141.獅子と夏の大輪
「では、こちらで実際に遠征食をお試しください」
プレゼン後、中央棟の広い休憩室で、プレゼン参加者の食事会になろうとしている。
なぜかヴォルフが先頭に立って、従者とメイド達を仕切っていた。
プレゼンの準備期間中、実際に稼働できる場があればいい――そう話していたが、中央棟を借りるのは難しいということで終わっていた。
テーブルの上、遠征用コンロと共に、けっこうな台数の小型魔導コンロが並んでいるのはどうしてだろう。まちがいなく人数分以上ある。
振り返ってイヴァーノを見れば、黙って首を横に振られた。彼も聞いていなかったらしい。
「こちらが今までの遠征食、こちらが今後の遠征食案です。ぜひ、食べ比べてみてください。その後、いろいろな食材をお試し頂き、ご意見を頂ければと思います」
完全に魔物討伐部隊員ではなく、ロセッティ商会の営業の顔である。
よどみなく説明するヴォルフは、自分よりはるかにプレゼン力がある。ちょっぴり悔しい。
テーブルの上には二つのトレイ。片方には質素な遠征食、もう片方には、それなりにおいしそうな食材が並ぶ。ワインだけは革袋ではなく、瓶とグラスで置かれていた。
遠征用の硬く乾ききった黒パンに驚く者、干し肉を噛みきれず困惑した顔で咀嚼する者、財務部員の反応はそれぞれだ。
それに対し、一口だけ遠征食を食べ、あとはさっさと燻しベーコンやソーセージを焼き始めている隊員達は、一様に笑顔である。その勢いは、休憩室に匂いがつかないか心配なほどだ。
それでも、それぞれが食べ、話をしていくにつれ、次第に距離は縮まっていくように見えた。
ここまでで、ダリヤのプレゼンは、一区切りと言っていいだろう。
自分には本日、プレゼンの他にもう一つ、しなければいけないことがある。
ジルドに『飼い猫』発言を撤回してもらうことだ。
『飼い猫』と呼ばれたあの日、スカートを汚したメイドの安否が気になり、ヴォルフに尋ねた。
ジルドが簡単にどうこうしたとは思いたくないが、国外へ無理に出されていたりしたら、かわいそうだと思えたからだ。
だが、本人希望による退職となっており、給与と退職金を受け取っていること、王都の家へ帰っており、その無事も確認されたという。
ダリヤの気にしすぎだったようで、手間をかけて調べてもらったのが申し訳なくなった。
財務部長のジルドに話しかけるには、今がちょうどいい場である。
ダリヤは背筋を正し、気合いを入れて、ジルドの元へ歩き始めた。
イヴァーノが少し後ろに付いてきてくれている、魔物討伐部隊の隊員達も同じ部屋にいる。
たとえ撤回してもらえなくとも、ただ自分の意思を伝えるだけのことだ。
「私に用かね、ロセッティ商会長?」
ジルドは従者すら遠ざけ、一人でテーブルについていた。
まるで、ダリヤを待っていたかのようだ。
「はい。先日のお言葉、私の『飼い猫』の撤回を求めたく参りました」
「ああ、撤回しよう。ロセッティ商会長、この前の『飼い猫』は撤回させて頂きたい」
「撤回を受け入れます」
あまりにあっさり言われ、拍子抜けする。
つい、じっと琥珀の目をみつめると、彼はわずかに口元を吊り上げた。そのまま立ち上がると、自分に向けて優雅に会釈する。
「撤回に続き、謝罪しよう。私、ジルドファン・ディールスは、ダリヤ・ロセッティ商会長への謝罪として、責を負って王城財務部長を退く――これで、よろしいか?」
「は?」
男の突然の言葉に、ダリヤは凍った。
「ロセッティ商会長への非礼、メイドの件もある。つり合いとして、この首では足りんかね?」
「何をおっしゃっているんですか……」
ジルドの悪い冗談に、ダリヤは思わず笑ってしまう。
庶民の自分への非礼ぐらいで、王城の財務部長の地位が揺らぐものか。
きっとこの男は素直に謝れないのだろう。案外、意地っ張りなタイプなのかもしれない。
それに、たとえ本気だったとしても、この男に財務部長を辞めてもらったところで、ちっともうれしくない。
グラートとジルド、そして遠征後に亡くなったという弟。くわしくはわからないが、自分はそこに巻き込まれた形らしい。
きちんと謝ってもらえた今、辞めてもらうより、ジルドへ願いたいことがある。
「ディールス侯爵様、では、謝罪より『なかったこと』にしてくださいませ。そして、どうぞこれから魔物討伐部隊に正しく予算を回して頂けるよう、お願い致します」
「……退かせるつもりはないということか」
「ええ。まだお若いのですから、どうぞ引き続き、末永く、財務部長としてご活躍ください。それと……あの、失礼ですが、できましたらグラート隊長とお話をお願いします」
