162.本屋で魔物図鑑
本屋の少し手前で、馬車が止まった。
三階建ての黒いレンガ造りの本屋は、二枚開きのドアの前、槍と剣を持った警備が左右にいる。
ちょっと物々しすぎる感じもあるが、この王都ではまだ本は高い。
版画的な印刷がせいぜいであり、まだ大量印刷の技術が普及していない。この為、薄く小さな本でも銀貨が必要になるし、厚い本や専門書となれば大銀貨や金貨での支払いになる。
この為、大きい本屋には必ず護衛が複数いる。
馬車を降りる際、ヴォルフがいつにも増して、そっと手をさし出してきた。
ダリヤは、何事もなかったように手を重ねる。
先ほどまでのことを絶対に口にすまいとする両者のうち、先に口を開いたのはヴォルフだった。
「……ダリヤは、何か探している本はある?」
「貴族マナーと、手紙の書き方の本です。貴族マナーの方はオズヴァルドさんに勧められたものを注文していたので。あと、もし隣国の魔物図鑑があれば見てみたいです」
「ああ、それは俺も一度見てみたいと思っていた」
ダリヤは入り口近くのカウンターに近づき、案内人に声をかける。予約していた番号を告げると、奥から本の入った袋を持って来てくれる。
予約は前払いなので、その場で中身を確認し、すぐ受け取ることができた。
「ダリヤ、少し見て行ってもいいかい?」
「ええ、もちろんです。この階でヴォルフの探しているものってあります?」
「俺、じつは本屋で本をゆっくり見たことがなくて……」
妖精結晶の眼鏡をかけたヴォルフが、緑の目で困ったように笑う。
その美貌で女性に声をかけられることの多い彼である。眼鏡のない頃は、本屋で本をゆっくり探すこともできなかったのだろう。
「ぜひ、ゆっくり見てください」
一階は童話や小説、生活上の実用書などが並んでいて、人も多い。
二人とも本を触ってもいいように布手袋をつけると、時計回りの順路に従って歩き始めた。
「ヴォルフって、今までどうやって本を買ってたんですか?」
「隊に来る本屋に、好きな系統を依頼して、何冊か持って来てもらって、そこから買う形だね。あとはドリノやランドルフに頼んだりもしてた」
その選び方もありだとは思うが、広い本屋でたくさんの本を見るのは、やはり楽しい。
ヴォルフは少し歩いては足を止め、珍しくきょろきょろしていた。子供めいたその動きが、ちょっとかわいくも見える。
童話のコーナーでは、子供の頃に見た話を二人でひそひそと話し、小説コーナーでは出たばかりの冒険者や騎士の物語を手にした。
ヴォルフは旅行記のコーナーで長く足を止め、かなり迷って国内向けの一冊を買っていた。
その後の料理本のコーナーでは、東ノ国のレシピ本を見つけ、ダリヤが即決で購入を決めた。
一階で本を購入すると、階段を上り、二階に上がる。
二階は主に学術書や専門書などが並ぶ。武器や武具、魔導具関連の本も多くはこの階だ。
「魔剣の本って、ないね……」
「魔剣そのものの数が少ないですからね」
がっかりしているヴォルフが、なんともかわいそうである。
だが、魔剣そのものが、めったにみつからないものなのだ。厚い専門書にするのは解説込みでも無理がある。
それでも、魔剣を含めて武器に関する専門書を見つけ、すぐに購入を決めていた。
少しばかり荷物が増えつつ、三階に上がった。
三階は高額な辞書や図鑑のみの為、入り口で名前の記載が必要になる。
場合によっては持ち物の確認もある為、左右に男女一人ずつの担当者が控えていた。
ヴォルフが妖精結晶の眼鏡を外すと、ダリヤの先に立つ。
ドアの右に立っていた男が親しげに挨拶をしてきた上、名前の確認すらなく、中に通された。
「ヴォルフ、あの……」
ダリヤはそのままエスコートされたが、このままでいいのか、判断に迷う。
「以前、隊に本を持って来てくれていた人なんだ。いろいろお世話になった」
さきほど入り口で会ったのは、ヴォルフが魔物討伐部隊に入ってすぐから数年、隊に本を販売に来ていた担当者である。
ヴォルフが魔剣や魔物などで曖昧なリクエストをしても、面白そうな本をぴたりと紹介してくれた。
ランドルフが隣国の本について頼んでも、的確な物をすぐに探して持って来てくれた。
どの分野の本にもたいへんに詳しく、紹介も的確だった。
