267.魔導具部長と父の影
「魔力十以下でここまで仕上げるとは、ロセッティ嬢は努力家ですね」
ダリヤ達が部屋を出た後、魔導具師の一人が一つの丸ガラスを持ち上げる。
他は深みのある青だが、ダリヤの付与したそれだけ、少し色が薄い。
魔力が少なく、一気に入れられないためだろう。それでも、表面は艶やかで皺もない。
初めての付与にしては、なかなかのものだ。
「魔力を十二以上に上げてしまえば楽でしょうに」
「男爵のご息女ですから、限界まで上げての数値かもしれません。下手に魔力上げを勧めるのは失礼かと――」
「ああ、失念しておりました。あの面々に馴染んでいらっしゃったので、つい……」
侯爵のジルドや伯爵家のヴォルフを横に、構えた様子も誇った表情もなかった。
いつも共にいる仲間と来た、そんなふうにさえ見えた。
魔力量について少々同情を込めたささやきを交わし、それぞれが丸ガラスを見つめる。
王城の魔導具部にいる者達は皆、魔力値が高い。
魔導具師の試験資格は十以上だが、そこから二か三は上げるのが当たり前だ。魔力測定器の十五を振りきる者もそれなりにいる。
「ロセッティ嬢は魔力の高い魔導師か魔導具師の助手をつけ、実作業を任せ、口頭で開発を仕切る方が向いているかもしれませんね」
「あるいはそういったパートナーを探すか――どうです、どなたか手を上げませんか?」
「隣にあの『黄金の貴公子』がいては無理だろう」
額から汗を流し、懸命に付与をしていた魔導具師の横、黒髪の美青年は拳をきつく握り、唇をきつく結んで見守っていた。
待たせる女の数は指の数で間に合わぬほど、前公爵夫人のツバメまでしている遊び人。
そんな噂を聞いていたが、到底そうは見えなかった。
噂が嘘か、それともそんな青年が変わったのかは別として、その黄金は、とても大事な者を見る目だった。
「魔力足らずが本当にもったいないです」
「あれほど美しい魔力ならば、値などどうでもよいではないか……」
ウロスは、己の声にどうしようもなく嘆きが混じったことに気づいた。
「でも、部長ももったいないと思うから、ロセッティ嬢に作業用手袋をお贈りになるのでしょう?」
「付与素材によっては、充分お手伝い願えますからね」
部下達も、ダリヤまでも勘違いをしていた。
作業用手袋は弟子に贈る物として有名になっているが、本来は違う。
師匠が贈るのは、いずれ一人前になり、己の隣に立ってほしいという願いである。
本来は、手を取り合って仕事をする、新しい『仲間』へ贈るものなのだ。
時代の流れで意味が変わりつつあるのが、今はひどく残念に思えた。
「しかし、これだけ色が薄いのでは、良品には厳しいでしょうか」
「あんなに汗をかいて懸命に付与をしていたのに――魔力が足りないのが酷だな」
「仕方がないでしょう。熱意があっても、もって生まれた資質というものもあります」
付与魔法で目に付くほど汗をかくのは、集中して魔力を全力で動かしている、あるいは限界値に近いということだ。
王城の若い魔導具師達は、それを人に見せることを良しとしないところがある。
冷静な表情で時間をかけず、余裕ありげに魔導具を作る方が格好がいい――そんな愚かな思い込みが多かれ少なかれあるのだ。
その思い込みを痛みのごとく感じ、ウロスは今度こそ隠さぬため息をついた。
「だからお前達は、『半人前』なのだ」
机の上にランタンを運ばせると、次々と丸ガラスをセットする。
そして、従者にカーテンを閉めさせ、すべてのランタンを最大の明るさにした。
揺らめく青白い光は周囲にゆらゆらと波模様を描く。
まるで海の底を思わせる部屋の中、ウロスは若き部下達に問うた。
「全員、目を開いてよく確認しろ。光がまったく漏れていないものはいくつある?」
「え……?」
一見しただけではわからない。
だが、角度を変えてよく見れば、どれもこれも髪の毛以下の穴があり、通る光が細く線を描いていた。
大丈夫だと思えた物さえ、角度を変えると一つは抜けがみつかる。
十二個並ぶうち、まったく抜けのない物を探す方が難しい。
「……二つ、です」
最も濃い青のカルミネの物ともう一つ、色が薄いながらも、ただの一点の抜けもない丸ガラス。
柔らかな青い光に、ゆらゆらと規則的に銀の光が瞬く。
今、一際美しいとさえ思えるその灯りは――
「これはロセッティ嬢――いえ、ロセッティ殿の……」
「ですが、ロセッティ会長は一気に付与はできないではないですか。あの糸のような魔力でどうやって?」
「丸ガラスの上の付与状況を見ながら、抜けがないよう確認し、魔力を制御して造り上げたということだ。魔力が少ない? 色が薄い? 汗をかこうが、試行錯誤しようが、魔導具師は『使える魔導具』を作ることが万倍大事ではないか」
