185.魔石焼き芋
「秋のお芋-、秋のお芋はいかが-」
塔の窓を磨いていたら、独特のイントネーションで歌声が響いてきた。
前世の石焼き芋の販売を思い出すが、こちらは見事なソプラノだ。
財布と皿を持って道へ出れば、一輪車の小さな屋台が見えた。
「こんにちは。二つお願いします」
「ありがとう、お姉さん!」
屋台を引く少年が、笑顔で答える。
この小さな屋台は、春は花や野菜、夏は果物、秋冬は芋や栗などを売りにたまに回ってくる。
家計を助ける為であったり、学院の生徒が学費を稼ぐ為ということも多い。
ちなみに、小さな屋台では年齢に関係なく、女性の服装であれば『お姉さん』と呼ばれ、男性の服装であれば『お兄さん』と呼ばれる。
ダリヤの知る年配の女性は、『若さの秘訣は、屋台で買い物すること』と言う者もいた。
「お姉さん、きれいだからおまけです!」
「ありがとう。お兄さんが頑張っているから、こっちもおまけね」
自分の年、半分ほどの少年に懸命に言われ、思わず笑んでしまう。
皿の上に載せられた二本のサツマイモに追加された、焦げた小さいサツマイモ。売り物には少し厳しそうだが、宣伝を頑張っているようなので、銅貨を数枚足しておいた。
「ありがとうございます!」
不意に、きれいな声が天高く響き、目を丸くしてしまう。
自分の声を風の魔法で拡散しているらしい。拡声の魔導具がいらない音量だ。
その声につられたか、ご近所から数人のご婦人が出てきた。
ダリヤは笑顔で挨拶を交わしながら、塔へと戻った。
オルディネのサツマイモは、皮の色が薄い赤紫で、前世のものほど甘くない。
だが、火の魔石でじっくり焼いたサツマイモには、バターと蜂蜜を練り合わせたものが、小さな紙包みで添えられる。ダリヤの持つ皿の端にも、白い紙包みが二つ載っていた。
下町の秋、サツマイモにバター、そして蜂蜜という禁断の組み合わせは、ちょっと贅沢なおやつになる。
バターと蜂蜜が足りなければ、台所でさらに追加するという悪魔の所業も可能だ。
「……ヴォルフと分けるから、きっと大丈夫」
自分のウエストについて、最近少し気にはなってはいる。
が、秋の魔石焼き芋の誘惑には勝てそうになかった。
塔に戻ってしばらくすると、ドアのベルが鳴った。
少し間を開けて二度鳴ったので、ヴォルフだとすぐわかった。ちなみに、ほぼ連打で二度鳴らすのがイルマである。
ヴォルフが来るのは久しぶりだ。
腕輪の後は休んだ分の鍛錬へ、そして、街道に赤熊が出たとのことで急な遠征に出ていたからだ。
迎えに出て、笑顔で挨拶を交わすと、二階へと上がった。
「すみません、ヴォルフ、この前は寝落ちてしまって……上着、ありがとうございます」
「疲れていたんだから気にしないで。それより、寝返りで落ちなかった?」
ダリヤは少々気恥ずかしく上着を渡したが、ヴォルフは当たり前のように受け取った。
きっと隊でも後輩などが寝落ちたら、かけてあげているのだろう。
「ええ、ソファーで囲まれていましたから」
「よかった。ああ、これ、来るときに見かけたから」
ヴォルフが紙包みを開けると、魔石焼き芋が二本入っていた。
先に買っていた方はこそりと隠し、スイートポテトにして冷凍することにする。
「ありがとうございます。これだとストレートよりミルクティーの方が合いそうですね」
ダリヤは同じものを買っていたことに妙に満足しつつ、ミルクティーを淹れた。
ミルクティーを横に、二人で魔石焼き芋を食べ始める。
皿に盛り直した芋はまだ温かい。半分に割ると、焼けた皮がぺりりと剥がれ、ゆらりと湯気が上がった。切り口は薄めの黄色で、いい感じに火の通った中身がほっくりとこぼれそうだ。
ヴォルフが先にがぶりと食いついたのを見て、遠慮なく自分も食べることにする。
それでも普段より少しだけ小さい口でかぶりつくと、素朴な甘さとほくほくした食感が広がった。
そのまま半分ほど食べたところで、横にある小さな包みを開ける。中からは、溶けかかったバター蜂蜜がとろりとこぼれてきた。
目の前で魔石焼き芋にバター蜂蜜をつけているヴォルフが、少しばかり不思議だ。
甘いものはあまり得意ではないはずだが、平気だろうか――そう思って顔を見れば、見透かしたように笑まれた。
「これは母の好物で。騎士達が隠れて買ってきてくれて、この時期はたまに食べてた」
「お母さん、慕われていたんですね」
「そうかもしれない。今まであまり考えたことはなかったけれど……」
思い出したらしく言葉を濁した彼に、話題を変えることにした。
「遠征先の赤熊、強かったですか?」
以前、ヴォルフが赤熊を投げ飛ばしたという話を思い出し、尋ねてみる。
