189.新商会員顔合わせ
「マルチェラ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です、会長。そのうちにメッキが剥がれて下地が出そうですが」
きりりとした笑顔で答えるマルチェラだが、言っていることがすでに不穏だ。
そしてダリヤの方も、表情を整えるのが辛くなってきた。
「……やっぱり落ち着かないわね、マルチェラさん」
「仕方がないだろう、ダリヤちゃん! これで慣れないと、客先でこっちの口調になったらまずいだろ」
「はい、会長、マルチェラ、だめですよー」
商業ギルドの一室、ロセッティ商会では、商会全員で礼儀作法にのっとった顔合わせ中だ。
ダリヤとイヴァーノ、机をはさんでマルチェラ、メッツェナの四人で行っている。
完璧なのはイヴァーノだけなので、言葉やお辞儀の角度なども補足し、自己紹介の練習を兼ねている。しかし、これがなかなか難しい。
今も、連鎖反応的にダリヤとマルチェラの口調が崩れたところだった。
「会長、もうちょっとがんばってください。仕事中はマルチェラは部下ですし、スカルファロット家の『騎士様』なんですから」
「『騎士様』はやめて頂けませんか、『副会長』。背中がかゆいです」
「マルチェラ、私も本音を言うと『副会長』は背中がかゆいです」
相手の肩書きを強調して言い合う二人だが、その肩がわずかに震えている。
ダリヤはそれになつかしさを覚えた。
「二人とも、私が『会長』と呼ばれて落ち着かなかった日々を、しっかり味わってください」
つい笑顔で言うと、斜め向かいのメッツェナが吹き出した。
「僕は平で本当によかったです、『騎士様』、『副会長』」
「メーナ、覚えてろよ……」
「マルチェラ、言葉を整えましょう」
少々もめつつも、ようやく型通りの顔合わせを済ませ、全員で一息ついた。
「じゃあ、ここからは事務手続きになります。お二人には保証人を外れて頂いたので、保証人期間の収益をお渡しします。それぞれ、商業ギルドの口座に入れておきました。こちらが入金証明書となります」
マルチェラとメッツェナはロセッティ商会の保証人だった。
商会開設時に、二人とも金貨四枚を預けてくれていたが、今回、商会員となり、保証人を外れる。そのため、保証人期間中の利益を上乗せして返却する形になる。
二人はイヴァーノから入金証明書を受け取ると、そのまま固まった。
「……副会長、金額が間違っていませんか?」
「間違ってませんよ、マルチェラ。確認済みです」
イヴァーノが涼しい顔で答えた。
書類に記されているのは、元金の金貨四枚にプラスして、二十枚、合わせて二十四枚だ。
「たった四ヶ月で六倍……賭け事か……」
あきれているのか感動しているのかわからぬメッツェナが、水色の目で書類を凝視している。
ダリヤの感覚で考えると、四十万を預けて四ヶ月で二百四十万が返ってきたようなものだ。
二人が驚くのも無理はない。正直、自分も驚いた。
「ちゃんとした収益からのものですから、受け取ってください」
「わかりました。ありがたくお受け取り致します。で――会長じゃなくダリヤちゃん、これをこのまま腕輪の支払いに回してほしい。足りない分も、分割で必ず払う」
マルチェラが書類をテーブルに滑らせ、ダリヤに渡してきた。
「マルチェラさんは、これから子供が生まれるんだし、双子よ。イルマだってしばらく仕事に戻れないと思うし」
「スカルファロット様と商会から頂く給与は充分な額だ。生活には困らない」
ダリヤとしては、今後のゆとりのために受け取ってほしかった。
だが、ここまで言い切ったマルチェラがひかないのは、今までの付き合いでわかる。
「……じゃあ、元金は戻させて、利益分を腕輪の代金として受け取るわ。それで、素材と各商会、グイード様へのお礼に回させてもらうから。あと、追加分はないわ」
「いや、かなり高いだろ、あれ。稀少素材使いまくりなんだし、技術料だって」
「オズヴァルド先生は素材分しかいらないから、後で作業を手伝うという約束だし、トビアスも金銭は受け取らないと言ってるから、本当にそこまでかかってないの。いずれ、何か違う形で商会とグイード様にはお返しをしようと思っているけど」
