表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
159/561

158.立食パーティと干物

 陽光のこぼれる芝生の上、秋めいた風が吹いている。

 別館の離れの裏、なんとも微妙な立食パーティが始まろうとしていた。


 テーブルから少し離れ、ヨナスはただ立っていた。護衛なので、食事には元から参加するつもりはない。


「ヨナス先生も、ぜひご一緒に」


 ヴォルフが自分を『先生』付けで呼んだとき、赤毛の女は不思議そうな顔を隠さなかった。


 ダリヤ・ロセッティという女。

 新進気鋭の商会長、ヴォルフの気にかける者ということで、華やかな美女だろうと勝手に思っていた。

 だが、現れたのは、赤い髪が少し目をひく、大人しそうな女だった。悪くはないが、王城にいれば埋没する程度の容姿だ。


「いえ、自分はこちらで控えておりますので」


 ヨナスがそう答えると、ヴォルフがダリヤに対し、自分に剣を教えてくれている、腕のたつ先生だと説明し始めた。

 よほど気を許しているのか、女に手の内をあっさりさらしている。

 家族にすら剣の練度を隠す自分としては、その信頼度は不可解にすら思えた。


「ヨナス先生、こちらでしたら心配はないかと。屋敷までの間に警護の者もおりますから」

「ヴォルフ様、ロセッティ殿を、従者で『魔付き』と同席させるのは失礼にあたるかと」


 そう答えると、ダリヤが目を丸くして自分を見た。

 どうやら自分の『魔付き』については、聞いていなかったらしい。


「気になるかい、ロセッティ殿? ヨナスも子爵家出身ではあるのだが」

「いいえ。あの、それでしたら、庶民の私の方がこの場をご遠慮するべきではないかと……」

「ロセッティ殿がこう言っているのだ。同席しなさい、ヨナス」

「……失礼致します」


 来客付きで気を遣う食事は、正直わずらわしい。だが、主の言うことに従わぬわけにもいかない。

 ヨナスは仕方なく、その隣に立ち、白ワインでの乾杯に加わった。


「兄上、ヨナス先生、どうぞ」


 乾杯後、最初に渡されたのは、紅牛クリムゾンキャトルが肉厚でカットされた串だった。

 自分は焼かずに血が滴るままに食べた方がうまい。

 それでも、周りに合わせ、小型魔導コンロのスイッチを入れ、上の網に押しつけるように焼く。表面が白くなったところで離し、黒っぽくどろりとしたタレをつけ、口に運んだ。


「これはいい味だ!」


 グイードが絶賛し、タレを付け足して食べている。好みの味だったのだろう、目尻が少しばかり下がっていた。

 それを見たヴォルフが、弟の顔で追加の串を渡している。

 本格的に今日のグイードの夕食は減らすべきだろう。


 ヨナスにはタレの味が邪魔だった。片面だけを白くした段階で口に運べば、肉の味は薄まるが、それなりに食える。こればかりは味覚差なので仕方がない。


 次に渡されたのは、緑イカの一夜干しだ。

 緑イカは、手の平二つくらいの大きさのイカで、正確には魔物である。

 緑の色らしく、風魔法を使う。

 ただし、それは海面上を飛んで逃げることに特化しており、漁では複数の船で追い込み、網であっさり捕まえられると聞いている。

 臭みはないが、色合いが独特で、身が固いため、貴族にはあまり好まれない食材だ。


 目の前にある一夜干しの緑イカ、皺のあるそれはまったくおいしそうに見えない。カビの生えた鮮度の悪いイカにもとれる。

 しかし、匂いはそれほど悪くない。謎の代物だ。


「これは東酒あずまざけと合います」


 ワインのグラスはすでに全員がカラにしていたので、東酒あずまざけに合わせた陶器のコップに切り替える。

 ロセッティ会長も女ながらにいけるクチらしい。酔いの片鱗も見えなかった。


 左手側に東酒あずまざけのコップを持ち、右手で串に刺した緑イカを焼く。ちりちりと小さな音を立てて縮んでいくイカから、なんとも香ばしい匂いが立ち上る。


 ナイフもフォークも使わず、ヴォルフが焼けた緑イカにかぶりついた。

 それを見つつ、グイードが真似をする。

 かぶりつく口は小さすぎ、引っ張る力の加減がわかっていない。なかなかうまく切れず、びろんと伸びた足をさらに伸ばし、無理矢理取ろうとしている。


 スカルファロット伯爵夫人であるグイードの母が見たら、卒倒の後、二時間は説教をくらいそうな光景だ。


 それでも、兄の顔で楽しげに笑うグイードを見るのは、うれしかった。


 先日、弟であるヴォルフと和解してから、少しだけ昔のグイードに戻った気がする。

 ヴォルフと話すときの、一段明るい青い目、少しだけ早い口調、いつもより大きな笑い声。

 子供じみた真似が増えたことに関しては少々手を焼いているが、肩の荷が減ったことを、こっそりと祝ってやりたいところだ。


 ヨナスもようやく手元の緑イカを焼き上げ、口に運んだ。

 思いの外、やわらかな身と、少し強い塩味に、普通に食べることができて驚いた。

 そして、自分もイカの足は一度では噛み切れず、口元で少し伸びた。


 ふと向かいを見れば、ダリヤが緑イカの足にぱくりと噛みついていた。

 引っ張って伸ばすのかと思いきや、犬歯の辺りできりきりと噛み切り、一口分をきっちり分けている。

 行儀がいいのか悪いのか判断に困るが、その器用さに感心した。


 咀嚼の後、東酒あずまざけをくいっと口に流し込み、白く細い喉を嚥下させる。

