150.東酒チーズフォンデュと蜜の酒
(書籍発売御礼をこめて)
スライム養殖場から王都へ戻ると、夕方に近い時間だった。
イヴァーノは用事があるというので、商業ギルドに馬車で送り届けた。
その後、ダリヤとヴォルフは緑の塔へ移動した。
外食の話も出たが、先日、ヴォルフの持ってきた東酒があるので、それでチーズフォンデュはどうかと提案したところ、あっさり決まった。
結果、二人で台所に立ち、東酒のチーズフォンデュ、蒸し野菜、蒸し鶏、蒸し海老、白パンを準備する。
そして、東酒と錫器のぐい呑みをテーブルにそろえた。
小ぶりの錫器のぐい呑みは、酒のペースを落としてくれる。
明日は休みだというヴォルフに合わせ、今日は少しゆっくりと飲めればいい。そう思いながら支度をした。
居間のテーブルで錫器のぐい呑みを軽く合わせ、二人で食事を始める。
小型魔導コンロの上、東酒のチーズフォンデュは、いつもと違う香りを上らせている。だが、食べてみれば独特のコクがあって、蒸し野菜や蒸し鶏とよく合った。
「次の遠征は、どうすべきか……」
満足げに食べていたはずのヴォルフが、いきなり眉をひそめ、遠征の悩みをこぼした。
「あの、私でよければ聞きますが。聞くだけになるかもしれませんが……」
部隊の備品か、遠征先の問題か、それとも強い魔物の対抗手段か。
自分に相談されても、おそらく解決はできない。ただ聞くしかできないだろう。
それでも、話してもらって少しでもヴォルフが楽になるのなら――そう思う。
黄金の目が揺れ、ダリヤをじっと見た。
「次の遠征中、コンロでチーズフォンデュをするつもりなんだけど、ワインにするか、東酒にするか……」
「好きなだけ迷ってください」
ダリヤは笑顔でヴォルフの迷いを放り投げ、食事を再開した。
蒸しカボチャをチーズの海に浸したものは、チーズの塩でより甘く感じる。ほくりと口の中でほぐれるカボチャは、旬の味だった。
「カボチャのおいしい季節になりましたね」
「そうだね」
黄金色のカボチャと赤茶のキノコの載る蒸し野菜の皿は、実に秋らしい。
「キノコを見ると、遠征先のスライムを思い出すよ。たまに近くにいるときがあるから」
「キノコもスライムも、湿気の多いところを好みますからね」
「そういえば、遠征先では考えたことはなかったけど、今日の養殖場のスライムを見たら、粉にするのがちょっとかわいそうな気がしたな」
「それは、ちょっとありますね……」
ヴォルフが思い出しているのは、小さなブルースライム達だろう。あれは見ているだけでかわいかった。
「ダリヤは、明日からスライム粉が使いづらくなったりしない?」
「気持ちとしては少しきますけど、使いづらくなるとか、使わなくするというのはないですね。魔導具科の試験を受ける前に、『魔導具師は素材として命を扱う』と、父によく説明されましたし、その……実戦もあったので」
「実戦って、ダリヤが?」
「ええ。実戦と呼んでいいのか微妙ですけど。父が森でグリーンスライムを捕まえたのを、私が銀の棒で叩いて……核を壊すまで大変でした」
小さいスライムだったが、なかなか核に当たらず、苦戦した。
三匹ほど仕留めさせられたが、手に肉刺ができ、つぶれて痛かった。
「緑兎なんかも、何度か解体しましたよ。初回は隠れて泣きましたけど」
普段は穏やかなカルロが、これに関してだけは厳しかった。
冒険者でもないのに、魔物のどこに何があるか、どう取るか、きちんと教えられた。
おそらくは魔物にも命があること、採取の大変さを教えておきたかったのだろう。
「……思い出したくないことを聞いたかな?」
「いえ、自分で魔導具師になると決めてのことなので。かわいそうと手を止めていたら仕事ができませんし。でも、『素材として命をもらっているのは忘れないように』と、父に言われました」
「ダリヤのお父さんて、けっこう厳しかったんだ」
「いえ、普通だと思いますよ。普段は甘い方でしたし」
カルロは、ダリヤが小さい頃から魔導具作りを教えてくれ、共に試行錯誤してくれた。ほしがった本や素材も惜しみなく与えてくれた。
お互いがたった一人の家族だったせいもあるだろう。外食に出かけたり、買い物に出かけたり、父娘としては仲がよかった方だと思う。
「ヴォルフは魔物がかわいそうになったことって、あります?」
