154.手紙の山と商会員
「この手紙は、なんでしょうか……?」
商業ギルド内、ロセッティ商会が借りている部屋で、ダリヤは机の上にある手紙の束を見ていた。
高さの違う三つの山になっている。どう見ても三桁はありそうだ。
向かいのイヴァーノが、一番高さのある束に手を伸ばした。
「こちら、一番多いのが挨拶とお祝い、今後取引があったらよろしくって手紙です」
「お祝いって、魔物討伐部隊御用達のですか?」
「それもありますが、どちらかというと、会長が魔物討伐部隊相談役に決まったからですね。男爵ほぼ確定ってことで」
「……ああ、そうでした」
スライム養殖場を見学したり、ヴォルフと出かけたりして、気分的には少し持ち直した。
しかし、来年には男爵になるだろうと言われるのは、かなりの重圧だ。
「こちらは型通りの礼状を返しますので。で、次に多いのが、商会取引の打診、面会希望ですね。半分以上、微風布絡みなんで、多忙を理由に断ります。貴族もいますが、そちらはフォルト様に丸投げします」
商会員二名の商会が、服飾ギルド長のフォルトに丸投げしていいものなのか。
疑問を抱きつつ、真ん中の手紙の山を眺めていると、イヴァーノが三つ目の山を手にした。
「こちら、食事会やお茶会へのお誘いです。いわゆる『お見合い』の打診ですね」
「は?」
「婚約破棄から三ヶ月過ぎたとわかったのが最近なんでしょう。だからまとめて来た感じですね。グラート隊長のおかげでだいぶ減ってるとは思いますけど」
「これで減ったんですか?」
どう見ても束か山である。宛先間違いとしか思えない。
「ええ。まず、相手に既婚はいなくなったと思います。自力で男爵になる女性を、第二夫人にする選択肢は少ないですから。次に、それなりに商会規模があるか、爵位がなければ、歯牙にもかけてもらえないとわかりますから、そもそも申し込みませんよね」
「歯牙にもかけてもらえないって……」
結婚相手の選定基準を上げ、下から落とすような話だ。
それを自分に言われてもぴんとこない。
ついでに、『歯牙』の単語に、財務部長のジルドに『獅子』と言われたことを思い出したが、振り捨てておく。
「大きい商会から子爵家まで、十一通ほど来てますけど、どうします?」
「お見合いする気はないです」
「じゃ、断りますね。カルロさんの名前があるので、同格の男爵までだとすぐ断れます。ただ、子爵が三件いますので、これは波風を立てたくないです。今回は、レオーネ様の名前を借りて断っていいですか?」
「お願いします。あの、レオーネ様にお願いに伺った方がいいでしょうか?」
「ああ、先に言われています。面倒な見合いがきたら名前を使っていいと。手紙は定型文ですし、印章はガブリエラさんが持っていて、いつでも押してくれるそうなので」
自分の見合いのお断りでは、レオーネの名前が好きに使え、印章はいつでも押してもらえるらしい。大変ありがたいことではあるが、いろいろといいのかすごく疑問だ。
目の前では、イヴァーノが少しばかり眉をひそめつつ、頭をかいていた。
「しかし、今後も増えそうですね……男爵になっても、高位貴族相手だと無碍にはできませんし。少し上の爵位の『貴族後見人』をつけた方がいいかもしれません」
「『貴族後見人』ですか……」
『貴族後見人』は、爵位のある者が、庶民や自分より爵位が下の者の後見人になるものだ。
後見人といっても、実際の仕事を指示するのではなく、能力を保証し、もしもがあれば助けて動くというものだ。自分の感覚としては、保護者や保証人という方が近い。
ダリヤには男爵の父はいたが、他に貴族の親族はいない。
一応、母の実家は貴族だが、まったくつながりはない。
万が一、連絡があったとしても、貴族後見人をお願いできるとも、したいとも思わないが。
