195.酔っ払い達の服飾会議
「発表ー! 来年の微風布を準備中です。目標、夏までに今季の百倍作ります!」
勢いよく言うルチアの声が、少しばかり高い。酔っているのかもしれない。
その手元を見れば、さっきの赤ワインのグラスがすでに空いていた。
「そりゃすごい。服飾工房の皆さん、がんばってるんですね」
「ええ、ものすごく! 騎士のアンダーとか、貴族女性のドレスの裏地とかいろいろあるけど、来年の夏には、庶民も一枚は手が届くくらいまで広めるのが目標!」
微風布が普及するのは、開発者のダリヤとしてはとてもうれしい。
しかも、百倍とはものすごい数字である。
だが、作る人員も設備もいきなり百倍になるわけはないので、ただただ苦労が偲ばれる。
「微風布って、あの涼しい布だよな? あれ、夏にあるとありがたいな、運送ギルドの連中が喜ぶ」
「ルチアさん、いい感じで進んでます?」
「ええ! 微風布の使用期間も三倍ぐらいに延びたから、長持ちするし。はがすのが簡単にできないか、重ねがけできないか、今、研究中。グリーンスライムは養殖場の方ががんばってくれてるから間に合いそう。制作の方も増員したんでよっぽど楽になったの。でも、王城担当は爵位持ちしかできないから大変だって。爵位を配りたいくらいらしいわ」
「あはは、配れる爵位ですか! それはいいですね」
メーナがうけているが、おそらく冗談ではない。
王城へ納める場合、関係者の身元保証も必要だ。その上で、デザインや着心地、安全検証など、指定と確認が山とあるだろう。
「他にも何か新しい物はやってます?」
「今は微風布と冬物春物で手一杯かな。でも、一山越えたら、デザイン性のあるアンダーとか、華のあるランジェリーとかも作りたいのよね。そっちは微風布を使わなくてもいいんだけど、貴族も庶民も男女も関係なく、楽しめるようにしたくて」
「華美で高いもんは庶民には売れるかね? 特に男には難しいと思うぞ」
「庶民だから質素って時代でもないでしょ。男の人だって、ただただ地味っていうのもおかしくない? デザインも色も似たようなのって飽きない?」
「俺は特に飽きないし、困ったこともないがなぁ」
ルチアの問いに窮するかと思ったが、フェルモが気負いなく答えている。
「せっかく好きなものを着られる国で時代なんだもの、どうせなら着たいし、着せたいじゃない! 大体、地味は無難だし、清楚はウケがいいけど、それだけでも飽きるし、つまらないでしょ。どうせならいろいろ変えたいわ」
「ああ、ファーノ工房長、服とランジェリーが同じ感覚なんですね?」
「そう! わかってる、グリルさん!」
ルチアはやはり酔っているらしい。自分の名の発音違いに、メーナがにこりと笑う。
「メッツェナもグリーヴも呼びづらいですよね。よろしければ『メーナ』とお呼びください」
「じゃ、こっちも『ルチア』でいいわ。あと、喋り方で気を使わなくていいわよ。工房長は成り行きだし、庶民で地はこれだから」
「じゃ、遠慮なく喋らしてもらいます」
なんだか意気投合したらしい。どことなく似ている感じがする二人だ。
「でも、アンダーは、そう人に見せるものじゃないですからね」
「見せる時は見せるでしょ! それに、商人なら商品は包装から箱まで気にするものでしょうが。ねえ、ガンドルヒー会長!」
「まあ、それはそうだな。小物はデザインも箱も大事だからな、同じか。ああ、ついでだ。俺もフェルモでいいぞ。ガンドルフィは言いづらいだろ」
さらに発音のあやしくなったルチアに、フェルモも提案する。
「フェルモさん! じゃ、あたしも『ルチアちゃん』でお願いします!」
「……ル、ルチアちゃん」
「はい! それで!」
フェルモが目を押さえ、肩を震わせている。ルチアが一気に身近になったようだ。
「大体、包み紙に関してはそっちの方がわかると思うの。例えばよ、自分の恋人とか妻が、白いフリル系のネグリジェと、黒のキャミソールだったら、すごく違うでしょうが!」
「ル、ルチア!」
待て。今ここで、男性陣にその話題を振ってどうする?