「……初めての殲滅戦は、ちょっと辛かった」
ぽつり、ヴォルフが低くこぼした。
「隊に入ったばかりの頃、ある村の近くに、ゴブリンが集落を作ったことがあって。その殲滅戦。言い方を変えれば皆殺しだね」
「でも、討伐は必要なことじゃないですか」
「ゴブリンの方が増えるのは早いし、近くにまた作られたら困るから、仕方がないっていえば仕方がない。でも、そのときの俺は、子供のゴブリン達を殺すのにためらってしまった」
「それは……入ったばかりでは仕方がなかったのでは?」
「俺の動きが遅かったから、サポートの魔導師が氷魔法を撃ってくれた。ただ、それではすぐ死ななくて……すぐに仕留めたけど、俺がさっさとやっていれば、二度も苦しませることはなかった」
苦さを隠さない声に、残る傷が見え隠れする。
「今は倒すと決めたらためらわない、何も考えない。けっこう、ひどいよね」
「いえ。それを言ったら、私はスライムをはじめとした魔物素材をかなりの数で使ってますし。魔物から見たら、私もヴォルフもたいして変わらないんじゃないかと」
「いや、俺とダリヤじゃ全然違う」
「似たようなものですよ。『自分達を倒しに来る魔王』に『自分達の屍を利用する魔女』ですから」
「『自分達の屍を利用する魔女』……」
なぜその部分だけを真顔で復唱するのだ。フォローするつもりが追い詰められそうだ。
ダリヤは慌てて言葉を続けた。
「考えたら食事もそうですよね。人間は牛も豚もクラーケンも、おいしく食べてるじゃないですか」
「確かに。今日の鶏も海老もおいしかった……『罪深きは人間なり』かな」
ヴォルフの言葉に、つい苦笑してしまう。
確かに、ここまでいろいろな動植物、そして魔物まで食べ、死後までも利用するのは人間だけにちがいない。
・・・・・・・
食後の片付けを済ませると、ヴォルフが黒の大きな木箱をテーブルに載せた。馬車から持ってきたそれは、おみやげだと言われていたが、何が入っているかは聞いていない。
「これ、約束のお酒。おいしいかどうかはちょっと自信がないんだけど、お祝いのお酒ということで」
「財務部へ説明をする前の約束ですね」
あのとき、ヴォルフは言った。『おいしい酒を探しておく』と。
どうやら、木箱の中身はその酒らしい。
「説明会の成功に加え、ロセッティ商会が魔物討伐部隊御用達になったことと、ダリヤが相談役になったこと。あとは、俺達が会って百日ぐらいなので、それも含めてのお祝いかな」
「百日……もう、そんなになるんですね」
前世今世を通し、ここまで濃い百日はないだろう。
婚約破棄から今日まで、思い返しても怒濤の日々だ。
ヴォルフと会って百日というのが、短くも長くも思えるから不思議だ。
「これ、うちの領地で作ってる酒なんだ。量が少ないのと日持ちしないので売り物にできない。兄に甘い酒でおいしいものはないかって聞いたら、これを持たされた」
ヴォルフは黒い箱の蓋をそっと開ける。甘ったるい花の香りが、ふわりと広がった。
「『スカルラットエルバ』っていう酒」
箱の中、黒い布の上に、一枝の植物が寝かされていた。
サルビアを数十倍ほど巨大化させたような花で、色は艶やかな純白だ。
葉も茎も白く、花と言うより、彫刻品のようにも見える。
「初めて見るのですが、これのどのあたりがお酒なんでしょうか?」
「ここをむしる」
サルビアの花部分としか思えないところを、ヴォルフが引っ張って取る。
ぶちりと、なかなか大きな音が響いた。
かなり力がいりそうだ。もしかすると、ダリヤではむしれないかもしれない。
「で、ここから蜜というか酒をとる」
グラスに花をくるくると巻いて搾られたのは、透明で少しだけ粘度のある液体だ。ひとつの花で大さじ数杯ぐらいだろうか。
四つほど花をむしると、花の香りより、強いアルコールの香りが広がっていた。確かに酒だ。
「花の匂いに誘われて小さい動物がくると、花を守る黒ラット達が襲って食べる。大きい動物は、アルコールに酔っ払ったところを狙って食べられる。だから、花言葉は『共存共栄』なんだって」
スカルラットエルバには、頼れる守護者がいるらしい。
が、守りの場面を想像すると、意外に怖い酒だった。
「付き合いがうまくいくことや、商売の縁起を祈って飲む酒だって聞いた。ただ、商売人の場合は、『客は骨まで頂きなさい』っていう説もあるとか、ちょっと怖い話もあったけど」