「ええ。『貴族後見人』になってもいいとおっしゃる方がありまして」
「レオーネ様でしょうか?」
「いえ、財務部長のジルドファン・ディールス様が。侯爵ですから家格としては最高ですね」
「は?」
脳が理解を拒否した。
ディールス侯爵であるジルドとは、少々衝突したが、財務部への説明会で円満に終わったはずだ。
その後、詫びの手紙と花やお菓子をもらったし、礼の手紙も書いた。
だが、思い返しても他に接点はない。
「ロセッティ商会宛てに来ていまして、先に確認させてもらいました。なんだか、えらく気に入られたみたいで……」
イヴァーノが少し困った顔で取り出したのは、白に金色の飾り模様がついた豪華な封筒だ。
見たことのある印章と筆跡は、緑の塔で受け取ったものと同じだった。
『あなたに借りがあるので、困ったときには連絡を。希望があれば、いつでも貴族後見人になる』――要約すれば、そうあった。
ジルドの手紙を手に、つい首を傾げてしまう。
「『貴族後見人』って、親しくない間柄でも、簡単になるものなんでしょうか?」
「フォルト様いわく、『高い借金の保証人みたいなもの』だそうです」
「それって、だめじゃないですか」
「商人なら貴族にお金を積んでお願いすることが多いそうですけど、ディールス様の場合はお金じゃなさそうですし、『借り』って書いてますから」
「貴族って、わからないですね……」
貴族の誇りとして借りを返したいのか、謝罪で気を遣っているのか、判断に迷うところだ。
ただ、ヴォルフから聞いた話では、グラートとジルドの確執は解消したらしい。
部隊棟の廊下を歩きながら、二人で和やかに談笑していたと聞いた。
もっとも、ヴォルフとしてはジルドは信用できない者らしい。名前が出ると、いまだ眉間に皺が寄る。
「あの……ヴォルフに『貴族後見人』を頼んだら、おかしいでしょうか?」
「大丈夫だとは思うんですが、年齢が少し若いかもしれません。そのあたりは俺も不勉強ですみません。一度、聞いてみたらどうでしょう? スカルファロット家は、ディールス様よりは弱いかもしれませんが、侯爵家までのお見合いなら断れるようになりますから」
「いくらなんでも、そんなお見合いは来ないと思いますが……」
「わからないですよ。王城でいきなり見初められるってこともありえますからね」
「それは美男美女限定のお話です」
ダリヤはあっさりと返した。
確かにメイドや勤めている職員の中には、見初められての結婚も少なくないそうだ。
しかし、王城に出入りしてみてよくわかる。メイドも職員も、美男子・美女・美少女がとても多い。
自分など、化粧をフルでしたところで、かすんで壁になっている自覚がある。
少し遠い目になっていると、イヴァーノがそっと手紙を片付けた。
「さて、会長。ちょっとお願いがありまして」
「なんでしょう?」
「会長が今やってる、防水布とドライヤー、コンロの製作、全部下請けに回させてください。魔物討伐部隊用のコンロのチェックだけは動かせませんが。空いた時間を、新規開発と改良に回してください。収益はもう真っ黒ですので、開発費は遠慮なく使ってもらっていいです」
「あの、開発費は、どのぐらいまでならいいでしょうか?」
少しばかり心が躍る。
ちょっとだけ背伸びをして、珍しい素材を使った研究もできるかもしれない。
「金貨三十までなら即金で、一ヶ月後払いなら七十まで構いません」
「はい?」
ダリヤの感覚では、金貨一枚は十万前後。イヴァーノの言う金額は、大体三百万から七百万の価値になる。
「イヴァーノ、桁、間違ってませんか?」
「すみません、金貨三百はもうちょっと待ってくださいね。五年もあれば実現してみせますんで」
「あの、そうじゃなく!」
「ええ、わかってます。わかってますけど、本気ですよ」
イヴァーノの紺藍の目が、まっすぐダリヤを見た。