誰か止めてくれるか、笑いになって終わるかと期待したが、ひどく真面目な顔が並んだ。
「……絶対に違いますね、それはもう、全然違う」
「……違うな、確かに」
「イヴァーノさん、フェルモさん……」
真面目に答えた二人の名前を呼ぶくらいしかできない。しかも何の抑止にもなっていない。
「ダリヤー、止めないの。これ、商品としての真面目な話よ」
「え、ええ、ルチア」
自分を見る露草色の目が、完全に据わっている。
止める止めないの前に、ここから全力で逃げたい。
「髪の色と目の色は定番で外さないわよね、やっぱり」
「ですね。あとは白と黒は基本として、俺は本人に似合う淡色を推したいですね」
「イヴァーノさんに同意です。あと、俺としては深いカットでレース飾りとか、重ねでチラ見せ系とか、遊び心があるのもいいと思います」
「メーナさん、それ、もっと詳しく! 具体的に!」
食いついたルチアにひきもせず、彼は持論を述べていく。
「例えば、こう胸とか背中側のカッティングを思いっきり下げてそこにレースとか、隣国のズボンみたいに、重ねにした裾に深いカットが入ってて、歩く時だけチラッと見えるとか……」
「メーナさん、待って! 描くから、それ描くから!」
ルチアがバッグから小さいスケッチブックを取り出した。
そして、一気にデザイン画を描き始める。酔っていても絵がうまい。
ルチアに問われるがままに説明する男には、それなりにこだわりがあるらしい。
鎖骨や太股といった部位の単語が飛び交う中、いっそメーナを服飾ギルドに献上すべきかもしれないと真面目に思う。
「あと、リボンと紐タイプなんかも、外せないと思うんですよ!」
「おい、メーナ……そのへんにしとけ」
持論をさらに展開しようとするメーナを、マルチェラが少々怖い声で止めた。
「えー、マルチェラさんだって、イルマさん用にいろいろ買ってたじゃないですか。マルチェラさんの好みは……」
「や・め・ろ」
マルチェラがその大きな手でメーナの頭をつかんだ。
本気で痛いです、つぶれます!と、メーナが騒ぎ出したが、誰も止めない。
話がここで終わるのを期待し、ダリヤは黙ってワインを口にする。
隣のヴォルフが無言のまま、追加の赤ワインを注いでくれた。
「……ああいった攻めのランジェリーとかも悪くないですけど、俺は白いブラウスとか、紺のスカートとかが、やっぱり鉄板だと思うわけですよ」
「まあな。あんまり奇をてらわない方が好みではあるな。飾りの少ない肩紐のワンピースとかな」
「破壊力から言うなら、雨の日の白いワンピースが最強でしたね」
「なるほど。それもわかるが、俺としては自分のシャツを着てるのが最強だな」
「そうきましたか……」
イヴァーノとフェルモが肩を寄せて話しているが、こちらも酔っているらしく、やや声が大きい。よって丸聞こえである。
「ヴォルフ様! ヴォルフ様の好みってどうですか?」
「……俺は、特に外装にこだわりは……」
いきなりルチアに話題を振られた彼は、視線をグラスから一切外さない。
興味なさげに、ただ白ワインのグラスを空けている。
そもそも外装とは何だ? 服装にまるで興味はなく、中身だけあればいいのか。
いや、中身の方が確かに大事かもしれないが、ならばどんな好みなのか。やはり腰派についてか?――そこまで考えて、ダリヤは鈍い頭痛を感じた。
なぜ、自分がヴォルフの好みを詮索する必要があるのだ?
