304.魔物愛好店と緑冠のソテー
(魔物料理前編:苦手な方はご注意ください)
貴族街の一角、四階建てのレストラン――看板さえ出ていないので、外側からはわからないのだが、そこへ到着し、ヴォルフのエスコートで馬車を降りた。
アイボリーのきれいな煉瓦で組まれた建物は、とてもお洒落な感じがする。
「ここの三階と四階が、魔物料理の専門店で『魔物愛好店』」
「……魔物が聞いたら泣きますね……」
「うん、俺も最初に来たときはどうかと思った……」
魔物を愛好――ただし、可食部分に限る。
いや、確かに魔物を食材としているので、それが好きであれば表現的におかしくはないのかもしれない。食肉でも『鶏が好き』『豚が好み』といった言い方はするのだから。
そんなことを考えつつ、ヴォルフに続いて建物に入る。
濃茶の制服の店員に案内され、入り口から四階へと上がった。
案内されたのは茶系を基本とした落ち着いた個室――とはいっても、庶民のダリヤには広く感じられる部屋だ。
大きめの丸テーブルをはさんだら、ちょっと会話も大変そうかもしれない、そう思ったら、テーブルのセッティングは隣にしてあった。金色のカトラリーがちょっとまぶしい。
あと、グラスが一人分につき五つ並んでいるのが気になる。
店員がグラスにそっと氷を落とし、薔薇色の飲み物を小量注いでくれた。
そして、これから料理をお持ちします、と言って部屋を出て行く。
二人となった部屋で、ヴォルフは妖精結晶の眼鏡を外した。
「魔物愛好店はほとんどが個室なんだって。料理によっては、少し匂いがきついからって。俺からすると、干物を焼いたときほどじゃなかったけど」
それは比較していいものなのか、干物がすでにヴォルフの食生活に定着している気がする。
なお、魔物討伐部隊員にも完全に定着しているが、今はそこまで考えが及ばなかった。
「ヴォルフ、乾杯します?」
グラスの底、指二本分の薔薇色を見つつそう言うと、ヴォルフがその黄金の目を細める。
「ああ、そうしよう。あまりおいしくない、解毒剤だけど」
「解毒剤……」
「毒消しが足りないときに備えてらしい。二人とも対策はしてきているけど、念の為に飲もう」
微妙な思いになりつつ、健康と幸運を祈りつつ乾杯した。
薔薇色の解毒剤は、少し甘苦く粉っぽい、風邪薬を思わせる味だ。
二つ目のグラスで少し甘い白ワインを飲んでいると、ノックが聞こえた。
「失礼します」
先ほどの男性店員が、大きめのワゴンを引いてきた。
半球の銀色の蓋を開けると、ダリヤはわぁと声を出しそうになり、そっと抑えた。
オードブルは、まるで小さな花畑のようだ。
白い皿の上、白、赤、黄色の薔薇を模ったハムとチーズ、そして葉のように飾られた野菜が並ぶ。
「こちらのハムは魔羊、紅牛、そして、角兎にサフランで色づけしたものです」
魔物料理ということで構えていたが、どれも食べやすそうである。ヴォルフと共に口にした。
魔羊はちょっと癖があるが、味はいい。
紅牛はそのまま牛のハムっぽく、角兎はサフランのせいか生臭さがまったくなく、風味と味わいが際立っていた。
チーズも通常のものと紅牛のものがあったが、どちらも濃厚だった。
「紅牛は、王都で出すお店が増えましたね」
「はい、秋から輸入量が増えましたので。隣国ではさらに紅牛牧場が増える予定だそうです」
ヴォルフの言葉に店員が笑顔で答えている。
店員は隣国の出身で、親戚が牧場を経営しているという。
ちなみに、紅牛は身体強化魔法が使えるので、柵は金属製、世話をする者達も防具は欠かせないそうだ。
流石、魔物である。
「森大蛇の干し身と、干しキノコのスープです。滋養強壮に大変よく、疲労感がとれ、活力が増すと言われております」
店員が説明の後、目の前のテーブルに湯気の立つスープ皿が置かれた。
『緑の王』と呼ばれる森大蛇、そして香り高い森のキノコ。
キノコの豊かな風合いに、わずかに白身魚を思わせる香りが混ざっている。
説明からすると、疲れを取る効果が高そうだ。
『緑の王』のスープ――頭の中をずるずると這っていく緑色の蛇に関する想像をうち捨て、ダリヤはスプーンですくった。
