317.友の来る家
(※すみません、品がありません)
「どうぞ、ドリノ!」
「えっと……お邪魔します……」
ドリノは困惑を抑え込みつつ、ヴォルフの部屋に足を踏み入れた。
冬祭りから新年にかけての待機が終わり、休みになって二日目。
ドリノは羊の漬け込み肉の平樽を二つ持ち、スカルファロット家の別邸にやってきた。
ヴォルフが以前に食べ、気に入ってくれたらしい羊の漬け込み肉。
兄とヨナス先生のために購入したいとのことで、二つ返事で受けた。
硬めの羊肉を塩と香辛料に漬け込んだ庶民の味が、ヨナス先生達の口に合うか、少々気になるところだ。
なお、食堂を営む父に『隊の友達のところへ持って行く』と言ったところ、無言で平樽が一つ増やされた。
馬車でスカルファロット家の別邸前に来て、ドリノは思わず固まった。
屋敷は真っ白な壁に青い屋根の三階建て。やたら大きい上に広い。
ドリノの実家の食堂がいくつ入るのか、これで別邸というのだから理解しがたい。
なんとか門番に挨拶し、使用人に羊肉の平樽を渡して帰ろう――そう思っていたところ、平樽は預かってもらえたが、そのまま中に通された。
どうしていいかわからずにいると、いい笑顔のヴォルフが駆け出てきた。
そのまま彼の部屋に案内され、足を踏み入れたのが今である。
ドリノは普段着で来たことを深く後悔した。新年でおろしたてなのがせめてもの救いだが。
「ドリノ、えっと、コーヒーでよかった? なんなら紅茶でもエールでも好きなものを――」
「いや、コーヒーがいい」
テーブルの上には、湯気の上がるコーヒーが二つ。
それと共に、マフィンにプリンにクラッカーと、おいしそうな軽食が並べられている。
このまま数人で茶会や飲み会に変更できそうな量だ。
ヴォルフがここまで楽しげなのは、もしや、ダリヤを待っているのではないか。
このままでは邪魔になるかもしれない。早めに退散を――そう思いつつ、声をかける。
「ヴォルフ、これから誰か来るのか? ダリヤさんとか」
「いや、誰もこないよ。ランドルフも呼ぼうかと思ったんだけど、今日は牧場に馬を見に行くって」
斜め向かいに座った友は、答えながら笑顔でチーズマフィンを勧めてきた。
それは自分の好物で――ブラックペッパーまぶしのクラッカー、焦がしカラメルのプリン、テーブルの上、すべてが自分の好物であることに、ドリノはようやく理解する。
日取りと共に羊肉の平樽を届けると告げた自分に、ヴォルフは『家に来てくれ』と言った。
ドリノは、自分がスカルファロット家に届ければいいのだと受け取った。
だが、あれはヴォルフが『自分の家に呼んだ』という意味で――
ここまで気づかなかった自分の頭をひっぱたきたくなった。
ドリノは椅子の上で姿勢を崩すと、勧められたマフィンを遠慮なく大口で食べる。
甘さ控えめ、いいバターとチーズをたっぷり使われた焼き立てのそれは、とてもおいしかった。
「めちゃめちゃうまいな、このマフィン!」
「よかった! 俺も好きなんだ」
友が、少年のような表情で笑っていた。
軽食を二人で食べつつ、話は当たり前のようにベルニージ達のこととなった。
新年早々来るなとか、攻撃がえげつなさすぎるとか、少しは老体を労れとか、兵舎では話しづらい愚痴も吐き合えた。
ちなみに、その大先輩の新人方も完全に休みをとらされている。
四日目に出てきたグラート隊長が、『身体を休めるのも仕事だ。どうしても隊の仕事がしたいなら、書類仕事を手伝え』と言ったら、老眼を理由に即帰宅したという。
流石、グラート隊長だと言い合った。
話の区切り、ドリノはなんとはなしに部屋を見渡す。
それなりに広い部屋、高そうなテーブルに椅子。
奥には勉強用か、机と椅子と、なかなかに豪華な本棚が見えた。
「ヴォルフって、やっぱり勉強してるんだな。魔物図鑑にエリルキアの辞書、歴史本か……」
豪華な本棚、一番上の飾り棚に目がいった。
図鑑に辞書、そして厚めの豪華本が並んでいる。
下は扉付きの棚らしい。
ヴォルフは家でどんな本を読むのだろうか、ふと興味がわいた。
「あの本棚って、下は?」
「あ……ええと、本が、入ってる……」
「本棚に他に何を入れるんだよ?」
本の中身について尋ねているのだが、目をそらす友に察した。
「あー、姿絵か」
「なななんでっ?!」
こんなわかりやすい成人男性が世の中にいるだろうか?
