」
「うん、俺達二人とも魔物討伐部隊だから、魔物に恨まれて当然だね」
ヴォルフはそう言うと、ぺりぺりとレタスをむしる作業に戻った。
一方、ダリヤは冷蔵庫に向かいつつ、彼の言葉を反芻する。
『俺達二人とも魔物討伐部隊だから』――ヴォルフは当たり前のようにそう言ってくれた。
確かに自分は魔物討伐部隊の相談役だけれど、戦いに加われるわけでも、常の遠征を手伝えるわけでもない。
それでも、仲間として一緒に考えてもらえるのは、素直にうれしかった。
そうして、料理を仕上げると、火のほどよく通った鍋と共に居間に移る。
遠征用コンロの上に載るのは、いつもより一回り大きめの浅鍋だ。野菜が多めなのでこちらを選んだ。
そっと蓋を開けると、湯気の向こう、不思議そうに言われた。
「今日の鍋は全体的に白いね」
「タラ鍋です。これに大根おろしをかけて食べます。あと、好みでお醤油とショウガや唐辛子をどうぞ」
白いタラの切り身を入れた鍋は、その下に白菜とネギ、そして、クセの少ないキノコをふんだんに入れている。このため、見た目が確かに白い。
鍋の横には、ヴォルフにすりおろしてもらった山盛りの大根おろし。それと合わせて食べる形だ。
「この東酒はグラート隊長から頂きました。ジルド様と最近飲んでいるんだそうです」
王城からの帰り際、イヴァーノが受け取ってきた。
薄白い瓶に入った酒の名は『雪姫』というのだそうだ。
白地に薄青で描かれたラベルは、とても東ノ国らしいものだった。
それを互いの錫のぐい呑みにそっと注ぎ合う。
にごりのある酒は、やはり雪を思わせ――テーブル上はさらに白さを増した。
「遠征お疲れ様でした。明日からの幸運を祈って、乾杯」
「お互いの健康と幸運を祈って、乾杯」
錫のぐい呑みをかちりと当て合い、そのまま口元に運ぶ。
やわらかな酒の味がふうわりと広がり、クセなくするりと喉に通る。喉奥へと落ちた後、どこか果物を思わせる甘い香りが鼻に抜けた。
そして、酒の味も香りも、波がひくようにすうと薄らいでいく。
確かに雪を思わせる、はかなくもきれいな味の酒である。
「なんて言うんだろう? 甘めなのに後味の消えが早くて……確かに雪っぽいね」
ヴォルフの口にも合ったらしい。
すぐに追加を注いだ後、タラ鍋に向かうことにした。
深皿にタラと野菜を盛りつけると、湯気で視界が白くなる。
「タラは塩みが効いているので、ここに大根おろしとお醤油を少しかけて食べます」
「ダリヤ、その黒いのをかけるの?」
大根おろしに醤油をかけると、ヴォルフが不思議そうに手元を見ていた。
「ええと、鍋の味付けは好みなので。苦手でしたら、ショウガも合いますよ」
「いや、ダリヤが作って勧めてくれたものは全部おいしいから、絶対大丈夫!」
その深くおかしい信頼をやめて頂きたい。人には好き嫌いがあるのだ。
だが、さらにガラス瓶に入れた醤油をじっと見つめる彼に、あきらめて先に食べることにした。
タラの白い身の上、大根おろしを多めに置き、上には醤油。
箸で持ち上げて一口にいけば、熱さとタラのうまみ、大根おろしの冷たさと辛さが上下にくる。
はふはふと口を動かして噛み始めれば、塩みと辛みがちょうどよく混じり合った。
続く白菜とネギも、タラのうまみを吸っていい味になっている。
魔物討伐部隊からもらった東ノ国の調味料――そのうちの一つがこの醤油である。
前世のものよりも塩辛く、きつさを感じる醤油だが、こうして鍋に使うにはむしろ向いているのではないかと思えた。
ゆっくり味わった後、向かいのヴォルフを見れば、深皿はすでにカラに近かった。
「タラと大根おろしと醤油って、こんなに合うんだ……どうして今までこの料理が出回ってないんだろうか……?」
黄金の目を潤ませながら、悲しげに言わないで頂きたい。
醤油が手に入ったのは、つい最近である。
オルディネ王国と東ノ国に交易はあるが、魔物がうようよいる海を越えねばならぬのだ。
魔物の被害は度々あり、速度の出る帆船で風魔法を使う魔導師か風の魔石を使わなければ越えられない。
そのため、積み荷は高価な薬草や絹、宝石が中心、調味料や日用品はまだ少ない――イヴァーノからそう聞いている。
「ヴォルフ、お代わりをよそいますね」
「ありがとう。俺は追加の大根おろしをすってきてもいいだろうか?」
「お願いします」
大根おろしはまだあるが、やはりたっぷりかけて食べたいのだろう。
笑顔で立ち上がったヴォルフに、ふと思いついた。
辛みのあるものも好きな彼に、ぜひ食べさせてみたい味がある。
「ヴォルフ、大根おろしには、『紅葉おろし』というのがありまして」
「紅葉おろし……? 紅葉って、どうやっておろすの?」
その後、紅葉おろしの実演――大根に穴を開け、唐辛子を入れてすりおろした。
淡く赤のにじむもみじおろしは、ヴォルフの口にとても合ったらしい。
タラ鍋は、すべてきれいに完食された。