「俺達は出番がなかった。魔導師がすごく頑張って、氷漬けにしてすぐ終わった。解体も持ち帰ってするとかで馬車に積み込んだし。念の為、一晩野営して出てこないか確認したんだけど、残念ながら出てこなくて……」
「あの、そこは何も出てこない方がいいのでは?」
「今回の参加者は、全員遠征用コンロを持っていったから。赤熊が焼けるかもとか、猪を鍋にできないかとか楽しみにしてたんだけど、何にも出てこなくて」
魔物討伐部隊の面々から、捕食者の波動でも出ていたのではないだろうか。
強い魔物や動物も倒せる強い彼らである。食材にされる雰囲気を感じとれば全力で逃げるだろう。
「結局、採ったキノコのバターソテーと、持っていった肉で焼き肉になった。あ、ダリヤがくれたタレはすごく喜ばれていたよ。皆が礼を言っといてくれって」
「よかったです。タレ、まだあります?」
「そろそろ無くなる……」
前回は中型の樽に二種類作ったが、足りないようだ。成人男性ばかりで動きも激しいのだから、食べる量も違うのだろう。
「一回の遠征でそれだと、足りないでしょう? お店で配合をお願いして、大樽でお届けした方がいいですか?」
「グリゼルダ副隊長が、レシピ代を払うし、秘蔵するから教えてもらえないかと」
「私はもう森大蛇を頂いていますから。それに、秘密にしているわけじゃないので、イルマや父の友達なんかも知っていますから、遠慮なく使ってください。後でレシピをまとめますね」
「ありがとう。これでタレ争奪戦が回避されそうだ」
ヴォルフの冗談に笑ってしまう。
魔物討伐部隊員のタレ争奪戦――どんなものなのか、ぜひ見てみたいところだ。
「皆さん、怪我がなくてよかったです」
「ああ。でも、何人か二日酔いになったよ」
「二日酔いなら、治癒魔法で治してもらえますよね?」
「いや、治癒魔法をかける神官と魔導師が二日酔いになった。東酒でチーズフォンデュをして、その後にクラーケンの干物焼いて飲んだら、彼らが一番はまって……」
ひどい二日酔いになると、自分に治癒魔法はかけられないらしい。
何をやっているのかと言いたいところだが、東酒はまだ一般的ではない。慣れないうちに、ワインのように飲んでしまったのだろう。
「治癒魔法って特に集中しないとかけられないそうなんだけど、頭痛がひどいらしくて、かけようとして崩れ落ちてた」
「じゃあ、そのまま馬車で?」
「いや、グリゼルダ副隊長が『次回は別の方に遠征の同行をお願いしないといけない』って嘆いたら、魔導師が気合いで自分にかけてた。後はその魔導師が神官にかけて、全員元気に戻ったよ」
ダリヤは安堵した。
次は別の方に遠征の同行をと言われたら、プライドもあるだろう。
二日酔いは本人責任とはいえ、自分の勧めたレシピや食材が原因なのでやはり気になる。
「ダリヤ、今日の食事はお店に行かない? いつも君に手間をかけさせているから」
バター蜂蜜をつけた魔石焼き芋を堪能した直後だが、夕食の話になった。
「ええと、いちおう食材を準備してました。ちょっと傷むのが早い食材で……」
せっかくのヴォルフの誘いだが、今日は秋の食材がすでに台所に待っている。
興味深そうな彼と共に台所に移動し、氷の魔石を入れた箱を開けた。
長くまっすぐな銀色の魚が四匹、整然と並んでいる。今日、魚屋が売りにきたものだ。
「脂がかなりのっているので、これを屋上で焼こうかと」
「その魚って、もしかして、『銀刀魚』?」
「ええ、庶民の呼び名だと『サンマ』ですね。ヴォルフは『銀刀魚』は好きですか?」
「小さい頃に食べて以来かな……」
珍しく顔が曇った。干物も一夜干しも平気な彼にしては珍しい表情だ。
そして思い出す。
サンマの別名は『銀刀魚』。その他にもうひとつ、『下町魚』である。
オルディネの秋に出回るサンマは、脂がかなり強く、口の周りがテカテカになるほどだ。もしかすると苦手なのかもしれない。
「好みでないなら、干物もあるのでそちらを焼きますよ」
「いや、小さい頃、母と食べたことはあるんだ。ただ、食べ過ぎたのか、脂が強かったのか、腹痛を起こしてしまって。そのとき、母が冗談で『銀刀魚がお腹の中で暴れている』と。それから、なんとなく食べられなくなって……こうして口にすると、すごく情けないんだけど」
「いえ、子供の頃にそんなことを言われたら、怖くもなりますよ」
ヴォルフの母上は、何ということを幼子に言ったのか。
ちょっとお茶目にも聞こえるが、幼い子供はトラウマになるではないか。
実際、それからヴォルフがサンマを避けているのだから、なんともかわいそうだ。
ダリヤは一人でうなずくと、台所の棚から琥珀色の蒸留酒を取り出した。
「大人になったことですし、挑戦してみませんか?」
「ああ、ぜひ」
黄金の目で琥珀を眺め、ヴォルフが笑った。