「……了承した」
男は苦虫を噛みつぶしたような顔をしつつも、うなずいてくれた。
グラートから隊の現状をくわしく聞けば、今後の予算の話もわかってもらいやすいかもしれない。
ジルドは無言のまま、椅子に腰をおろした。
目の前のテーブルには、稼働させていない遠征用コンロがある。
だが、誰もここには寄ってこない。周囲から遠巻きにされているのがわかり、ダリヤは自ら遠征用コンロのスイッチを入れた。
「何をするつもりだね?」
ダリヤが食材を焼き始めたのが不思議らしい。ジルドが、胡乱な目を向けている。
「新しい遠征食の一例をご紹介できればと思います。あの、こちらが現在の遠征食です」
銀のトレイの上、一切れの乾燥黒パンを手にした後、ジルドはひたすらに咀嚼を開始した。
あの黒パンは、なかなか噛みきれない。喉につまるのを心配してか、従者が慌てて水と赤ワインを準備していた。
その間に、遠征用コンロの火力を強めにし、ダリヤはひとつの食材を焼き上げる。
香ばしい匂いが立ち上ると、それをそっと白い皿に移した。
「よろしければ、こちらをお試し頂けませんか?」
「それは?」
「カマスの干物です。短期遠征に持っていける食料です」
肉厚でやわらかな、いいカマスの干物である。塩が効いているので、そのまま食べられる。
カマスの干物は癖が強くない。夏の終わり、脂はあまりのっていないが、その分上品な味わいだ。
これなら貴族のジルドでも、それなりにおいしく食べられるのではないかと思う。
「カマスの干物……」
腹開きの焼いた干物。侯爵であるジルドには、見慣れないものだろう。
ジルドはひどく難しい顔をしながら、ナイフとフォークでつつきはじめた。それでも、挑戦するあたり、自分に気を遣ってくれているのかもしれない。
「……意外にいけるな。これはワインより、エールかもしれん」
「東酒も、お薦めです」
ふわりと表情を崩した男に、つい言ってしまう。どうやら、ジルドも酒はいける口らしい。
「なるほど、東酒は特に合いそうだ……ロセッティ商会長、先にこれを焼いて酒を回したら、最初の価格で契約できたかもしれんぞ」
「その手がありましたか……」
プレゼンの順番としては、やはりインパクトが最初に有った方がよかったかもしれない。
となると、自分の必死のプレゼンはなんだったのか、ダリヤはちょっと遠い目になった。
しかも、グラートの申し入れに対し、答えるのに噛んでしまった。
誰も笑わないでいてくれたが、思い出すほどに恥ずかしい。
本音を言うならば、今すぐ緑の塔に帰りたい。
ヴォルフと今日の話をしながら、カマスの干物を炙り、辛口の東酒を飲みたい。
「冗談だ……今回の差額損失分は、私個人で補填させて頂こう」
「いえ、けっこうです。名前が刻めなくなると困りますので。ただ、説明としては、やはり先に実食の方が効果的だったかもしれないと思いまして」
「いや、先だとその後の説明が入りづらい可能性もあるぞ」
「そうですか……だと、財務部の皆さん全員に、今までの遠征食とこちらを並べ、食べて頂きつつ、横に資料をおいて説明させて頂く方がよかったでしょうか?」
「これを食べながら説明を聞く……いや、それも耳から入らないかもしれん。やはり分けるべきだろう」
いつの間にか、二人でプレゼン方法の話になっていた。
その間も、ジルドは丁寧にカマスの身をつつき続けている。
気がつけば、イヴァーノが追加のカマスを皿に載せて持ってきてくれた。
「このカマスは、日持ちするのかね?」
二枚目のカマスを焼き始めると、ジルドがぼそりと言った。
「そのままで二日、状態保存のかかった袋に、氷の魔石を入れて十日程です。その……お魚の苦手な方もいるので全員にとは言えませんが、干し肉の他にもいろいろあれば、疲れていても、少しは食べられるようになるかもしれません」
「そうか……その様子だと、弟のことはもう聞いているのだろう?」
「あの……何と申し上げていいのかわかりませんが、残念なことだったと思います」
「君の父上が急だったことと、その後について、今日聞いた。その……そちらも残念で、いろいろ大変だったと思う」
誰から聞いたのかは言われない。
だが、男のその声には自分と同じく、突然家族を亡くした痛みがまぎれている気がした。
「ロセッティ商会長、今後、なにか希望はあるかね?」
「そうですね……これからの魔物討伐部隊は、もっと食事もとれて、眠れて、無事に帰ってこられるよう、そう希望したいです」
ジルドは傾けかけていたワインを、途中で止めた。