きっと、自分も酔っているにちがいない。
一度、部屋から出て酔いを覚まし、落ち着いた方がいいだろう。
「私、ちょっと身繕いに……」
「ダリヤ~、いろいろあったのは知ってるけど、過ぎたことでしょ。もうちょっと柔軟に、寛容になりなさいよ。女の話と男の話は方向がちょっと違うだけだし。どっちも知ってる方が、魅力的な服はもちろん、いい魔導具作りにつながるかもしれないじゃない」
「そうかもしれないけど……」
友にきっぱり言われ、耳が痛い。わからなくはないが、ちょっと苦手だ。
「大体、ダリヤは恋話すらずっと逃げてるじゃない。まあ、婚約しても恋も愛もなかったぽいけど」
「それは……」
否定できない自分がいるが、認めるのも微妙に寒い。
あと、他の者がいきなり口をつぐんだこの状況もきつい。絶対に気を遣わせている。
「ねえ、ダリヤはこう、見ててかっこいいなって思う装いとか、惹かれる服装ってないの? 別にアンダーじゃなくてもいいから」
「……うーん」
「この際、誰かに『これこそ似合う服』というのでもいいわよ」
ヴォルフの魔物討伐部隊の騎士服や、王城で見た鎧姿はかっこよかった。
しかし、『これこそ似合う』姿だとは言いたくない。
普段着もかっこよくはあるが、それは本体の問題だし、ヴォルフの名前を出すのも恥ずかしい気がする。
他に浮かぶ者は一人しかなかった。
「……仕事を一生懸命にしてる人の、作業着姿とか?」
「待って、ダリヤ。それ、思い浮かべた人は誰よ?」
そこはかとない敗北感を覚えつつ、白状した。
「……父さん」
静まりかえった部屋の中、ルチアがテーブルをべしべし叩く。
「もーっ! 初等学校の生徒じゃないんだから、そこでせめてかっこいい人、素敵な人の一人や二人は言えるようになりなさいよ! カルロさんが出てくるとかありえない! まだトビアスさんが出てくる方がマシだったわ……」
「どうしてここでその名前が出てくるのよ? 思い浮かばなかったんだから仕方ないじゃない! そもそも、ルチアは素敵な人とか言えるの?」
「もちろんよ!」
思わず反論した自分に対し、友は右手の拳を握って回答する。
「フォルト様の王城向け三つ揃い。きっちりしてるのに、動作が優雅でしびれるわ。絶対、騎士服も合うわね。夏に何度か着た、珍しい麻のシャツも雰囲気が変わって素敵だった。秋に入ってからのドレスシャツもかっこいいの。フォルト様って指が長くて綺麗だから、手袋も合いそう。コートとブーツもきっと似合うから、冬が楽しみだわ。フォルト様は普段の着こなしも素敵で、よく見惚れるわよ」
「ルチア……」
かなわぬ恋か、憧れか。
既婚者で貴族、フォルトの名をくり返すルチアが、少しせつなくなった。
「あと、服飾ギルドの入り口の護衛の人、護衛服が似合ってて、立ち姿がすっごくかっこいいの。なかなかお洒落で、胸のチーフの色が毎日違うのよね。冬のオーバーコート姿も楽しみ! 一番左の受付の女の人、背が高くてスタイルがよくって、歩き姿が素敵なの。タイトスカートもパンツスタイルも似合いそう! それと、フェルモさんの今日の上着姿、貫禄があって素敵! フェルモさんて、絶対ダブルの方が合う。あ、イヴァーノさん、三つ揃えになってから、男っぷりがすごく上がったわよね。さすがフォルト様の見立てだと思ったわ!」
「ルチアー……」
せつなさを返して欲しい。
しかし、思えばルチアはこういう者だった。
気がつけば全員が納得の顔で笑っている。
「お褒めの言葉をありがとうございます。ルチアさん、本当に服がお好きなんですね」
「大好きよ。でも、服は着る人があってこそよ。土台がないのに家は建てられないでしょ」
笑んだイヴァーノに、ルチアが明るく答える。
「確かにそうですね。商売も買い手と売り手がいなければ成り立ちませんから」
「小物も魔導具も、作り手の他に使い手がいなけりゃ、試作品で終わるしな」
しみじみと話す男達の横、マルチェラがルチアに果物酒のグラスを渡した。
「ルチアちゃんなら、中身より服と言うかと思ったが」
「マルチェラさん、ひどいー。イルマに言いつけようかしら?」
「いや、イルマもうなずくと思うぞ」
「僕もそんな気がしてきました……」
笑い声と雑談が交わされる中、隣のヴォルフがぼそりと言う。
「魔物討伐部隊は魔物が出てこないと成り立たないけど、お互いの為には出てこない方がいいな」
言われてみればそうである。
魔物と人の領域分けがあったなら、魔物討伐部隊の出番はない。
素材としての採取で、冒険者は戦いに行くかもしれないが。
「そうですね。そうしたら、平和になりますね」
「ああ。俺の仕事はなくなるけど」
「その時は、商会に就職すればいいですよ。お待ちしています」
つい口にしてしまった言葉は、自分の本音だけれど。
思えばいくら友達とはいえ、伯爵家のヴォルフに失礼だろう。
が、ダリヤが慌てる前に、彼の口角が大きくUの字を描いた。
今までで一、二位を争う美しい笑顔で、ヴォルフは応えた。
「隊を辞めたら、ぜひよろしくお願いします。ロセッティ会長」