透明度のある薄茶のスープは、鶏とも魚とも言い難い味と、キノコの香りの良さ、味に深みがあって大変においしい。
後味に生臭さもえぐみも一切ないのは、下ごしらえか調理の工夫なのだろう。
ヴォルフは途中まで普通に食べていたが、半分でスプーンを止めていた。
前にも『身体に合わない』と言っていたので、控えているのかもしれない。
もしかしたら、食べ過ぎるとかゆくなるなど、アレルギーの問題もありえる。
食後は体がとても温まり、安心する味なのだが――ヴォルフが苦手なのであれば、塔では森大蛇料理は出さぬ方がよさそうだ。
それからちょっとだけ間を空け、店員が再びワゴンを引いて来た。
半球のクローシュを開けると、思わず後ろに下がりたいものが皿の上に鎮座していた。
「漆黒蠍の焼き物でございます」
「……漆黒蠍というと……あの、一匹で千人が危ないという……」
「はい、別名を『千人殺し』とも言われております」
にこやかにお答え頂いたが、本当に大丈夫なのか。
中型の蠍は皿に飾られているだけでカラ、食べるのは真ん中にある白い身だ。
丸くボール状になっている。
思わずじっと眺めていると、横のヴォルフがささやいた。
「……蠍って可食部分は少ないよね」
待ってほしい、そこについては悩んでいない。
しかし、隣のヴォルフが迷いなく手をつけたので、ダリヤも気合いを入れ、ボール状のそれをほぐす。
わずかにフォークに載せて口に入れ――拍子抜けするほど、素直においしかった。
甘さのない海老というか、すっきりした大人味の海老である。
正直、黒胡椒をたっぷりかけて黒エールと合わせたい味わいだ。
ヴォルフが好むのがわかる気がした。
「こちらは、クラーケンのムースです」
続いて出された皿には、カリカリに焼いたミニパンと、赤茶色のムース状のものが盛られている。
「ダリヤ、これがクラーケンのムース……」
「ヴォルフが言っていたムースですね」
以前、ヴォルフが苦手だと言っていたのが、この一皿らしい。
クラーケンのムース。
赤茶色のふわふわしたムースの中、細い短冊に切られたクラーケンが混じっていた。
苦手だと言いながらも、これに関しては、ヴォルフは避けずに食べている。
ダリヤも気合いを入れて食べることにした。
「あら……?」
一瞬鼻に抜ける風合いは、磯の香り――生臭いと受け取る人もいるかもしれない。
クセがあるが、ダリヤには、これはこれでありだと思える味だ。
噛みながらようやく思い出した。これは前世の『塩辛』に近い。
もうちょっとだけ塩みが濃いと食べやすいかもしれない。
そして、これに甘い白ワインは合わない。
きりりと辛く、アルコールの味がはっきりした白ワインの方がいい。
「ヴォルフ、それに少しだけ塩を足して、次のワインを辛口で、アルコールのわかるものにしてみるといいかもしれません」
とても小さくささやいたつもりだが、テーブルから少し離れたところにいた店員が、すぐに準備してくれた。ちょっと申し訳ない。
出されたのは、ヴォルフともたまに飲む、お手頃価格の白ワイン。
きりりとした辛さで、年代は若く、アルコールの味がしっかりわかる。
焼けたミニパンの上、クラーケンのムースを載せ、少しだけ塩を足して味わう。
その後にそのワインを飲むと――臭みは上がらなかった。
「……同じなのに、おいしくなった……」
ヴォルフが不思議そうな顔をしている。
「ダリヤはクラーケンのムースは食べたことがあった?」
「いえ……イカやタコを食べたときのことを思い出しまして」
ここでいきなり前世と『塩辛』の話をするわけにはいかない。
それに、ここオルディネでは、イカやタコに関して、生臭いと苦手にする人も意外にいるのだ。塩や香辛料で味を調え、食べやすくするのは調理人の工夫になる。
「これ、東酒と合うかもしれないね」
ヴォルフがとてもいい組み合わせを思い付き、店員が『東酒』とぼそりと復唱し――クラーケンのムースは完食された。
次にワゴンを引いてきたのは、壮年の男性だった。
日に焼けた小麦色の肌に濃いオレンジの髪、一段深いこげ茶の目をしていた。
白いシェフコートを着て、長めの髪は後ろにまとめてある。