ちなみに、彼のイチオシは、大判の薄めの本で、外側が植物や魔物の絵で、中身が肌色多めのお姉さんの姿絵だった。
少し話しただけで胸派腰派や好みを網羅し、希望する隊員ごとに的確な一冊を薦めるので、隊の若手には大変好評だった。
自分も以前購入した記憶はあるが、そんな話は死んでもダリヤに知られたくはない。
「魔剣や魔物に詳しい方なんですね」
「……そうだね」
ヴォルフは短く答えると、奥のガラスケースの方へ足を速めた。
そのガラスケースの中に入っているのは、厚く重そうな辞書と図鑑である。
黒、赤、深緑、紺、金、銀など、濃色の重厚な革の表紙に、ページはすべて羊皮紙らしい薄いアイボリーが映える。
中には繊細な刺繍や金銀の飾り、色石をはめこんだものもあり、なんとも芸術的だった。
ガラスケースの中央、お目当ての隣国の魔物図鑑があった。
黒に金文字と金の刺繍で飾られた表紙で、思いきり分厚い。前世の厚い百科事典並みだ。
ヴォルフがガラスケースの向こう側の店員と話し、実際に出してもらう。
近くのテーブルの上で、手袋をしたままページをそっとめくると、その丁寧でカラフルな絵に驚いた。
幸い、こちらの国の言葉に訳したものなので、ダリヤも問題なく読めた。
数ページめくって手を止めたのは、隣国でしか確認されていない『アルラウネ』だ。
深い緑の髪の若く美しい女性に見え、半身は濃い赤の花弁と緑の葉、蔦につながっている。
マンドレイクの亜種とあり、声に幻覚作用という記述がある。
備考欄に『素材としては、花弁が幻覚防止となる』とまで書かれており、とても驚いた。
隣国ではすでに素材としての知識が当たり前になっているらしい。
その魔物が現在、飼育・養殖をされているかどうかの記述もあり、隣国が『牧畜の国』と呼ばれるのがよくわかった。
一角獣、魔羊、王蛇、天狼、首無鎧――他のページをめくっても、絵はどれも精密でカラフルで、内容的にもとても興味深い。
「こちらは、おいくらですか?」
つい見入っていて、ヴォルフの声に引き戻された。
「金貨七枚となっております」
店員の答えた額は、ダリヤの感覚としては七十万、流石にお高い。
だが、これは手書きの複写だろうし、これだけ微細なカラーイラストの図鑑はなかなかないので、当然だろう。中身もとても貴重だ。
ロセッティ商会の開発費を使って買っていいものか、イヴァーノと相談して買うべきか、悩んでいると、ヴォルフが店員に購入を告げた。
「遠征に行くときの参考にしようと思って。新しい魔物もできるだけ知っておかないと、いつ遭うかわからないから。魔物が国境を越えてきた例もあるしね」
魔物討伐部隊員ならではの言葉を告げながら、彼はさっさと購入手続きを済ませていく。
ダリヤは驚きつつも納得した。
確かに、魔物達に国境はない。
昔、隣国で大きな被害を出した九頭大蛇が、国境を越えてきた例もある。
そのときは魔物討伐部隊と魔導師が一丸となって倒したと聞いているが、被害も大きかったらしい。
魔物図鑑はこちらも黒に金の飾りがついた豪華な箱に入れられ、上から艶やかな黒い布で包まれた。まるで宝物のようなそれを、ヴォルフはあっさりと片手に抱いた。
「ダリヤ、兵舎の部屋はあまり広くないし、遠征で留守にすることも多いから、これ、塔に置いてもらっていいかな?」
「え? あの、ヴォルフ……」
「俺は休みのときはしょっちゅう塔にお邪魔させてもらってるわけだし、ダリヤも素材の参考にすればいい。一緒に読んでも面白そうだし」
ちょっとだけ早口になりながら、黄金の目が迷ったように揺れる。
計画的犯行の匂いがかなりするが、正直、とてもうれしい。
魔物図鑑も楽しみだが、本を読みに来るヴォルフも、一緒に本を読んで話し合うのも楽しそうだ。
「じゃあ、二階に置かせて頂きますね」
部屋の壁際にある本棚の上を片付け、この本を大切に置いておこう。
それと共に、本を汚さぬよう、読むときの手袋をペアで準備しておきたい。
「ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
二人はとても似た笑顔を浮かべつつ、本屋を後にした。
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