「わかった。もらった仕事を全力でこなすのと、俺の方でもお礼ができそうなものがあれば返していくようにする」
マルチェラはそこで話を切ると、メッツェナに鳶色の視線を向けた。
「メーナ、これで心おきなく引っ越せるな」
「ええ。給湯器付きの部屋に引っ越します」
「あの、メッツェナさん、もしかして、自宅に押しかけられていますか?」
「ええ……そんなに多くはないんですが」
目線をそらしたメッツェナに、申し訳なくなった。
多くないとは言っているが、貴族が絡んだら応対に気を使う。
くつろげるはずの自宅でそれでは、ここ二週間、まるで休めなかったに違いない。
「うちのせいですから、こちらで部屋を準備します。後で条件を教えてください。それと、今日は宿屋に泊まってください」
「ありがとうございます。お手数をおかけします。あと、会長も副会長も、できれば『メーナ』でお願いできないでしょうか? 『メッツェナ』って呼びづらいですし、どうも慣れなくて……運送ギルドでも『メーナ』と呼ばれていましたから」
「わかりました。じゃあ、これからは『メーナ』と呼ばせて頂きますね」
名前が愛称に変わったことで、少しメーナが近くなったような気がする。
それでも呼び捨てに馴染むには、しばらくかかりそうだ。
「では、本日よりこの四人で、ロセッティ商会を盛り立てていきましょう!」
イヴァーノの明るい宣言に、四人で笑顔を交わす。
商会部屋がまた一回り、小さくなった気がした。
・・・・・・・
予定業務を終えると、初日なので少し早めに切り上げる。
今後、ダリヤの帰りは、マルチェラが馬車に同乗し、塔まで送ることになった。
「メーナは部屋と宿の話がありますので、ちょっとだけ残ってください」
「はい、わかりました」
「俺、じゃなかった、私は明日の午前中も、スカルファロット家で騎士教育があるので、午後から参ります」
「マルチェラ、がんばってください」
「……知恵熱が出そうです……」
砂色の髪の主は、吐息と共に本音をこぼした。
マルチェラは、昨日からスカルファロット家で、騎士の礼儀作法と心得を学び始めている。
運送ギルドとして貴族の屋敷に届け物をすることはあったが、騎士の知識などまるでない。
老騎士とマンツーマンで、メモをとることもできぬ実戦形式。内容は朝から昼食終わりまでの時間、朝の挨拶から廊下の歩き方、食事の仕方まですべてと聞き、イヴァーノもふるりとしたものだ。
「がんばって、マルチェラさん。慣れればきっと大丈夫よ」
「ダリヤちゃん、慣れる日が来ることを祈ってくれ……」
ダリヤは友人として、無邪気な笑顔で応援している。
マルチェラは苦笑しながらドアを開け、彼女と共に部屋を出て行った。
「メーナ、そちらに座ってください。部屋は中央区のこのあたりでいいですか? 候補はこの三つで。部屋の保証人は商会でなりますので。あと、宿はこちらでお願いします」
「ありがとうございます。三つのうち一番安いところでお願いします。宿はもっと安いところでも……」
テーブルに書類を広げて見せたが、メーナは申し訳なさそうだ。
若いが、金銭感覚はしっかりしているらしい。
「商会で出しますし、誰かに来られたら厄介でしょう? ここは泊まり客を守ってくれる宿ですから。引っ越しが終わるまでこちらを利用してください」
「ありがとうございます、助かりました……」
「もし困ったことや相談ごとがあれば、いつでも俺に言ってください」
「その、給与の件ですが……運送ギルドの頃より高いんですが、僕なんかに本当にいいんでしょうか?」
「こちらでご迷惑をかけたわけですし、いろいろやってもらわなきゃいけなそうなので。それに業務が増えれば、また給与は上げますよ」
職場を奪う形になった迷惑料も含め、運送ギルドの給与より三割増しにしている。
それでも、これからこの商会でみっちり働いてもらうことを考えれば、けして高くはない。
「聞いておきたかったんですが、メーナの身体強化や魔法はどれぐらいですか?」
「身体強化は、体重の三倍までの運搬なら楽にいけます。魔力は四で、風魔法があります。夏に皆を少し涼ませるか、服の乾きをよくする程度ですが」