「俺、冗談言ってませんよ。今、即金で金貨三十、余裕で出せます。誇ってください、会長が泡ポンプボトルと靴乾燥機、微風布で産み出した利益です。商会運営費も充分あります。五年もらえるなら、冗談じゃなく、今の十倍に研究費分を上げてみせますよ」
開かれた帳簿、収益金の数字は、たった二ヶ月ちょっとで恐ろしいまでの右上がりだった。特にここ二週間の入金は桁が違う。
ダリヤは微風布製作のあたりからイヴァーノ任せにしていたため、いきなり上がっている数字にとても驚いた。
「で、こうなりましたので、ロセッティ商会の口座と、ダリヤさんの個人口座で分けたいです」
「かまいませんが、口座分けはした方がいいものですか?」
「はい、金額が大きくなりましたし、税金のこともあるので。あと、どちらもダリヤさんの所有ですけど、個人口座はダリヤさんしか見られなくなりますから。俺の他に商会員が増えたとき、財産が筒抜けというのもどうかと思うので」
個人のプライバシー的問題もあるらしい。
確かに商会員が増えるとしたら、そういったことも考えるべきだろう。
「帳簿はいつでも気が向いたときにチェックしてもらっていいです。あと、公証人にも二ヶ月ごとに帳簿を見てもらって、証明してもらいますので」
「イヴァーノは不正なんてありえないじゃないですか」
「俺を信用してもらえるのはありがたいですが、王城出入りの商会で、公証人の書類なしだとちょっとまずいかと」
「ああ、そういうこともあるんですね」
確かに王城に出入りするからには、帳簿を含めて、信用があった方がいいだろう。
「次に発注なんですが、このところ防水布がいきなり多くなりまして……」
「何か特別な用途でしょうか?」
「いえ、馬車の幌とか、テントとか、作りかけの屋根にかける布とか、今までと似た感じです。ただ、販路の関係とか、いろいろあるのかもしれませんね」
どこかで急に導入されたか、数の多い入れ替えでもあったか――ダリヤが考えられるのはそれぐらいだ。販路に関してはまったくわからない。
「それで、ドライヤーとコンロは下請けでなんとかなったんですけど、防水布を仕上げられる工房や魔導具師が足りなくて……あれ、均一でないとだめなんですってね」
「ええ。魔力を一定で付与しないと、表面がでこぼこになりやすいので」
じつは最近、ダリヤも防水布への付与が少し難しくなった。魔力が上がったことで、まだ付与が安定していないのだ。
「防水布を安定して作れる魔導具師に、心当たりはないです?」
「……あるにはあるんですが」
名前を口に出しかけ、ためらった。
「ああ……トビアスさんですね。じゃあ、オルランド商会へ出していいですか? もちろん、やりとりは全部俺がやりますんで」
イヴァーノには見事に筒抜けだった。
だが、考えてみれば、自分の身近で魔導具師として防水布を作っていたのは、トビアスしかいない。
「かまいませんが、防水布の受注はオルランド商会が王都で一番のはずですから、忙しいのではないかと……」
「いえ、最近、暇らしいですよ、あそこの魔導具部門」
「そうなんですか?」
思わず聞き返してしまった。
防水布、ドライヤー、乾燥剤など、それなりに受注はあったはずだ。トビアスとダリヤだけではなく、その他の魔導具工房へ下請けに出すくらいには、作業量があった。
「気になります?」
「それは……まったく気にならないと言えば、嘘になりますけど」
「トビアスさん、商業ギルドを一度敵に回してますからね。ギルドからの魔導具発注や、業者紹介は減ったんですよ。まあ、オルランド商会は他にもいろいろと扱ってますから、そうそう斜めになることはないでしょうけど。ただ……もう、会長次第のところはありますよ」
「私、ですか?」
ダリヤは言葉の意味がわからず、つい聞き返した。