 とても満足そうに息をつく女につられ、あまり飲んだことのない東酒あずまざけを手にした。


 イカの後での酒は、少々臭みが増すだろう、そう覚悟して口にする。

 だが、ふわりと揺れた濁り酒の味は、臭みを上らせない。

 ワインの芳香とも違う甘い香り、蒸留酒の重みとも違う味の厚さ。

 少しばかり辛い酒は、ただヨナスの赤い舌を洗い、残る血の味を鎮めてくれた。


 他三人は、ピーマンに茹でた人参など、いろいろな野菜を焼いて食べていたが、ヨナスはただ緑イカと東酒あずまざけをくり返していた。


「では、次にこちらをお試し下さい。酒のツマミにいいですし、保存も利きます」

「これは、見た目がとても個性的だね……」


 グイードがとても懐疑的な目を串に向けている。

 自分も手の中にある干物を、まじまじと凝視してしまった。


 クラーケンの足の干物。

 見るのは初めてだが、薄い赤茶色でひどく硬い。触るとカチカチで、干し肉ともまた違う、微妙な質感である。

 ふと、魔導部隊で使うクラーケンテープを思い出した。あれと大差ない質感だ。

 本当にこれは食べ物なのかと、真面目に尋ねたくなる。


「あの、見た目はあまりよくないのですが、あぶると、好きな人には好きな味になります」


 それは、嫌いな人には嫌いな味ではないかと思ったが、女の懸命さに黙った。

 物は試しである。吐きたい味であれば呑み込んでしまえばいいのだ。


 ヨナスは小型魔導コンロの上、クラーケンの干物を焼き始めた。

 それぞれの目の前で丸まっていくカラカラの干物、なかなかいい香りはするが、さらに硬くなっていることが明白である。


「これは、なかなか不思議だね……」


 乾いた笑いを浮かべ始めたグイードの向かい、女が楽しげに干物をひっくり返す。

 そして、熱いのだろうに、指でつかんでは離してをくり返し、上手に身を裂いた。小さくした身を口にすると、ひたすらに噛み始める。

 その隣では、ヴォルフが大きめの身を口に、ひたすら咀嚼をしている。

 なんとも動作のそっくりな二人に、笑いをかみ殺すのが辛くなった。


 ヨナスも少々気合いを入れ、焼き上がったクラーケンの干物を口にする。

 紐か縄を食べるようだと最初は思ったが、数度噛んで驚いた。

 イカともタコとも少しだけ違う、意外に繊細な味と潮の風味。

 以前食べて覚えていた魚介の味が、噛む度に感じ取れた。


「意外にいけるものだね、驚いた……」


 グイードが足を口にしつつ、しみじみと干物を見つめている。


 その後、全員無言でクラーケンの干物を噛み続けて酒を飲むという、少々異様な場ができあがった。


「ヨナス先生、もう一本どうぞ」

「ありがとうございます」


 クラーケンの干物、その追加を受け取った自分に、グイードが不思議げな視線を向ける。


「ヨナス?」

「……うまい」


 つい、ほろりと本音がこぼれた。

 熱く、香ばしく、血の味も臭みもなく、身の噛み応えはただ楽しい。

 何より、血肉ではないのに『味』がわかる。


「ヨナス、あまり無理をしなくとも……ああ、すまない、ヨナスは味覚が少し変わっていてね」


 ヴォルフ達に向けてフォローするグイードの目に、影がよぎった。

 よく心配しているが、別に苦ではないと何度言ったらわかるのだろう。


「隠すことでもありません。魔付きの人間は味覚が異なることも多いのです。私はお茶の味も野菜の味もあまりわからないので」

「あの、それでは食事にお困りになりませんか?」

「少々偏食になりますが、体質のようなものですから、特には。酒と肉の味は大体わかりますし。今回のこの干物と酒は、とてもおいしいです」


 実際、ヨナスが食べ物としてきちんと認識できるのは、強めの酒と血肉だけだ。

 だが、今日からは干物と東酒あずまざけも加わった。これは、口さみしさや飢えをしのぐのに悪くない。


「ヨナス先生、小型魔導コンロをぜひお持ち下さい。夜食のときなどに便利ですから。干物と東酒あずまざけも準備しますので」

「お気遣いをありがとうございます」

「ヴォルフ、私の分もお願いできるかな?」

「はい、もちろんです、兄上」


 にこやかな兄弟のやりとりを微笑ましく思いつつも、ヨナスは静かに釘を刺す。


「ヴォルフ様、私がお受け取りして管理致します。グイード様は少々、お体が心配ですので」

「兄上、まさか、どこかお悪いのですか?」


 弟のとても不安げな声に、グイードが少し冷えた目でこちらを見た。


「少々運動不足なだけだよ。なに、久しぶりに親友と『少し強めの鍛錬』でもすれば済む話だ」

「……グイード、様?」


 やぶから大蛇を出した気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
貴族としてではなく、兄として、家族として過ごしてるグイードさんとヴォルフのワンシーンにほっこりが止まらない…………最後を除いては
[良い点] 冒頭は、味覚が違うヨスナに合う味が無い切ない話なのかと思ったら……。美味しそうで良かったです。
[気になる点] それでも、兄の顔で楽しげに笑うグイードを見るのは、うれしかった。 兄がグイードなのでどちらかが弟かヴォルフになるのではないでしょうか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