「わぁ……」
「白い花じゃなくて、白い骨が積み重なるからスカルで、黒ラットのラット……浪漫の欠片もない名前なんだけど」
「どうやって採ったんですか、この花?」
「うちでは、昔から株で育ててるって聞いた。黒ラットはいないけど、温室の護衛はいるよ」
「なるほど」
黒ラットのいないスカルラットエルバは、温室で人が大切に守って育てたらしい。
しかし、花でありながら酒とは、なんとも珍しい。
「少し強めの酒なので、一応気をつけて」
「はい」
小さなガラスの盃に移した蜜の酒は、アルコールの匂いと甘い花の香りを同時に立ち上らせていた。
カチンと小さく盃を合わせると、わずかずつ味わう。
「とても甘くておいしいですね、それに香りがいいです……なんとなく、オレンジの花っぽい感じがします」
「おいしいけど、ここまで甘いとは……」
甘い蜂蜜と強い酒を同量に混ぜた感じと言えばいいのだろうか。甘く濃厚でおいしいが、これは喉が渇きそうだ。
ヴォルフは盃を眺めながら、困ったように目を細めた。
「甘すぎるなら、炭酸水割りにします?」
「お願いしたい。ダリヤは平気?」
「ええ、このままでおいしいです。喉が渇くので、水はあった方がいいですけど」
「ああ、これ、一日で酸っぱくなるって。今日だけしか飲めないから、全部取った方がいいよね?」
「お願いします。もし余ったら冷凍しますので」
冷凍したら酸っぱくはならないだろう。
花の香りはとんでしまうかもしれないので、できるだけ今夜のうちに飲みたいところではある。
花をむしってもらっている間、ダリヤはグラスと炭酸水を持ってきた。
ヴォルフの飲む分は、グラスで炭酸水割りを作る。
グラスと盃で再び飲むと、花の甘い香りと酒の香りが再び上がる。
盃を干せば、口は甘いが喉が熱い。飲んだ後に戻ってくる独特の熱は、やはり強めの酒だった。
「これ、口当たりは丸いけど、かなり強いな……炭酸で薄めるとかえってわかるよ」
「甘いので、そのままだとあまり意識せずに飲めちゃいますね」
かなり強い酒だと言いながらも、ヴォルフが盃に追加を注いでくれる。
飲みすぎないようにと思いつつ、舌に馴染む甘さに、つい酒がすすんだ。
ダリヤが三杯目の盃を傾けていると、ヴォルフが口を開いた。
「その、突然で申し訳ないんだけど、うちの兄が、一度ダリヤに会いたいと……俺が商会の保証人になっているから、気になるのかもしれない」
「私は貴族の礼儀作法ができていないので、失礼にならないでしょうか?」
「大丈夫。俺のいる屋敷の方でお茶にしないかって。会うのは兄だけだし、俺も同席するから。もちろん、嫌なら断ってくれてかまわない」
遠慮がちに言った彼に、ダリヤは即答する。
「ご挨拶とお礼はしたいです。財務部で遠征用コンロを説明するときに、お世話になりましたし、ヴォルフにも、とてもお世話になっていますから」
「むしろ、俺が君に世話になりっぱなしなんだけど」
「いえ、そんなことはないかと……あの、この話をし出すと、前みたいに同じことを言い合う気がしませんか?」
「確かにそんな気もする」
前もヴォルフと似たような会話をした。
お互いに自分の方が世話になっていると言い出し、キリがなくなった記憶がある。
「ヴォルフ、このお酒と一緒でいいんじゃないでしょうか? 『共存共栄』を目指すということで」
「ダリヤと『共存共栄』か……それならよさそうだ」
うなずいたヴォルフが、なんだかとてもうれしい。
少しばかり体がふわふわとして温かいのは、珍しく酔いが回っているからだろう。
ヴォルフの方へ思いきり腕を伸ばし、その手のグラスに自分の盃を寄せる。
少しずれて指をぶつけてしまった後、ようやくカチリという小さな音が響いた。
その乾杯の音に満足し、ダリヤは微笑む。
「末永く、二人、共に栄えますように――」
酒はかなり強いヴォルフだが、自分と同じく、今夜は少し酔いが回っているのかもしれない。
ふと近くでみつめた顔、その頬にわずかな赤みがあった。
「……末永く、二人、共に在れますように――」
グラスで隠した唇が紡いだ祈りは、蜜の酒だけが聞いていた。
活動報告(2018.10.25)にて、書籍「魔導具師ダリヤはうつむかない1」の発売御礼をアップしました。応援してくださった方々、関係者の皆様、読者様へ心より御礼申し上げます。