「スカルファロット様、美しいお嬢様、ご来店、ありがとうございます」
イントネーションはどことなく隣国の響きを残していた。
挨拶して知ったのは、この男性が魔物愛好店の店長だということ、そして、次の皿は彼が焼いてくれた緑冠だということだ。
白に金で飾りの入った皿の上、緑冠のソテーが白い湯気を立てている。
緑冠は鮮やかな緑で、頭に烏帽子のような長い羽がある鳥である。
魔物図鑑で見た姿は、前世の動物園で見た緑色のエボシドリとそっくりだった。
ただし、魔物なので怖いところはある。
敵から逃げるときや戦いのときは、魔法加速し、緑の矢の如く飛ぶという。その勢いは木に刺さるほどだそうだ。
「ドリノの腕に刺さった鳥か……」
「どうしてそういう怖いことを言うんですか……?」
ささやきにささやきで返し、ダリヤはあせる。
ヴォルフの隊員仲間、そして友人であるドリノに、この緑冠がぶつかって刺さった話は聞いた。
しかし、ここでその話題を蒸し返さないでほしい。
なんとか顔を整えて、ナイフを入れた。
噛んだ感じは、鶏肉のソテーに似ている。
そうジューシーでも、脂がのりまくっているというわけでもない、上質な鶏のお肉を食べた感じだ。
しかし、飲み込んだ後、はたと気づいた。
後味が違う。
木の実――近いのはアーモンドだろうか。香ばしさと甘さが遅れてふわりと鼻に抜ける。
食べてからその後がおいしいという謎に、首を傾げてしまった。
気がつけば、隣でヴォルフも指で顎を押さえている。
「食べた後においしい……風味が上がる? 違うな……」
「おいしいのですが、表現が難しいです……」
おいしいながらも表現に迷う二人に、店長は満足げな笑顔だった。
「素晴らしい一皿ですね」
「ありがとうございます。魔物のおいしさは、見た目ではわからないです。育つ地域、大きさでも変わります。だから、面白いです」
「なるほど……」
調理は難しく、まだまだ試行錯誤。だが、予測がつかない味が生まれるのが楽しいのだという。
ダリヤはとても納得した。
「まだまだ、沢山、料理したい、魔物がいます」
「料理してみたい魔物などはいますか?」
楽しげに言った店主に、ヴォルフも楽しげに尋ねた。
「はい、一番料理してみたいのは、ワイバーンです」
「ワイバーン、ですか……」
いきなりの大物である。
いや、隣国では飼っているのだから、けして夢物語ではないのだろう。
「ワイバーンの丸焼きを、いつか焼きたいです!」
「ワイバーンの丸焼き、ですか……」
「ワイバーンは皮を剥ぎ、内臓を取れば、肉は火の通りがいいです。きっとできると思うのです。いつか、大きなオーブンを準備し、オルディネ王国の魔導師様をお雇いして、こんがりと焼いてみたいものです」
ワイバーンの丸焼きについて語るこげ茶の目は、大変輝いている。
「ワイバーンを丸焼きだと、建物の二階か三階までは要りそうですね……」
横のヴォルフが遠い目で答えた。
確かにそれは魔石や薪のオーブンでは足りるまい。魔導師の仕事になるだろう。
鎧蟹の大鍋を火で温めていた魔導師なら、上手に焼けるかもしれない。
店長が挨拶をして、次の皿を取りに行く。
緑冠のソテーを堪能し終えたとき、ヴォルフがカラの皿を見つめているのに気がついた。追加のお肉は断っていたが、食事量的に足りないのではあるまいか。
「どうかしましたか、ヴォルフ?」
「いや、俺はワイバーンにお持ち帰りされたけど、解体されなくてよかったなって」
またも怖いことを言わないでほしい。
やはり、ヴォルフが悪い夢を見るというのは、魔物と戦う怖いものなのだろう。
ダリヤはどうにも落ち着かなくなり、ワインを口にする。
「やっぱり、思い出すと怖くなったりしますよね……」
「いや、いい思い出だよ。おかげでめでたくダリヤに拾われたんだから」
危うくむせるところだった。
お前は捨てられた小犬か、緑の塔で飼われてくれるのか。
思いきりツッコミを入れたいが――いい笑顔でグラスを持つ彼に、何も言えなかった。
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