彼が尋ねたのは、金銭や爵位の後押しなど、今後の便宜の話だ。
だが、ダリヤには理解できない。
今、気にしているのは、目の前のカマスをいつひっくり返すか、そのタイミングである。
「……なるほど、あなたは魔物討伐部隊の『夏の大輪』か」
「いえ! 私では合いませんので」
不意のジルドの言葉を、ダリヤは全力で否定した。
夏の大輪――それは、皆が憧れるように華やかで、美しい女性の比喩だ。
自分とは、ほど遠いその喩えに、ひどく居心地の悪さを感じる。
「あ! 『猫の手も借りたい』って言いますから、少しのお手伝いとしては、猫の方がまだいいかもしれません」
『飼い猫』がまだ頭にあったので、慌てて言ってしまい、次の瞬間に硬直した。
せっかくなんとか話せているのに、ジルドに皮肉だと受け取られたらどうしよう。
心配になって視線を向ければ、彼はこちらを見て目を丸くしている。
そして、口元を一度手で押さえ、その後、耐え切れぬとばかりに笑い出した。
「うまいな……ああ、あなたは猫などではないな。見た目はかわいらしいが、隊を守る『獅子』のようだ」
「え、今度は『獅子』ですか?!」
ダリヤは半分悲鳴に似た声をあげた。
貴族のマナー本に、女性への『獅子』の比喩はなかったはずだ。
褒められているのか、けなされているのか、それとも皮肉なのか、まったくわからない。
ダリヤの目の前で、ジルドはまだ笑いを止められずにいる。
目尻に涙をにじませるほどの笑いは、しばらく止まりそうになかった。
・・・・・・・
「ロセッティ商会長は、財務部長から撤回を勝ち取りましたね。実に見事です」
「いや、それどころか骨まで抜いてないか?」
「あれは、やる気でやっているわけではないと思います……」
副隊長と壮年の騎士の言葉に、ヴォルフは苦笑して答える。
ダリヤとジルド、二人の会話は、身体強化をかけてずっと聞いていた。
本当はダリヤの隣に行きたいところだが、イヴァーノが斜め後ろにひかえている。ジルドの後ろのテーブルでは、開始からランドルフが待機してくれた。
それに、今はグラートが近くのテーブルに移り、様子を窺っている。
自分はつい今しがたまで、財務部の若手達を中心に、料理を勧め、できるだけの会話をしてきた。
兄に『顔つなぎ』の方法を聞いてその通りにやってみたが、なかなか難しい。付け焼き刃で交友が結べるほど簡単なものではなさそうだ。
そもそもこの場所も、今朝、兄がいきなり「中央棟の休憩室が空いたよ」と言うので、借り受けたものだ。
正直、『空いた』のではなく、兄が権力の総動員で『空けた』のではないかと少し疑っている。
だが、実際に試してもらえれば、遠征用コンロの良さはわかってもらえるだろう、そう思ってありがたく使わせてもらうことにした。
食材に関してはグラートに相談し、遠征用コンロだけでは足りないので、兵舎の小型魔導コンロ持ちから、借り集めてきた。
そして、試食で盛り上がっている、この休憩室の今である。
「しかし、コンロの裏に名前を刻みたいとは……なんとも浪漫だな」
手元の燻りベーコンを噛みしめつつ、壮年の騎士がつぶやいた。
「確かに浪漫ですね。王国初期の女性が、戦に男性を送るときの習わしからでしたか。背中の刺繍は、『戦うあなたの背中を、私が支えたい』でしたね」
「ええ。うちのカミさんは、つきあい始めの遠征で、アンダーシャツの背中に、自分の名前を小さく刺繍してくれましたよ」
「なんともお熱い話ですね。うらやましいことです」
二人の会話に、ヴォルフはクラーケンの塩漬けを焼く手をぴたりと止めた。
「今回はロセッティ商会長に、魔物討伐部隊全員が『応援』されたということで、大変ありがたいことです」
「……そう、ですね」
グリゼルダのとても明るい声に、ヴォルフはただうなずくしかできず。
妙に長い沈黙の後、年配の騎士が赤ワインを勧めてきた。
「ヴォルフ、お前、ずいぶんと『怖い女性』を側においたな」
「彼女は私の友人です。ただ、怖いというのは……怒られると、なかなか堪える人ではありますね」
会話の途中でからかっては怒られ、マルチェラと殴り合いをしては叱られた。
思えば自分は、今までずいぶんダリヤを困らせてきた気がする。
「あなたが堪えるというのでしたら、案外、『獅子』で間違いはないのかもしれませんよ?」
グリゼルダの声に、ヴォルフは再びダリヤを見た。
プレゼンのときの凜々しさはどこへやら、今は、カマスをひっくり返すのに網までくっついてきて、必死に剥がそうとしている。
ヴォルフは微笑んで、副隊長へ答えた。
「いえ、彼女は名前通り、『夏の大輪』ですよ」