ウロスは声が高くなりかけるのをなんとか止め、言葉を続けた。
「規定値をきっちり超えて一つも抜けがない淡い青のランプと、規定値を余裕で超えても、寝返りを打てば細い光の筋が目を刺すかもしれぬランプ――己の大事な者の枕元に置くならば、どちらを選ぶ?」
「それは……」
「でも、こちらも点を染料で塞げば問題は」
「この点を修理することは簡単だ。だがそれは、『王城魔導具師』の仕事か?」
部下達にまっすぐ尋ねると、一人、二人――続けて全員が頭を下げた。
「申し訳ありませんでした……」
「反省致します……」
それぞれに述べる部下達に、少しだけ安堵する。
これでわかってもらえなければ、全力の再教育か、人員整理を考えねばならぬところだった。
「わかったならばよい。では各自、丸ガラス十個を手元に、薬液を中瓶いっぱい作って戻るように」
「はい?」
「これから曲面付与に関する補習講義を行う。私の教え方が悪かったのだと本当に反省しているのだ……なぁに、以前学んだことの復習だ。全員が完全にできるまでやったところで、そう時間はかかるまい」
「ウ、ウロス部長……」
「か、完全に、ですか……」
自分の言葉に、周囲の者達が青ざめていく。
ここは己の未熟な技術を一つ潰せると喜ぶところではないか。
やはり教育不足らしい。
「なぜ葬儀を告げられたような顔になっているのだ? 昔はこの曲面付与を笑いながら行っていた高等学院生がいたぞ」
「笑いながらとは……やはり『付与の神』と呼ばれるカルミネ副部長ですか?」
「いいや、カルロ・ロセッティ男爵だ」
その名に驚く者はほとんどいなかった。むしろ数人は納得したようにうなずく。
「ロセッティ会長の父君ですか……」
「なるほど。あの付与はお父上の教育の賜物で……」
ここにいる者達は、ほとんどが中位から高位貴族の子弟だ。
魔力は豊富で、幼い頃から家庭教師をつけてもらった者の方が多い。
学院で、家で、魔力視認と制御を厳しく教わらなかったはずがない。
さきほどの者の名は、防水布や五本指靴下などで繰り返し聞いていた。
発想に優れた、開発力のある魔導具師。商会も立て、わずかな期間での王城入り。
父も男爵なのだから、自分達と同じくらいには魔力がある魔導具師で、やり手の商売人――そんなイメージを持っていたのだ。
やってきたのは同世代、あるいは少しだけ上の、大人しそうな女性。
月光蝶の羽根に見入り、自分達の付与に緑の目を輝かせ、魔力足らずで難しいであろう付与に果敢に挑んだ。
汗をかくことも一切いとわず、魔導具だけを見つめ、ただただ真剣に――
自分達よりも魔力のずっと少ない魔導具師が、髪の毛一本の抜けもない付与をした。
カルロ・ロセッティという魔導具師は、一体どうやってあれだけの魔力視認と制御を娘に教え込んだのだ?
一体いくつの頃から、どれだけ厳しい練習をさせたのか――そう考えると、赤髪の魔導具師に同情すら覚える。
それに比べれば、本日このまま部長の補習講義で徹夜になろうとも、自分達はまだまだ甘いに違いない。
一同、一切の愚痴をこぼすことなく、薬剤の準備を始めた。
「ウロス部長、カルロ・ロセッティ様といえば『給湯器男爵』ですよね? 学院時代はどんな方だったのですか?」
昨年、高等学院を卒業したばかりの青年が、ウロスに問いかけてきた。
「魔導具の好きな、気さくで自由な男だった」
「その頃から、魔導具師としての腕はかなりのもので?」
「ああ。魔力は多くはなかったが、とても繊細な魔力制御をする魔導具師だった。亡くなったのが本当に惜しまれる……」
カルロは自分の後輩でありながら、先にあちらへ逝ってしまった。
訃報を知ったとき、悲しいよりも惜しいという言葉が先に浮かび、己の薄情さに吐き気がした。
だが、彼の魔導具師としての技術は、娘、いいや、弟子のダリヤにしっかり受け継がれていた。
それがたまらなくうれしい。
まだ磨かねばならぬ部分はあるが――
「残念です。ロセッティ様が王城魔導具師になっておられれば、ご一緒できたかもしれません」
「それは……難しいかもしれんがな」
「確かに、試験では魔力量も重視されますから」
年若き魔導具師はそこで名を呼ばれ、慌てて準備に向かう。
ウロスは薄青に輝く仮眠ランタンをそっとなぞり、唇を動かさずにつぶやいた。
「カルロは――王城魔導具師の誘いを、四度断った男だ」
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