「運送ギルドでは、御者の経験もおありですよね?」
「はい、馬が好きなので。運送ギルドの馬の世話も少し手伝っていましたし、多少は乗れます。急ぎの届け物ぐらいなら馬で行けます」
「マルチェラは『たまに』と言っていましたが、荒事のご経験は?」
「運送ギルドでマルチェラさんと組んでいましたので、少々は」
気負いなく答える彼に、評価を上げる。
なかなかに有能だ。同じぐらいの人員を運送ギルドから引き抜こうと思ったら、給与はもう少し色をつけねばならないだろう。
紺藍の目を細めると、イヴァーノは一番聞きたかったことを尋ねた。
「メーナ、『噂雀』は、何年やってますか?」
「……三年くらいになりますか」
一拍答えは遅れたが、メーナは隠すことはしなかった。
噂雀は、金を受け取り、街で噂や宣伝を撒く者達のことだ。
メーナは主に食堂や酒場で、酔った者達に話を撒いているという。
「噂雀の仕事は、今後も続けますか?」
「ロセッティ商会に入るなら、やめなければと思ってましたが……」
「念の為、話す内容を教えてもらえるなら、続けてもらってかまいませんよ。それなりにいい収入源でしょうし。うちの方からも依頼するかもしれませんし」
イヴァーノはわざと口角を少し吊り上げ、水色の目をじっと見る。
「マルチェラは、あなたが『噂雀』だってことを知らないですよね?」
「はい、言ったことはないです。隠れた小遣い稼ぎみたいなものなんで。マルチェラさんは心配性なので、あまり詮索されたくないですし」
「金の使い道を聞いても?」
「交際費です。俺は『自由恋愛派』なんで、それなりに女性にかかります」
あっけらかんと言ったメーナは、ひるみなく自分を見返してきた。
『自由恋愛派』は、オルディネ王国の自由度の象徴とも言われる。
カップルとして恋愛はするが束縛はしない、相手が他と付き合うのを止めない、特定多数のお付き合いだ。どちらも同じ考えであれば修羅場はない。
少々気持ちがひっかかるのは、イヴァーノが妻一人しか想わない派のせいだろう。
「わかりました。恋愛は自由ですが、商会へのトラブルの持ち込みはご遠慮ください」
「はい、気を付けます」
素直にうなずくメーナを見つめなおし、納得する。
やわらかな栗色の髪、整った顔立ちに、涼やかな水色の目。運送仕事で引き締まった体躯に、薄藍色の上着を合わせている。
ヴォルフを見慣れて感覚が麻痺していたが、まちがいなくメーナも美形の部類だ。
なるほど、これならば恋多き若者というのも似合いそうだ。
「では、お疲れ様でした。宿の方へは連絡済です。ギルドの裏口から移動すれば尾けられないと思います」
「ありがとうございます、副会長。では、お先に失礼致します」
今日教えた礼を目の前できちんと実行し、メーナも部屋を出て行く。
一人残った部屋で、イヴァーノは書類を片付ける。
そして、グイードから送られた羊皮紙を机に広げ、読み直した。
メッツェナ・グリーヴ。
親は不明、救護院で育ち、マルチェラの紹介で運送ギルド入り、真面目な働きぶりには定評がある。
能力は期待以上、保証人がマルチェラ、どこの紐もついていない。
なかなか得難い人材だ。
ただ、金の使い道で嘘をつかれたのは意外だった。
確かにメーナに女友達はそれなりにいるらしい。
だが、彼が援助をし、足繁く通っているのは、自分がいた子供向けの救護院である。
確かに『交際費』には違いないが、素直に言ってくれればいいものを。
心象を悪くするように『女性』と言ってくるあたり、気恥ずかしいのか、若さ故の強がりなのか、まだ判断できない。
昔、オズヴァルドが自分に言った『子犬』を思い出す。
『今後のために、早めに子犬を飼うことをお勧めします』――その勧めは、年若い商会員を育てろという意味だ。
メーナは人当たりがよく、物怖じしない。身体強化もあり、護衛のいらぬ程には腕も立つ。
その上、噂雀という多少の灰色も呑んでいる。
少々素直ではなさそうだが、商人として育て上げることができれば、かなりいけそうな気がする。
自分も一人前とはまだ言い難いが、信頼できる身内は多い方がいい。
「仕事がまた増えるのか。まったく忙しくなりそうだ……」
言葉に反して、イヴァーノは楽しげに笑っていた。