いや、目の前にいるが。
初等学院の学生以下の隠蔽度である。
「お前、顔にはっきり出すぎ。姿絵の束ぐらいどうってことねえだろ。さて――友人のよしみで見せてくれ」
「なんでそこで、友人のよしみなの?」
「んじゃ、仲間の情け」
思いきり笑顔で言うと、ヴォルフは苦笑しつつも、扉を開けてくれた。
一段、二段、三段――並べられた大きめの本は、どうやらすべて姿絵らしい。
一応断って段ごとに何冊か開かせてもらったが、見事なまでの脚線美が並んでいた。
目の保養にはなるが、女性の好みが胸派の己としては、少々残念でもあり――いや、それよりもちょっと気になることがある。
「なあ、ヴォルフ……お前、もしかして、実体より絵に魅力を感じる方?」
「いや、違うけど! これは、その……とある方の遺産で」
「遺産? 貴族って姿絵を代々継ぐもんなのか?」
「いや、そういうわけではないんだけど……」
「あ、派閥の遺産か」
これは歴代のスカルファロット家、腰派の財産なのかもしれない。
趣味嗜好は家族で似やすいと言うし、今まで疎遠だった父親や兄から贈られたなどもありえる。
物が物だし、くわしく尋ねるのは無粋だろう。
答えに苦慮する友人に、ドリノは質問を打ち切った。
「次、遊びに来るときは、ランドルフも一緒でいいか?」
「もちろん! ランドルフも来てくれるなら、甘い物をたくさん準備しておかないと……」
「俺は真面目にあいつの虫歯が心配なんだが……」
笑いながら話に戻り、気がつけば日差しがだいぶ傾いていた。
ノックの音にヴォルフが了承すると、ドアを開けたのはヨナスだった。
「ヴォルフ様、ご来客とのことですが、本日はいかがなさいますか?」
「ヨナス先生、お世話になっております。俺はそろそろ帰りますので。ヴォルフ、用事があるんだろ?」
立ち上がってヨナスに礼をする。
思わぬほどゆっくりしてしまった、そう思いつつ尋ねると、ヴォルフが意外な言葉を告げた。
「これから、ヨナス先生に稽古をつけてもらう予定なんだ」
「あの! 迷惑でなかったら、見学させてもらえませんか?」
「私はかまいませんが……」
思わず言ってしまったが、断られなかった。
その代わりのように、ヨナスの錆色の視線が、横にずれる。
そのとき、廊下にもう一人いることにやっと気がついた。
「ようこそ、バーティ君。ヴォルフのところに遊びに来てくれたそうだね」
「お邪魔しております」
ドリノは再度深く頭を下げた。
ヨナスの隣にいたのはヴォルフの兄――グイード・スカルファロット次期侯爵である。
正直、いきなりすぎて心臓に悪い。
「ヨナス、今日の訓練なら一人増えてもかまわないだろう? どうだね、バーティ君、話の種に参加してみては?」
ヨナスの返事を待たぬうち、グイードが自分に誘いをかける。
その顔は整った笑みを浮かべているが、青の目は自分を観察している気がした。
「光栄です。ぜひお願いします」