「ロセッティ商会は、商業ギルド長と伯爵家のヴォルフ様が保証人、服飾ギルド長の共同開発者、冒険者ギルドともスライム養殖関係で密接、そして、商会は魔物討伐部隊御用達で、会長は相談役。これだけそろったんです。会長がオルランド商会に思うところがあれば、少々の無理は通せます」
「イヴァーノ、あの、何を……」
「会長、いいえ、ダリヤさん、本音でいきましょう。本当に、もう思うところはないですか?」
記憶のかぎり、今までで一番冷えた紺藍の目が、ダリヤに問いかける。
「もし、トビアスの顔を二度と見たくないなら、王都から出しますよ。オルランド商会が許せないなら、ちょっと時間はかかりますが必ず潰します。ダリヤさんが望むなら、俺に一言告げるだけでいい」
「……もう、終わったことです」
答える声が妙なほどしわがれていて、自分でそれに驚いた。
「ダリヤさんは、まだ若いんです。仕事もそうですけど、恋愛も結婚も、まだまだこれからです。もし、婚約破棄の一件が枷になってるなら、きっちりやって、再スタートしてもいいじゃないですか?」
ああ、そうか――イヴァーノの話の意味が、ようやくわかった。
自分が恋愛や結婚の話をせず、一般的には玉の輿である貴族との見合いに応じない。
それは婚約破棄を枷とし、引きずっているからだと心配されているのだろう。
そうではないのだ。
本当に、今はこのまま、魔導具師の仕事をしていたいだけだ。
もうとうに婚約破棄の記憶は薄れている。
傷が完全にないとは言わないが、少なくとも恨みつらみはない。もっとはっきり言えば、振り返ることすらなくなっていた。
「イヴァーノ、気遣いをありがとうございます。でも、本当に必要ありません。私は大丈夫です。だから、他の商会と同じように、仕事で必要なら付き合う、そうでないならそのままでいいです」
「わかりました……俺の気の回しすぎで、すみません。でも、忘れないでください。俺は会長の右腕を目指してます。できる範囲で本音がほしいです。俺には話してまずいことはないと思ってください。まあ、俺が期待にお応えできないことはあるかもしれませんけど」
「ありがとうございます。もう期待の何十倍も上げてもらってますから、イヴァーノの方こそ誇ってください」
イヴァーノに商売面を任せられたから、今のロセッティ商会がある。
商品の管理、営業、経理、そして自分へのまっすぐな助言。どれだけ助けられたかわからない。
「それに、右腕を目指す必要なんてないじゃないですか。ロセッティ商会の半分、商売なら全部、イヴァーノでもってるんですから」
「……くぅ」
両手を顔に当て、イヴァーノがいきなり上半身を折った。
「どうしました?! どこか具合でも……」
「いえ、大丈夫です。面と向かって褒められると、照れますね……」
「あの、私、おかしいこと言ってませんよね? なにかまずい表現とかしてませんよね?」
ダリヤは、おろおろと聞き返す。
これでまた恋愛関連の何かに当てはまっていたら、トラウマになりそうだ。
「大丈夫です。俺、単純にお褒めの言葉に照れてるだけです。あと、うちは『照れた顔を他の女に見せるな』という、妻との大変重い約束がありまして……」
ということは、今のイヴァーノの顔を見てはいけないではないか。
ダリヤは慌てて机の上の帳簿に視線をずらす。
ぱらりと帳簿をめくり、イヴァーノの給与が、初月からあまり増やされていないのに気がついた。
「あ、利益が出たらお給料を上げる約束でしたよね! イヴァーノのお給料をアップしましょう、思いきり!」
「ありがとうございます。遠慮なく増やさせて頂きますよ、会長。妻もきっと喜びます」
明るい笑い声を立てつつも、彼はまだ顔から両手を離さない。
その後しばらく、お互いに視線を外したまま、今後に関する話を続けていた。
ダリヤはこの日、イヴァーノの涙を見ることはなかった。